青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

昨日一日続いた雨が上がり

2007-06-19 08:49:00 | Weblog

小雨程度はあるが昨日は終日雨。今日は曇りから晴れ間がでてきた。

人間勝手なもので、二日も振れば「よく降りますね」である。

梅雨はうっとうしいが、農家やある種の職業には不可欠。水の供給と言う大問題もある。

空梅雨だと水不足が起こる。日本では雨は歓迎されない。西洋のほうが雨を楽しく迎え入れる傾向があるのだろうか。

その点、子供は素直に自然を受け入れる。

昨日夕方、孫2人を耳鼻科に連れて行った。その帰り孫娘が母親に言う「私ね、じいじの生まれた頃にタイムスリップしたいの」母親の返事「コンビニが無いよである。

夢の無いのは母親らしい。日曜日の夕方、子供を2人連れて魚釣りに行った。

姉が小学館で勉強のご褒美に貰った釣り道具。真似る弟に仕方なく買ったら、海釣りが出来るリール付きには驚いた。

何時間も糸をたれて、蚊に食われた被害はあったが、魚は一匹も釣れない。

釣堀はつれても不自然だが、喜ばせるには十分だ。

観光地へ行くと、鱒の養殖場で入れ食いする鱒を取って喜んで食べる。これが人気らしい。

本物のつりを知っているものには馬鹿げている。東京の学生時代、東京湾へはぜ釣りを経験した。

どんどん取れるが、棒のように愛嬌の無い釣られ方に、不満だった。

以後、行ったことがない。子供の頃は、渓流と沼や池で釣るのが常だった。

道具は本家の竹やぶの面相竹というのがあって、釣りには最適な竹があった。

毎年、これを切り、釣竿を作っていた。竹そのままを一本だけである。

都会からは素晴らしい釣竿その他で完全武装した釣り人が来ていた。

彼らの魚篭には数匹しか魚が入っていない。その河の石の下から取ったえさで、半日も釣ろうものなら、私たちは魚篭一杯の魚を釣った。

釣り人はわれわれにせがんで、何匹か分けてくれと願うのである。えさと釣り場を教えて、その上、機嫌の良いときは魚篭の魚の半分を分けてあげるのが常だった。

そんな話を御伽噺のように聞いて育った孫は、その不思議で、ナチュラルな世界に惹かれるのであった。