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自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について

2014-10-10 21:59:02 | 日記

転載

自由主義者の「イスラーム国」論~あるいは中田考「先輩」について

10月7日のニュースウォッチ9で使われたコメントはほんの1行だけでしたが、この日報じられた二つの事案に関連したコメントとしてはこれだけで十分でしょう。

NHKニュースウォッチ9_10月7日

このキャプチャ画面(おでこが保守系政治家並みにテカってるのはブラインドの隙間から西日が当たっているから。カメラマンがすごく気にしていましたが、時間がないので続行しました)はコメントの後段部分ですが、この前に、日本には、イスラーム国、あるいはイスラーム教一般に対して、社会の周縁や、文科系知識人の間でのぼんやりとした流行として、自らの不満や願望を投影して勘違いして賛同・共鳴・期待する動きがサブカル的にあり(もちろん膨大な世間一般保守層にとっては単に印象が劣悪なんだろうけど)、そういった経路で情報を仕入れた、現実をよく知らずにそれぞれの特殊な不満を持っている人が、打ちどころが悪くて武器をもって参加してしまう例は今後も出るだろう、という旨を語ってあります(実際にはもうちょっと言葉を選んで婉曲かつ厳密にしゃべっていますけれども、まあ真意はこうであるということはまともな人には分かるでしょう)。

おそらく今後五月雨式に出てくる事例のほうが、今回のものより、影響も、主体の意図や能力においても、深刻なものになるでしょう。

翌日付でNHKのホームページに特集を文字で再現したものが掲載されています。

7日の放送は録画してありますがきちんと対照させる時間がないので正確には分かりませんが、ホームページのものはおそらく放送されたニュース特集で時間の関係で盛り込めなかった部分をごくわずか補ったものでしょう。私のコメントについても、放送された部分と若干異なっているかもしれませんが、包括的にコメントを出してあるので、私がしゃべった部分であることは確かです。

このニュース特集については、7日に少し書きましたが、9月29日に収録したもので、26歳の北大生がイスラーム国への参加を図って取り調べを受けた件の発覚する以前に話したものです。一般論・理論的な話をしたものの一部です。

元来は、このニュース番組でも少し取り上げられた別の26歳の男性(U氏)がシリアの武装勢力に参加したという件を軸に、日本人がもし「イスラーム国」に加わっていた場合、それが何を意味するのか、どのような国際的影響が考えられるのかなどを課題にするはずであった(少なくとも私に対してはそのような設問で取材をし、コメントを収録した)のですが、その後の新たな事件の発生や、放送時間を制約する別のニュースの出現が相次いだことで、放送される量が変わり、重点を置かれる論点も若干変わっていったのかもしれないと推測します。

なお、私自身はU氏のインタビューや発言内容を知らされずにコメントをしており、U氏の行動や発言そのものを分析をしたものではありません。しかし私が思想史と中東研究の経験から類推して提示した、日本側の参加者の人物類型や思想傾向、シリア側の武装勢力の状況や受け入れ態勢を、ほとんどそのままU氏が語っていました。双方の状況において、典型的なケースと思います。

なお、この特集と私のコメントは有為転変を経ております(先日ちょっと書きましたが)。9月23日に電話で取材を受けて詳細に問題の構図を伝えており、その後私のコメント内容を打ち合わせたうえで9月29日の収録となったわけですが、27日の御岳山噴火の影響で、いつこの問題を放送できるかが分からなくなり、お蔵入りしかけていました。それが、10月6日に発覚した「イスラーム国」への参加希望学生の問題の浮上で、急遽これについての報道と抱き合わせで7時のニュースで一部の素材を使うことにしたようです。

しかし、ご案内の通り、10月7日夕方には「日本人(日系アメリカ人含む)3人ノーベル物理学賞受賞」という、全てを上回るメガトン級のニュースが落ちてきて、まず7時のニュースは特別編成になり、私のコメント部分は省略(ついでに7時30分からの牧原出先生のクローズアップ現代・公文書管理特集も飛んでしまったようです・・・先端研受難の日。こちらは日を改めて放送されるようですので期待しましょう)。

9時からのニュース番組に移されたものの、「イスラーム国」参加希望北大生と、顔も名前も出していいという、別の武装集団に参加して帰ってきた26歳の男性の両方についての映像や本人の発言が長い時間をかけて流れる中で、問題の全体像を包括的に語った私のコメントのうち、放送されたのはほんの一瞬だけとなりました。しかし重ねて言いますが、この二人についてのみ取り上げるならば、放送されたコメントの部分だけで十分と思います。

U氏については、実名で顔を出して、その主張がかなり長く放送されました。売名行為・承認欲求を満たす場になりかねないので、極めて浅く未熟な行動とその理由づけの論理を、NHKニュースで流すことには弊害もあると思います。しかしこういった人々が現実に社会の中にいることを伝えたという意味で、メディアの役割は果たしたと言えるのではないかと思います。ある考えが報じられるということはそれが正しいということを意味しない、そもそも正しいと認定する主体は存在しない(少なくともNHKではない)という、最低限のメディア・リテラシーさえあれば、見紛うことのない映像であったと思います。

一昔前の、父権主義的な制約と配慮が多く加味されたニュース番組であれば、「本人が自分がやっていることの意味を深く分かっていないのではないか」「社会に知らせれば本人の将来のためにもならず、社会不安も生じさせるのではないか」といった様々な配慮から、U氏の発言はほとんど報じられず、顔も名前も伏せられたかもしれません。

しかし、現在の日本は自由な社会なので、法の範囲内で、自由にものを考えて発言することはまさに自由であり、本人が同意の上で公言したこと、やってしまったことを報じられて、それによってその後の人生に不利益をこうむることもまた自由です。自由主義社会とは愚行を犯す権利を認める社会であり、それによってもたらされる不利益を自らが担う義務を負うという条件の下で、今回の二人はそれを行使したということであると考えています。

北大生については顔と名前が伏せられていますが、これは今現在捜査中で立件されるか否かが不分明であることと、本人の発言の不明瞭さの次元がより著しいため、公開することがふさわしいか否かの判断が留保されたものと推測しています。U氏の場合は、発言の表面上の矛盾がより少なく、コメンテーターや評論家が流している程度のずさんさの社会批判であるため、それがなぜシリアでの戦闘と結びつくかにおいて飛躍が著しいものの、顔と実名を出して発言が報じられたものと考えられます。

