毎年、今ごろになると気になるこの薔薇。
寺山修司の次のうたとともに眩しく映る。
愛されているうなじ見せ薔薇を剪る
この安らぎをふいに蔑む 『血と麦』
ぼくは無頼を装わなければならないほどに
生真面目で臆病者であるからこのうたを好む。
郊外に建つ邸宅の薔薇園のような庭で
花時を迎えた深紅の薔薇を剪る女性がいる。
六月のとある休日の後朝である。
彼女は薔薇をリビングに、食卓に、寝室に飾ろうとしていた。
自らの欲望を満たすために花の命を躊躇うことなく奪ってゆく。
静かな朝に切れ味の良い剪定鋏の音が残酷に響き渡る。
彼女のうなじが白く際立つのは長い黒髪を持つゆえだ。
美しい彼女の全存在が己の掌中にあるこの光景は
男冥利に尽きると言ってもいいはずで、
それを寺山は〈愛されているうなじ見せ薔薇を剪る〉と表現した。
ところが寺山は〈この安らぎをふいに蔑む〉のである。
欲望が完全に満たされることへの
不安と恐怖がここに表出されたのだ。
〈この安らぎ〉とは、完全なる幸福に浸る男の存在と
欲望のままに薔薇を剪る彼女を指し、
それらを〈蔑む〉精神が寺山に突如として現れたのである。