6月19日 月曜日 介護施設から帰って来るオカンの準備(掃除)
心臓が悪く、伊勢の赤十字病院に入院してたオカンは、無事1か月前に退院しました。その後体力回復のために介護施設に1か月の短期入所しておりましたが、19日(月)の夜に戻ってきます。
で、前日から伊勢志摩に来ているのですが、実家で一晩過ごすのはどうも気乗りしない。
帰って来るのは明日だから、実家には誰も居ないんだけど・・・。
実家には泊まらず、鳥羽と島を結ぶパールロードの途中に、「面白展望台」というのがあります。大昔に中学生の息子と「とばしません」という自転車の大会に出たのですが、そこの折り返し地点の展望台でした。
昨年まで工事中でしたが、トイレが道の駅並みに綺麗になっているとの情報があり、ここで車中泊しました。
日曜の晩からの車中泊でしたので、私以外居ません。夜展望台から海を見ると、眼下に的矢湾と相差・安乗の町の夜景が綺麗でした。
物心ついた時(4歳)から育児放棄をされていて、妹と中学になるまで田舎の祖父母に預けられてました。
別段虐待や言葉の暴力は皆無でしたし、年に2度(お盆と正月)会う時は優しかった覚えがあるのですが、やはり「育ての親(祖父母)」への愛着に比べたら全然違います。
オヤジが死んだときは全然悲しくなかった。せいぜい「親戚のオジサン」が亡くなったぐらいの感覚。
逆に育ての親でもある祖父母が死んだときは、ホントに悲しかった。
多分もうすぐオカンも死ぬと思うけど、悲しいという感情は出ないでしょうね。
オカンもオヤジも若い頃は、子供に興味が無かったみたい。だから祖父母に10年近く預けたんだと思う。中学前になると手がかからなくなり、祖父母も体力が落ちてきたので、ようやく引き取る気になったんだと思います。
オヤジもオカンも子供の事が可愛くなってきたのが、歳を取ってからなんだと思う。俺が高校~大学生になったぐらいから、急にベタベタしてきたもん。
「今さら遅い」と思いながら醒めた目で見ていた。
30代後半にUターンして3年ほど一緒に暮らしてたんだけど、本当に性格が合わない。
今と違って別段ケンカはしませんでしたが、価値観が違うので会話が嚙み合わない。
私達兄弟は育てられた記憶が皆無なので、愛情が持てない・親近感がわかない・家族意識が薄い・・・ってところ。
冷たいと思われますが、幼い頃に一緒に暮らしたことが無い家族ってのは、こんなもんです。
その割には家を買ってあげたり(私)、買い物や掃除を毎週2~3回行ったり(妹)、俺たちは親孝行だなあ、と妹と二人で言っております。
私達兄弟が歪まずに真っ当に育ったのは、愛情深い祖父母のおかげです。
さてそんな親でも一応は血が繋がっているので、やる事はやっております。車中泊の後は朝から実家の大掃除です。
オカンは床に物を置く癖があるので、躓く原因になる。前回の大腿骨骨折も、それが原因。
床の荷物を上げるには、他の荷物を捨てなければいけない。
で、階段下の押し入れを見た所・・・あるわあるわ、いらん物がたんまりと。
紙袋約200枚。スーパーの袋約数百枚。端切れ布が段ボール4個。煎餅やお菓子の金属の箱20個。紐が一箱分。包装紙が段ボール3個分。
何で年寄りは溜め込むんだろう?
