こんにちはー!!
今日は旦那がお家でレッスンしてるので、その間にブログを書きまーす😊
いやー、毎度お馴染みのオンラインサロンでもいろんなことが話されますけど、今日は演奏する方からみた「音楽」について、ちょっと思う切り口を書いてみようと思います。
オンラインサロンの主催者、Satoshi Kirisawaさんは、
「音楽を演奏するには、歴史も知るべきだ」
という考えを高らかにYouTubeで発信されておりました。
私もそういう考え方だったので、おお!!我が意を得たり!!的な気持ちで聞いておりました。
その一方で、迷うなー、、、ってところもあって。
それは、
そういうことはともかく、演奏することそのものをガンガン楽しんだらいいじゃーん!!
音を出すこと自体がとても楽しいのだー!!!
という、素朴と言っちゃって良いのか分からないけど、とにかく音を出すことを楽しむっていう、「音楽」のあり方。
そして、それと似てるけど、またちょっと違う立場だなと思うのが、
特に器楽に於いてだと思うけど、
まずは「楽器をうまく演奏できる」ってことが大事で、それができればあとは譜面の音を出せばいいから、一義的にはそれでしょー!という考え。
またまた別な側面として、
音楽は演奏者の個性を表すものだ!
てのもあるし、
作曲家の込めた想いをどれくらい汲み取って演奏できるか、が演奏者の使命、、、って考え方もあるし、
そうすると、その音楽が生まれた背景も含めていろいろ知る必要があるって思うし、
こうやれば演奏しやすい、とか、良い感じに聞こえる、という奏者目線の考え方、
逆に、表現するためにどこまでも技術を追究する!!!
などなど、、、、
これらの視点のどれかだけが正解で、どれかは間違いとか、どれかだけやればいいとか、そういう話ではないって思うんだけど、
なんとなく、そういうことがゴチャゴチャになってるっていう気もしているんだよねー。
私としては、
と、ここまで書いたところで、ちょいと伴奏(といっても初見だからちょっと音を足すくらいしかできませんけどー笑)しに行って、ついでに一緒にオケスタ吹いて、ご飯も食べに行っちゃったから、夜になりました、、、あはは。
そう、私としては、、、
楽器が吹けることと、音楽の持ってる内容とか背景をいかに音に乗せるかってこととが音楽をやる上で大事なことかなって思ってるんだけど、
でも音楽を「仕事」って考えた場合には、
楽器を思い通りに操れて、
譜面が読める、
的なところに重きが置かれるのかなー、、、って思う。
とにかく「楽器が自由に操れる」ってことが出来てると、あとはいろんなことを足すだけだから、すごく便利だなって思う。だとすると、ついついこの「楽器が自由に操れる」ってことが出来てるところで、「お−!!!すげー!!」ってなって、その時に、その音楽の背景とかを全く理解してなかったとしても、ちゃんと吹けてるってところで、「なんか文句あるー!?」ってくらいなもんで、吹ければそれでいいって吹く方も、周りも教える方も、思っちゃう部分があるんだけど、、、
でもじゃーそうだとすると、音楽って何なんだろう?
あー、じゃーそこに「自分」のメッセージが乗ってれば、作曲者や曲からのメッセージが乗ってなくても良いんじゃね?という考えも浮かんでくる。
なーんとなくポピュラー音楽はそっちが多いような、気も、、、する、、、
と書いたところで、
そうだ、、
例えば黒人霊歌を歌う時、その音楽にはアメリカ黒人の奴隷としての歴史みたいなものは必ず含まれてるわけで、
それを知らずに、黒人霊歌を演奏するってのは、いかにも片手落ち的な、、、。
言い換えたら、
演劇で、台本を読んでセリフや動きをすごく練習して、いい感じで演技ができるってことと、その役の人間になりきって、その人のそれまでの生き様とか、相手との関係性までも「自分」のこととして感じられるほどに深く読み込んだ上で演技するのと、どっちがどーよ?って話だと思うんだよね。
もちろん、セリフを噛みまくる、、、とか言えないとか、それはちょっとダメなわけだけど、
だからって、お母さん役とかの人が、アナウンサーのような喋りかたでスラスラ台本を読み上げたら、
「いやいや、そりゃー台本通りに読めてるけど、お母さん役なんだからもっと考えてくれる??」ってなるじゃん?