そのような愚行をNHKの公共の電波がニュースとして流すか否かという問題に関して、重要なのは客観視・相対化する視点を番組が備えているかです。それを私のコメントが果たしたのかもしれません。ただし私はU氏の行動の詳細や発言映像を見ずにコメントしていますので、本来ならコメンテーターあるいはキャスターが加えるべき批判的・相対的・批評的な言及を、具体的にU氏の発言や行動に関して行ったわけではありません。その意味では、若干足りないところがある番組構成であったと思います。

ただし、私の事前コメントで想定した人物類型と関与形態であったため、実質的には客観視・相対化・批判的言及を行なった形になりました。

なお、この報道では二点の極めて重要な情報に触れられていません。①U氏が元自衛官であること、②U氏が加わった武装集団の名前。

①については、自衛隊出身者が海外で勝手に紛争に参加したことが政争の的になりかねないことが配慮されたのかもしれません。しかしU氏がなぜ武装集団に受け入れられたか、という点を見る際に、この情報があるのとないのとでは全く異なります。この点、毎日新聞の報道は有益でした。

「シリア:戦闘に元自衛官 けがで帰国「政治・思想的信条なし」」『毎日新聞』2014年10月09日 東京夕刊


②はその武装集団が、後にアル=カーイダあるいは「イスラーム国」といった国際的に、特に米国によってテロ組織認定を受けている組織に統合されている可能性が考えられます。

確証がないのでここでは名前を挙げませんが、おそらくU氏は、アレッポ北方・トルコとの国境近くのアザーズで勢力を保っていた組織に加わったのではないかと思います。その当時は独立していたが、その後合併あるいはより強い勢力による征服で異なる組織の傘下に入り、結果として上部勢力の指導部が「イスラーム国」に忠誠を誓う表明を行ったとみられています。

直接・同時期ではないにせよU氏が「国際テロ組織」の傘下に後に入る組織に加わっていたことになれば、北大生の場合以上に、「私戦」を行なったとして刑法上の疑義も生じかねず、そのような人物の体験談と主張を放送することがふさわしいかという問題になり得るが故に武装勢力の名前を言及するのを本人が避けたあるいはNHKが報じなかったのではないかと推測しています。これらは私の研究者としての推測で、NHKからは何も説明を受けていません(問うてもいません)。

そもそもこういった現地の複雑な情勢を理解できる人たちが番組を作っているかどうかも定かでなく、単によく分からなかったから報じなかった可能性もあります。また、本人が明確に武装集団の名前を覚えていないか発音できないといった可能性もあり得ます。

確かにこれらは厄介な問題ですが、こういった側面もテレビ局が報じることができ、かつ知識人も政治家も、感情論や表層的なこじつけによる、短絡的な政争の議論に持ち込むのでなく、本質的な政治問題として分析したうえで議論できるようになれば、日本も真の意味での近代の自由社会になったと言えると思います。それができないうちは、補助輪付きの自由にとどまると言っていいでしょう。

単に「NHKは自主規制・配慮するな」という問題ではなく、それを受け止める成熟した知性が社会に存在するか、というところがより本質的な問題であると思います。メディアはその国の市民社会の程度を反映したものにしかなりえないのです。

また、この段階では顔と名前が出ていませんでしたが、元同志社大学神学部教授の中田考氏の関与をめぐる捜索についても番組では取り上げられていました。

中田考氏は東京大学文学部イスラム学科という、日本の大学の中では稀な学科の一期生です。1982年設立と歴史も新しく、3年時にこの学科を選んで進学してくる者の数も極めて少数に限られています(2人か、1人か、0人か、というのが通例と思われます。あと学士入学・修士からの入学者がそれ以上にいます)。

実は私もまたこの学科を卒業しており、1994年に進学しているので、一回り下の後輩ということになります(なんでこの学科に入ったかはココで)。私自身は大学院は地域研究に移っており、1・2年の教養学部においてもイスラム思想以外のさまざまな学問に触れており(そもそも家庭教育で全然別のことを仕込まれていた)、イスラム学のみを自分の学問の基礎とはしておりませんが、同時に最も重要な学部3・4年を過ごしたことから、今に至るまで強い影響を受けてきたと自覚しています。この学科の一期生が、このような形で脚光を浴びるに至ったことには、卒業生として他人事とは見ていられず、世間一般にとっては奇異・不可解にのみ見えかねない状況を少しでも理解しやすくしておきたいという気持ちがあります。

この学科は歴代の卒業生を合わせてもそれほどの数ではなく、特に一期生は、業界内ではいろいろな意味で目立つ人たちであり、学生時代から意識せざるを得なかったことから、中田考氏についてはその人となりと思想・行動を私なりに理解しているつもりです。

いくつか言えることを記すと、まず、彼は顔を隠したり、思想や実際に行った行動について問われて否定することはないだろう、ということです。彼にとっては、「アッラーの教えに従った正しいこと」をしていると信じているがゆえに、「無知な異教徒」に積極的に話す必要はないが、問われれば話してもいい、ということであろうと思います。現にその後顔と名前を出したインタビュー記事が表に出るようになっています。

中田氏自身は日本の刑法に明確に触れるようなことはしていないと思いますが、ジハードによる武装闘争をシリアで行うことには強く賛同していると見られます。「イスラーム国」についてはその手法の一部が適切ではないと批判していますが、イスラーム法学的に明確に違法とまでは言えないと解釈しいるようであり、その存在を肯定的に見て、接触を図っていることは、公言している通り、おそらく事実であると思われます

そのことだけでも、日本の法制度では「私戦」の予備あるいは陰謀に関与したととらえられる可能性が、法の解釈と適用の裁量如何ではあり得るものであり、そのことも、現在の中田氏は自覚していると思います。日本の刑法の存在と実際の効力は認めているものの、本人の思想によって超越的な視点から日本の刑法の価値を(「永遠の相の下では」)限定的(あるいは無価値)と捉えているため、刑に問われる可能性を認識しつつ、それほど意に介していないのではないかと思われます。

