9:30 AM。
亮はセットしたアラームが鳴る前に、パチッと目を覚ました。

勢い良く上半身を起こすと同時に、携帯アラームが鳴る。
亮はその電子音を止めると大きなあくびをし、全身をぐんと伸ばした。

ようやく慣れてきた、朝の風景。
歯磨きをし、朝ごはんを作りながら携帯でニュースをチェックして、駆け足で職場へ向かう。

職場である宴麺屋の店内に入ると、既に雪の母親はエプロン姿で仕事に取り掛かっていた。
「亮君おはよ」 「うっす!おはよーございやす~!」

亮は威勢よく挨拶した後、まずは掃除掃除と言って店内を進んで行く。
しかしその間にも椅子や机にぶつかって大きな音を立てるので、雪の母親は気が気でないようだ。

この日初めて亮の姿を目にする雪の叔父は、彼の後ろ姿を見て雪の母親に声を掛けた。
「おっ!あれが新しく入ったバイトの子だね?」

雪の母親は頷き、娘の友達らしいと言って彼を紹介した。
叔父は、雪の友達ということは大学の‥?と口にするが、雪の母親は首を横に振った。
バイト経験は豊富らしい、と付け加えて。
「しかし力は結構ありそうだな‥!」 「力は強いですよ、力は‥」

雪の母が遠い目をする隣で、叔父はキラリと目を光らせた。
実は彼の経営するカフェが内装をリニューアルするということで、倉庫の掃除と整理に追われている最中らしい。
そこで力のありそうな亮を貸して欲しい、というわけだ。

雪の母親は彼の要求を飲んで、亮に叔父を手伝うように言った。日当も別に出るわよと付け加えると、
亮はニッコリと微笑んで返事をした。
「うぃーっす!了解しやした!」


‥しかし亮はその了承をすぐさま後悔した。
ゴミ袋を作っても作っても、一向に終わる気配が見えないのだ。
何だこのゴミの山は?!どーすればこんなになるんだ?!業者呼んで片せよ!

重いゴミ袋を沢山運んで、亮はもうクタクタだ。叔父はそんな亮に、ニコニコと微笑んで声を掛ける。
「あとはあっちの倉庫を大まかに整理してくれればいいから。残りは業者さん呼ぶからね」

ボロボロになった亮は力無く頷き、隣の倉庫へと歩いて行った。
日当ケチれば容赦しないぞ、と思いながら。

キイ、とその扉は開いた。
埃っぽい空気がドアの隙間から漏れ出てくる。
早く終わらせよう、と呟きかけた亮の目に、それはいきなり飛び込んで来た。

雑然とした室内に置かれた、一台のピアノ。
心臓が一瞬動きを止めた。ハッと息を飲んだまま、亮は目を見開いた。

叔父が亮の背中越しに、あのピアノは買ってはみたものの使わなかったんだと説明した。
亮は叔父とピアノを交互に見ながら、あんぐりと口を開けて呆然とした。

確かに今、目の前にある一台のピアノ。
頭で考える前に足は歩を進めていた。ゆっくりと、亮はピアノに向かって行く。

亮は初めてピアノを目にした子供のように、恐る恐るそれに手を伸ばした。
指でピアノをなぞってみると、黒いホコリが指についた。長らく誰にも触られていないのだ。

亮はゆっくりと、鍵盤蓋を上げた。
埃が舞い上がる中、蓋の下から鍵盤が姿を現す。

亮は吸い寄せられるように、その白い鍵盤を眺めた。
小さく震える指を、ピアノに向かってゆっくりと伸ばす。

しかし音を押さえる前に、亮はその指を引っ込めた。
何も考えられない最中だったが、何かが亮を阻んだ。


数年ぶりに見た鍵盤。
川のように広がる、白黒計八十八鍵。

すると鼓膜の奥で、音が聴こえた。
白と黒の川から聴こえてくるその音。
昔自分が奏でたあの、音の洪水‥。

亮は思わず目を瞑った。
脳を揺らすようなピアノの音が、鼓膜の奥を叩くように響く‥。

ショパン、シューベルト、ベートーベン‥。
亮の記憶の中に、何百回何千回と白と黒の鍵盤を叩いた日々が蘇る。
特に思い出されるのは、高校時代の練習風景だった。
神童と言われていた。亮にとって、ピアノを弾くことは生きていくことだった。

そして美術を専攻して日々を送っていた姉のことも思い出した。
しかし姉は亮とは違い才能が無く、彼女はいつも亮に突っかかった。
記憶に残っている。瞬きもせずに亮を射た、あの鋭い視線が。

