青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

愛情と甘やかし

2007-06-15 09:08:00 | Weblog
昨夜もランドセルを持って孫娘がやってきた。「パパとママと喧嘩した」という。

「好きにしなさい」と言うママ。「駄目だ」というパパ。

共に半人前だ。ママは叱り続けて、その挙句、自分も体調が良くないから、助かると思うのか。

パパは私にべったりの娘がこちらへ来ることが不安。

なんと情けないことか。肝心のその子にとって何が最善かを考えるゆとりが無い。

核家族になって以来、子供の人格形成にも異変が出ているという説を聞いたことがある。

年寄りと同居の家庭は健全だという。昔はどの家もそれだった。

文明は人を遠ざける。歯車の一こまとなって働き、社長になっても、雇われ社長である。

家電の発達は主婦を楽にさせ、時間の余裕も出来るのだが、それを感謝したり、有効に利用使用とはせず、もっと楽をしたくなる。

怠惰といっては過言かもしれないが、それが普通になる。右習いの精神は私は嫌いだ。

人がやると私もやる。皆で渡れば怖くない。この皮肉な例えは最近の人心を表わしているのか。

中途半端が嫌いな私は孫たちを愛し、百パーセント役に立ちたいと思う。

愛しすぎは無いと思っている。それは祖父としてで、親の領分を侵す積りはないのだが、どうしても孫たちは比較するのだろう。

親たちもそうすれば良い。彼らは親の権利を振りかざし、言うことを聞かない叱る。

歳の差なのだろう、悪いことをしたとき、言うことを聞かないとき、とことん話し合う。

必ず、子供にも歳相応の言い分があり、すねたり、反発したりしている。

全部吐き出させて、大人の意見をゆっくり言い聞かせる。大抵の場合、納得して、今後の行動に生かしてくれる。

だから、叱る必要が無い。親は「忙しいから、そんなことを言ったりやったりしていられません」と弁解する。

そんなに忙しいのだろうか。私の母や祖母を思うと今時の主婦は天国である。

便利すぎて、レトルトとか冷凍食品が増え
レンジで何分。油で揚げるだけ。手間は半分以下のものばかり。

旧式の人間である私は冷凍と聞くと偽者食品。レトルトもインスタントも同様である。

下手な主婦よりは旨いものが食べられると聞く。比較は下手な料理ではなく、上手な人の料理より優れていれば認めるのだが、本物に勝るものは稀ではないだろうか。

本物の味を知る私には納得のいくものが少ないのである。

形のようキュウリ、洗った白いごぼうやイモ類がスーパーにあっても、手を出したことが無い。

車を使わないと買い物は不便な地であるから、買い物は私が主である。

先日、我が家伝来の鳥ご飯を家内が作った。器用な家内は私の母より綺麗にごぼうを切る。

隣の老夫婦と東京から娘さんが来ていたから、三人分をそれぞれ器に入れて、届けたらしい。

娘さん曰く、「あんなに美味しそうに食べる父を見たのは最近ありません」何時もの倍の量を頂きましたという。

私にはいささか不満であった。ごぼうと鳥肉を併せると、それはなんともいえない香りが生まれる。

今回それがない。卵と海苔を上にちりばめるから見た目も良い。

味も良し。詳しく聞くと、千切りにしたごぼうを水につけてあく抜きをしたという。

蓚酸成分の「アク」は大量を摂取すると害になるのは承知だが、ごぼう本来の香りが消えるのである。

機械で切ったのですかと誰もが驚く千切りごぼうである。教えた母よりはるかに上手い。

昔のものが良く思う錯覚かと最初は思ったのである。聞いて納得した。

今時の食べ物がそれに似た現象が多々あるのではないだろうか。

孫への話が回り道したが、宿題をこちらで済ませ。小テストの結果も全部私に見せて、よく出来たところを沢山褒めて、失敗した理由をやわらかく教えて、納得させた孫娘は元気に自分の家に帰りました。

今夜は恒例の金曜お泊り日である。