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政党交付金、9党に80億円

2014-10-20 21:23:36 | 政治

事通信より転載

政党交付金、9党に80億円

時事通信 10月20日(月)18時5分配信

 総務省は20日、政党助成法に基づき、2014年の政党交付金の第3回分として、9政党に80億300万円(100万円未満切り捨て、以下同じ)を支給した。
 維新の党と次世代の党が今回、新たに支給対象となった。
 政党交付金は所属国会議員数などに応じて算定され、4、7、10、12月の年4回に分けて支給。共産党は制度に反対し、受給を申請していない。

 各党への交付額は次の通り。
 自民党39億4500万円▽民主党16億7300万円▽維新の党6億800万円▽公明党6億5000万円▽次世代の党3億200万円▽みんなの党5億300万円▽生活の党1億8700万円▽社民党1億700万円▽新党改革2500万円。


処分場で塩谷町長が公開質問状

2014-10-20 20:54:48 | 原発

NHK

処分場で塩谷町長が公開質問状

10月20日 18時32分

放射性物質を含む「指定廃棄物」の最終処分場の建設をめぐって、国が10月、宮城県内で事前の連絡をせずに現地調査を行ったことを受けて、栃木県内の候補地となっている塩谷町の見形和久町長が20日環境省を訪れ、調査の経緯について説明を求める公開質問状を提出しました。
原発事故に伴って発生した放射性物質を含む「指定廃棄物」について、国は、首都圏と東北のあわせて5つの県に最終処分場を建設する方針で、栃木県内では塩谷町の国有地を候補地に選定しましたが町は反対しています。
10月8日、宮城県内の候補地の加美町で国が事前の連絡なしに現地調査を行ったことを受けて、塩谷町の見形町長は20日、加美町の猪股町長とともに環境省を訪れ、小里副大臣に対して公開質問状を手渡しました。
質問状は、地元の理解を得ずに調査を行ったのは民意を踏みにじる行為だとした上で、事前の連絡なしに調査を行った理由などを問う内容になっています。
小里副大臣は「施設の安全性を確保するための調査だということを理解頂きたい。行き違いや誤解があるので、より緊密に意見交換をしたい」と述べた上で、22日、塩谷町の候補地を視察する意向を示しました。
面会の後、見形町長は「きょうの話でも国が住民の考えを反映してくれているとは感じなかった。今回、加美町とともに行動したことは、多くの人にこの問題を考えてもらうという意味で、意義があると思う」と話していました。

 


戦いたい!海外の戦場へ向かう日本人たちの系譜 元自衛官からイスラム国を目指した北大生まで

2014-10-20 16:57:31 | 日記

           転載

世界の中の日本

戦いたい!海外の戦場へ向かう日本人たちの系譜

元自衛官からイスラム国を目指した北大生まで

2014.10.17(金)  黒井 文太郎

イスラム国への参加を考えていた26歳の北海道大学生(休学中)が、警視庁公安部に私戦予備・陰謀罪容疑で任意の事情聴取を受けた事件が、大きく報じられた。

 当初、このニュースは「日本からイスラム国に、イスラム過激思想の若者を兵士として送り込むルートがあった!」という衝撃的なイメージで報じられたが、当人である北大生の動機が、就活に失敗して将来への展望を見失い、違う世界に行けば何かが変わるかもしれないと期待してのことだったこと、さらに仲介者とされた元大学教授のイスラム法学者もべつに自ら募集していたわけではなく、単に相談を受けて助言・斡旋していた程度だったことが明らかになり、事件の構図としては、国際テロ事件というような大仰な話でもないことが徐々に判明してきた。

 この北大生とともに千葉県在住の23歳のコンビニ・アルバイト店員も一時、イスラム国参加を希望していたが、彼の動機も似たようなレベルであり、いわゆるイスラム過激思想とは無縁の話だった。

 それでも、「日本人に戦争に参加したいと考えた若者がいた」ということに驚く声があるが、実はこれまでも、戦争への参加を希望し、戦場に向かった日本人は何人もいる。その動機はそれぞれだが、いつの時代でも若者の中には、いわゆる「自分探し」や探究心、冒険心、政治的信念、あるいはある種の義侠心などから、海外で義勇兵として戦いたいと行動した人はいた。