亮は同じピアノ科だった、あの男のことも思い出していた。
あの時彼に対して、亮の警戒心は微塵も無かった。同じピアノを愛する仲間だとさえ思っていた‥。

最後に思い出すのは、遂に静香が美術を辞めた時のことだった。
淳の父との面談の末、その未来を諦めた時の姉の記憶。

アイツにはマジ心配が尽きねぇよ、とその時亮は口にした。
淳の部屋で寝転びながら。パラパラと漫画を捲りながら。
あの時は全然分からなかった。
夢を諦めるということ、夢を失うということが、一体どういう意味を持つのかを。
そう亮は心の中で呟いた。
ピアノの蓋を閉じ、それに背を向ける。

遂に鍵盤には触れぬまま、亮は倉庫を後にした。
しかし何度も振り返り、ピアノに視線を送った。亡霊のように、亮の心を離さぬそれに。

同じ頃、静香は家であるバッグを探していた。
高かったのにどこに仕舞ったのか思い出せず、静香は古い荷物がまとめてある箱にまで手を伸ばした。

そして奥の方に転がる、黒い筒を見つけた。
思わず蓋を開け、中に入っていた絵を取り出して広げる。

それは高校時代、淡い恋心を燃やして描いた淳の絵だった。
頑張って描いたが、散々亮に笑われた。そして結局、自分は絵を辞めることになった‥。
「クソッ‥何でまだこれがこんなとこにあんのよ‥!」

静香は忌々しそうに言い捨てると、そのまま絵をビリビリに破いた。
力を入れて紙を裂いていると、眠っていたあの感情が静香の心を揺らす。
あの時は分からなかった。
忘れていた夢が浮かび上がる時、どんな心情になるのかということを。

心の奥底に沈めたあの感情が、再び浮上して心を掻き乱す。
そしてその中に希望は一つも無い。ただ絶望と、落胆と、後悔だけが渦巻いている。

あの時は分からなかった。
あの頃咲き乱れていた希望や楽しさは、二度と取り戻すことは出来ないという、事実を。

亮の中のピアノは、静香の中の美術は、心の奥底深く沈んでいる。
しかし死んでいるわけではない。
それは今はまだ、滾々と眠っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<眠れる鍵盤>でした。
亮がピアノに手を伸ばそうとして、引っ込めるところ。
彼の無意識な葛藤が見て取れましたね。
そして弾いていないのに鍵盤を目にした途端頭の奥で音が鳴り出し、目を瞑って過去に場面を移すところ‥鳥肌モンですよね!
ここ、映像で見てみたいです^^。
あと気になったんですが、ここで出てきたこの人‥↓

だだだ誰?!(@@;)
エプロン着けてるということはバイト?それとも厨房の人‥?!
この先出てこないので、この人が誰なのか謎のままです‥。
次回は<気になるアイツ>です。
人気ブログランキングに参加しました
人気ブログランキングへ
引き続きキャラ人気投票も行っています~!
亮はセットしたアラームが鳴る前に、パチッと目を覚ました。

勢い良く上半身を起こすと同時に、携帯アラームが鳴る。
亮はその電子音を止めると大きなあくびをし、全身をぐんと伸ばした。

ようやく慣れてきた、朝の風景。
歯磨きをし、朝ごはんを作りながら携帯でニュースをチェックして、駆け足で職場へ向かう。



職場である宴麺屋の店内に入ると、既に雪の母親はエプロン姿で仕事に取り掛かっていた。
「亮君おはよ」 「うっす!おはよーございやす~!」

亮は威勢よく挨拶した後、まずは掃除掃除と言って店内を進んで行く。
しかしその間にも椅子や机にぶつかって大きな音を立てるので、雪の母親は気が気でないようだ。

この日初めて亮の姿を目にする雪の叔父は、彼の後ろ姿を見て雪の母親に声を掛けた。
「おっ!あれが新しく入ったバイトの子だね?」

雪の母親は頷き、娘の友達らしいと言って彼を紹介した。
叔父は、雪の友達ということは大学の‥?と口にするが、雪の母親は首を横に振った。
バイト経験は豊富らしい、と付け加えて。
「しかし力は結構ありそうだな‥!」 「力は強いですよ、力は‥」

雪の母が遠い目をする隣で、叔父はキラリと目を光らせた。
実は彼の経営するカフェが内装をリニューアルするということで、倉庫の掃除と整理に追われている最中らしい。
そこで力のありそうな亮を貸して欲しい、というわけだ。

雪の母親は彼の要求を飲んで、亮に叔父を手伝うように言った。日当も別に出るわよと付け加えると、
亮はニッコリと微笑んで返事をした。
「うぃーっす!了解しやした!」


‥しかし亮はその了承をすぐさま後悔した。
ゴミ袋を作っても作っても、一向に終わる気配が見えないのだ。
何だこのゴミの山は?!どーすればこんなになるんだ?!業者呼んで片せよ!


