以後われは暗察者の道えらびたり銹びしピストル胸奥に秘め (『菱川善夫歌集』 菱川善夫)
『敗北の抒情』、大変面白い。これこそ評論!という感じがする。上記の歌は死後、遺族によって出された菱川善夫唯一の歌集の一首だが、菱川は生前短歌を自ら公にすることはなかった。歌に詠まれているように、歌人兼評論家ではなく、評論家のみで生きてゆこうと決めたからだ。それが、「暗察者」、つまり暗闇からじっと観察する者ということだ。菱川のような、評論専門の者がいないことも、現代短歌がよくならない一因であるだろう。ほんとうに平等な立場でものを言うことが、歌人には難しい。それは結社や同人誌に所属しているとなおさらだし、個人で活動していても人間関係なしに活動することは難しいという短歌の世界の(他の世界も同様かもしれないが)「しがらみ」があるからだ。勿論それのみではないだろうが。
菱川を輩出した「短歌研究」の評論賞を受賞するのはほぼ歌人(上田三四二すら歌人)だ。菱川のように、「評論一本でゆく!」という覚悟をもつ評論家が現れたら、面白いのに・・・。
一番最初の「敗北の抒情」の論点の重要なところは、また別にあるのだが、ここに、茂吉は『赤光』、晶子は『みだれ髪』、白秋は『桐の花』が、断然よい、とはっきり書いてあって、嬉しい。その歌人に詳しい歌人ほど、それぞれ、他の歌集の方が、ほんとうはいいのだ、と言う。そうかなぁ・・・と常々思っていたのだ。第一歌集がよいということは、まるで、「若い女(男)がいいよねぇ」と若さ至上主義みたいな、浅いものの見方をしているようで、恥しいのかもしれないが・・・。確かに、若いときのものばかりがよい、というもの淋しい事には違いない。しかし、私は、塚本邦雄に関しては『水葬物語』よりも、中期以降の方が面白いと思う。まだ、読みはじめたばかりだから、後には違う感想になるかもしれないけれど・・・。