ただし2014年9月24日の国連安保理決議で「イスラーム国」への支援を阻止することが各国に義務付けられる以前には、この規定の適用によって「イスラーム国」への支援・参加を処罰することが現実的にあり得ると周知されていたわけではありません。死文化していたこの条文を適用して公判維持が可能なほどの犯罪事実を、9月24日から10月6日までの間に中田考氏が行ない得ていたかどうかを考えると、そのようなことはなかろうとかなり確信を持って言えます。

ジハードに関する中田考氏の立場は、イスラーム世界の中で、少なくともアラブ世界においては、さほど極端な意見ではなく、一つの有力な考え方であると見られます。ただし実際に実践することができる人はそれほど多くないとされる立場です。尊重されるが必ずしも多くによって実践されることのない、アラブ世界において一定の有効性を保っている思想を、ほぼそのままの形で日本に伝えてくれるという点で、中田考氏は貴重な存在です。日本向けに、日本社会に受け入れられることを主眼として、現実のアラブ世界ではさほど通用していない議論を「真のイスラーム」として発言する方が、長期的には認識と対処策を誤らせると考えます。

「イスラームは平和の宗教だ、対話せよ、共生せよ」といった議論を表向き行なっている人物が、学界の権力・権威主義・コネクションを背景に、気に入らない相手に公衆の面前で暴力をふるうに及ぶ(そして高い地位にある教授のほぼすべてが一堂に会しておりながら黙認して問わない)、といった事例さえ複数回体験している私にとっては、中田考氏はからは、現世的な意味での権威主義を嫌い、暴力を忌避する、温和で、概して公正な人物であるという印象を受けます。その評価は、この事件に関する報道を見た上でも、変わっていません。

ただし、いくら現実が欺瞞に満ちたものであり、浅薄で劣悪な人間が世にはびこっているとしても、それに対抗して別の世界から何か絶対的な超越的な価値基準を持ってきてそれを当てはめて現実を全否定しても、自己満足以外に得るものはあまりないと私は考えています。

中田氏の日常・対人関係における穏和さは、イスラーム教によって示された真理を自分が知っているという確信から来るものであるため、「それを知らない・知ろうとしない異教徒」である私に対しては、別種の超越的な権威主義をもって接してくるため、かなり遠い過去に何度かあった会話の機会において、それほど話が通じたとは思いません。(そもそもまともに話したのはかなり若い時であり、年齢や研究者としての経験が違い過ぎたという事情もありました。また、イスラーム法学者としての聖典・法学解釈の運用能力を普遍的に価値的に優越したものととらえる中田氏からは、私の議論はそもそも前提としてなんら評価に値しないといった理由もあります)。

そして、中田氏の宗教信仰からもたらされる政治規範では、異教徒にはイスラーム教徒よりも制限された権利が与えられ、その価値を一段劣るものとして認定され、その立場と価値基準を受け入れる限りにおいて生存が許されることになっており、それを受け入れることは自由主義の原則の放棄を意味し、近代的な社会の崩壊を容認するに等しいと考えており、私は強く反対しています。

しかし立場が異なる人々の思想を、それが他者への危害を加えない範囲であれば認めるのが近代の自由主義の原則です。中田氏の思想に内包する危険性を認識しつつ、それを日本において実効的に他者に対して強制する機会が現れない段階では、中田氏の思想表現に規制をかける正当性は、自由主義社会の原則に照らせば、ないと考えています(そもそも人の頭の中身は外から規制できませんが)。そのことは中田氏の思想そのものを真理であるとか優越したものであると私が認めているということではありません。

イスラーム思想研究者としては、中田氏はまったく異なる見地から私と同じものを見ているということではないかと考えています。もちろん、中田氏の方では私がイスラーム教を日本の言説空間に紹介する際に「正直に話している」という点においては一定の評価をしつつ、(アッラーの下した唯一絶対の真理を認識することができないという意味で)「無知である」と認識しておられ、そもそもそのような「無知(超越的な視点からの)」であるにもかかわらずイスラーム教について発言することが本来(超越的な視点から)は許されないことであると考えていることを、いくつかのインターネット上の発言などから見知っています。中田氏の立場からは論理的必然としてそのような認識になることを私は理解しており、私の発言を実効的に制約したり物理的危害を加えることを自ら行うか教唆したりしない限りにおいては、表現の自由の範囲内であろうと考えています(受け取る人が中田氏の真意や思想体系を理解しておらず、中田氏の私に対する批判を異なる目的のために利用することは困ったことだとは考えていますが、基本的にそれは受け取って利用する人の理解力や品性の問題であると考えています。誤解による利用に中田氏がまったく責がないとも無意識・無垢であるとも思いませんが・・・)。

中田氏は、今回の事案を受けてのさまざまなインタビューでおそらく公に認めていることではないかと思いますが(活字になっているかどうかは別として)、正しい目的のためのジハードで軍事的に戦うことは正しい行いであり、そのような行いを目指す人物が自分を頼ってきたときにはできるだけの手助けをする、という信念を持ち実際にその手助けを行なっているものと思われます。これは、アラブ世界で(あるいはより広いイスラーム世界で)非常に多くの人が抱いており、可能であれば実践しようとしている考えであり、だからこそ国家間の取り決めによるグローバル・ジハード包囲網に効果が薄く、「イスラーム国」あるいはそれと競合する諸武装勢力への、多様なムスリム個々人による自発的な支援や参加が有効に阻止できていないのだと思います。

中田考氏が「イスラーム国」のリクルート組織の一員か?と問われれば、私は捜査機関ではなく、個人的に付き合いもないので本当のところは調べようがないのですが、イスラーム政治思想を研究し、グローバル・ジハード現象を研究してきた立場からは、「中田氏は組織の一員とは言えない」と推論します。

その理由は、中田氏がジハードに不熱心だとか組織と意見が違うといったことではなく、そもそも「イスラーム国」やアル=カーイダは明確な組織をもたずに運動を展開しているからです。シリア・イラクの外で「イスラーム国」に共鳴している人物・集団のうち、中田氏に限らず、シリア・イラクの「イスラーム国」そのものとの組織的なつながりが実証されうる人物や集団は、ごく限られていると考えられます。

しかし共鳴した人物・集団がもし実際に国境を超えて「イスラーム国」に合流し武装闘争に有機的に統合されれば、紛れもなくその組織の一員となります。中田氏はおそらく年齢・体力的にもそれは困難で、本人がインタビュー等で認めているように、組織の一員の友人、あるいはその紹介で訪れた客人、という立場を超えることはおそらくなかったのではないか、と推測します。

