詩歌探究社 蓮 (SHIIKATANKYUSYA HASU)

詩歌探究社「蓮」は短歌を中心とした文学を探究してゆきます。

「たかが、されど」論法のお話

2024-02-17 09:15:00 | 千駄記

「たかが、されど」論法のお話

 

新聞代わりのネットニュースのつまらない見出しに目が留まる。

広末涼子「俳優業に邁進し、お芝居と真摯に向き合っていきたい」

復帰されるそうですが、仕事があるならやればいい。興味なし。

気になったのは「俳優業に邁進し、」・・イマドキはコレ。

ひと昔前だったら「女優業に邁進し、」だったはず。

男性は俳優、女性は女優、特殊な映像作品に限って男性は男優。

俳優ならジョージ・クルーニー、女優ならジョディ・フォスター、

男優なら加藤鷹がボクは好きです。

将棋の世界ではいまでも男性は棋士、女性は女流棋士ですね。

ボクのWordは考えが古いのか「女流」は一発変換できるけど

「男流(だんりゅう)」は「おとこりゅう」と入力しないと変換できない。

 

「たかが〇〇、されど〇〇」って言い回しが大昔、流行しました。

誰が言い始めたのか知らないけれど、ハッとしたのは

「たかが女優、されど女優」 藤田弓子の言葉です。感心した!

次に耳にしたのは

「たかが野球、されど野球」 江川卓です。江川さんは

「藤田弓子さんに「たかが女優、されど女優」という言葉があるんですけど・・」と

前置きしていらしたから、彼は誠実ですね。次に聞いたのが

「たかがテレビ、されどテレビ」 山城新伍。

彼がテレビ界を席巻していた全盛期の頃です。

20代の頃、篠原美也子というシンガーソングライターのCDをよく聴きました。

「誰の様でもなく」という曲の一節。

たかが二十歳 されど二十歳 

今が今しかないように

あたしは世界でたったひとつのあたしでありたい

歌詞に「たかが、されど」論法が使われていて、少しガッカリした。

 

ボクは歌人ですが「たかがうた、されどうた」なんて絶対に言わない。

「たかが、されど」論法の考案者とボクが勝手に認定した藤田弓子さんの

「たかが女優、されど女優」こそ、名言ではないですか。

女優だからこそ華があって、せつなくて、美しくって、哀しい言葉になる。

「たかが俳優、されど俳優」では漠然とするよ。

 

女優っていい言葉ではないですか。

 

2/17(土)曇

 

今日は数名出勤。今日出荷する製品の目鼻がついて

15:00に積込予定となりました。ボクは13:00から

短歌教室のアルバイトに出ています。心配だけど

短歌も仕事ですから。ノンクレームでありますように。

今後も月内の仕事が立て込んでいる。

どうなることやら、考えると眠れない。

 

おしまい。

 


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