朝日新聞Be欄の「昔も今も」医療と言ふコラムが、我が国の医療に対する問題点を指摘している。
現在の交通事故死は年間6000人余だが、医療事故死はその4倍、26000人が亡くなっているとの推計がある。
自殺防止策と医療事故への対策を進めれば、かなりの人命が助かるといわれている。
あまり表面に出てこない問題だが、医療ミスにより助かる命も助からない例が多いとは驚きだった。
幸い小生が治療を受けている病院では必ず複数医師のチーム制を取っている。
担当医師からチームの全員にデーターを提示して、最善の治療方法を検討して治療にあたる。
江戸時代も、医療ミスは多かった。現在の様に国家試験で医師免許を出すのは、明治の中頃かららしい。従って江戸時代には誰でもが簡単に医師になり得た。
そこで薬害も結構あったらしい。変な医師が患者に悪い薬を飲ませて患者を死なせている。
将軍家のご典医さえも例外ではなく、世襲の弊害で実地の診療経験が少なく、十分な治療ができない者もいた。
老中・田沼意次の子・意知が江戸城中で切られた。長さ8寸、深さ1寸の傷だったそうだ。
ところが当直の外科医師は「かように大切な傷を縫う道具は持参していない」と震えてばかりいた。
やむなく内科医は興奮剤を投与、傷口に鶏卵を塗りつけ、「自分では縫えない」と屋敷に帰した。
意知は揺れる駕籠のなかで大出血、数日苦しんで死んだ。
そしてこんな落語の様な話も伝わっている。
患者を見ると誰かれなく「手遅れじゃ」といった医師が居たそうだ。「先生何をいわっしゃる、わしは屋根から落ちただけだ」「屋根から落ちる前に来ないから、手遅れなのだ」と言ったとか。
かの貝原益軒の「養生訓」にも、「医を学ぶ者、もし生まれつき鈍にして、その才なくんば、みずからしりて、早くやめて、医となるべからず」とある。
医師は万民の生死を司る大事な職業である。現代にも大いに通ずる大事な事だと思った。