ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

We shall overcome の動画で、大号泣。。。

2020年07月26日 16時31分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
引き続き、大号泣のお話を書こうと思います。

本来なら、この話題は毎度お馴染みのオンラインサロン「リズム・ダ・モンデ」に投稿された動画についての感想なので、そっちに投下(投稿のことをなぜかそう呼ぶ笑)したらいいんだけど、サロン内が歌の力を感じてめちゃくちゃ幸せhappyな空気に満ち溢れているのに、1人だけ全然違うテンションの記事を投稿して、その空気に冷や水を、、、ってのも何だな、、と思うけど、この気持ちはどこかに書き出したい!!という欲求に勝てなく、、、というわけで、

blogをいつも読んでくださる皆さん、毎度すみませんが、今日も素晴らしく「巻き添え」でございますよー。

一緒に号泣しましょう(笑)


まずは、サロン内で投稿された動画を、、、


短いオープニング
ここから本編

続き

ハイ、こちらハンドルネーム ラコさんが発見して投稿してくれたモノなんだけど、

「歌の力」は素晴らしい!!
音楽って、これだけの力がある!!
世界を動かした!!!
人種を超えて、世界が一つに!!!


という風に思うのが、きっと世界を明るくするなーって思う。

で、まず先に感想や意見を読んでから、さーて、どんなお話かなー???って思いながら軽い気持ちで、ご飯の準備&ご飯食べながら見よう!!というわけで台所で見始めたんだけど、


こりゃー、いかん。

2つ目までは、普通のドキュメンタリーとして見ることができたんだけど、

3つ目の動画で、もう子どもの頃みたいに涙が出て、オイオイオイオイヒックヒック、、、


これは、感動の涙じゃありません。


本当に、どれほど辛かったんだろう、、どれほどこの曲にいろんな耐えがたい想いを載せたんだろう、、、と思ったら、辛くて辛くて。

途中で、棺の前で涙を目にいっぱいためてるけど、スックと立って、このWe shall overcomeを歌ってる少年。

黒人に対する差別でおそらくやお父さんだろうか?兄弟だろうか?分からんけど、身内を殺されてしまったんだろう。

そのやるせない気持ちを歌に載せてるのか。。。

マーティン・ルーサーキング牧師が公民権運動の末、黒人の選挙権をついに手に入れ、その後は貧困などのために奔走していた。で、暗殺前日に、歌と説教(牧師的な説教ね)で、元気を取り戻して行った、、、ってのも、もうね、ホントに胸が潰れる。


歌にはパワーがある。

歌を歌うことで生きる元気や勇気がもらえる。

それは、私はまだ本当の意味では経験したことはない。みんなで歌えば楽しい、とか、昔のアニソンとかを声真似なんかしながら愉快に歌いちぎったりするのはホントに愉快で元気も出ちゃう。

そういうくらいは分かる。


サッチモの演奏で黒人霊歌のNobody knows the trouble I’ve seenってあるんだけど、これがとっても好きで、それはこの曲にサッチモがいつも笑顔の奥にたくさんの悲しみとかそういうモノを隠していて、それを、「誰も知らない私の悲しみ」って歌詞に託してるように思えて、それがめっちゃ染みるから、、、
 よりによって、このYouTubeで使ってる写真のサッチモがめっちゃ寂しげだね。。。

これに載せてるサッチモの気持ちは何となく分かっているような気になっていた。

黒人は彼の活躍していた頃だって差別されてた。でも、彼は音楽ビジネスの世界では世界的な大成功をおさめてるわけで、そういう意味からしたら、白人社会(消費者側)に近い存在だったと思う。
でも、そのせいで今度は本来自分のコミュニティであるはずの黒人社会から、裏切り者的な目で見られてしまっていた。

という話。

この、どっちにも属してるけど、どっちにも属さない寂しさ。

それをこの黒人霊歌に載せてるんだなーって。

そのくらいの理解。

差別が「生きること」そのものにまで影響するってことまで、想像してなかった気がする。

出入り口が別とか、黒人専用・白人専用みたいに差がつけられてる、

そんな程度の「区別」って思ってた。

でも、そんなんじゃないんだね。。。

もっともっとやるせなくて、どうにもならない、時には殺される、人として見られていない、、、


そのなんか魂の叫びみたいなのが、バキューンと飛んできて、


公民権運動から黒人に投票権が与えられた時、ジョンソン大統領が「We shall overcome」と南部なまりで宣言したのが、感動的だった


ていうひと場面があったけど、

あれすら、もう捻くれてるのか、ちっとも嬉しくなくて、結局もうあれから55年も経ってるけど、まだまだなんだよぉー、、、という気持ちの方が強くて、

こういう「人を喜ばせる」のが上手い人たちってのの、手口だよな、、、みたいなひたすら悲しく、腹立たしくなってきて、

でも、素直に感動し喜んでる当事者たちがいて、その素直さにはちょっと感動と意外な気持ちも感じて。

普通はこういう場面で、「わかってくれたか!」と思うモノなんだね。。。


そのズレにも個人的にショックを受ける、あはは。
それはその先の歴史を私が知ってしまってるからなのか、単に疑り深いのかね?


見終わっても、しばらく鼻水と涙が出まくって。

これを「歌の力って、凄い!!」って気持ちまで落とし込めるにはまだ当分時間がかかりそうだ。

さっきの投稿に実はこの話も一度に載せちゃおうと思って、タイトルにうっかりアカシックリーディングって書いちゃったんだけど、

アカシックリーディングは今回の話まできてようやく出てくる(笑)失礼しましたぁー。


そう、

アカシックリーディングで、地球での転生!?で最初に味わう(?!体験する)のは「悲しみ」の感情で、私は学びの本質の佳境に来てるって言われたんだけど、まさか悲しみの佳境なのか???

昨日から、いろいろ自分がフタをしてきた感情が、チラチラ顔を覗かせるようになってきていて、

子どもの頃のいろんな封印していた(平気だと思ってきたこと)がどんどん出てきていて、

いや、今のいろいろ起きてることに前向きに対応するには、一回自分のインナーチャイルドを癒す必要があるなって気がついて以来、積極的にその子が何をどう思ってるのか、どうして欲しいのかってのを見てみようって思ってるんだけど、しばらくはナーンも分からなくて、、、

でも何か昨日くらいから、ちょっとずつ思い出してきたのよ。

子どもってさ、自分のウチのことしか分からないじゃん?

だから、それが当たり前で、何か起きてもそれは「自分が悪い子だから」とかそういうことで了見してしまったりする気がしてきて。

その「当たり前」だと思っていたことで、実は結構傷ついてたってことに、ようやく気がついてきたわけだ。

あー、一応言っときますけど、ウチの家族が極悪非道だった、ってわけじゃないよ。
ウチの両親にしろ、祖父母にしろ、みんな親がいるわけで、そこで体験して来たことで子どもを育てるしかないわけで、だからこれは伝統芸能(芸能じゃない笑)。

そうそう、でも「気がついた人」が何とかするのがこの世界の「スジ」ってやつなんで、私のことは私から何とかするのがいいのだー。


というわけで、ちょいと向き合い始めたもんだから、どうしても「悲しみ」や「抑圧」や「やるせなさ」の感情への共感がオニ状態になっているのだろう。

きっとしばらく味わい尽くせば落ち着くと思われる。

というわけで、

もしよかったら、普通は「歌の力」を感じてハッピーになれると思うので、動画、ぜひご覧ください。

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