佐々木公哉 さんブログより転載
「風の電話」~電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノート 天と繋がる電話 「311東日本大震災」
津波で大きな被害を受けた、「風の電話」というのが岩手県大槌町吉里吉里地区にあります。海辺の高台にひっそりとたたずんでいます。
風の電話を設置したのは、庭師の佐々木格さんです。
亡くなった人たちと心を通わせることができる場をつくりたいと、震災から1か月後、自宅の庭に電話ボックスを置きました。
電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノートです。
この「風の電話」の線は、実際はどこにも繋がっていません。繋がっているとすれば「天」なのかもしれません。
亡き人とつなぐ 「風の電話」です。亡くなった家族や友人と、もう一度話をしたい。そんな思いを抱える人たちが、これまでに延べ1万人以上訪れています。
訪れる人たちは、今は会えない大切な人と会話をします。
会話を終えると、ノートに思いをつづります。
「亡くなった家族や友人と、もう一度話をしたい。」
そんな思いを抱える人たちが、これまでにのべ1万人以上訪れています
亡き人とつなぐ “風の電話”ボックスなんです。
僕も一度行ってみた事があります。高台にあってそこには、色々な花が植えられてベンチもあり小さな公園のようです。僕が行った時は3人ぐらい、電話の近くに遺族と思われる人がいました。とても、静かなところです。
ボックスに人がいなくなってから入ってのノートをみました。色々な思いが書かれていて、涙が・・・。
NHKのおはよう日本で「風の電話」2014年7月18日(金)に放送され、再放送10月半ば頃だったと思います。にこの前BSで再放送されていました。
その放送から抜粋させていただきます。
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【亡き人とつなぐ~「風の電」】
「阿部アナウンサー」ー(岩手県大槌町に近い、遠野市出身)
こちらは、被災地に置かれている電話ボックスで、『風の電話』と呼ばれています。亡くなった家族や友人と、もう一度話をしたい。
そんな思いを抱える人たちが、これまでにのべ1万人以上訪れています。」
鈴木アナが取材しました。
「この『風の電話』に訪れる人たちを取材しました。」
◆亡き人とつなぐ “風の電話”
津波で大きな被害を受けた、岩手県大槌町。
風の電話は、海辺の高台にひっそりとたたずんでいます。
電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノート。 訪れる人たちは、今は会えない大切な人と会話をします。
会話を終えると、ノートに思いをつづります。
イメージ 5男性;「友達というか、仲間というか、まだ見つからない人がいまして。どうしているかなと。」
女性:「私は息子を亡くしてね。何年たっても忘れることができなくて。」
風の電話を設置した、庭師の佐々木格(ささき・いたる)さんです。
亡くなった人たちと心を通わせることができる場をつくりたいと、震災から1か月後、自宅の庭に電話ボックスを置きました。
“会いたくて、会いたくて、声が聞きたくて来てみました。
もう痛くないよね、苦しくないよね。” “まごちゃんが3人になったよ。
かあさんにおふろに入れてもらいたかったよ。
いろいろ聞きたいことあるんだ…。”
ノートにつづられているのは、風の電話がつないだ大切な人との会話です。
佐々木格さんは「亡くなった方の思いもわかりたいと思うでしょうし、自分
自身も伝えたいことがいっぱいあったと思うし。心の中の重圧、それを半分はこの電話に置いていってくださいと。」と語ります。
この日、風の電話を初めて訪れた人がいました。友人が見守る中、電話ボックスに入った女性。
最後まで受話器を手にすることができずにいました。
東谷陽子さん
「電話には、手をとることはちょっとちゅうちょしたんですけど、できなかったですね。」
「難しかったですか?」
東谷陽子さん
「やっぱりあの日に戻りますからね。」
風の電話を訪れた東谷陽子(あずまや・ようこ)さんです。
津波で自宅は被災しましたが、かろうじて命をつなぎとめました。しかし、近所に住む兄の忠廣(ただひろ)さんは、津波にのまれて亡くなりました。
悩みごとがあるといつも電話で相談できる、たった1人の兄妹でした。
震災から3年以上が過ぎた今も、兄の遺影を置くことができずいます。
東谷陽子さん
「ある日突然、心の整理がつかないうちにいなくなったっていうのがあるから、遺影はかざれないですね。」
震災後、2人の孫が生まれた東谷さん。
今は孫が生きる支えになっています。
いつかもう一度、風の電話を訪ね、兄と向き合いたいと考えています。
「どんな思いで亡くなったんだろうなとか、怖かったんだろうなとか思うと、ほんとうに切ないんですけど、でもやっぱりがんばって生きないと(兄に)申し訳ない。」
風の電話を訪れようと、名古屋からやってきた人がいます。鶴島道子(つるしま・みちこ)さんです。 陸前高田市で被災し、夫を亡くしました。
震災後、名古屋に避難しましたが、いつかは夫と暮らした陸前高田に戻りたいと考えてきました。 3年が過ぎた今、その思いが揺れています。
鶴島道子さん
「いろいろと迷う。あっち(名古屋)はあっちでなれてきたというのもあるし、あっちで新しくつながってきている人たちもいるし。」
今、改めて、夫と話がしたい。鶴島さんは電話ボックスに入りました。
「“今、すごい悩んでいるんだ、パパが生きていれば陸前高田にいたのに”。なかなか自分のことを吐露することはないんですけど。」
▼鶴島さんが夫とかわした言葉。
“どこで今後、暮らせばよいかわかりません。”
亡くなった大切な人との会話をつなぐ風の電話。今日も静かに訪れる人を待っています。
鈴木アナ
「この風の電話に訪れた人たちに話を聞きますと、『震災から時間がたち、みんなで復興に向けて進んでいこうとする中で、自分だけが取り残されていくような不安にかられている』、こういった声が数多くあったということです。」
阿部アナ
「それだけに、大切な人を亡くした人たちが、胸の内を明かすことのできる場所がより大切になってきているということなんでしょうね。」
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2014/07/0718.html
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311東日本大震災の行方不明者は、今も2014/10/10現在:死者 15889人、行方不明 2601人です。今、思っても膨大な人数です。
それから、3年7ヶ月以上経過して。ご遺族の気持ちは色々だとおもいます。
『風の電話』に訪れる人たちは、どんなに辛い思いをしてるのでしょうか。
亡くなった方々の遺族も、完全に踏ん切りを付けているつもりの人はいないでしょう。
また、行方不明の遺族はもっと辛い思いをしているとおもいます。
※ブログ「被災地漁師の声~東日本大震災津波」2014年10月31日 2014/10/31(金)
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/63318463.html
骨の欠片でも帰ってきて欲しいと願ってるはずです。