紙や布は変色しているものが多く、即燃えるゴミ袋へ。
押し入れを空けた所に、大量にある趣味の油絵の作品を入れていく。
衣装棚には、35年前に死んだオヤジの服があったので、これも処分。
変色したシーツやタオル。10年分の志摩市の広報。古い新聞・雑誌類。
とにかく「しまい込んで動いていない物」をひたすらゴミ袋に入れていく。
本人の服も大量にあるのですが、これは本人に聞いてからにしよう。
シーツと毛布・トイレの便座カバーを洗濯。
トイレを全部こすり、電球や桟の掃除、カーペットを回収し(滑るので危ない)、台所を激落ちくんで磨き、外の洗濯機をピカピカにし・・・夕方4時に熱中症気味になったので中止しました。
燃えるゴミ袋18個分で、軽バンはパンパンになってしまった。
オカンは施設で晩飯食ってから送迎される予定です。しかし私は明日仕事なので、会わずに帰りました。待ってたら仕事に差し支えるので。
愛知の家に到着したのは11時半。嗚呼、介護は重労働。
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心臓が悪く、伊勢の赤十字病院に入院してたオカンは、無事1か月前に退院しました。その後体力回復のために介護施設に1か月の短期入所しておりましたが、19日(月)の夜に戻ってきます。
で、前日から伊勢志摩に来ているのですが、実家で一晩過ごすのはどうも気乗りしない。
帰って来るのは明日だから、実家には誰も居ないんだけど・・・。
実家には泊まらず、鳥羽と島を結ぶパールロードの途中に、「面白展望台」というのがあります。大昔に中学生の息子と「とばしません」という自転車の大会に出たのですが、そこの折り返し地点の展望台でした。
昨年まで工事中でしたが、トイレが道の駅並みに綺麗になっているとの情報があり、ここで車中泊しました。
日曜の晩からの車中泊でしたので、私以外居ません。夜展望台から海を見ると、眼下に的矢湾と相差・安乗の町の夜景が綺麗でした。
物心ついた時(4歳)から育児放棄をされていて、妹と中学になるまで田舎の祖父母に預けられてました。
別段虐待や言葉の暴力は皆無でしたし、年に2度(お盆と正月)会う時は優しかった覚えがあるのですが、やはり「育ての親(祖父母)」への愛着に比べたら全然違います。
オヤジが死んだときは全然悲しくなかった。せいぜい「親戚のオジサン」が亡くなったぐらいの感覚。
逆に育ての親でもある祖父母が死んだときは、ホントに悲しかった。
多分もうすぐオカンも死ぬと思うけど、悲しいという感情は出ないでしょうね。
オカンもオヤジも若い頃は、子供に興味が無かったみたい。だから祖父母に10年近く預けたんだと思う。中学前になると手がかからなくなり、祖父母も体力が落ちてきたので、ようやく引き取る気になったんだと思います。
オヤジもオカンも子供の事が可愛くなってきたのが、歳を取ってからなんだと思う。俺が高校~大学生になったぐらいから、急にベタベタしてきたもん。
「今さら遅い」と思いながら醒めた目で見ていた。
30代後半にUターンして3年ほど一緒に暮らしてたんだけど、本当に性格が合わない。
今と違って別段ケンカはしませんでしたが、価値観が違うので会話が嚙み合わない。
私達兄弟は育てられた記憶が皆無なので、愛情が持てない・親近感がわかない・家族意識が薄い・・・ってところ。
冷たいと思われますが、幼い頃に一緒に暮らしたことが無い家族ってのは、こんなもんです。
その割には家を買ってあげたり(私)、買い物や掃除を毎週2~3回行ったり(妹)、俺たちは親孝行だなあ、と妹と二人で言っております。
私達兄弟が歪まずに真っ当に育ったのは、愛情深い祖父母のおかげです。
さてそんな親でも一応は血が繋がっているので、やる事はやっております。車中泊の後は朝から実家の大掃除です。
オカンは床に物を置く癖があるので、躓く原因になる。前回の大腿骨骨折も、それが原因。
床の荷物を上げるには、他の荷物を捨てなければいけない。
で、階段下の押し入れを見た所・・・あるわあるわ、いらん物がたんまりと。
紙袋約200枚。スーパーの袋約数百枚。端切れ布が段ボール4個。煎餅やお菓子の金属の箱20個。紐が一箱分。包装紙が段ボール3個分。
何で年寄りは溜め込むんだろう?
紙や布は変色しているものが多く、即燃えるゴミ袋へ。
押し入れを空けた所に、大量にある趣味の油絵の作品を入れていく。
衣装棚には、35年前に死んだオヤジの服があったので、これも処分。
変色したシーツやタオル。10年分の志摩市の広報。古い新聞・雑誌類。
とにかく「しまい込んで動いていない物」をひたすらゴミ袋に入れていく。
本人の服も大量にあるのですが、これは本人に聞いてからにしよう。
シーツと毛布・トイレの便座カバーを洗濯。
トイレを全部こすり、電球や桟の掃除、カーペットを回収し(滑るので危ない)、台所を激落ちくんで磨き、外の洗濯機をピカピカにし・・・夕方4時に熱中症気味になったので中止しました。
燃えるゴミ袋18個分で、軽バンはパンパンになってしまった。
オカンは施設で晩飯食ってから送迎される予定です。しかし私は明日仕事なので、会わずに帰りました。待ってたら仕事に差し支えるので。
愛知の家に到着したのは11時半。嗚呼、介護は重労働。
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