目を開けた先に見えたのは、見慣れない天井。
雨の音が聞こえていた。
淳はゆっくりと辺りを見回し、耳を澄ませた。
外で降っている雨音とは別に、規則正しい呼吸の音が聞こえてくる。
テーブルを挟んだ向かいのソファに、誰か寝ていた。
オレンジがかったその豊かな髪は、赤山雪に違いなかった。
思わずガバッと起き上がる淳。
改めて、彼女の方を振り返る。
赤山雪はソファの背凭れの方を向きながら眠っていた。
淳は彼女の後ろ姿を見て、思わず目を丸くする。
一体いつから眠り込んでしまったのだろう?そして、なぜ隣で赤山雪が眠っているのだろう?
突然の出来事に面を食らい、暫し淳はその場で考えを巡らせた。
「‥‥‥‥」
テーブルの上に、薬と水の入ったコップが置いてあった。
淳は店内をぐるりと見回す。
カウンターに置いてあった細々とした物も、最後にまとめようと思っていたゴミもきちんと片付けてあった。
自分が眠り込んでいた間に、全て彼女がやったというのだろうかー‥。
淳はその場から立ち上がり、雨が激しく降る外へと出た。
赤山雪が帰った後で行くはずだった場所へと、歩を進める。
大学から店へと続く道路に貼るステッカーも、周辺の壁に貼るポスターも、全ての仕事は既に完了していた。
ザァザァと降る雨の中、淳は一人立ち尽くす。
身体が、豪雨を受けて濡れて行く。
じわじわ、じわじわと。
ゆっくりと彼女が、自分を侵害して行くような気がする。
淳が自分でやるはずだった仕事をやり終えた彼女は、一体どんな顔で淳と相対するだろうか。
見下すか、あるいは嘲笑するか、
それとも淳を出し抜けたと、勝ち誇った表情を浮かべるか‥。
静謐な室内とは裏腹に、淳の心の中はえも言われぬ感情が渦巻いていた。
淳は虚ろな表情をしたまま彼女の前に立ち、じっと静かに彼女を見下ろす。
規則正しく、しかし少し早いリズムで繰り返す呼吸。
淳は、彼女の後ろ姿から横顔に掛けてを凝視していた。
髪の毛の間から、耳から頬に掛けての肌が見えている。
‥気のせいだろうか、彼女が熱っぽく見えるのは‥?
淳が僅かに首を傾げると、同時に雪が頭の位置を少しだけ動かした。
彼女の横顔が見える。
耳元に、たらりと水滴がその曲線を走って行った。
その雫に吸い寄せられるかように、淳は手を伸ばした。
何も考えず、何も隔てずに。
静かだった寝息はいつの間にか、ふぅ、ふぅ、と苦しげな吐息に変わっていた。
暗い室内でも分かるくらい、頬が赤い。
淳は手の平を上に向けて、手の甲側の指で彼女の頬に触れた。
その体温を確かめるように、何度か場所を変えてその熱を計る。
明らかに熱がある。高熱だ。
淳は微かに眉をひそめ、苦しそうな彼女を俯瞰する。
すると熱に喘ぐ雪が、淳の指の方へと顔を動かした。
手の甲側の指が、雪の頬に押されて少し前に倒れる。
淳はそのまま、もう一度指先で雪の頬に触れた。
今度は手の平側の、柔らかな指の腹で。
「ん‥」
すると雪の口から、声が漏れた。
小さな声だったが、淳の意識を引き戻すには十分だった。
はっ、と我に返る淳。
思わずその手を引っ込めた。
無意識の中で、彼女に触れた指先。
どうしてその手を伸ばしたのか、淳は自分が理解出来ずにじっと指先を眺めている。
「‥‥‥‥」
こんなのは自分らしくない。
淳は自身を戒めながら、くるりと彼女に背を向けた。
その時。
ぐっ、と微かに袖を引っ張られ、淳は立ち止まった。
目を丸くして、彼女の方を見る。
彼女の瞼は閉じたままだったが、口元が小さく動いていた。
うわ言のように何かを呟いている。
淳は疑問符を浮かべながら、そのうわ言に耳を澄ませた。
すると彼女は小さな声で、こう言ったのだった。
「わざと‥じゃ‥な‥」
「こわ‥くて‥」
雪の口から漏れ出てくる、弱々しく泣きそうな声。
彼女は未だ口元を動かしながら、小さくその身体を捩っている。
「ごめ‥なさ‥」
指先で掴まれた袖口を伝って、
彼女の手は服越しに、淳の手首に縋りつく。
目が覚めていないとは思えないくらいの強い力が、彼女の指先に込められていた。
「手‥」
雨が、ザァザァと降っていた。
風が、ごうごうと鳴っていた。
しかし室内は、そのノイズから隔絶されたかのように静かだった。
暗い孤独の縁。
その場所に今、淳と雪だけが取り残されている。
そしてなぜか、懐かしいような気持ちがした。
ずっと昔、まだ幼い時分から、この指先はずっと繋がれていたのではないか——・・・。
荒かった寝息はやがて落ち着き、スースーと穏やかなものへと変わっていった。
それでも雪の指先は未だ強い力で、淳の手をとらえて離さない。
とらえられているのは、果たして手だけであろうか。
淳は初めて見る彼女の姿を、じっと凝視し続ける。
柔らかな彼女の指と彼の手の平が、僅かな接点であれど、離れることなく触れていた。
淳の瞳は彼女の指先の軌跡を辿り、ゆっくりと動いていく。
指が一つ、また一つと触れて行き、二人を繋いだ。
熱っぽい顔をして、眠る彼女。
淳は彼女のその中に、小さな少女を見た気がした。
何かに怯え、そして縋りつく、自分と同じような子供の姿をー‥。
彼女の手が滑り落ちて行くその前に、淳は指先でその接点を繋いだ。
伸ばしてきたその手を、振り払ってはいけない気がして‥。
「‥‥‥」
とらえているのは指先か、それとも心のどこかだろうか。
未だ降り続ける雨の中で、その孤独の縁で、淳は彼女と手を繋ぎ続けた。
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<雪と淳>指先 でした。
今回は画像多めの記事となりました。読み込み多くてすいません^^;
そして今回台詞が少なくて‥ 地の文だらけで失礼しました。
しかし3部も終盤で、こんな大事な場面の回想シーンが来るとは、本当予想外でしたね~。
そして雪ちゃん‥一体何年おばあちゃんの手を振り払っちゃった罪悪感にうなされてるの‥(涙)
この頃から、淳は雪の心の闇というかトラウマに触れていたんですね。
散々繰り返された「泣いてる?」攻撃は、彼女の心を軽くしたいという淳の本心なんだろうなと、
今回の回想を経て思いました‥。
さて次回から現在に戻ります。<牙を潜める虎>です。
ちなみに本家3部105話の冒頭、淳のシーンは当ブログでは<変わらない彼>の後半部分に記載しています。
あしからず‥。
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引き続きキャラ人気投票も行っています~!
何故好きなのかと問われると説明するのが難しいのですが、"先輩が気付く"みたいなきっかけの描写一連に心が奪われたというかなんというか…
ややこしくて申し訳ないです笑
あ、初参戦でスミマセンU+1F4A6先週LINE2日で読み、こちらで10日目反芻しまくり初心者です。
ハマりまくりで目はショボショボ、指はクリック痛ですがここの虜です。
お子ちゃままだ小さいの本当に感謝しかありません!陰ながら応援しています。
先輩の心の重要なターニングポイントですね。
好きになったというよりは、同じ心の闇を
見て吸い寄せられていったような。
当初ゆきちゃんに、なんで付き合おうと思ったのか聞かれて言葉に詰まってたけど、
確かに言葉にはできない感情ですよねー…あのとき変に疑ってスマンかった。
以前ゆちきゃん、夢か…って言ってたけど、無意識ながら先輩が手を繋いでいてくれたこと覚えていたんですよねー。あれは夢じゃないって教えてあげてえ~
現状幸せなんで話が進むのが怖いな~
亮がみた血染めのゆきちゃんの夢が現実になりませんように…
知ってたから荷物を持ち上げる時持ち上げすぎてたし雪は1人で出来ないと思って、最初から手伝う予定だったから、1人でぜんぶさせたことは"わざとじゃないから"に繋がるで間違いないでしょうか?
穿って、互いに思わぬところをかいま見せた(晒した?)ような・・・?
先輩の「泣きじゃくってほしい」に
少し唐突な感じがあったのですが、腑に落ちた気がします。
てか、自分はどうなの?
と突っ込んでましたが。
出くわしたら、これは、沁み込む。湿度のある場面であることで、なおさら。
このシーン、台詞が全然無くて、雨の音と寝息の音だけが聞こえて来て、すごく雰囲気ありますよね。
スンキさんはこういった「間」というか「絵で語る」みたいなのがすごく巧いですよね~。私の拙い地の文が申し訳なくなります‥(^^;)
hitakiさん
はじめまして!コメントありがとうございます^^
チートラ2日+このブログ10日で読破&反芻ですか?!ひぃぃ‥すごいですね。
眠たいけど先が気になるその感覚分かります‥!でも落ち着いたらゆっくり休んで下さいね(^^)
「侵害」につきましては、ここの場面に限らず、淳が幼い頃からずっと恐れてきたものだと思います。ですので要所要所にこのキーワードが出てくると思いますよ~。
くうがさん
>あのとき変に疑ってスマンかった。
淳に謝るくうがさんにツボりましたwwふふふ
ていうか淳も色々話せばいいのにと思いますよね。「なんとなく見てるうちに気になって」って‥。確かにそうだけど‥もっと‥あるだろ‥!と思いますよ‥(^^;)
血染めの雪ちゃんにならないように、本当良い方向に話が進んで欲しいですね。
mimiさん
>学祭準備での倉庫でのことですが先輩は中身は重いって知ってたんですよね?
う~ん‥。私の見解としては、「重いものも中にはあるだろうと思っていたけど、食材程度のあまり重くないものだと思っていた」に一票です。
基本的には発泡スチロールの容器やタオルで、それらを運び終えて、食材の入った重たい箱を前に困ってる雪ちゃんに手を差し伸べる、というプランだったのでは?と思います。
まさか金属だとか超重い調理器具だとかがあるとは思ってなかったんだと思います。
しかもそれも全部一人で運んじゃうとは全く思ってなかったんじゃないですかね。
papurikaさん
この豪雨が、二人の意識の転換を際立たせますよね!
熱と湿った空気が不快で、そんな中思ってもみなかった互いの一面を知って、動揺して。
本当にこの湿度のある場面の表現力、素晴らしいですよね。スンキさん只者じゃないです‥!
マンガ読んでて音のこと意識したことなかったかもです
雨の音と寝息の音だけ聞こえている状況を想像しながら読んでみると、とてと雰囲気ありますね!
音を意識して雰囲気感じながら師匠の文章と重ねるとより素敵です~
Wunknownの女王‥!
音の感じ、共感して頂けて嬉しいです。
ドラマでも変なBGM入れずに雨の音だけでやってほしいですね~。
もしかして、高熱だした先輩を1人にするのが心配だから、そばに居てくれたのかな?
うぅ、なんていい子なんや(泣)
それなのに淳、なんでおめぇ先帰ってんだよ!! 最後まで傍にいやがれ!