中田考氏は、そもそも正しいことをしているという信念が前提にあるために、インタビュー等で実際の行動や意図を偽ることはないと思います。ただし、その行動や意図の「正しさ」の基準が、イスラーム法学であるために、日本の一般的な聞き手や読み手には、真意が測りがたく、場合よっては冗談か不真面目なウケ狙いの回答であるかのように見えてしまう場合もあるかと思います。また、イスラーム教を世界に広め、守ることを本分とするイスラーム法学者の役割に忠実であるため、異なる価値観が支配的な日本において、イスラーム教そのものへの強い批判や排斥を招きかねないと考える主張については、聞き手・読み手の誤解をあえて誘う立論を行なって関心を逸らす、あるいは肯定的な誤解をさせるということも、イスラーム教を広め守るための教義論争上のやむを得ない戦術として肯定しているのではないかと思われる節があり、日本の読み手が自らの論理や規範の範囲内で額面通りに受け取ることも、若干の危険性があるのではないかと危惧します。しかしそのような発言も自由の行使の範囲内であって、重要なのは、編集者や読み手が、発言の前提となる極めて異なる価値観(それはイスラーム世界では非常に支配的な価値観である)を認識した上で中田氏の意図を読み解くことであろうかと思います。

「イスラーム国」をはじめとしたグローバル・ジハードの諸運動については、「日本に組織ができたら危険だ」/「日本には組織がないから安全だ」という議論も、「あの人は組織に入っているからテロリストだ」/「組織に入っていないから無関係で無実だ」といった議論も、的を外しています。組織がないにもかかわらず、自発的に、一定数の支持者・共鳴者を動員できることにこそ、グローバル・ジハード運動の特徴があり、日本社会あるいはその他の社会にとっての危険性があります(それを支持する人にとっては「可能性」があります)。「イスラーム国」そのものにしても、複数の小集団のネットワーク的なつながりしかないものと考えています。イスラーム教の特定の理念、つまりカリフ制といった誰もが知る共通の理念の実現という目標を一つにしているからこそ、つながりのない諸集団がほぼ統一した行動を結果的に行っているものと考えています。

宗教者がテロを教唆したか否か、という問題には、人間の意志と行動との間の、非常に複雑で実証しがたい関係を含んでいます。

宗教者として一定の尊敬を集める人物が、例えば「ジハードに命をささげるのはアッラーに大きな報奨を受ける行為だ」と発言した場合、世界宗教であるイスラーム教の明文規定に支えられているために、信仰者あるいは異教徒のいずれの立場からもその発言を批判することは困難です。そして、このような一般的な発言を行なうことで、結果的に一定数の聞き手が武器を取って紛争地に赴き、状況によってはテロと国際社会から認定される行為を行うことは、一定の蓋然性をもって予測されます。しかし一般的な宗教的発言と受け手の行動との間に因果関係を実証することは容易ではなく、宗教者が意図を持って行った教唆として認定することも容易ではないため、法の支配の理念を堅持した法執行機関の適正な運用による対処を行なって実効性を得るには、困難が伴います。

分かりにくいと思いますが、この問題について、事情をよく分かっていないまま勘違いして発言・反応する人を含めた様々な人たちから揚げ足を取られないように書くには、このような書き方になります。

グローバル・ジハードへの動員は、日本では極めて小さな規模で、日本のサブカル的文脈でガラパゴス的な形で発生しています。しかし西欧社会では大規模な移民コミュニティを背景に、非常に大きな規模で、この「組織なき動員」が生じています。そのため、問題の対処は緊急性を帯び、かつ困難を極めています。

日本でも、やがてこの問題にもっと正面から向き合わなければならなくなると思います。

火山の噴火による多くの方々の死傷、日本出身者のノーベル賞受賞、いずれも重大なニュースです。しかし日本が将来に直面する問題の先触れとして、今回の、多くの人にとっては奇異なことばかりに見える「イスラーム国・その他武装勢力への参加希望者出現」という話題は、もしかすると、より重要な意味を持っているのではないかと思います。
 

安倍政権をどうとらえ、どう立ち向かうか BS11 志位委員長 縦横に語る

2014-10-10 17:52:40 | 災害

しんぶん赤旗     2014年10月10日(金)

安倍政権をどうとらえ、どう立ち向かうか

BS11 志位委員長 縦横に語る

 日本共産党の志位和夫委員長は8日夜放映のBS11「報道ライブ21」で、日米ガイドライン(軍事協力の指針)再改定の「中間報告」というホットなニュースから集団的自衛権問題、臨時国会での論戦と安倍内閣をどうみるか、アジアの平和体制の問題まで、質問に答えながら縦横に語りました。司会は露木茂氏、コメンテーターは早野透・桜美林大教授(元「朝日」コラムニスト)が務めました。


日米ガイドライン再改定――地球のどこでも日米共同作戦

 冒頭、露木氏が、日米両政府がこの日公表したガイドライン再改定に向けた「中間報告」について、「国会であんまり議論されていないのに、こういう話だけどんどん進んでいる」と問いかけました。

 志位氏は、「中間報告」が、ガイドラインに「7月1日の閣議決定を適切に反映する」としていることを指摘。「(集団的自衛権の行使容認問題は)『閣議決定』をやっただけで、国会での議論はわずかしかやっていません。何よりも国会で(具体化のための)何の法律も通っていません。そういう状態で、まずアメリカと事を進めてしまおうというやり方自体が、とんでもない政府の暴走です」と批判。そのうえで、「中間報告」には「二つの大きな問題がある」として、次のように指摘しました。

 志位 一つは、これまでの日米ガイドラインは、「周辺事態」のさいに日米が軍事共同をやるという枠がかかっていたんです。ところが今度は、「周辺事態」という地理的制約をとっぱらい、地球的規模で日米が共同して作戦をやれるようにしようと(露木「地球のどこでも」)。そう。どこでもです。

 もう一つは、これまでは日本の支援は、「後方地域支援」というふうになっていた。“「戦闘地域」でやってはいけません”という枠がかかっていたんですよ。これを、「後方地域支援」から「地域」を外して、「後方支援」という言葉に置き換えている。そうなってくると、たとえばアフガン戦争、イラク戦争のような戦争が起こったときに、今度は「戦闘地域」まで行って自衛隊が支援をやることになります。

