こんばんはー!!
今日は、フィットネスからの高校へレッスンに。
なにやら考えすぎて調子が上がらない、、、というお悩み。
でも、行ってみればそれぞれになかなか素晴らしいところがあり、本当はそこを伸ばしていけば、いいんだよなー、、、って思ったり。
ついつい真面目過ぎて、「正解」を求めたり、「正解を求められてる」と思って、不必要に緊張したり、音楽を心から感じるよりも何かしら「正しい技術」があるはずだ!と思ったり、「基礎を積んでいけば、良い音楽が出来る」と思ってしまったりしている・・・
「基礎を積んでいけば、良い音楽が出来る」って一見「は?そりゃ正しいだろ?」と思っちゃうけど、出したい音楽があって、それを出すために基礎があるわけで、基礎をどんなに積んで行っても、こんな風に歌いたい!吹きたい!がなければ、上手にはなるだろうけど、良い音楽になるってわけじゃない、、、って思うわけよね、、、
それは英語教育と同じかもしれない。
英語の基礎・・・単語とか文法とか発音かなぁ?・・・それをたくさんやれば、会話がスムーズにできて、良い内容の話ができるか?って言ったら、ほとんど関係ない(;'∀')
話したい内容を考えられる頭や心が先にあって、それを伝えよう!伝えたい!!という時に、どうやって音を出すかとか、どう表現すると伝わりやすいとか、こんな風に話すと良いみたいなのが役に立つのだと思う。
もちろん、赤ちゃんのように、音(声)が出ることそのものを楽しむところから始まって、音を出すとリアクションが得られるようだと気が付き、どうやらその音で何かが伝わるらしい、、、この音の組み合わせはこれの「名前」らしい、、、みたいな感じで、だんだんと獲得したモノのおかげで一段先が見えて、それだから次がやってみたくなる、、、ってのもあるから、技術が手に入ると、次の段階が見えるっていうことも良いよね。
でも、もしも赤ちゃんに、基礎だからって発声の仕方とか、1つの単語を正確にとか、文法ちゃんと!!とか、難しい構文とか教えたりってやり過ぎたら、、、って考えたら、何だかなぁ・・・ってなりそう。
伝えたいこと、作曲者が伝えたいと思ったこと、、、それらを音にしてお伝えするのが我らの仕事。
音の羅列だけど、そこに「何か」ある・・・
そいつを探しに行かなきゃいけないんだろーな。
日本人的な真面目さが、「正確な音程」「正確なリズム」「正しい演奏」「正しい奏法」の方に向かわせて、「表現者」としての演奏家の在り方を「基礎のあと」に来るものってことにしちゃってるのかもなー。
基礎なんぞ、無限にやれるわけで、地球中に基礎を打ち込んでも終わらない・・それよりも、建てたい建物をイメージして、それが安心して建てられる基礎を作って、また別の建物作りたくなったら、それの基礎も作って、、、ってやってくうちに、いろんな建物の基礎が出来上がってる・・・みたいなことでどーさ?
その方が、目的に向かって進めて良いって思う!!
というわけで、本日はここまでー。
それではまた明日~(^▽^)/
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