 例えば、シリアではすでに昨年、イスラム国ではない有力な反政府軍の1つである「ムハンマド軍」という部隊に、元自衛官で自営業の鵜沢佳史氏(現在26歳)が参加し、前線で戦っている。彼も「戦いたい」との強い思いで戦場に飛び込んだが、現地では独裁政権に抵抗する反政府軍に強いシンパシーを持っていたとのことである。

 また、他にも一般には知られていない日本人がイスラム国や他の民兵組織に参加している可能性はある。

 

 過去、こうして海外で兵士として戦った日本人には、帰国後に手記を発表したり、雑誌に登場したりした人も何人もいる。大別すると「職業軍人系」「革命系」「ゲリラ義勇兵系」がある。これまでどのような人たちが、海外の戦場で戦ってきたのかを紹介しよう。

正規軍兵士になった元自衛隊員、革命系の日本赤軍

 職業軍人系でまず有名なのは、『グリンベレーD446―米陸軍在隊21年の実戦記録』などの著作で知られる三島瑞穂氏である。ベトナム戦争で米陸軍兵士として戦った三島氏の場合は、家族でアメリカに移住しており、米国在住者としての志願だったが、その後も米陸軍の軍人として活動した。

 アメリカの軍人となった日本人は他にもいる。例えば『第82空挺師団の日本人少尉』という手記を発表された飯柴智亮氏は、9.11後のアフガニスタンで厳しい任務についている。

 他に日本人が海外で正規軍の兵士になるコースとして一般的に知られているのは、フランス外人部隊に入隊することだ。日本人がいつから参加していたのかは不明だが、少なくとも1980年代からは複数の日本人が入隊していることが確認されている。

 その後も元自衛官などを中心に多くの日本人が入隊し、厳しい海外任務に就いている。2006年に出版されたノンフィクション『外人部隊の日本兵』(宮下洋一著)は、在籍していた35人の日本人の姿を活写している。

 なお、2005年にイラクで殺害された斎藤昭彦氏は、当時はイギリスの民間軍事会社「ハートセキュリティ」社と契約していたが、もともとはフランス外人部隊に長くおられた方だ。

 

 他方、革命系でいえば、1971年からパレスチナ闘争に加わった日本赤軍がいる。日本赤軍はパレスチナ・ゲリラの極左組織「パレスチナ解放人民戦線ワディ・ハダド派」に加わり、主にテロ活動に従事した。彼らの動機は、世界同時革命と国際根拠地論という革命理論だった。

反共・民族闘争に身を投じた日本人

 今回の北大生の件は、仮にイスラム国への参加が実現していれば、ゲリラ義勇兵系に分類できるだろう。

 ゲリラ義勇兵系の日本人パイオニアといえば、『照準のなかのソ連兵―日本人ゲリラ、アフガンに死す』などの著書がある右翼活動家で武術家の田中光四郎氏だ。80年代半ばにアフガニスタンの反共ゲリラに合流している。

 アフガニスタンの反共ゲリラに加わった日本人は他にもいる。例えば、『戦争志願―アフガン・カレン・ボスニア最前線』『傭兵の誇り』など著書多数がある元自衛官の高部正樹氏は、他にもミャンマーやボスニアなど世界各地の戦線に参加した経験を持つが、最初の戦場はアフガンである。

 その高部氏がビルマで参加したのは、少数民族カレン人の分離独立派ゲリラ部隊「カレン民族解放軍」である。ビルマ軍(当時)の弾圧に抵抗する同組織には多くの日本人義勇兵が参加したが、そのパイオニアが『カレン民族解放軍のなかで』の著書がある西山孝純氏と高部氏だ。筆者は90年代半ばに現地で西山氏と高部氏にお会いしているが、当時も他に若い日本人が数名参加していた。

