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「青春は恋と革命だ!」 寂聴さん・SEALDs座談会

2016-02-05 09:57:09 | 戦争立法
日新聞デジタル>記事

「青春は恋と革命だ!」 寂聴さん・SEALDs座談会

構成=編集委員・秋山訓子、岡田匠2016年2月5日04時20分

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対談後、スマホでパシャッと自撮り。左から中川さん、寂聴さん、溝井さん、谷さん=東京都中央区、関田航撮影

 こんにちは、瀬戸内寂聴です。あら、みなさん、かわいいのね。去年の国会前デモを見ていて、ぜひSEALDs(シールズ)(安保関連法に反対する学生団体)のみなさんとおしゃべりしたいと思って、お招きしたの。若いっていいわね。ケラケラ笑って、よく食べて。幸福は笑顔が好きなの。さぁさぁ、今日は、いろいろ聞かせてくださいね。

 寂聴 私が若い人たちを特に好きになったのは「3・11」の後です。被災地を慰問に回ったら若い人たちがびっくりするほどたくさん来て、黙々と働いていたんです。どうして来たのって聞くと、直接の被害を受けていない自分もある日、突然、日常が壊された。会社にも行けなくなった。原因を確かめたくて来たが、あんまりひどいので「手伝わずにいられなくなった」って。その姿を見て、話を聞いて、いっぺんに今の若い子たちが好きになってしまった。だから私はSEALDsがごひいきなの。あなたたちは、どうしてSEALDsで活動するようになったの?

 中川えりな 勉強会で安保法制反対のビラをもらったんですが、座り込みとかデモに行くのって怖いなって迷ったんです。けど、ちょうどその日が19歳の誕生日で。誕生日に初めての座り込みに、ってインスタグラムやツイッターに写真を載せたらおもしろいかもって思ったんです。その時は若い人は全然いなかったんですが、あっちに若い人たちがいるよって、知らないおじさんが教えてくれました。

 谷こころ 私は、知人が沖縄の辺野古のドキュメンタリー映画を撮っていたんです。それもあって辺野古に行ってみたら、特定秘密保護法に反対していた同い年の子に出会って、今度新しい団体を立ち上げるって聞きました。それがSEALDsでした。同年代の子が社会に対してどう声をあげるかに興味があったんです。

 溝井萌子 祖父母の家が福島なので生活を捨てて逃げざるを得ない人たちのことを身近に感じていました。高校生の時に脱原発デモに1人で行ったんです。ただ制服姿で行くとすごい居心地が悪かった。大学に入ると、SEALDsの前身が特定秘密保護法に反対するデモをしていました。若い人たちが政治に声を上げている姿を初めて間近で見たんです。新しいデモのスタイルが衝撃的だった。こういう声の上げ方もあるんだなって。寂聴さんは私たちの活動を、どういう思いで見てらしたんですか。

 寂聴 みなさん、一生懸命にがんばりましたね。でもね(安倍晋三)首相に負けたでしょ。負けたと言うしかないわね。向こうの案が通っちゃったんだから。私も1人でデモに行きましたけど、本当は初めから負けると思ってたの。それでもやっぱり立ち上がらなきゃいけないのね。負けたけど、反対がこれだけあった、若い女の子ががんばった、私みたいなおばあちゃんまでデモに行った、ということは、歴史に残ります。夏の参院選が山だけど、勝つかどうか分からない。もし負けても、これだけ反対してがんばる人間が出てきたということで、向こうは肌寒い思いをしてるでしょう。完全な負けじゃないのよ。だから希望を持って。今はダメみたいだけども、自分の信念をやってみようと思ったほうが、人生が開けます。

     ◇

 溝井 学校で政治の話をしにくい空気があると思ってたんです。でも実際に話してみると、実は安保法制、気になってたんだ、という反応が返ってくることもある。政治について話しにくい空気を作ってたのって、実は自分自身だったんじゃないかと気づきました。

 谷 私は小中高と「シュタイナー教育」っていう欧州の教育思想をもとにした学校に通いました。政治のことも話しやすい環境だったので、クラスメートと、そういう話もしてました。私とは違う考えの子もいて、時にぶつかったけど、歩み寄ろうかな、みたいな時もあった。考えは違っても、お互いに何でも話せるのが楽しかった。