 露木 つまり、弾薬や医薬品を運んできましたよと、戦闘地域までそういう形で入っていくことになると。

 志位 (「戦闘地域」に)入っていくことになる。そのときに相手から攻撃されたらどうするのかと国会で私たちもただしましたが、“武器の使用をやります”というのが首相の答弁なんです。武器の使用をやったら、さらに向こうから反撃され、戦闘になりますよ。

 つまり、米軍と自衛隊が文字通り地球のどこででも肩を並べて戦争をやろう――これが「中間報告」の方向になっている。

 露木 (今年の)暮れまでには、日米ガイドラインを改定するという約束ができているわけでしょう。

 志位 そうです。暮れまでに最終的な報告を取り決めてしまい、そのうえでその具体化のための法律を通そうという話になっている。国会を全部飛ばして、まず日米両政府で全部ことを決めてやってしまおうというやり方は、許すわけにいきません。

「地方創生」「女性活躍」――やっていることは地方切り捨て、非正規拡大

 臨時国会の話題に移り、露木氏が「この臨時国会では、どちらかというとマイルドな、各党があまり反対しようもないテーマを前面に並べていますが」と問いかけたのに対し、早野氏は「臨時国会で時間をかせいで、国会の外で大事なことは(日米で)やってしまおうという集団的自衛権の運び方が“けしからん”というのは志位さんのおっしゃるとおり」だと応じました。

 志位氏は、次のように発言しました。

 志位 「地方(創生)」や「女性(活躍)」の二つで(安倍政権が)実際にやっていることは何か。

 たとえば「地方創生」といいますが、地方経済を支えている中小企業に消費税増税をかぶせたうえ、外形標準課税の拡大で赤字の中小企業からも税を取り立てようという、実際には地方切り捨てをすすめています。

 「女性活躍」といっても、女性への差別、男女の格差にメスを入れようという姿勢がない。女性の2人に1人は非正規で働いていますが、そういう方々を正社員にしていくという方向ではなく、派遣法改悪で非正規をさらに増やしていくような全く逆のことをしています。

 そのうえで、志位氏は安倍内閣のやり方をつぎのように指摘し、たたかう決意を表明しました。

 志位 安倍政権は集団的自衛権の「閣議決定」を強行しましたが、国民の評判は大変悪く、怒りが広がっています。ですから、当面はこの集団的自衛権の問題は「冷蔵庫」の中に入れて、怒りがさめるのを待とうという作戦です。

 そうであるならば、その間に、国民の側は、逃げている相手(安倍政権)を大いに攻めて、追い詰め、「閣議決定」を撤回に追い込むような大きな運動を起こしていく必要があると思います。

安倍政権――暴走のたびに基盤を崩しつつある

 露木氏は「そういう批判があるなかで、実は安倍内閣の支持率は相変わらず高い」とのべ、安倍内閣をどうみるかがテーマに。

 志位氏は、「高支持率というが、それは過去のものになったのではないか」とズバリ。昨年12月の秘密保護法強行、今年4月の消費税増税強行、7月の集団的自衛権行使容認の「閣議決定」など、暴走のたびに支持率が下がり、基盤を崩しつつあり、「全体の傾向を見ればじりじり下がっている状況」だと指摘。「しかも集団的自衛権、消費税、原発再稼働など個々の問題をそれぞれみたら反対が多数です。ですから、一定の支持を保っているように見えるけど、大変もろいものだと思います」とのべました。露木氏も「個々のテーマに関しては、反対の方が多いんですよね」と応じました。

 このやりとりのなかで、露木氏が「こういうときだから、日本共産党への支持率がもう少し上がってもいい」と発言。早野氏も「野党のなかでは、志位さんの前だからいうわけじゃないけど、まあまあ(共産党は)善戦健闘しているという感じかな」と感想をのべました。

「女性が輝く」というなら、男女の格差、女性への差別をなくしてこそ

 安倍内閣が臨時国会で再提出した労働者派遣法改悪案が話題に。志位氏は「今度の労働者派遣法の改定は歴史的な改悪です」として、「生涯ハケン」を強いられることなどの問題点を指摘しました。

 そのうえで志位氏は、安倍政権が強調する「女性が輝く社会」との関係で、正社員でも女性の賃金は男性の7割にすぎないうえ、女性の5割以上が非正規で働いているため、全体では女性の賃金は男性の半分にすぎないという実態を指摘。世界経済フォーラムのジェンダーギャップ=「男女の格差指数」の調査でも、136の国のうち日本は105位と最低ランクとなっていることを示し、「男女の格差、女性の差別をなくしていく方向にいかなければ、(安倍首相が言う)『女性が輝く』ということにはならないのに、逆に非正規の方をどんどん増やしていくということになったら、ますます輝きづらい社会になってしまいます。言っていることとやっていることが全く逆です」と批判しました。

 また、5人の女性が閣僚に起用されたとの指摘に、志位氏は次のようにのべました。

 志位 辛いことを言いますが、5人のうち3人が、「日本会議」国会議員懇談会のメンバーなんです。「日本会議」というのは、過去の侵略戦争を肯定・美化するので有名なんですが、夫婦別姓や男女共同参画にも反対しています。そういう人たちが大臣になることを、ただ女性だからよしとしていいのか。そのことがきびしく問われています。

日本共産党の躍進こそ、いまの野党状況を前向きに打開する力となる

 「他の野党との国政での選挙協力は」の質問に、志位氏は、「(国政選挙では)国政の基本問題で政策の一致が必要ですが、集団的自衛権、消費税、原発、沖縄新基地など緊急の課題でも、他の野党との一致がない。独自にたたかい、躍進をめざします」ときっぱり表明しました。

 同時に、11月投票の沖縄県知事選では、名護市辺野古への米軍新基地建設反対、普天間基地の閉鎖・撤去などの一致点で、保守・革新の枠組みを超えてオナガ雄志(たけし)さんを共同で推していることを紹介し、「こういう共闘は大事にしていきたい」と強調しました。

 さらに、いまの野党状況をどう打開するかについて、次のように発言しました。

 志位 いまの野党の状況を前向きに打開していく力は何かといったら、共産党がもっと躍進することです。昨年の都議選、参院選で始まった躍進を、一過性のものにしないで、いっせい地方選挙、総選挙でも躍進を本格的な流れにしていく。このことによって、野党状況にも変化が出てくると思います。