 ちなみに、高部氏らの戦友の中には、ビルマ軍との壮絶な戦いで戦死された日本人もいる。筆者の知るかぎり、ゲリラ義勇兵で戦死した日本人は、この方だけである。

 他に日本人の義勇兵の存在が確認されているのは、ボスニア、コソボ、チェチェン、ニカラグアである。

 ボスニアでは、90年代半ばに前出・高部正樹氏が、クロアチア人部隊の正規の外人部隊に参加している。また、やはり90年代半ばには、セルビア人部隊側にも日本人の兵士が参加している。

 

コソボでは90年代後半に、分離独立派ゲリラ部隊「コソボ解放軍」に元自衛官K氏が合流している。チェチェンでは、2000年代前半に、やはり元自衛官のM氏が、独立派ゲリラに参加している。これらの日本人義勇兵は、それぞれ現地で出会った日本人ジャーナリストが雑誌等で紹介している。

 ただし、中米ニカラグアに渡った日本人義勇兵のグループだけは、これまで完全に沈黙を守っており、メディアにも一切その姿を現していない。彼らは十数人の1つのグループで、80年代前半に同国の先住民族「ミスキート人」の親米右派ゲリラ「キサン」に参加していた。いずれも空手家で、リーダーは戦闘技術にも長じていたとの情報がある。また、それなりにまとまった資金をゲリラ部隊に提供していたとの情報もあり、日本から組織的に送り込まれた集団と考えられるが、その組織的背景は一切不明である。

 こうしたゲリラ義勇兵系の日本人は、これまでの系譜を見ると、多くは反共・民族闘争に参加している。その動機は一概には言えないものの、「戦いたい」「極限状態で自分の力を試したい」との熱意とともに、明確に政治的スタンスがあるように見える。元自衛官も多いが、そうでない人もいる。

 筆者の知る限り、こうしたゲリラ義勇兵系の日本人兵士は、2000年代前半のチェチェン以降、確認されていない。それはおそらく、彼らが目指したいと思う反共・民族闘争の戦場が世界中で激減したことが原因である。

 2000年代以降の外国人兵士の需要は、イラクやアフガンのような民間軍事会社が主流になった。そこでは実績のある各国の軍特殊部隊OBなどが優先される。実績に加え、戦闘技術や語学など要求されるスキルも高い。こうした世界には、なかなか日本人では入っていくことが難しい。

危険度が格段に高いシリアの戦場

 いつの時代も、「戦いたい」「極限状態で自分を試したい」と考える若者がいておかしくない。あとはそこに彼らを受け入れる「場」があるかないかだ。

 

2011年秋頃から本格化したシリア内戦は、そうした義勇兵志願者にとっては、久々に登場した「場」である。反政府軍各派は外国人義勇兵を積極的に受け入れているし、邪悪な独裁政権と戦うという大義もある。

 ただし、それまでの「場」と事情が違うのは、危険度であろう。もちろんどの戦場も危険とは隣り合わせだが、シリアの反政府軍に身を投じた場合、死ぬ確率はそれまでの戦場に比べて圧倒的に高い。実際、前述した鵜沢佳史氏も、砲弾を間近で受けて瀕死の重傷を負っている。つまり、それだけハードルが高い。

 それでも、どの時代にも様々な若者がいることを思えば、今後もシリアの反政府軍に参加したいと考える若者が出てきてもおかしくない。

 ただし、イスラム国となるとまた少し事情が違う。彼らが異教徒や異端者と見なす者や、自分たちに従わない者たちに対する斬首処刑、さらに女性の性奴隷化などの残虐性が広く報じられており、よほどイスラム過激思想に染まっていないと、そこに参加したいとは普通はなりそうにない。

 それでも、人は様々だから、日本人の参加希望者が出てくる可能性が皆無ということではない。

 ちなみに、今回の北大生の場合は、最近イスラムに改宗したとのことだが、基本的にはあまりイスラム国にもシリアにも興味がなく、知識もなかったようである。

(筆名で手記を発表されている方は筆名で紹介しました。また、本名を紹介した方は、ご自身がメディア等で公表している方に限っています。)

【訂正】記事初出時に文末に書かれていた「オランダのバイク乗りグループ」に関する記述を削除しました。(2014年10月17日)


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