父を亡くし音楽学校進学に悩むさくら子に純愛。
我が家の大蔵大臣の母から「大学を二人は無理だから受験一年年待って」と言われたのが53年前。
兄と私は3歳違い。兄が一橋大在学中だった。英語は2年で全校3年生徒同じ模擬試験で10指に入っていた。
「まぐれだよ!」いつもとぼけていた自分を思い出す。それより兄を無事卒業させることが目的で、父の商売の手伝いをしていた。
家中の汗の結晶が兄の大学無事卒業だった。私の3年の担任は心配してくれた。4月は母の入院。
看病のため高校を休んだ私を見て、もっと自分を大切にしたらと忠告してくれた。
中学3年で育英資金を受けるようになった私は、高校でも有名ではあった。
月謝未納者の黒板掲示の常連だった。奨学金が入らないと授業料を納めないからだ。
事務官さんは「分かっているから良いんだよ。一応決まりだから名前だけは書くが悪く思うな」であった。
兄一辺倒の母の姿に義憤を感じた中学の校長先生が「このままだとこの子の学業継続は心配だ」「育英資金の手続きをした」と強引に手続きをしてくれた。
先生には兄と私と同い年の男の子がいた。人ごとではないと言われる。
当時の金八先生だ。自前で夜遅く進学のための補習授業を半年以上してくださった。
その年の高校進学率は平年の倍の合格率だつた。
さくら子の身の上と昔の自分がダブった。一年間受験をしない浪人生活は父の手伝いをして兄の毎月の学費を送ることだった。
我が家の大蔵大臣の母から「大学を二人は無理だから受験一年年待って」と言われたのが53年前。
兄と私は3歳違い。兄が一橋大在学中だった。英語は2年で全校3年生徒同じ模擬試験で10指に入っていた。
「まぐれだよ!」いつもとぼけていた自分を思い出す。それより兄を無事卒業させることが目的で、父の商売の手伝いをしていた。
家中の汗の結晶が兄の大学無事卒業だった。私の3年の担任は心配してくれた。4月は母の入院。
看病のため高校を休んだ私を見て、もっと自分を大切にしたらと忠告してくれた。
中学3年で育英資金を受けるようになった私は、高校でも有名ではあった。
月謝未納者の黒板掲示の常連だった。奨学金が入らないと授業料を納めないからだ。
事務官さんは「分かっているから良いんだよ。一応決まりだから名前だけは書くが悪く思うな」であった。
兄一辺倒の母の姿に義憤を感じた中学の校長先生が「このままだとこの子の学業継続は心配だ」「育英資金の手続きをした」と強引に手続きをしてくれた。
先生には兄と私と同い年の男の子がいた。人ごとではないと言われる。
当時の金八先生だ。自前で夜遅く進学のための補習授業を半年以上してくださった。
その年の高校進学率は平年の倍の合格率だつた。
さくら子の身の上と昔の自分がダブった。一年間受験をしない浪人生活は父の手伝いをして兄の毎月の学費を送ることだった。