 かつて1970年代に共産党が躍進したさいには、当時の公明党でさえ、一時期は日米安保条約即時廃棄といったんです。そういうふうに、共産党が躍進することで、日本の政治をリードしていきたいと思います。

アジア政党国際会議――「宣言」に党の提案が実る

 露木氏は、スリランカのコロンボで開かれたアジア政党国際会議(9月18~20日)に29カ国、75政党の代表が集まり、志位委員長も出席したことについて質問しました。

 志位氏は、日本共産党の二つの提案が同会議の「コロンボ宣言」に盛り込まれたと紹介。一つは、東南アジア諸国連合(ASEAN)のような平和協力の枠組みを北東アジアも含めて全アジア規模に広げようということ、もう一つは、核兵器禁止条約の速やかな交渉開始を世界に呼びかけるというものです。「これは事前にも提案をし、発言でもこの趣旨を述べ、それが『コロンボ宣言』に入ったので大変喜んでいるんですが、ぜひこういう活動も活発にやっていきたい」と語りました。


放射性物質濃度が急上昇 第一原発井戸、台風の大雨影響か

2014-10-10 14:08:36 | 原発

福島民報より転載

放射性物質濃度が急上昇 第一原発井戸、台風の大雨影響か

 東京電力は8日、福島第一原発で昨年8月に約300トンの汚染水漏れが発覚したタンクの近くに設置した井戸1カ所で、地下水からストロンチウムなどのベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり1万4000ベクレル検出され、前回採取した3日と比べ21倍に上昇したと発表した。東電は「台風の大雨によって、地下水に何らかの影響が出たと考える」と話している。
 東電によると、このタンクの近くには地下水観測用の井戸が計13カ所設置されている。別の井戸1カ所でも7日に採取した地下水からベータ線を出す放射性物質が同9万5000ベクレル検出され、濃度は前回5日の130倍以上に上昇した。
 ただ、それ以外の井戸11カ所で採取された地下水の放射性物質濃度に大きな上昇は見られないという。

(2014/10/10 11:44)


東京電力や国が隠そうとし、絶対に知られたくないのは、六ヶ所再処理工場の危険性である!ど~ん!

2014-10-10 08:53:29 | 原発

ウィンザー通信より転載

東京電力や国が隠そうとし、絶対に知られたくないのは、六ヶ所再処理工場の危険性である!ど~ん!

2012年08月15日 | 日本とわたし


東京電力が隠そうとし、絶対に知られたくないのは、六ヶ所再処理工場の危険性である。
この使用済み核燃料とは別に、240立方メートルという大量の高レベル放射性廃液が、六ヶ所タンクに貯蔵されている。
この廃液は、全国に降り積もった放射性物質とは、危険性のレベルがまったく違う。
液体であるため、絶えず冷却し続けなければならない超危険な物体であるため、
もし冷却用のパイプが地震で破断したり、津波による停電が起こったりすれば、たちまち沸騰して爆発する大事故となる。
そのほんの一部が漏れただけで、北海道から東北地方の全域が廃墟になるほどの、大惨事になることが分っている。
なぜこのように不安定で危険な液体が、タンクに保管されているかといえば、
再処理工場を運転する日本原燃が、この液体をガラスと混ぜて固体にし、安全に保管する計画だったが、
そのガラス固化に完全に失敗したため、再処理が行き詰まってまったく操業不能に陥り、仕方なくそうなっているのである。


【広瀬隆】


「福島市も郡山市もとてもじゃないが避難させられん。将来奴らは集団訴訟とかするんやろなあ」上昌広氏

2014-10-10 08:33:28 | 原発

 ウィンザー通信より断裁

「福島市も郡山市もとてもじゃないが避難させられん。将来奴らは集団訴訟とかするんやろなあ」上昌広氏

2013年10月13日 | 日本とわたし
この記事は、今年のはじめ、1月30日に発表されたものです。
当時この記事を読んで、あまりのことに、ここに載せることもできずにいました。

書かはったのは、木村知さんとおっしゃる医学博士。

まず、木村氏についての紹介を、ここに載せさせてもらいます。

木村 知(きむら とも) 
有限会社『T&Jメディカル・ソリューションズ』代表取締役 
AFP(日本FP協会認定) 医学博士 
1968年・カナダ国オタワ生まれ。
大学病院で、一般消化器外科医として診療しつつ、クリニカルパスなど、医療現場でのクオリティマネージメントにつき研究中、
2004年、大学側の意向を受け退職。
以後、「総合臨床医」として「年中無休クリニック」を中心に、地域医療に携わるかたわら、看護師向け書籍の監修など、執筆活動を行う。
AFP認定者として、医療現場でのミクロな視点から、医療経済についても研究中。
著書に、「医者とラーメン屋-『本当に満足できる病院』の新常識」(文芸社)。

↓以下、転載はじめ

『原発事故被害地おける、医師らによる「被曝調査活動」の本質』
【T&Jメディカル・ソリューションズ】1/30/2013

福島第一原発事故により、放射能汚染された地域では、
福島県立医大、弘前大、長崎大、東大などの医師らが、住民の被曝調査活動を行っている。
医師らによる、住民に対するこうした調査活動は、一見「人道的活動」にも見えるが、
その本質を十分に見極めないと、後々、大きな禍根を遺すことにもなりかねない。

特に、東大医科学研究所が主体となって、浜通りで展開されている「活動」については、
不審な点が多く、今後、十分監視していかねばならない
、と考えている。

一昨年10月、南相馬市において、住民の被曝による危険を、いち早く注意喚起し、
南相馬市長をはじめ、他の南相馬市議が、積極的注意喚起行動をとらないなか、
孤軍奮闘されてきた、大山こういち市議と連絡をとるようになってから、
私は一層、東大による被曝調査活動に対し、疑念を抱くこととなり、
彼らの活動、言動についての矛盾点を、ことあるごとに、Twitterで発信してきた。

それらを総括して、今までの彼らの「活動」を一言で言うならば、
それは、住民を使って「低線量被曝研究」を行い、それにより住民に「安心」を与える
つまり、政府の「福島県民を避難させない政策」に、「科学的根拠(?)」を与える使命をも兼ねたもの
「医療活動」というよりも、むしろ「政治的活動」というのが、その「本質」である、と結論できる。

