ダイヤモンド社より転載
津波生存者の証言がないまま中間報告へ
大川小遺族に募る検証委員会への不安とモヤモヤ感
東日本大震災の大津波で児童74人と教職員10人の死者・行方不明者を出した宮城県石巻市立大川小学校。今年2月にスタートした事故検証委員会の第3回会合が今月7日に開かれ、中間報告が発表される予定となっている。3月の2回目の検証委会合後の説明会以来(第22回参照)、3ヵ月半ものあいだ進捗の見えない状況におかれた遺族たちのモヤモヤした思いは、募るばかりだ。
3月末、委員の解任を求める声が上がった
「検証途中ですが、数名の委員さんの解任をお願いします。浮いた費用は捜索費用に充ててください。その方が合理的かと思います」
3月31日の遺族向けの説明会で、検証を求めてきた遺族のひとりが、検証委に対する不信感を文科省や県教委に訴えた。3月21日の第2回の検証委会合から10日後のことだ。
前回も触れたとおり、過去2回の会合は、委員同士の会話のなかに、事故の概要等基本的な情報をふまえていないやりとりがみられた。取材を続けてきた私たちが聞いていても、いったい何が話し合われ、何を決めたのか要点がつかめない会議だった。
その会合の説明会で、父親は委員の解任を求めた後にこう続けた。
「数名の委員さんの態度ですが、子どもたちが亡くなった原因究明の場にもかかわらず、笑いながら話していました。何がそんなに楽しいのでしょうか? 不謹慎極まりないとしか言いようがなく、愕然としました」
「2回目の検証委員会にもかかわらず資料の読み込み不足が露呈しています。もっと資料を読み込んでから委員会に臨んでもらいたいです」
「聞き取り調査書を読み込めば複数証言により事実とは違うと簡単に分かる事(筆者注:当日、地域住民が校庭に集まっていたという話など)を話したり、時間のないなかで、そのような不毛な話はやめてもらいたいと思います」
「議論は原則公開といいながら、議論らしき議論がないまま中間報告するのはなぜか?」
会合を傍聴した遺族たちのショックは小さくなかった。複数の遺族によればこの意見は、ひとりだけのものではなく、一部の遺族たちの共通した思いだという。
解任してほしい委員の具体的な名前の明言こそ避けていたが、専門家に対する当初のかすかな期待感が、会合での相次ぐ不真面目ともとれる発言や態度を受けて、はっきりと失望に変わったようだ。
当然ながら、遺族たちは会合で、委員たちの資料を読み込んだうえで専門知識を生かした、真剣な議論を傍聴できるものと期待していた。ところが、実際の2回目の会合で委員たちは、何をどう調べるかを話し合っただけだった。
そんな議論以前の状態にあるにもかかわらず、今月7日に開かれる次の会合が、もう中間報告となってしまうことに、遺族たちが戸惑うのも無理はない。そもそも検証委側と遺族側では、進め方に抱くイメージが大きくかけ離れているのだ。
「聞くべき人に聞いていない」
全く見えない検証委の動きに募る不安
遺族への聞き取りのために集合する検証委員(2013年6月、宮城県内)
Photo by Y.K.
そのズレは、4月以降に行われた個別聞き取り調査期間における遺族側の行動からも明らかだ。
遺族のなかには、「中間報告前に私の話を聞いてほしい」「周辺の聞き取りではなく、まず生存者など当事者の話を聞くべき」などと、委員会側に直談判した人もいる。
検証委による聞き取り作業は当然ながら非公開のため、3ヵ月半の検証委側の動きは、誰にも知らされない。だが、地域の中で生きていれば、誰が聞き取りされたらしいといううわさは、耳に入ってくる。これが遺族の不安な気持ちを余計に刺激するのだ。
「6月の終わりに<現在の活動状況について(ご報告)>というプリントが(事務局から)送られてきて、6月20日現在で児童・教職員の遺族の聞き取りはのべ37名って書いてあった。でも私は委員に会ったことがなく、もう聞き取りされないのか、すごい不安な気持ちがムラムラとわき上がってきた」
6年生だった次女のみずほさんを亡くした佐藤かつらさんはそう話す。遺族たちの直談判のアクションは、検証委の進め方への不安の裏返しなのだ。
「ずっとモヤモヤしているんです。いまの検証委の動きを見るとすごく不安があります。検証委員会ってこういうものなんでしょうか。
色んな人に聞き取りをしているようだけど、まず聞くべき人に聞いていないという感じを受けますね。現場にいた子どもたちに聞き取っていない。聞く努力もしていない。何でだろうと思うんですね。
私たち(遺族)にしてみれば、74人が亡くなったという事実に対して、検証委からは切迫感、切実感、責任感、覚悟が感じられない。2回目の検証委の報告会で遺族側から批判されてから、資料を読み込んできたという感じは受けたんだけど。真剣味がまだ、ね」(佐藤かつらさん)
佐藤さんはそれでも、中間発表までは検証委の動きを静観しようと3ヵ月半を過ごしてきた。ただ、中間報告の内容次第では、傍観しているのではなく、検証委側のそういうスタンスに声を上げていかなければとも思っているという。
僅かな生存者より周囲の証言
遺族が調べてきた2年分の蓄積は?
佐藤さんだけではない。遺族の只野英昭さんも、検証委の進め方に不満を感じている1人だ。
「生存したA先生や子どもたちの聞き取りをしないで何が見えてくるのか。いまのままでは、ここまで聞き取りましたってことだけしか言えないでしょ。単なる経過報告に何の意味があるの? って感じです」
只野さんは、津波から生還した当時5年生の哲也君と、亡くなった当時3年生の未捺(みな)さんの父親だ。大川小の津波からの生存者は、当時の児童では哲也君の他に3人、教諭はわずか1人で、全部で5人しかいない。
中間報告にその生存者の貴重な証言を盛り込んで欲しいと、只野さんは哲也君の証言の聴取を検証委に何度も申し入れたという。しかし叶えられなかった。
「検証委には、子どもたちへの聞き取り項目を絞るために、先に他の人の聞き取りから進めていくと説明された。でも、子どもたちの負担を減らすためだったら、無駄な時間を使わず、こちらから話すと言っている哲也にまず聞き取ればいい。その方が、当時のことを思い出したくない(他の)子どもたちの負担を減らせるはずなのに……」
当事者ではなく周囲の人たちの証言が優先されたことについて、只野さんはそう残念がる。
もちろん、検証が中立公正に行われるためには、調査手法に則った適切な進め方があり、検証を依頼した関係者といえども要望を通せるものでもない。
だが、今回の事故検証については、遺族が先に調べてきた2年間分の蓄積があり、遺族の協力なくしては検証自体が成り立たないことも事実である。
このことを考えると、遺族の不安や不満は、ひとつのファクトとして検証に反映されたり、進捗状況の共有や作業の進め方のイメージのすりあわせなどを経て、遺族自身がケアされたりしていかなければならないのではないか。
文科省・事務局が明言した
遺族への「報告の場」はどこへ行ったのか
12年の11月3日に文科省と宮城県教委が、市教委と遺族に配布した「大川小事故検証委について」資料の「基本的考え方」という項目には、「検証委員会が収集した資料、ヒアリング結果などの情報は、可能な限り積極的に公開する」 「公正中立な検証の必要性と円滑化についてご遺族の理解を十分得る」とある。
検証委側は、第2回会合から7月の中間報告までのこの3ヵ月半の間、遺族側とは個別の偏ったコンタクトになりがちと事前に充分にわかっていながら、公式に共通理解を図るための努力を怠ってきたといえるだろう。
そもそも、文科省の子ども安全対策支援室長の大路正浩室長補は、第2回の検証委から中間報告まで4ヵ月近いブランクが空くという再三の指摘を受けて、冒頭の3月31日の検証委報告会後の囲み取材の場で、「中間報告前にご遺族に報告する機会を設けることを検討したい」と話していた。
また、事務局の社会安全研究所の首藤由紀所長も、5月16日の筆者の電話取材に対し、「委員会のほうで、(中間報告前の報告の場を)検討しているところです」と答えていた。「報告の場」の話は、結局どこへ行ってしまったのか。
その事務局も、筆者が取材で電話をしても、たった1人の担当者の首藤氏がほとんど不在であるなど、大川小の検証で多忙を極めていると聞く。市の検証委設置予算も2000万円とそう多くなく、できることは限られているだろう。
とはいえ、今回の大川小の事故検証委員会は、被災から2年経って検証が始まったこと、遺族の数が児童・教諭合わせて64家族にものぼること、遺族などの関係者が狭い地域に集中する学校事故であることなどの事情にあった運営になっていない印象を受ける。
中間報告を前にした遺族たちの思いから、早くも第三者検証委員会そのものの課題が見えてきた形だ。
(加藤順子)
津波生存者の証言がないまま中間報告へ
大川小遺族に募る検証委員会への不安とモヤモヤ感
東日本大震災の大津波で児童74人と教職員10人の死者・行方不明者を出した宮城県石巻市立大川小学校。今年2月にスタートした事故検証委員会の第3回会合が今月7日に開かれ、中間報告が発表される予定となっている。3月の2回目の検証委会合後の説明会以来(第22回参照)、3ヵ月半ものあいだ進捗の見えない状況におかれた遺族たちのモヤモヤした思いは、募るばかりだ。
3月末、委員の解任を求める声が上がった
「検証途中ですが、数名の委員さんの解任をお願いします。浮いた費用は捜索費用に充ててください。その方が合理的かと思います」
