ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

無着成恭さんのこと

2008-02-16 20:36:46 | 勉学
朝日新聞の夕刊の紙面で久しぶりにお目に掛かった名前である。81歳とあるから小生より一回り年上の方だ。「人生の贈りもの」と題する聞き取り記事で教育論を展開されておられたのでした。
小生が中学生のとき、寺の住職をされながら、隣村の山元中学校の教員として生徒達に「生活綴り方」を書かせた。その記録を「山びこ学校」として本で紹介したのでした。その本が当時の大ベストセラーになり一躍全国的に有名になった方なのである。小生と同年配の方では覚えておられる方もあるのではないかと思います。「雪がこんこん降っています/人間はそのしたで暮らしているのです」という生徒の詩が冒頭にあった様な記憶がある。作文の好きな小生も胸を躍らせて感心して読んだ本でもあった。

先生はその後に6年間在職した地元の中学校を辞して大学に入り直している。元々は宗教家としての勉学だったが、学校教育の大切さを痛感し、東京の私立明星学園の教師を27年間務める。この間「点数廃止を思想する市民連合」を結成し話題になった。学校は減点方式で人間を評価する。こうした点数主義は人間をダメにする。いじめの本質には、競争を原理とする点数序列主義にあると述べられている。
徳川時代の教育は武士の学ぶ藩校は「儒教」、庶民の学ぶ寺子屋は「仏教」としっかりした基盤があって教育していた。明治時代に文部省をつくり国家の管理の基に教育をおいたのが間違いだと言われる。戦後は国家のためでなく、人間教育をしようとした時期があったが、池田勇人総理の所得倍増論で、日本人は資本主義の歯車にさせられてしまった。その結果人間としての教育が疎かになり、自分を省みることのできない人があふれている。平気で自分の親や子どもを殺すなんて、生物の本能、法則に反していると説明されている。

そして教員を辞められた後は千葉県の無住職の福泉寺の住職になられる。そして4年前からは、大分県の国東半島にある泉福寺の住職である。こんな世の中だからせめて坊主が説教を続ける必要があると述べている。夫婦は健康診断には行った事がないそうだ。何も病気を見つけてもらって、心配しなくてもいい。暑かったら暑かったでポッと死ぬ。「飛んでいる形で死んで赤とんぼ」死んだことさえ気がつかないで飛んでいる。そんな人生を送っていきたいと言われる。

鋭い感覚で日本の教育を眺めてこられた教育論は、説得力を感じさせる。


コメント (2)
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