そもそも浜通り地域で、「実働部隊」として、この活動を行っている坪倉正治医師は
先輩の上昌広東大医科研特任教授に、南相馬行きを命じられた、医師になって未だ十年にも満たない「大学院生」であり、
放射線医学の専門家でもなければ、ましてや、被曝医療の専門家でもない

そして、この上昌広教授という人物は、数多くのメディアに度々登場する、有名な医師で、
『MRIC』という医療系メルマガの編集長もしており、私も過去、十数本の医療関係の記事を、このメルマガに投稿してきた。http://medg.jp/mt/

彼は、新聞記者、メディア関係者に顔が広く、作家の村上龍氏の『JMM』というメルマガと、このMRICも連動しており、
過去も、医療現場のさまざまな問題を、これらメディアを駆使して、広めてきた方である。

今回、こんな名も無い「単なる大学院生」が、新聞を始めとした数多くのメディアに登場し、
ややもすると、「内部被曝の専門家」のように扱われてきたのは、この上教授の得意技である、「メディア戦略」に他ならない。
坪倉医師は、言わば、上教授によって、メディアを通じ「作られた専門家」、単なる、彼の「パペット(あやつり人形)」に過ぎないと言える。

また、上教授は、政治家とも親交が多く、民主党の仙谷由人前衆議院議員鈴木寛元文部科学副大臣らとは、親密であることは、多くのひとが知るところである。

今回、彼が、南相馬を中心とした浜通りに入り込んだのは、
その仙谷由人氏から、「相馬市の立谷市長を助けてやってくれ」との依頼を、直接、発災4日目に受けたことが発端である。(仙谷由人氏は原発推進派として有名)

相馬市の立谷市長は、相馬市で病院を経営する医師。
彼は、その自分の地位と利権を、失いたくなかったのであろう、
事故直後から、「米と味噌があれば生きて行ける」などと、住民とともに「籠城」を決め込んだ市長として、有名な人物。
すぐに、立谷氏と上教授は、懇意となった。

(これは私の推測だが、当時の政府執行部は、福島市、郡山市の汚染が、甚大であることを把握していた。
しかし、彼らを避難させると、「経済的損失」は甚大
そんななか、福島市、郡山市よりも線量の低い浜通りから、多くの避難者が出てしまったら、中通りからも、多くの住民が流出してしまう。
だから、浜通りを死守せよ、という指令だったのではないか
、と思っている)

南相馬では、彼は、原町中央産婦人科医院の高橋亨平氏という、末期ガンに冒された産婦人科医と共同、
除染研究所などを設立して、住民らの手で、除染させる活動を始める。
そして、この高橋医師が、私財を投じて、精度の高いキャンベラ社のホールボディカウンターを導入、
南相馬市立病院で、内部被曝調査を開始。
このころから、坪倉医師の名前が出始め、おそらく、早野龍五教授も、このころから関わってきたようである。
(早野教授は、震災直後から、精力的にツイッターを駆使して、「安全論」を拡散してきた人物として有名。
当時の投稿はツイログでは読めるが、TLからはすでに削除している)
この高橋医師は、「子どもはセシウムに強い」などと、汚染地域での出産育児を、奨励している人物
逃げ出す医師が多いなか、留まって、診療活動を行い続けたことに対して、称賛する声は多いが、
妊婦や子どもを避難させようという行動、言動は一切なく、
いかに、子どもたちが安心して暮らせるようにするか、つまり、子どもたちが逃げ出さないよう、いかに汚染地域で暮らし続け復興させるか
を最優先に考えていた人物として、その活動については、強い違和感を覚えずにはいられない。
(過日、高橋亨平氏はご逝去された)
http://www6.ocn.ne.jp/~syunran/

話は前後するが、2011年4月、ある勉強会の後に、上教授と飲んだ際、
私に、酔っ払って言っていた言葉には、驚いた。

福島市も郡山市も、とてもじゃないが避難させられん。将来奴ら(福島県民のこと)は、集団訴訟とかするんやろなあ

福島県民のことを、「奴ら」と言った彼の口元を、思わず見返した記憶が、今も鮮明に残っている。
また、昨年4月ころ、医療ジャーナリストの伊藤隼也氏から、直接聞いた話だが、
上教授は伊藤氏に、「南相馬はアブナイですよ」と、ハッキリ仰っている。
つまり上教授は、そもそも、浜通りの住民の、健康被害が発生することを予測しながら、住民避難を訴えずに活動している、ということである。
伊藤氏は、「彼は確信犯だよ」とも言っていたが、私自身のなかで、東大の「活動」に対する疑念が、「確信」に変わった瞬間であったと同時に、
かつては、むしろ懇意にしていた人物が、このような言動を、住民の知らないところで、平然と言い放っているという事実に接して、
さすがの私も、愕然とした。

また、上教授の側近医師にも、彼の主導する活動について、疑問を述べている医師もいる。
その医師の立場もあるので、名前は現時点では明かせないが、以前お会いした折に、
「上教授は、浜通りの汚染地域に、多くの若い医師や医療関係者を送り込んで、『来たれ若者』のように各所で言っているが、どう思うか」と問うたところ、
「自分も、非常に危惧している。
特に、妊娠可能な若い女性医療関係者に、汚染地域へ行かせることには強く反対なのだが、とてもじゃないが、彼に言える雰囲気ではない」と、苦渋の表情をしていた。
内部でも、このような声が上がっているという事実に、さらに驚くと同時に、問題の深刻さを、改めて感じる。


一方、東大のHPには、
「原発災害で大きな影響を受けた、福島県浜通り地方において、
住民の健康不安を解消する目的、および、低線量被ばくを含む原発災害が、人体へ及ぼす影響について調査するため、
一般健診、および、健康相談会を行う。
福島県浜通り地区の市民の方を対象に、住民の健康不安を解消する目的で、
放射線が、人体に及ぼす影響などについて、説明をする」とある。
こちらもぜひ、ご覧いただきたい。

彼らの「活動」は、あくまで、「不安を解消し安心をもたらす」ものであって、
決して、住民に、「危険を解消し安全をもたらす」ものではない
ことが、ここでもハッキリと理解できよう。
http://www.u-tokyo.ac.jp/public/recovery/project_list.html


