師走という言葉は、年の瀬にいちばんぴったりの言葉かもしれない。
走っているのは先生や坊さんばかりではない。みんな走っているようにみえる。忙しい忙しいと言いながら、走る人ばかりが行き交っている。
商店街は売り声と呼び込みでとくに慌しい。最近では元日早々から開いてる店も多いわけだから、そんなに買い急ぐ必要もないのに急かされてしまう。早く買わないと品物がなくなってしまいそうな雰囲気だ。ごったがえす喧騒の中から、師走の不思議な活気が湧き上がっている。
いつだったかの年末に、明石の魚の棚商店街というところに行ったことがある。地元では「うおんたな」と呼ばれている。アーケードをたくさんの大漁旗が泳いでいた。近くの漁港から水揚げされたタコやシャコ、タチウオをはじめ、魚介類が生きたまま売られていた。
本州と淡路島がいちばん接近している明石海峡は、潮の流れが速く魚の身がよくしまっていて美味しいという。とくに明石のタコは、関西ではブランドものになっている。たかがタコといえども、いまや庶民の口には入りにくい高値になってしまった。タコタコあがれだ。
せっかく明石にまで来たのだから、タコ焼き、いや明石焼きのタコぐらいは味わって帰りたかった。
明石では、明石焼きとかタマゴ焼きとか言われて、大阪のタコ焼きとはすこしちがう。ぼくも本場の明石焼きは初めて食べる。明石焼き専門の店が70店ほどもあるそうで、いたるところタコの看板があがっている。焼き方や食べ方も店によって多少ちがうらしいが、どうせ初体験、適当な店に飛び込んだ。
まな板に似たあげ板という木の台に、15個きちんと並んだ熱々の明石焼きが運ばれてきた。すこしひしゃげた形がいかにも軟らかそうだ。メニューの脇に書かれた「美味しい食べ方」に従って食べてみることにした。
最初の1個は、何もつけずに素のままで食べる、とある。
噛まなくてもとろけていくほどに軟らかいが、とにかく熱いので猫舌では無理かもしれない。砕けたあとに舌の上に小さなタコが残る。タコはサイコロぐらいの大きさが、歯ごたえと味が楽しめて最適だと、店の説明にある。すこし物足りないタコを味わう。大阪のタコ焼きのようなソースやマヨネーズ味のどぎつさはない。タマゴが勝ったマイルドな味がやさしい。
次の3個は出汁に浸して食べる、とある。
汁鉢の中で箸にかからないほど軟らかくなってしまうので、鉢の端から流し込む感じで口に入れる。出汁とタコ焼きのなじみ具合がいい。
次は6個。いよいよ本番といったところか。
出汁に三つ葉を加え浸して食べる、とある。三つ葉の風味に助けられて、和食のような上品な味わいになる。大阪のタコ焼きは、祭りや屋台の立ち食いが似合っているが、明石焼きは格好つけた雰囲気にも合いそうだ。元はもっと上品に食べていたものかもしれない。
地元の話を信じて、明石焼きがタコ焼きの元祖だとすると、大阪に入ると、なんでも賑やかなお祭り風になってしまうようだ。
残るは5個。
まず2個は、ひとまず出汁を脇にやって抹茶塩をふりかけて食べる。
素のままの明石焼きに戻って、抹茶の渋味でひといき入れる感じ。すこし口柄が変わったところで出汁に抹茶塩を入れ、さっぱりとした抹茶の味わいとともに、最後の3個を汁ごと口に流し込んでお終い。
15個をいろいろな食べ方をしたので、満腹ではないが、ほどよい程度に食い気は満たされたのだった。
明石焼きは、とくに印象に残るような味わいではなかった。けれども、その控えめな味は、もういちど食べて確かめてみたくなるような、極めがたいものがいまも口の中に残されている。
慌ただしい歳末に、静かに明石焼きを味わう。そんな記憶が懐かしい。
サイコロのような明石のタコの味を思い出しながら、さて、新しい年にはどんな賽(サイ)の目が出ることやら。ついでに明石海峡に落ちる夕日も思い出しながら、また新たにのぼってくる新年の陽光を迎えたいと思う。