ピーナッツの唄

毎日の出来事や、スポーツ観戦、読書や映画等の感想を中心に、好奇心旺盛に書いています。

「上を向いて歩こう」

2008-07-09 12:17:23 | 独り言
昭和は遠くなりにけりーー「坂本九」さんのことーー

昭和を代表する歌手は沢山いる。その中から選ぶとすれば、女性では美空ひばりさんであろう。そして男性では多くの異論もあろうが「坂本九」さんだと思っている。そんなことを考えていたら、先週の朝日新聞beの「うたの旅人」が坂本さんの所縁の地、茨城県笠間市を紹介していた。日本3大稲荷のひとつ、笠間稲荷神社で有名なところである。
坂本九さんは2歳から小学一年までを疎開先の笠間の家で育った。9人兄弟の9番目、庭から見上げる夜空は、満天の星だった。幼かった九さんは、母のひざで星を見上げていたそうだ。西の空の夕日を見ながら、買出しから帰る母を待ちわびた思い出が「上を向いて歩こう」を歌うとき何時も思い出す光景だったと後で語っている。

坂本さんは16歳でロカビリー歌手としてデビューし「上を向いて歩こう」で一躍、人気歌手となった。「スキヤキ」ソングとして米国でも100万枚以上をを売り上げゴールデン・レコードを受賞し、世界60カ国以上で1300万枚のレコードを売り上げて、世界的な歌手となった。お兄さんに言はせると「声量もなく美男でもなく九は悩んでいた」。しかしあのニキビだらけの庶民的な顔と独特な彼の歌い方が、もうひとつの魅力でもあったと思う。当初、作詞家の永六輔さんは、坂本さんの「うえをむいて」が「ウエホムフイテ」に聞える歌い方を聞いて「なんだ、これは!」と怒ったらしい。「九は三味線からギターに入った。あれは邦楽の伝統的な歌い方です。エキゾチックだから世界でヒットしたんでしょう」と今は思っておられる。

坂本九さんにはもうひとつの顔があった。9年間北海道各地の福祉施設を訪ねて障害者の話を聞く番組の司会を務めた。札幌TVの30分番組で、亡くなるまで461回、5千人以上の人と会い、台本にない自分の言葉で語りかけている。コンサートで手話で歌う事を始めたのも坂本さんだった。あの衝撃的なJALの墜落事故に遭わなければ福祉事業の実戦家としての坂本さんにお会いできていたかもしれない。

コンサートでは「上を向いて歩こう」にはじまり「見あげてごらん夜の星を」で終わったそうだ。「「上を向いて歩こう」は太陽のような歌だ。太陽は勇気と知恵を与えてくれる。そして星は感動を与えてくれる。」と生前に家族に語っていたと聞いた。

都会では満天の星空は見えにくくなってしまったが、23年経ったあの忌まわしい事故の日がめぐってくる。坂本九さんもきっと星空の一角で地上を暖かく見守っていると思う。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする