ゆこちんのトランペット

トランペット奏者 藤井裕子のコンサート情報、トランペット談義のつもりが…こぼれ話や大きな声では言えない話も…毎日更新中♪

演奏をする必然性、、 (いろんな思い書いちゃったんで長いっす)

2020年04月25日 18時29分00秒 | 音楽&トランペット&レッスン
ダライ・ラマ効果なのか?!
って突然ここからこのブログを見た人にはなんのこっちゃ分からないと思いますが、どうかお気にならさらず…。

ダライ・ラマの読経の音声を聞いて、なんだか波動にやられて(正常に戻って?)います。

なので、急に「必然性」とか言い出してみます。

練習してて、なんかうまくいかないな、とかここがうまく吹けないとか、ちゃんと吹きたいとかあるじゃないですか?

もうここ5年くらいはそういう考えの権化なので、だんだん音楽とかトランペットって何のためにあるんだ??みたいな。

よく「音楽がないと死ぬ」って人がいて、そこまで音楽を愛せるなんて、羨ましすぎて死ぬ…などと思う藤井なわけです。

音楽を演奏し、音楽を教える立場にありながら、「音楽がなくても別に死なない」と思ってるってのは、非常にそれはそれでクールに割り切れると考えることもできるけど、いやいややっぱりそれは何かやり切れない気持ちにもなります。

「ほらほらー!!こんなに楽しいよ!こんなに素敵だよ!だからほらほらーみんなこっちにおいで〜」

と、心から叫べるのか、

それとも、

「一応仕事なので一生懸命やってますけど、うーん、どうでしょう。。。これはこれで結構辛いよー。無きゃないで死ぬわけじゃないしね。でもまあ商売だからみんなもやってくれれば嬉しいね」

っていうスタンス。

これ、もう全然違うっしょ。


いやさ、私だってトランペットを自分から取ったら、もう生きてる価値がないし、喋るよりも楽器で表現する方が手っ取り早いと思ってた時期もあるんですよ。

それが、迷いが生じるってのはとても危険ですよー。

ちょっと怪我して、お尻の骨やら頭やらやらかした時期があって、

「藤井さん、上に引っ張る筋肉が動いてないね。かわいそうに。」

みたいに言った人がいて、

その頃は特に何も問題感じてなかったんだけど、「そうか私、筋肉が足りなくなったらまずいな」って思って、

筋トレにハマった時期もあって、

そしたら、

「筋トレしたでしょ?音が硬くなってるよね」

なんと!!筋トレするとダメなの?

筋肉落ちてるって言われるし、筋トレはダメって言うし、、、

どうしたら???

とか、あれこれ思っているウチに、ある日、

「あれ?感情が音に乗ってない、、、これか?これがヤバイって言われてたヤツ??うわぁ!!」


で、その後に行った慰問演奏で、

「藤井ちゃんにしてはあんまよくなかったね」

と言われたあたりで、ああ、、やっぱり。。。

何か勝手に言葉が繋がった気がして、

それからゆっくりゆっくり迷走して行くわけで。。。

それでも、その後の10年くらいは自分としては不気味な気持ちながら、まあ仕事としてはなんとかやれてたんですけど、

なんか本当に訳わからんってなって、大好きだった心の声を歌に乗せて吹くことも、果たしてどうやって何をやってたのか、分からないし、ちっとも楽しくもないし。


まぁ、そんな気持ちになりつつも、何しろ仕事だからね、なんとか気持ちを奮い立たせて頑張る訳ですよ。

わ!!

気がついたら、めっちゃ横道というか、大昔からっていうか、、、まあいつものことか笑

でですね。

「演奏することの必然性」っての。

今、ちょっと閃いたんです。

音を練習しちゃダメだ。
「どんな音を出したいか」はきっと練習してもいい。

でも「音が出るか」とか「この動きができるか」を練習してたらダメだ。

いや、「ダメ」って書いたことにすら、何かしらのイメージを持って楽しくエネルギッシュにやれる人は全く問題ないんです。問題はね、「問題ある人」ね(笑)

「この動きで何を表現したいと思ってるのか」
「この音でこれを表現したい」とか
「この気持ちのためにこういう音を生み出したい」

《そういうものがあっての、この動きの練習》

ってのを、忘れないようにしないといけない。

この動きを失敗しないでやりたいとか、外したくないとか、うまくやらないといけないとか、そっちが先に来ちゃうと、元気なうちはいいけど、追い詰めれた状況ではきっとトランペットを好きじゃなっちゃうと思うから。

楽器を吹くのは、大変なことはいっぱいあるかもしれないし、我慢しなきゃいけないこともあるかもしれないけど、「嫌い」になったら、ダメなのよぉ。

そのためにも、音楽をやることの意味ね。

音が好き、とかなんでもいいんだけど、でも「好き」が大事。

そして、今思うのは、音楽はクラシックだけじゃない。クラシックはもちろん素敵だけど、音楽の中で言ったら、本当にちょっと。本当に一部なんですよ。

いわゆる「いろんなジャンルがあるよ」とかをもっともっと超えて、ジャンルとかとも言わないような、

は?それって音楽なの???

って思うようなモノだって、実は音楽と呼んでいい、ってのがいっぱいあるし、

いや、もっと激しく言えば、生活すら音楽といっても良いんだよーっ!!!

今、キーボードでこのブログを打ってるんですけど、それだってリズムに乗って打ってたら、聞きようによっては音楽だろうからね。

おお!違うけど「タイプライター」って曲もあるもんねッ。

今日は重いんだか軽いんだか分からない内容で、長々お送りしました。今日も読んでくれてありがとう!!


あ!最後に、

言葉によって、未来が勝手に決められちゃう場合があるけど、それは「受け取り手」の問題だから、自分の未来にとって有り難くない言葉は適当に聞き流すように。

それに縛られることによって、本当にそうなるってことがいっぱいあるってこと。

だから、自分にとって「こうなる(こうする)」と思う言葉に置き換えるようにしていこう!!

では、またねー。

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