今日は長い1日でした。でもなかなか面白い1日でしたよん!!
ところで、、、、
人を見るとき、普通はどうやって見るんでしょう??
また始まった、、、そんなこと聞かれてもねッて感じですよね(⌒-⌒; )
いや、なんかね、ものすごーく違和感あるなーって思って、よーく考えたんです。
私の中では、人としてステキ!とか、この人は嫌いじゃないけど苦手だなとか、腹ん中で考えてることと言ってることが違いそうですめっちゃ怖いな、、、とかってのはあります。
でも「この人はダメだよね」ってのはない。
「この人はこんな人だね」っていうのはある。
「ステキだな!」と思うこととか、「そんなことができるなんて羨ましいなー」とか思うこと、「あーそうしたい気持ちは分かるけどそれはダメだよ」とかはある。
でも、「あの人はダメだよね」はない。
「ここは良くないよ!」はあるけど、それはその人の一部分であって、一部分に悪いところがあるからって、その人の価値がすべてダメだってのはナイ。
普通は、例えば楽器演奏の基礎がなってなかったら、「あの人はダメだよね」になるんだろうか?
その感覚が私には分からない。
なぜ基礎が出来てないと、「あの人はダメ」なんだろう。
いやいや、これは私が「あの人はダメだよね」の言葉を文字通りに聞きすぎてるってことなのかもな。
なんか修飾語とかが省かれてるに違いない。
そこを読まなきゃいけないに違いない。
「あの人(のこういうところ)はダメだよね」なのかな?
でも、私にとっては「あの人はダメだよね」って言葉はあまりに強烈。あまりにショッキング!!
基礎がないことは存在悪なのか??
歌心とか、熱意とかは評価されないのか?
って思っちゃう。
もちろん、基礎はその人を物凄く下支えしてくれるし、応用が利くし、何しろ土台だからね、大切だよ。
だから、そこは疎かにしちゃいけないし、本当に大切。
でも、それは人の価値とは違うと思うんだよねー。
だから、その表現力を活かすために、もっと基礎をアップさせるといい、とかさー。それは良いよねー。どんどんやりたいよねー。
なんか1つのことでその人が輝くのは凄く良いなーと思うけど、ひとつのことでその人のすべてがダメってなるのは、怖いわー。。。
ま、すぐ余計なお世話で「ここがダメですよ」って教えちゃえば良いじゃん?って思っちゃう私だし、ニコニコしながら腹の中では全否定されてるよりは、「ここは良くないよ」「ここはダメだよ」って教えてもらいながらも存在は否定されてない、存在は受け止められてる世界にいたいなーと思う。
でも世の中には「ここはダメだよ」って伝えることも言われることもイヤだって人の方が多いのかな?「ここはダメだよ」じゃなくて、「あの人ダメ」ってことで、関係性に壁を作って、でもそこは相手には見せずにニコニコしておく、、、
あー!!そんなの無理無理。怖くて死ぬ。
ま、自分が人の「考えてること」は分かるけど、人の「気持ち」は分からないタイプなので、多分「考えてること」に過剰反応しちゃうんだね。どんな気持ちで言ってるのかが分からないから、もー本当に怖いよ。
それが大人の世界??コエー!!
そんなことじゃー世の中生きていけないのかな、、、
でも、少なくとも私はそのスタンスで生きていきたい。
「あの人ダメだよね」って人を、自分の中にひとりも置きたくない。「ここはダメだよ、でもここは良いよね」にしたい。