3月31日の遺族向けの説明会で、検証を求めてきた遺族のひとりが、検証委に対する不信感を文科省や県教委に訴えた。3月21日の第2回の検証委会合から10日後のことだ。
前回も触れたとおり、過去2回の会合は、委員同士の会話のなかに、事故の概要等基本的な情報をふまえていないやりとりがみられた。取材を続けてきた私たちが聞いていても、いったい何が話し合われ、何を決めたのか要点がつかめない会議だった。
その会合の説明会で、父親は委員の解任を求めた後にこう続けた。
「数名の委員さんの態度ですが、子どもたちが亡くなった原因究明の場にもかかわらず、笑いながら話していました。何がそんなに楽しいのでしょうか? 不謹慎極まりないとしか言いようがなく、愕然としました」
「2回目の検証委員会にもかかわらず資料の読み込み不足が露呈しています。もっと資料を読み込んでから委員会に臨んでもらいたいです」
「聞き取り調査書を読み込めば複数証言により事実とは違うと簡単に分かる事(筆者注:当日、地域住民が校庭に集まっていたという話など)を話したり、時間のないなかで、そのような不毛な話はやめてもらいたいと思います」
「議論は原則公開といいながら、議論らしき議論がないまま中間報告するのはなぜか?」
会合を傍聴した遺族たちのショックは小さくなかった。複数の遺族によればこの意見は、ひとりだけのものではなく、一部の遺族たちの共通した思いだという。
解任してほしい委員の具体的な名前の明言こそ避けていたが、専門家に対する当初のかすかな期待感が、会合での相次ぐ不真面目ともとれる発言や態度を受けて、はっきりと失望に変わったようだ。
当然ながら、遺族たちは会合で、委員たちの資料を読み込んだうえで専門知識を生かした、真剣な議論を傍聴できるものと期待していた。ところが、実際の2回目の会合で委員たちは、何をどう調べるかを話し合っただけだった。
そんな議論以前の状態にあるにもかかわらず、今月7日に開かれる次の会合が、もう中間報告となってしまうことに、遺族たちが戸惑うのも無理はない。そもそも検証委側と遺族側では、進め方に抱くイメージが大きくかけ離れているのだ。
「聞くべき人に聞いていない」
全く見えない検証委の動きに募る不安
遺族への聞き取りのために集合する検証委員(2013年6月、宮城県内)
Photo by Y.K.
そのズレは、4月以降に行われた個別聞き取り調査期間における遺族側の行動からも明らかだ。
遺族のなかには、「中間報告前に私の話を聞いてほしい」「周辺の聞き取りではなく、まず生存者など当事者の話を聞くべき」などと、委員会側に直談判した人もいる。
検証委による聞き取り作業は当然ながら非公開のため、3ヵ月半の検証委側の動きは、誰にも知らされない。だが、地域の中で生きていれば、誰が聞き取りされたらしいといううわさは、耳に入ってくる。これが遺族の不安な気持ちを余計に刺激するのだ。
「6月の終わりに<現在の活動状況について(ご報告)>というプリントが(事務局から)送られてきて、6月20日現在で児童・教職員の遺族の聞き取りはのべ37名って書いてあった。でも私は委員に会ったことがなく、もう聞き取りされないのか、すごい不安な気持ちがムラムラとわき上がってきた」
6年生だった次女のみずほさんを亡くした佐藤かつらさんはそう話す。遺族たちの直談判のアクションは、検証委の進め方への不安の裏返しなのだ。
「ずっとモヤモヤしているんです。いまの検証委の動きを見るとすごく不安があります。検証委員会ってこういうものなんでしょうか。
色んな人に聞き取りをしているようだけど、まず聞くべき人に聞いていないという感じを受けますね。現場にいた子どもたちに聞き取っていない。聞く努力もしていない。何でだろうと思うんですね。
私たち(遺族)にしてみれば、74人が亡くなったという事実に対して、検証委からは切迫感、切実感、責任感、覚悟が感じられない。2回目の検証委の報告会で遺族側から批判されてから、資料を読み込んできたという感じは受けたんだけど。真剣味がまだ、ね」(佐藤かつらさん)
佐藤さんはそれでも、中間発表までは検証委の動きを静観しようと3ヵ月半を過ごしてきた。ただ、中間報告の内容次第では、傍観しているのではなく、検証委側のそういうスタンスに声を上げていかなければとも思っているという。
僅かな生存者より周囲の証言
遺族が調べてきた2年分の蓄積は?
