すいません、タイトルを変更しました。
さて柔道初心者オヤジのマラソン歴は大雑把に書きましたが、このオヤジ、嫁にも負けてます。
今から6年前、私が初めてマラソン大会に出た後、嫁さん曰く
「私も走ってみようかな」という事で、一緒に走り始めた。
ただうちの嫁さんは我儘である。最初の頃は、
「日焼けするから外で走らない」
お前何言うとるんじゃあ、どこ走るねん。
「ジムか体育館」
お前はもやしっ子かあ!太陽の光を浴びんかあ!紫外線を浴びんと、せむしのロバになってしまうぞ。
という訳で、ジムのトレッドミルか西尾市総合体育館のランニングコースしか走らなかった。せっかく私が休みの時に、
「俺、山走ってくる」
「私、ジムで走ってくる」
と二人バラバラ(笑)。俺たちは離婚前の夫婦かあ!
その嫁も、「大会に出たい」となり、「大会に出るには、トレッドミルでは走り方が違う」という事に気が付き、いやいやながら外を走るようになった。
いつしか外の田舎道を走るのが好きになり、今では一緒に走ってるのだ。めでたしめでたし・・・とはならない。一緒に走り始めて、先輩の俺の方が速い・・・とはならなかった。嫁さんの方が速い。俺のキャリアは9年、嫁さんは1年、なぜ負ける?
「ねえいつまで待たせるの?先に行くわよ」と非常な言葉。
考えたら私は嫁さんにジョギングを教えた、いわば師匠である。その師匠に向かって何という暴言を吐くのだ!
「でも遅いやん」
くくっ!言い返せない!一人木陰で肩を震わせながら泣くオヤジであった。
嫁さんは私の3年遅れでマラソン大会デビュー。もっぱら10kmを主に走ってました。もちろん私の記録よりずっと速い。
デビュー1年後、地元マラソン大会に出た嫁さんは、記録をたたき出して、補欠ではあるが愛知駅伝の地元選出の選手(40歳代女性の部)になってしまったのであった!!!
「なっちゃったのよ」
「お前!愛知駅伝って、豊川工業のインターハイの選手とか、アイシンやらデンソーの実業団選手とか、マラソン歴10年とか20年とか凄い人が出てるやろ。お前みたいな週末ランナー3年目が、そんなとこに出ていいのか?どうした体育協会?何かの間違いでは?今なら『ごめん、間違った、取り消すわ』、と言われても、うちの夫婦は全然怒らへんで」
しかし事実であった。事前の練習会にもお呼びがかかってました。嫁さんは嬉々として出かけて行った。
先輩の面目丸潰れ、オヤジの威厳ゼロ。しおしおパー(←古い)であった。
ところが嫁さんの主戦場は10km、オヤジの主戦場はハーフ(21km)であり、バッティングしてない。
「ハーフだとそうはいかんだろう。2倍以上の距離があるからなあ。いずれ俺が走り方を教えてやるよ(と偉そうに言う)」
「そうねえ、21kmは走る自信が無いからねえ」
そして2年前の志摩ロードパーティ。この時嫁はハーフに初参戦した。志摩ロードパーティーは、高低差がきついアップダウンが続くとんでもないコースで、普通の人も15分から20分余計に時間がかかると言われている。その難しいコースで、いきなり2時間1分をたたき出した。ちなみにオヤジは2時間17分・・・負けた、負けました・・・。
後輩に追いつかれ追い抜かれる気持ちって、こんなのだろうか。
ダメだ、嫁さんと一緒の土俵では勝てん、そうだ!嫁さんが絶対にしないコスプレで走ろう!そうすれば比較せんで済む。タイムも、
「空手着着てたから遅いもん」と言い訳できる。
これからはコスプレだ!という事でコスプレに嵌って行ったのです。逃げです逃げてます(笑)。
コスプレで走ると横で嫁さんが、
「恥ずかしいから離れて」という。すごすご下がるオヤジ。
これがオヤジの現在の立ち位置です。センターは嫁さんで、私はその他大勢のバックダンサーになってしまいました。
さて次回は
「走れメロス!決!最終回、西尾市のマラソン超遅おやじ 下剋上・息子の反乱!」
乞うご期待!
