熊坂義裕を応援する全国勝手連より転載
なぜ熊坂さんが立候補を表明することになったか
熊坂さんと知り合いになったのは、彼が「よりそいホットライン」を立ち上げた時。何度もお会いしているがスーツ以外の熊坂さんを見たことがない。いつもきちっとしたネクタイ姿だ。
お酒を飲むところも見たことがない。「お酒は辞めた。当直でなくても呼び出されるから、医者が酔っているわけにはいかないでしょ」ということらしい。
だから真面目な人だと言うつもりはないけれど、僕の中では熊坂さんは「ものすごくポジティブで正義を信じているお医者さん」だった。近しい人からは「いたずらっ子みたいよ」という評価もあるらしいけど。
福島県知事選挙に出馬されると聞いた時、びっくりしたけれど「本当に良かった」と思った。密かに「福島県知事には熊坂さんしかいない」と思っていたから。
福島の方から「元宮古市長というだけの人がなぜ立候補したのか」という声が地元にあると聞いた。それではいけない。勝手連の一人として、「なぜ熊坂さんが立候補することになったか」を皆さんにお伝えするべく、熊坂さんにインタビューして記事を作りました。
熊坂さんを知るという「幸せ」をみなさんと、ぜひぜひ共有したい。
■ 梨畑の中で育った
河崎(以降河):熊坂さんは、福島生まれの福島育ちですよね。どんな少年時代だったんです?
熊坂(以降熊):ただのいたずらっ子ですね。魚捕りに夢中で。学校の行き帰りに「冒険」しようって、みんなで肥溜めに落ちたりして。
河:故郷の思い出と言えば?
熊:梨畑の学徒動員ですね。
河:学徒動員?
熊:僕は、野田中学校の隣ですから、梨畑の中で育ったんです。中学校のころはね農家に3日間配属になって昆虫になるんです。
河:昆虫ですか?
熊:梨の花が咲く頃になると、花粉をくっつけてく、人工授粉をするんですね。3日間ずーっと。それで、農家のおじさんが「サボったかどうかは秋になると結果出るんだがんない(方言)」っていうので、必死でやりました。でもちょっとはさぼったから、秋になるのが怖かった。梨は大好きだけど、あの時は梨畑がちょっと怖かったですね。
河:梨が好きだから。二人の娘さんの名前に梨の字を入れたんでしたね。
熊:そうです。果物王国福島の生まれが誇りです。
■ 岩手県で医師として開業
河:岩手県で医師として開業されますが、どんな理由だったんですか。
熊:弘前大学で研究生活をしていたのですが、二人の後輩への博士論文の指導が一段落したので、臨床医として妻の実家のある宮古に行くことにしたということです。結婚が早くて、僕が学生だったときに子どもが生まれたりして、裁判所の職員だった彼女には仕事と子育てで苦労させたので、福島に戻ろうかと思ったんですけど、彼女の古里がいいかなと思って。
河:はじめて聞きました。伸子さんを頼りにされてきた感じですね。
熊:そうですね。う~ん、お金の苦労もさせたと思います。宮古で開業するまでは、本当に、お金がなかったですね。もちろん今も、とても頼りになるパートナーです。彼女も助役や教育長をやりましたので、地方自治には詳しい。ちなみに東北大学で地方自治体の政策評価の研究で博士号をとりました。
■ 自治体間競争ではなく連携の時代へ
河:41歳で市長に立候補して、初めは落選されました。45歳で当時東北で一番若い市長となりましたね。
熊:そうです。落選したときは奮起して、2回目の時は宮古市内をくまなく挨拶回りしました。
河:全戸ですか?
熊:当然です。首長の務めだと思います、直接市民とお話するのは。
河:市長時代の思い出は何が印象的ですか
熊:市町村合併ですね。私が市長だった2000年前後は自治体間競争が盛んで、隣の市町村と行政改革やサービスを競うのが当たり前という雰囲気だったけど、合併の合意形成というのは血のにじむような道のりなんです。辛いエピソードは語りつくせません。やってきたから言えることだけれど、今はもう競争じゃなくて連携の時代。合併して競う必要はない。少子高齢化や復興に向けて市町村は連携を本気で考える必要があります。
■ 立候補表明の理由
河:岩手で暮らしていた人が、どうして福島の県知事になるのって言う声があります。ぜひ、出馬に際してのお気持ちを聞かせてください
熊:どうしていいか分からない、ということになっていることが分かったから、ですね。
河:どういうことですか?
熊:「よりそいホットライン」には、毎日被災3県だけで1千件は電話がかかってくる。相談内容の報告を聞くとね、福島は他の県と全然違うんです。ショックでした。自分は見えているつもりで何も見えていなかったと思いました。
河:どんな相談内容なのですか?
熊:相談員に聞くとね、「回答がない相談なのだ」といいます。死別の悲しみというのは、被災地全域でありますよね。それにも答えはないけれど、福島では「子どもたちは安全なのか?」という相談があります。答えがありますか?「どうして、道一つ隔てた家と賠償額が違うのか」という相談があります。「いつ家に帰れるのだろうか」という声があります。相談を受ける側が何もできない悩みが、あまりに多かったです。こうなったらね、政治が解決するしかないんです。もう、宮古にはいられないと思いました。
河:政治が解決するとは?
熊:国でも自治体のトップでもいい、そういう立場の者が、現行法に縛られず「特例」を作って、市民の訴えに応える道をつけるということです。そういう政治的な決断が必要なんだということです。首長の最大の使命は「決断」なんです。
河:熊坂さんはそうしたいと思われた。
熊:思いました。自分の古里ですから。誰もなんとかしてくれないなら、私はやり方を知っていますから。私がやるしかないと思いましたよ。今までの県政にもいいところはあるとは思います。しかし、「回答のない」悩みや苦しみをこんなに県民が抱えていいはずがない。「モルモット」の様な気がすると、県民に言わせるような政策を続けてはいけない。「よりそいホットライン」への相談は匿名だからこそかかってくるので、表立ってはこういう声は届いていないんじゃないだろうかと思いました。
河:「モルモット」? そんな相談があったのですか?
熊:そうですね、検診のやり方についてでしたね。
河:熊坂さんならどう変えていける、とお思いですか?
熊:政策は発表しましたので、まずはそれを見てもらえればと思いますけど、要するに、今のみんなの「もやもやした気持ち」をひるまずに言葉にして、タブーをなくして、正直に放射能被害に取り組もう、ということだと思っています。そして、孤立、県民間の分断、これを何とかしないと。僕は福島で生まれました。福島県人として、今県民が抱えている課題に息長く取り組んで、福島で死のうと思っています。
河:その決意が、福島の皆さんに伝わるよう、がんばってください。僕を含めてたくさんの県外の人も勝手連で応援していますから。
熊:ありがとうございます。必ず本当のことは伝わると思っています。福島に起きたことは、日本全国どこでも起きます。誰にとっても明日は我が身なんです。日本中にそれに気づいてもらうための警鐘を鳴らす必要もあると思います。
河:勝手連もそう思って作ったのです。明日は我が身、ということを全国に伝えたいですね。今日はお忙しいところありがとうございました。期待しています!
熊:ありがとうございました。
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