佐藤さんだけではない。遺族の只野英昭さんも、検証委の進め方に不満を感じている1人だ。
「生存したA先生や子どもたちの聞き取りをしないで何が見えてくるのか。いまのままでは、ここまで聞き取りましたってことだけしか言えないでしょ。単なる経過報告に何の意味があるの? って感じです」
只野さんは、津波から生還した当時5年生の哲也君と、亡くなった当時3年生の未捺(みな)さんの父親だ。大川小の津波からの生存者は、当時の児童では哲也君の他に3人、教諭はわずか1人で、全部で5人しかいない。
中間報告にその生存者の貴重な証言を盛り込んで欲しいと、只野さんは哲也君の証言の聴取を検証委に何度も申し入れたという。しかし叶えられなかった。
「検証委には、子どもたちへの聞き取り項目を絞るために、先に他の人の聞き取りから進めていくと説明された。でも、子どもたちの負担を減らすためだったら、無駄な時間を使わず、こちらから話すと言っている哲也にまず聞き取ればいい。その方が、当時のことを思い出したくない(他の)子どもたちの負担を減らせるはずなのに……」
当事者ではなく周囲の人たちの証言が優先されたことについて、只野さんはそう残念がる。
もちろん、検証が中立公正に行われるためには、調査手法に則った適切な進め方があり、検証を依頼した関係者といえども要望を通せるものでもない。
だが、今回の事故検証については、遺族が先に調べてきた2年間分の蓄積があり、遺族の協力なくしては検証自体が成り立たないことも事実である。
このことを考えると、遺族の不安や不満は、ひとつのファクトとして検証に反映されたり、進捗状況の共有や作業の進め方のイメージのすりあわせなどを経て、遺族自身がケアされたりしていかなければならないのではないか。
文科省・事務局が明言した
遺族への「報告の場」はどこへ行ったのか
12年の11月3日に文科省と宮城県教委が、市教委と遺族に配布した「大川小事故検証委について」資料の「基本的考え方」という項目には、「検証委員会が収集した資料、ヒアリング結果などの情報は、可能な限り積極的に公開する」 「公正中立な検証の必要性と円滑化についてご遺族の理解を十分得る」とある。
検証委側は、第2回会合から7月の中間報告までのこの3ヵ月半の間、遺族側とは個別の偏ったコンタクトになりがちと事前に充分にわかっていながら、公式に共通理解を図るための努力を怠ってきたといえるだろう。
そもそも、文科省の子ども安全対策支援室長の大路正浩室長補は、第2回の検証委から中間報告まで4ヵ月近いブランクが空くという再三の指摘を受けて、冒頭の3月31日の検証委報告会後の囲み取材の場で、「中間報告前にご遺族に報告する機会を設けることを検討したい」と話していた。
また、事務局の社会安全研究所の首藤由紀所長も、5月16日の筆者の電話取材に対し、「委員会のほうで、(中間報告前の報告の場を)検討しているところです」と答えていた。「報告の場」の話は、結局どこへ行ってしまったのか。
その事務局も、筆者が取材で電話をしても、たった1人の担当者の首藤氏がほとんど不在であるなど、大川小の検証で多忙を極めていると聞く。市の検証委設置予算も2000万円とそう多くなく、できることは限られているだろう。
とはいえ、今回の大川小の事故検証委員会は、被災から2年経って検証が始まったこと、遺族の数が児童・教諭合わせて64家族にものぼること、遺族などの関係者が狭い地域に集中する学校事故であることなどの事情にあった運営になっていない印象を受ける。
中間報告を前にした遺族たちの思いから、早くも第三者検証委員会そのものの課題が見えてきた形だ。
(加藤順子)