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さて柔道初心者オヤジのマラソン歴は大雑把に書きましたが、このオヤジ、嫁にも負けてます。
今から6年前、私が初めてマラソン大会に出た後、嫁さん曰く
「私も走ってみようかな」という事で、一緒に走り始めた。
ただうちの嫁さんは我儘である。最初の頃は、
「日焼けするから外で走らない」
お前何言うとるんじゃあ、どこ走るねん。
「ジムか体育館」
お前はもやしっ子かあ!太陽の光を浴びんかあ!紫外線を浴びんと、せむしのロバになってしまうぞ。
という訳で、ジムのトレッドミルか西尾市総合体育館のランニングコースしか走らなかった。せっかく私が休みの時に、
「俺、山走ってくる」
「私、ジムで走ってくる」
と二人バラバラ(笑)。俺たちは離婚前の夫婦かあ!
その嫁も、「大会に出たい」となり、「大会に出るには、トレッドミルでは走り方が違う」という事に気が付き、いやいやながら外を走るようになった。
いつしか外の田舎道を走るのが好きになり、今では一緒に走ってるのだ。めでたしめでたし・・・とはならない。一緒に走り始めて、先輩の俺の方が速い・・・とはならなかった。嫁さんの方が速い。俺のキャリアは9年、嫁さんは1年、なぜ負ける?
「ねえいつまで待たせるの?先に行くわよ」と非常な言葉。
考えたら私は嫁さんにジョギングを教えた、いわば師匠である。その師匠に向かって何という暴言を吐くのだ!
「でも遅いやん」
くくっ!言い返せない!一人木陰で肩を震わせながら泣くオヤジであった。
嫁さんは私の3年遅れでマラソン大会デビュー。もっぱら10kmを主に走ってました。もちろん私の記録よりずっと速い。
デビュー1年後、地元マラソン大会に出た嫁さんは、記録をたたき出して、補欠ではあるが愛知駅伝の地元選出の選手(40歳代女性の部)になってしまったのであった!!!
「なっちゃったのよ」
「お前!愛知駅伝って、豊川工業のインターハイの選手とか、アイシンやらデンソーの実業団選手とか、マラソン歴10年とか20年とか凄い人が出てるやろ。お前みたいな週末ランナー3年目が、そんなとこに出ていいのか?どうした体育協会?何かの間違いでは?今なら『ごめん、間違った、取り消すわ』、と言われても、うちの夫婦は全然怒らへんで」
しかし事実であった。事前の練習会にもお呼びがかかってました。嫁さんは嬉々として出かけて行った。
先輩の面目丸潰れ、オヤジの威厳ゼロ。しおしおパー(←古い)であった。
ところが嫁さんの主戦場は10km、オヤジの主戦場はハーフ(21km)であり、バッティングしてない。
「ハーフだとそうはいかんだろう。2倍以上の距離があるからなあ。いずれ俺が走り方を教えてやるよ(と偉そうに言う)」
「そうねえ、21kmは走る自信が無いからねえ」
そして2年前の志摩ロードパーティ。この時嫁はハーフに初参戦した。志摩ロードパーティーは、高低差がきついアップダウンが続くとんでもないコースで、普通の人も15分から20分余計に時間がかかると言われている。その難しいコースで、いきなり2時間1分をたたき出した。ちなみにオヤジは2時間17分・・・負けた、負けました・・・。
後輩に追いつかれ追い抜かれる気持ちって、こんなのだろうか。
ダメだ、嫁さんと一緒の土俵では勝てん、そうだ!嫁さんが絶対にしないコスプレで走ろう!そうすれば比較せんで済む。タイムも、
「空手着着てたから遅いもん」と言い訳できる。
これからはコスプレだ!という事でコスプレに嵌って行ったのです。逃げです逃げてます(笑)。
コスプレで走ると横で嫁さんが、
「恥ずかしいから離れて」という。すごすご下がるオヤジ。
これがオヤジの現在の立ち位置です。センターは嫁さんで、私はその他大勢のバックダンサーになってしまいました。
さて次回は
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