こんばんはー!!
今日は、オンラインサロンのみなさんといっぱい有益なやり取りしました。
いやはや、自分だけで考えてたら絶対出てこないような考えが出てくるんですねー。びっくりするわ。
今さっきも、ドヴォルザークのスラブ舞曲について、資料やアイデアがないかってことをサロンに投げたら、めちゃくちゃびっくりするくらいにデータやら資料が…
こういうのは本当に人の力をお借りするのがいいですねー。頭もまとまるし。たまげた!!
はい、ところで!!
今日、さあ練習しよう、と思って吹き始めたんですけど、
あー、なんか思ったようじゃないなぁ、、、とか思った次の瞬間、頭の中に、
つか、歌うって思ったら、そんなに吹く前に身構えないし、あれこれ息のこととかいろいろ考えないでしょ?
て、自分にツッコミを入れる自分が!!
それで、単に吹く内容を単にそれをヤルってことにして、
ハーイ、ぷー
わ!!思った通りに吹ける!!
そこでふと考えた。
結局、「ここをこうして」「これを気をつけて」…とかって、
楽器がある前に、自分の体も考えて動かしてる。
自分の魂→神経→筋肉→楽器
みたいな。。。それって段階踏みすぎw
例えば自転車乗るときにそんな風に考えるか??っての。
こうしよう!と思ったことをやるときに、ちゃんとしなきゃということを考えすぎると、
いちいち一つの行動を分析的に考えてしまい、一瞬に一連の動きとしてやらなきゃいけないことに、引っかかりができすぎて、結果不自由感が出てくる。
こうしよう、というのは「音」や「音楽」の方で、それを自然にやってるとしてどういう体になってるかってこと。単にそれをやる。音をイメージしたらその動きになるから、それを繰り返してその精度を上げていく。
ここで、今やってるサロンのテーマのひとつでもあるけど、
西洋音楽教育の功罪ってのかな、
ちゃんとリズムに合わせて!
ちゃんと音程を取って!
これはこう持たないといけないよ!
基礎からきちんと
最初のうちに基礎を身につけないと
そういう呪縛とも言えるものって、本当のところ音楽ってモノの大事な要素なのかどうか?
ヤバイ!!これは、また別の日にちゃんとトピックとして立てるべきだな。なので、この辺にしておこう!
そうなのよね、
結局教える方もその呪縛があるし、習った方もその呪縛があるわけで、
やっていけばやっていくほど、その呪縛が強くなっていく側面が。
でも本来は、そういうもんじゃない。。。
音楽で何かを伝えるとか表現するとか、喜びを表すとか、なんか本当はそういうモノであって、
それに楽器を使うか使わないか、とかそういうことであって、
だから、楽器なんか最後の最後にあれば良いもんなはずなのに、
その道具を使うことに人生のほぼ全部をかけて頑張って、
で、何が表現したいの?って話になったら、なんとも言えないことになるじゃんか。
まずは自分の中に音楽があるべき。クラシックとかじゃなくても、なんでも良いんだよね。何を音楽っていってもいい。
どうでもいいことだけど、
今日、洗濯物を干そうと思って、しわ伸ばすのにパンパン叩いてたのね。
その瞬間に、パンパンのリズムがめっちゃ力強くしかも安定感があって、めっちゃ響いてることに気がついた。
最近自分が恐ろしくリズム感がなくなってる、、、って思って、頑張れば頑張るほど、細かく感じれば感じるほど、どんどん周りとズレる、ズレるからもっとなんとかしようと一生懸命聞く、、もっとズレる、、、
ってことがあって、
いやはや、って思ってたけど、自分の中にリズムはちゃんとあるってことにめっちゃ気がついた。
それにね、クリックに合わせようとしてるときの方が、合わないの。自分の吹くことに集中してたら、案外そんなに狂わないの。
結局自分の中にちゃんとあるのに、いろいろ考えて、いちいちストップをかけながら進めようとするから、エネルギーが足りなくなるんだよね、瞬間にかけるエネルギーが。
普段の動きは、思えばその動きをする。鼻を触ろうと思うや否や触れるし、今だって、タイプするのに何も考えてないけど指は思い通りに動く。
この次元になるように楽器も訓練する、って思った時点で違うんだろうな。
タイプはどこに何の文字があるかは練習するけど、
親指をどうやって動かすか?は練習しない。
親指でどこを押すかを練習するのと、親指をどの神経でどう感じてどう呼吸をしたときにうまく動かせるか?などとは考えない。
それと同じことだと思う。
練習するべき深度を間違ったら、えらいことになるってこと。
だから、素直に思った通りの音が出る動きをやって、その精度を上げるのがいいのだ。
考えすぎてた。
って、めっちゃ思いましたよ。
というわけで、今日はこれにて!!おやすみなさーい!!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます