![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/4b/4d474cfeeb8c623a1d831741308aa21e.jpg)
十五夜の、くまなき月が渡るという
阪急嵐山駅で電車を降りて、渡月橋を渡る。この橋を見て、「くまなき月の渡るに似る」と言ったのは、天皇家から最初に禅宗のお坊さんになった亀山上皇(1249~1305)。それによって橋の名も渡月橋と名付けられたという。
ひとは夜空の月のように優雅には渡れないが、ときおり橋の上空を群がって舞う白鷺の羽が美しい。一瞬、逆光のなかで真珠色に輝き、花びらを散らすように浮き上がって見えた。あわててカメラを構えたが、再びシャッターチャンスは来なかった。あれは幻だったのだろうか。
橋を境にして、上流が大堰川、下流が桂川と呼ばれている。
大きなウグイやハヤの群れが、ふたつの川を行き来しているのが見える。魚にとっては、川はひとつの流れにすぎない。
この橋の途中で振り向くと馬鹿になる、という言い伝えがあったという。
ぼくはいくども振り返った。静かに燃え立っている嵐山の紅葉を見るためだった。
美しいものを見るためには、しっかり馬鹿にならなくてはならないのかもしれない。
大堰川の堰の上流では、平安貴族さながらに舟遊びを楽しむボートが、木の葉を散らしたように無数に浮かんでいる。
かつて都鳥と呼ばれたユリカモメの群れが、首を左右に振りながら橋の下を滑空してゆく。橋の上はひとの群れ。嵯峨野へと途切れずに流れている。
その嵯峨野は、竹林の中の薄暗い道を抜けてゆく。ときおり観光客を乗せた人力車が通る。
道は上り坂になり、小倉山の懐に入る。
まず、山の斜面にあるのが常寂光寺。
小倉山しぐるるころの朝な朝な 昨日はうすき四方のもみぢ葉
と詠った、百人一首の選者・藤原定家(1162~1241)の山荘時雨亭があったとされている。
そのもみじ葉が、いまは真っ赤に燃えている。
1596年、この地に開山したのは日槙(にっしん)上人というお坊さん。
時の権力者だった秀吉におもねることもなく、不受不施の宗制を守ったという高潔の僧。大堰川の堰堤工事もすすんで支援した。
苔衣きて住みそめし小倉山 松にぞ老いの身を知られける
僧は歌人としても著名だったようだ。
なお、常寂光寺という寺の名は、仏教でいう永遠の浄土である常寂光土からとられたという。この日も小倉山にふりそそぐ陽の光は、やわらかくて優しかった。