また、彼と昔から懇意の、鈴木寛元文科副大臣は、子どもの年間20mSv問題での、「戦犯」の一人であることは、皆さんご承知の通りと思う。
知人の参議院議員からの話だが、ある民主党内の会議の場で、その知人が、鈴木寛氏に、20mSvについて異論を唱えたところ、
別人のような剣幕で激昂して、恫喝されたとのことだ。
当時の民主党内でも、「子どもを避難させるべき」との声は、必ずしも少なくなかった、と聞いているが、
そのような良識派の声を、恫喝により握り潰し、今も、福島県の子どもたちに被曝を強いるという、非人道的行為を推し進めた鈴木寛元文科副大臣の責任は、
今後、厳しく追及されるべきものである。

そんな鈴木寛氏や、原発推進派の仙谷由人氏と懇意の上教授が、子どもたちに関する、避難や原発の是非を、一切述べないのは、
ある意味、納得出来ることと言えよう。

これらの人脈を見ても、彼らの言う、「住民目線に立った活動」というのは、住民を守るものなどでは決してなく
それを装い、「調査研究」し、その結果をもって住民を「安心」させ、
住民を、汚染地域に縛り付けているという、誠に非人道的なものである
ことは、明白である。

さらに彼らは、福島県や福島県立医大を、徹底的に、メディアを使って攻撃することで、
「自分らこそが、住民を守る、真の医療活動をしている」と、ことあるごとにアピールしている。
確かに、発災直後からの、彼らの医療活動については、賞賛されるべきものもあるが、
医療活動をしながらも、本来、医師として一番行わねばならない、住民を避難させ、住民に被曝回避させるといった行動、活動、言動を
「除染」のほかには一切行ってこなかったことは、医師として、到底許されるべきものではない

最近の坪倉医師、上教授らの、決まり文句は、
地元住民の家庭菜園、未検査食材の摂食が、高い内部被曝の原因であり、継続的な検査が必要。
汚染食材を食べなければ、内部被曝は減少している。
現在の内部被曝レベルでは、健康被曝は起きると考えられないが、油断は禁物

だ。
いかがであろうか、これぞいわゆる、「東大話法」ではないか。
「安心」させつつ、ちょっと注意喚起という、なかなか巧妙な「東大話法」だ。

以前、山下俊一氏の100mSv発言のことを、「やり方がヘタだ」と、亀田総合病院副院長の小松秀樹氏が、指摘していた。
小松秀樹氏は、「立ち去り型サボタージュ」の著作で有名な、医師の「論客」だが、
彼はさんざん、前述の医療系メルマガ『MRIC』で、「放射能トラウマ」という言葉をつかい、
被曝よりも「心配」のほうが、デメリットである、と主張した。
つまり、彼らの主張は
食べ物にさえ注意すれば、汚染地域でも住み続けることは可能、心配しすぎずに復興しましょう
ということなのである。

因みに、これも、私が何度も指摘してきたことだが、上教授は、南相馬市の、復興有識者会議の委員も務めている。
http://www.city.minamisoma.lg.jp/kikaku/fukkousimin.jsp

この地域を、「新たな放射線医学の研究フィールドに」、などという、恐ろしい計画まで立案されているが、
以前、上教授も、ネットメディアで、
浜通りの被曝データは、世界が喉から手が出るほど貴重なものとなる。
これらを蓄積して、世界に発信する。
この地域を、廃墟にするも聖地にするも、やり方次第
」などとも論じていたことからも、
彼らの活動が、決して、住民の健康を被曝から守る活動でないことは、明白である。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/9497

そもそも、汚染地域の汚染もそのままに、復興推進に協力する立場の人間が、
住民に、居住が危険であるとの根拠になるデータなどを、示すことなど考えられない。
彼らの「活動」の本質を、一刻も早く、多くの県民、国民に気づいて欲しいと、切に願うばかりである。

坪倉医師らは、さかんに、「内部被曝は思ったほどではない、健康影響が出るとは考えにくい」と、
さも、内部被曝による健康影響に、「閾値」があるかのごとく喧伝しているが、
それに対する「科学的根拠」は、一切示すことは出来ていない。
さて、以下の問いに対して、彼らは果たして、正確に、そして誠実に、回答できるであろうか。

・南相馬市は、内部被曝より外部被曝のほうが問題となると、以前、早野教授も仰っていたが、坪倉医師らの見解は?

・汚染食材の摂取さえ気をつければいいと、メディアで発信しているが、
 それは、ホールボディカウンターの結果が、汚染食材摂取の前後で低下傾向にある、ということのみから導き出したものか。

・食品汚染や内部被曝のリスクは、セシウムだけにあらず、ということについての見解は?

・空間線量に反映されない、南相馬市に散在している、超高度汚染物質についての見解は?

・内部被曝測定を、ホールボディカウンターのみで行う理由は?
 なぜ、バイオアッセイを併用しないのか?
 ホールボディカウンター結果とバイオアッセイの結果を、突合させるつもりはないのか?

・南相馬市で捕獲された、野生猿の各臓器における汚染状況について、知っているか?

・ホールボディカウンターで、正確に測定出来ない子どもらについては、その家族を測定することで推測する…かのような言説があったが、その見解に相違ないか?

・「子どもはセシウムに強い」という医師が、南相馬市の復興に関与しているが、坪倉医師らの見解も同様か?

・上司の上教授は、「本当は南相馬市は危ない」と仰っているようだが、坪倉医師らの見解も同様か?

・浜通りで、子どもを産み育てることについて、坪倉医師らの医師としての見解は?

・よく、「このくらいの値なら、健康影響は考えられないレベル」との表現を使っているが、
 内部被曝に閾値は存在するのか、存在するなら、その数値はいかほどか?


彼らの行っている、ホールボディカウンターによる内部被曝調査の結果が、将来、住民に、何らかの健康被害が生じた場合に、
内部被曝は少ない」ゆえに、「被曝と健康被害に因果関係なしという根拠に使われてしまうことが、非常に危惧される


彼らの活動、言動に疑問を感ずる医師、市民らが、これら事実を多くの方々と共有し、
彼らの活動について、多くの問題提起をし、多くの意見を発信していくことが、今後、早急に必要と感じている。
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キーワード
ホールボディカウンター 医療関係者 ソリューション 放射線医学 産婦人科医

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