青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

午後重労働

2006-05-04 20:48:00 | Weblog
助っ人の女性軍とパパが庭の片付け、近くの公園で孫と遊んでいたが、竹林の根を掘り起こす段階で、小生も加わる。

深い根に苦労して掘り下げていたが、てこの応用で、ポイントを決めてほりあげる方法で、深い根を処理。

皆、唖然。年の功なり。パパは営業で思いものは職人の仕事。重労働には馴れていない。見かねて手を出して、二人で息の合う仕事に心地よい汗をながす。

無事完了。一風呂浴びで、娘夫婦は客人を送り、食事を振る舞わせる。

孫娘はこちらで風呂、夕食、8時過ぎには眠くなる。正常の生活に戻る。

明日は家族でサファリーパークとママが言い出すが、高速が混むのと、パパの疲れも考慮してやめさせる。

近くに自然の公園が沢山あるのだから、遠くへ行く必要はない。

夕方から昼寝中の下の子も9時近くに起き出す。おにぎり大好き人間にお魚があれば良いが、野菜を取らせる。

二人とも野菜に嫌いなものがないのはありがたい。姉の影響らしい。

郵便物は平常通りの配達

2006-05-04 13:45:00 | Weblog
四国の大病院の院長であり、某宗教会の五月号が届いた。会長が亡くなって三年になるだろうか。

神事ののまつりごとの祭主でもあり、日本の古事記研究者でもあった。

台湾の大学の客座教授を同じくする仲でもあった。三笠宮親王殿下の下賜御台臨之栄とあり、名誉総裁に元皇族をお迎えする団体である。

北方問題、皇室崇拝の右寄りに誤解される向きもあったが、国粋主義者であったと思う。私を信用してこちらも彼を尊敬していた。

医療法人と宗教法人を併せ持つ大病院である。一度来るように言われながら、お元気な間に伺うことができなかった。

隔月号が届くたびに思い出し、古事記解説の連載を読むのが楽しみでもある。

共に海外を旅した頃を思い出すのである。

孫たち12時を過ぎても帰らず。

2006-05-04 12:02:00 | Weblog
従兄弟とパパが魚釣りにいって、帰りを待ったら夜中。

折角の連休にパパも少しは遊びたいだろう。良いことだ。家族サービスだけでは可愛そうだ。

我が家の門灯は12時で消えるから、母屋の何カ所かを点灯して待つ。余計なことだが帰りを確認しないと眠れないし、起きていれば孫娘はこちらへ駆け込む。

昨日の助っ人の二人とパパで、昨日の切り込んだ庭木と竹を電動のこぎりで切断。

連休は働く日になった。手伝ってやろうと思うが、一人が気楽と黙々と作業。

途中何度も電話が入るが、職人は休日の仕事が多く、全員仕事らしい。

連休で10日も海外旅行や国内旅行する人たちはどんな人種か。

職種により、異なるのだろう。10年間のサラリーマン生活時代は、元日一日程度しか休まなかったことを思い出す。

タンカーの会社だったから、大型船は全国各地に配船。

港の小型船は外国船は正月も無関係に燃料を欲しがるから、給油に一昼夜かかる仕事もざらで、大手商社の担当者と船で徹夜することも多かった。

少しばかり英語ができるのは損をした。他社からも難しい給油には助っ人を頼まれる。内密に貰ったお礼の金一封は仕事だからと、会社へ出すほどの堅物だったと、今、思う。

体調崩して休暇も何日でも完治まで待つから、どうしても仕事に復帰して欲しいと皆が足を運んでくれた。

同業他社からはお見舞いと、引き抜きであった。我が社に来てくれたら、希望通りの給料をと言う社もあり。