風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

今年のおみくじは小吉だった

2016年01月09日 | 「詩集2016」

暖かい正月、暖かすぎる正月となった。
昨年の正月と同じように、落葉を踏みながら山道を下り、田んぼの細い畦道を通って、上神谷(にわだに)と呼ばれる古い集落の神社にお参りする。この神社にたどり着くまでの道のりが、ほんの30分ほどの歩行なのに、なんとなく古い時間に戻っていくようで気に入っている。
鎌倉時代の創建と伝えられる国宝の拝殿を潜ってお参りする。
とくに何かを祈願するわけでもないが、すこし畏まって柏手を打つことによって、こうして1年というものが巡って、また新しいなにかが始まったような気分になる。これが正月というものだろうか。

おみくじは小吉だった

小さな神社なので出店があるわけでもない。
ひっそりとした控えめな社務所で、おみくじを引くくらいがいつものお遊びである。今年の運がどうのこうのというのではなく、書かれてある古びた文章を読むのが楽しみなのだ。
例によって五言絶句の漢詩、

   見禄隔前渓
   労心休更迷
   一朝逢好渡
   鸞鳳入雲飛

何のことか解らないので、訳文を読んでみる。
「宝を見てとらんとすれど まえに谷ありてとりにゆかれぬなり」「おもうようにならぬとて心いためず じせつのいたるをまちてよし」「時いたればよき渡りにおうて谷をこえ 宝のところへいたるべし」「ほうおうの雲に羽をのすごとく じざいをえて喜びたのしむべし」とのこと。
いまは目の前の宝物も手にとることはできないようだ。だが後には、鳳凰が雲まで自在に羽を伸ばすように、喜び楽しめるという。最後の言葉で喜ばしてくれる。

小吉だったり末吉だったり、いつもこの手の言葉で満足させられることになる。そして、宝物を追いつづけてくたびれた1年の終わり頃には、鳳凰のようになるだろうという神様のありがたい言葉も、もうすっかり忘れ去っている。




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