それが、江戸時代の武士の家の母上さまなのか、ヨーロッパの貴族のお母さまなのか、現代の庶民の日本のお母さんなのか、、それでも全然違うだろうし、
相手役が赤ちゃんなのか、大人なのか、実は王女なのか、、、
そんなのでも同じセリフは全く違う読み方になるだろう、、、って想像は付く。
一方、音楽となると、そういう感覚は結構薄くなる。
でも、拘ってる人にとっては、そういうことを考えてない演奏に出会うと、おやおや、、、どうしてそーなるんだい?と思う気持ちもムクムク湧き上がる。
だからって、小学生が楽しく演奏しているのに、
どーして、そのセリフの重みが理解できないんだ!!!とか、もっと子を思う母の心情とか入れ込めよ!!と怒ってみたところで、それはそれでナンセンスってことになるじゃん?
子どもはまずは、その音が出せることをたっぷり楽しんで味わうのが良いじゃないかー!!
でも例えば、役者がそれをやってても良いか?って言ったら、セリフがちゃんと言えただけで止まってるって、ダメでしょ?もっとどういうシチュエーションで吐かれた言葉かとか、考えなされや!!
って、なる。
お???
ということは、、、、
音楽には「段階」とか「程度」ってモノがあるってことか。。。
正解とか、かくあるべきとかじゃなくて、
最初はこれだけでも楽しいけど、少し進んだら、もう一つ深めていく、、それと同時にもっとこれも、、みたいに。
それが、特にクラシックでは、アナウンサー的に台本が読めたから、もうバッチリ!!みたいなところまでしか、教える方とか聞いてる方とかが求めてない、ってところがあるんだろうな。
あー、それってカラオケの得点と似てるのかも。
「正しさ」に目が行っちゃって、「内容」に優っちゃう、いや内容まで届かない。
正確なこと自体の価値もそりゃーあるけど、それでしか音楽を測れないってのも拙いわけで、そういった部分も演奏する側だけでなく、教える側も聴く側も理解できるようになると、もしかして音楽がもっともっと身近で楽しいモノになるのかもしれないなー、、、
と、そんな風に思いました。
そーね、「内容」に目が行かねばならない、行くべきだ、とかじゃなくて、
そちらへも目が向くとこで、
伝わりやすく、共感しやすく、実感しやすくなるのではないか
そうなれば、もっと身近で自分の心を代弁するモノみたいな感じになるのじゃないか?
そこがもしかしたら、1番大事な部分かなって。
わ!結局かれこれ、書き始めから8時間が経過するのであった。。。。(笑)
でも、なんかちょっと自分なりに良い結論に近づいた気がするので、満足して寝ることにします。
みなさんはどう思いますー?
を弾いていますが、いっこうに上達するどころか最近では覚える
ことより忘れることが多くなったような気がします。
孫がギターを教えてということからアルペジオから行っております。
最近はYouTubeなどと願ってもない教科書と先生に助けられ右脳を鍛えております。
コメントありがとうございますー!!
アコースティックギター(*゚▽゚*)良いですねー!!楽しいですよねー。私も楽しそうでちょーっとだけやって、もうおウチのオブジェになってます(笑)あはは!
お孫さんと一緒にやるなんて、最高ですねー。頼られてるのも、なかなか良いですよね(^-^)v
ちょっと思い付いたことなんですけど、是非ギターを弾くという動きそのものを楽しみきる!!そして生まれる自分の音を楽しむ、、、筋肉を動かして楽しんでると、脳が勝手に鍛えられそう♪
お孫さんとこれからも、いーっぱい楽しんでくださいー!!イェーイ!