重いゴミ袋を沢山運んで、亮はもうクタクタだ。叔父はそんな亮に、ニコニコと微笑んで声を掛ける。
「あとはあっちの倉庫を大まかに整理してくれればいいから。残りは業者さん呼ぶからね」

ボロボロになった亮は力無く頷き、隣の倉庫へと歩いて行った。
日当ケチれば容赦しないぞ、と思いながら。

キイ、とその扉は開いた。
埃っぽい空気がドアの隙間から漏れ出てくる。
早く終わらせよう、と呟きかけた亮の目に、それはいきなり飛び込んで来た。

雑然とした室内に置かれた、一台のピアノ。
心臓が一瞬動きを止めた。ハッと息を飲んだまま、亮は目を見開いた。

叔父が亮の背中越しに、あのピアノは買ってはみたものの使わなかったんだと説明した。
亮は叔父とピアノを交互に見ながら、あんぐりと口を開けて呆然とした。

確かに今、目の前にある一台のピアノ。
頭で考える前に足は歩を進めていた。ゆっくりと、亮はピアノに向かって行く。

亮は初めてピアノを目にした子供のように、恐る恐るそれに手を伸ばした。
指でピアノをなぞってみると、黒いホコリが指についた。長らく誰にも触られていないのだ。

亮はゆっくりと、鍵盤蓋を上げた。
埃が舞い上がる中、蓋の下から鍵盤が姿を現す。

亮は吸い寄せられるように、その白い鍵盤を眺めた。
小さく震える指を、ピアノに向かってゆっくりと伸ばす。

しかし音を押さえる前に、亮はその指を引っ込めた。
何も考えられない最中だったが、何かが亮を阻んだ。


数年ぶりに見た鍵盤。
川のように広がる、白黒計八十八鍵。

すると鼓膜の奥で、音が聴こえた。
白と黒の川から聴こえてくるその音。
昔自分が奏でたあの、音の洪水‥。

亮は思わず目を瞑った。
脳を揺らすようなピアノの音が、鼓膜の奥を叩くように響く‥。

ショパン、シューベルト、ベートーベン‥。
亮の記憶の中に、何百回何千回と白と黒の鍵盤を叩いた日々が蘇る。
特に思い出されるのは、高校時代の練習風景だった。
神童と言われていた。亮にとって、ピアノを弾くことは生きていくことだった。

そして美術を専攻して日々を送っていた姉のことも思い出した。
しかし姉は亮とは違い才能が無く、彼女はいつも亮に突っかかった。
記憶に残っている。瞬きもせずに亮を射た、あの鋭い視線が。

亮は同じピアノ科だった、あの男のことも思い出していた。
あの時彼に対して、亮の警戒心は微塵も無かった。同じピアノを愛する仲間だとさえ思っていた‥。

最後に思い出すのは、遂に静香が美術を辞めた時のことだった。
淳の父との面談の末、その未来を諦めた時の姉の記憶。

アイツにはマジ心配が尽きねぇよ、とその時亮は口にした。
淳の部屋で寝転びながら。パラパラと漫画を捲りながら。
あの時は全然分からなかった。
夢を諦めるということ、夢を失うということが、一体どういう意味を持つのかを。
そう亮は心の中で呟いた。
ピアノの蓋を閉じ、それに背を向ける。

遂に鍵盤には触れぬまま、亮は倉庫を後にした。
しかし何度も振り返り、ピアノに視線を送った。亡霊のように、亮の心を離さぬそれに。

同じ頃、静香は家であるバッグを探していた。
高かったのにどこに仕舞ったのか思い出せず、静香は古い荷物がまとめてある箱にまで手を伸ばした。

そして奥の方に転がる、黒い筒を見つけた。
思わず蓋を開け、中に入っていた絵を取り出して広げる。

それは高校時代、淡い恋心を燃やして描いた淳の絵だった。
頑張って描いたが、散々亮に笑われた。そして結局、自分は絵を辞めることになった‥。
「クソッ‥何でまだこれがこんなとこにあんのよ‥!」

静香は忌々しそうに言い捨てると、そのまま絵をビリビリに破いた。
力を入れて紙を裂いていると、眠っていたあの感情が静香の心を揺らす。
あの時は分からなかった。
忘れていた夢が浮かび上がる時、どんな心情になるのかということを。

