後
最近にない静かな一日。物足りないほど。人間は勝手なもので、騒々しいと静かを望み、静かだと物足りなさが淋しさに変わる。
出かけるまで私の名を呼んでは纏わり付いていた孫娘。早く起きすぎと言うと、途中で寝るからと平然。
乗り物酔いなど知らぬから有り難い。昨日近くの公園で二人で撮った写真をプリントした。
近所のおばさんに「私アイドルになりたいの」とすまして言うお茶目さん。
「親戚に二人も有名人がいるもの、なれるよね」と調子を合わせて貰ってその気になっている。
この頃が罪がなくて良い年頃だ。団体の中でもお茶目振りを発揮しているであろう。
明日の夜遅い帰宅となるはず。登校準備を時間割と照らして、準備する。
「こんなことまでする爺様はいるのかな」と言いながら楽しんでいる。
助っ人と若者たちが荒療治で片付け不十分の庭をすっきり見られるように片付けた。
一人の風呂も落ち着くが忘れ物したよう。ビールも欲しくない。夕食をお義理に詰め込んで終わり。
家内は作り甲斐のない人と私を呼ぶ。がつがつ食べない。品数が多いと面倒。一汁一菜で十分だから始末が悪い。
量は普通の人の半部も食べない。貧乏性なのかも知れない。
食糧事情の悪いときの世代だからなのかもしれない。
肉は週一で良いし、魚は日本近海で十分。どちらかと言うと青いものが好み。蟹は皆が騒ぐほど欲しくないし、エビも過去に伊勢エビの洪水で嫌いになった。
若いときの飲み過ぎで禁酒以来、週に一、二度コップ一杯のビールで満足。
果物も出されれば口にするが、食後に不可欠は甘いもの。洋菓子は嫌い。和菓子だ。
そのくせ人一倍うるさい。鼻と舌は料理人に負けないと講釈を言う。実に鼻持ちならない夫である。
熟年離婚されないのが不思議である。請求半分の退職金がないから助かっているのかも知れない。
白いご飯がふかふかに炊けていると満足。上手いと口に出すのはこれも週一。
「毎回できの違うご飯を炊くのはあなたは天才だ」と言って家内の顰蹙を買う。
薪の強火で竈で炊いたご飯が美味しい。電気釜で期待するのが無理なのか。我が家の電気釜が安物だからなのか。
ガス釜の方が美味しいようだ。「美味しいご飯のできる土鍋を作ってやる」と言いながら何十年も経過した。
東北地方へ行くと竈で炊いた後に、蒸しかまどと言うのがあって、吹き終わった釜を下に消し炭を少し入れて、蒸すための道具がある。
これは美味しいご飯ができる。今時使っているのはプロだけではあるまいか。