前回、「可能性」について、警察やメディアが、誤った使い方を
していることを指摘しました。
今回も、同じ組み合わせでの、不可解な言葉について、
述べたいと思います。
警察とメディアは変です(その2)
交通事故 のニュースは、連日のように報道されていますね。
その中で、聞いていて何時も、不自然に思うことが有ります。
ところで、「車が人を轢いた」と聞いたら、皆さんはどんな情景を、
思い浮かべますか?
「人の上にタイヤが乗り上げて、通過した」と思いますね。
一方、「車が人を撥ねた」と聞いたらどうでしょう?
「人に車がぶつかって、人を撥ね飛ばした」と思いますね。
さて、交通事故のニュースでは、「人が車に撥ねられ、
被害者は死亡、車はそのまま逃走、警察はひき逃げ事件
として捜査している」と報じますね。
前述のように、人を轢いたと人を撥ね飛ばした では事故そのものの
形態が、全く違います。
人を撥ねて逃げたと言いながら、最後に一律に「警察はひき逃げ事件
として捜査している」と言います。
これは、警察が記者クラブで、そのように説明するから、メディアは
言われた通り、良く考えずに報道しているわけです。
もっとも記者クラブは、警察が、メディア側の事件のスッパ抜きや、
メディア独自の調査で、先行報道されて、痛い目に有っていたから、
警察の名誉を守るために、作られたクラブだから、警察の発表通り
伝えておけば、視聴者に非難されないというメリットは有りますね。
ですが、メディアの自負もなく、言語能力も地に落ちたのでしょうか。
次回は、「警察とメディア」はお休みし、交通機関が、何らかの理由で、
運転を停止した時、よく「転を見合わせる」といいます。
この「見合わせる」を研究して見たいと思います。