心の奥底に沈めたあの感情が、再び浮上して心を掻き乱す。
そしてその中に希望は一つも無い。ただ絶望と、落胆と、後悔だけが渦巻いている。

あの時は分からなかった。
あの頃咲き乱れていた希望や楽しさは、二度と取り戻すことは出来ないという、事実を。

亮の中のピアノは、静香の中の美術は、心の奥底深く沈んでいる。
しかし死んでいるわけではない。
それは今はまだ、滾々と眠っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<眠れる鍵盤>でした。
亮がピアノに手を伸ばそうとして、引っ込めるところ。
彼の無意識な葛藤が見て取れましたね。
そして弾いていないのに鍵盤を目にした途端頭の奥で音が鳴り出し、目を瞑って過去に場面を移すところ‥鳥肌モンですよね!
ここ、映像で見てみたいです^^。
あと気になったんですが、ここで出てきたこの人‥↓

だだだ誰?!(@@;)
エプロン着けてるということはバイト?それとも厨房の人‥?!
この先出てこないので、この人が誰なのか謎のままです‥。
次回は<気になるアイツ>です。
人気ブログランキングに参加しました



はじめまして!ようこそいらっしゃいました~^0^!毎日読んで下さってるみたいで、とっても嬉しいです☆ありがとうございます!
赤城さんは亮推しなのですね~^^亮に注目のこの回にコメント下さって、GJです!
これからもよろしくお願いします~!
どんぐりさん
おおぅ!お仕事前に読んで下さって、しかも感動して下さったなんて‥!嬉しいです~~^^
目の腫れは大丈夫ですか^^;
久々にシリアスな感じですよね~。緊迫した場面だから、その雰囲気を壊さないように文章も気を使いました‥。でも気に入っていただけてよかった~♪
お仕事おつかれさまです☆
かにさん
おお‥!ありがとうございます!とっても嬉しいです!亮には幸せになって欲しいですね、ほんと。
しかし今回過去のモノローグが入ったので、この回で3部5話6話が消費されました‥どんどん日本語版と離れていって不安です‥^^;
りんごさん
亮の気持ちが伝わったみたいで、感無亮です(出た)
!そして本亮発揮(笑)
チートラ会語録に追加ですねww
むくげさん
亮と静香、二人とも絶望を味わったんですよねぇ。。
今もまだその淵にいる二人が、これからどう救われていくのか楽しみです。
絵に描いたようなハッピーエンドだと萎えますが、全く救われないのも哀しいし、先に対する期待だけが大きくなりますね‥^^;
わざわざ出てきてどうもすんません。
これからも気になることだらけですね~!
また管理人サマの記述がとても情感こもっていて。。
亮はここまでほんとお笑い担当な感じなことも多かったですが、いよいよ本領発揮ですね。
この二人のまだ描かれていない部分が楽しみです。
彼の生きがいだったピアノ、戻れない輝かしい過去。ピアノに再会した河村氏の切ない想いがYukkanen師匠の文章で、より深くじんわり伝わった気がします。
そして河村氏とピアノ、静香と絵。姉弟2人の対比
いゃぁ~すごいです。
やはりこの2人は最終的に認め合って救われてほしいです。
過去とシンクロするモノローグが胸を抉られるようです。
>そして弾いていないのに鍵盤を目にした途端頭の奥で音が鳴り出し、目を瞑って過去に場面を移すところ‥鳥肌モンですよね!
ほんと、師匠のお言葉まんまその通りと私も思っています!
亮さんには本当に幸せになってもらいたいなぁ…
とりあえず、このブログに会えた幸せをまた実感しておりました。
朝から泣いてしまって、目が腫れました・・・。これから仕事なのに・・・。
(雪の影響で昨日遅刻したので、今朝は早朝出勤し、職場でブログを読んでいました)
いつも素敵なYukkanen師匠の記事ですけれど、こういう場面・雰囲気のときはホントに大好きです!
圧巻です!感動です!
放置されたままの1台のピアノ。
まるで今の亮のために用意されたような、小さなピアノ・・・。
>川のように広がる、白黒計八十八鍵。
そして静香。
見つけてもらうのを待っていたような、想いをこめて描いた絵。
二人の心の奥底深く沈んで眠っている芸術への想い・・・。
静かに、熱く目覚めたその思いの余韻に浸りながら・・・、
・・・・ 仕事の時間になってしまいました。
中途半端ですみません。
でも、どうしても、今書きたかったのです。