風の記憶

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晩秋の嵯峨野を行けば……落柿舎

2017年12月14日 | 「新エッセイ集2017」

 

柿ぬしは不在なり、落柿舎の秋

田んぼの畦に、コスモスが咲いていた。
やさしげな花色の向こうの、林の中に茅葺き屋根の小さな庵が見える。元禄の俳人・向井去来(1651~1704)が住まいした落柿舎である。
去来は、「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」と芭蕉に称えられ、師翁にもっとも信頼された高弟だった。

小さな門をくぐって入ると、正面の土壁に笠と蓑が架けられている。
この家の主が在宅であることを、訪ねてきた客人に知らせるためだったという。
玄関は2畳、右手に土間続きで小さな台所。その奥に2畳の部屋がふた間。その西側に3畳の書斎と南側に4畳半の部屋と縁側が庭に面している。10坪ほどのこじんまりとした間取りの家だ。

芭蕉は、この庵を3度訪れている。
元禄4年(1691)には、4月18日から5月4日まで滞在し、その間に『嵯峨日記』を書き残した。
「障子つヾくり、葎(むぐら)引かなぐり、舎中の片隅一間なる處臥處(ふしど)ト定ム」(4月18日の日記より)。
障子の破れをつくろい、庭の草引きをし、部屋の片隅になんとか寝床を確保した、といったところだろうか。

更に4月20日の日記には、
「落柿舎は昔のあるじの作れるまゝにして、處々頽破ス。中々に作みがゝれたる昔のさまより、今のあはれなるさまこそ心とヾまれ。彫せし梁、畫ル壁も風に破れ、雨にぬれて、奇石怪松も葎の下にかくれたるニ、竹縁の前に柚の木一もと、花芳しければ……」など、荒れてる風情もなかなかいい、とあばら家の様子などが書かれている。

   五月雨や色紙へぎたる壁の跡 (芭蕉)

去来の功績としては、凡兆とふたりで、俳諧の古今集といわれた芭蕉の『猿蓑』を編集したことと、晩年『去来抄』を書き残したことだろうか。なかでも『去来抄』は、芭蕉研究書として高く評価されている。

   柿ぬしや梢はちかきあらし山 (去来)

落柿舎の名の由来として、去来の『落柿舎記』には、庭に柿の木が40本あったのだが、その柿の実が一夜の内にほとんど落ちてしまった。そのことから落柿舎の名が付いたと書かれている。
「ころころと屋根はしる音、ひしひしと庭につぶるる声、よすがら落ちもやまず」だったという。
ぼくが訪ねた落柿舎には、さいわい柿の実がまだ落ちずにたわわになっていた。

落柿舎制札という、面白いものが壁に掲げてあった。

  一.我家の俳諧に遊ぶべし 世の理屈を謂ふべからず
  一.雑魚寝には心得あるべし 大鼾をかくべからず
  一.朝夕かたく精進を思ふべし 魚鳥を忌むにはあらず
  一.速に灰吹を棄つべし 煙草を嫌ふにはあらず
  一.隣の据膳をまつべし 火の用心にはあらず

    右條々
                俳諧奉行 向井去来

芭蕉の作だとも、去来の作だとも言われている。いずれにしても俳人としての諧謔がうかがえて楽しい。
「雑魚寝には心得あるべし」や「隣の据膳をまつべし」などは、生活の様子まで髣髴とさせて微笑ましくなる。
居心地がよくて、長い時間ぼくは縁側に腰かけていた。そばに投句箱があったが、俳句は一句も浮かんでこなかった。

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (だんちょう)
2017-12-15 08:54:06
おはようございます!

読者登録ありがとうございます!
これからも宜しく御願い致します🎵🎵🎵

素敵なお写真ですね(o´∀`)b
返信する
ありがとうございます (yo-yo)
2017-12-15 21:29:59
さっそくの読者登録、うれしいです。
写真をほめていただき、ありがとうございます。
これを機に、
これからの交流をよろしくお願いいたします。

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