こんばんはー!!!今日は高校のレッスンに行って来ましたー。
みんなそれぞれ頑張ってますねー。
で、そんな中で、
何かアドバイスしたとするでしょ??
その時に、「あ!そうか!」っていう表情になる子と、「出来てるのに、、」と受け入れ難いみたいな顔をして拒んでる子がいます。
「分かってるけど出来ない!!」みたいな子は、体に力は入ってますけど、ちょっとほぐすとあっという間にほぐれます。
「あー、軽くなった!!」って、見てても明らかに変わります。
「あ!そっか!!」とぐんぐん吸い込むこは体が柔らかい。
あ!ここでいう体の柔らかさは、いわゆる柔軟性じゃなくて、筋肉の硬さのことです。
でも「受け入れられない」感じの子は、いやはやバッキバキなことが多い。
傷付きやすい、でも真面目な、意外と出来る子なはずの立ち位置の子が多いのかなー。
だから、体を固めて心を守ってるのかなぁ、、、
それとも体を固めてるから、受け入れられないのかなぁ。。。
そして、体が少しほぐれたとしても、あまり認識しない。
で、
やっぱり「認識出来ないものってないのと同じ」ってのあるでしょ?
トランペットで言えば、音の差とか、気にするポイントとか、それを認識できる「耳」が出来てないと、そこをもっとこうしよう!などの前提が成り立たないから、変わりようがない。
結局、現状とか差とかを「認識」出来ないと、そこを指摘されても認めることが出来ないし、認識出来ないことを注意されても言いがかりとしか思えないし、受け入れられないよね。
でもそれで傷つきたくないから体を固くするってことなのかなぁ。
ま、置いといたとして、
やっぱりトランペットの場合は、吹き方とかも大事だけど、それでできると思ってると、なかなか辛くて、
どんな風に吹きたいとか、どんな音出したいとか、
「キレイな音」とかそういう観念的なヤツじゃなくて、
心の中にちゃんと鳴らせるヤツ、
それがないとねー。
で、それを作るには、いろんな音を知ることで引き出し増える。
んで、いろいろ聴き取れるから、いろいろ飲み込める。
言われてること分かれば、自分自身や周りを責めなくていいから、心の中も平和。
って思うねー。
いやー、ホント。これ、、私自身にだって思うよ。
もっともっといろんなモノ、音、知らないと、
なんのこっちゃ??ってちんぷんかんぷんなこと、山盛りですから。。。しくしく。
なんか、「読書は大事」って、あるでしょ?!
小さい時に絵本とか本とか読んでると、心が安定するみたいな。
それって、「言葉」で「心の機微」みたいなヤツをどう表現するかの引き出しが増えるから、何やら心にモヤモヤモヤモヤー!!と感情が浮かんできた時にも、それを言語化する能力がついてて、それを人に伝えることが出来れば、お互いになーるほど!と理解できるから、共有できるということでの安定が得られるってことだろーなーって思ってるんだけど、
音もきっと、そういう側面あって、
言語化ではなく、その感情や雰囲気を音にするとか、音からその言わんとすることを読み取れるとか、なんかそういうのが共有できれば、安定するのかなぁ、、、的な。。。
なーんて思ったりしましたよん。
私もカラダとココロをほぐします(笑)
それではまた明日ー(^^)