 寂聴 話せる、聞いてくれるというのがいいですね。それが人間が人間を信用する一番最初ね。お友達ができるもとだし、恋人ができるもとですよね。

 中川 1960年安保や70年安保のデモって、何か怖い感じがして。もしかして、男の人が多かったからかな。その点、女性は柔軟なところがあって、海外ではビビアン・ウエストウッドとか、世界的に有名な女性デザイナーが、ファッションショーで気候変動とか政治の問題をおしゃれに華やかに訴えている。私も渋谷で買い物してる女の子みたいな感じで、ヒールにミニスカートでデモに行きました。でも疲れたら帰っちゃう。不真面目でしょうか。

 寂聴 楽しければいいのよ。見てる人が、ああいうのいいな、自分も参加しようかな、と思うのがいいんです。

 谷 私はヒッピーな格好とか、その時の気分、遊び心ですね。今日はカラフルなデモにしよう、っていう時は、服装もカラフルにして行きます。

 溝井 夏のデモは、汗だくになるから、おしゃれのことは考えてなかったけど、今はスカートはいて行こうかな、メイクもばっちりしようかな、みたいな感じです。

 谷 寂聴さんの本を読んだら、生まれ変わっても女になりたい、と書かれていました。女性に生まれてよかった、と思うのは、どういうところですか。

 寂聴 思いがけず93年も女として生きてきて、こんなに生きると思わなかったけど、後悔はしてないの。生まれ変わっても、女に生まれて小説家になりたい。まだまだ書くことがありますから。来世では男をいっぱいたぶらかして、困らせてやるわ。私のころは、お嫁に行くときは、処女が第一条件だったんですよ。でも今は処女なんて死語に近いでしょ。そういうこと言うから不良ばあさんって言われるのね。女も、性も自由でいいんです。

 溝井 女性の自由とか自立、解放を考えると、貞操とか伝統、道徳には縛られるべきじゃない。私も寂聴さんと同じ考えです。

 寂聴 百年前、女性の自由のために「青鞜(せいとう)」という運動をした平塚らいてうが、恋愛の自由と言ってます。女性のあるべき理想を掲げて、全国から女性が集まって運動に参加しました。今、あなたたちは、彼女たちが望んだすべてを持っています。百年かかったわね。戦争に負けて、アメリカから女性の自由も参政権ももらった。でも百年前から運動をしてきた人たちの基礎があったから、受け取って活用できたんだと思います。

     ◇

 寂聴 3年ぐらい前かしら。若い人たちが何万人も参加するイベントに呼ばれて、何かしゃべらなきゃならなくなってね、「青春は恋と革命だ!」って言ったの。そしたら、うわーっ!って。去年の国会前デモで、「瀬戸内寂聴が『青春は――』って言ってた。俺たちも、それで行こう」って盛り上がったらしいのね。伝えてくれる人がいて、うれしかったわ。

 中川 恋と革命が、どう結びつくんですか。

 寂聴 私は大杉栄とか伊藤野枝とか管野スガとか、社会運動をして政治に殺された人たちの伝記を書きました。彼らは可哀想です。でも、不幸な人だとは思わない。百年経って、私が小説に書いて、あなたたちが読んでくれる。彼らの命は生きている。彼らは安穏と暮らすこともできたのに、革命をやらずにいられなかった。そういう人たちは、とっても情熱的で、恋愛もたくさんしています。恋も革命も若い情熱と命を注がなきゃ、できないことよね。

 溝井 女性解放運動をずっとやられてきた先人たち、戦争体験者の方。そういう積み重ね、先人の思いを、すごく感じた夏でした。

 寂聴 SEALDsも自由のための運動でしょ。幸せになるということは、人間が自由になることね。民主主義は、自由を獲得して生きることでしょ。そのための運動なのね。

 中川 民主主義って、自分たちが自由にのびのび生きるために払わなきゃいけない代償とか、そういうものじゃないと思う。責任とか義務とか、重たいものでもない。一人ひとりが主権者として政治に応答する能力だと思う。私、デモに行って、そのことに気づきました。

 寂聴 私は、もうすぐ死にます。年寄りは逆立ちしたって何もできないんですから、もう死んでもいいの。ただ、私が死ぬ前に声を大にして言っておきたいのは、未来は若い人たち、あなたたちのものですよ、ってこと。あなたたちは未来を作らなきゃいけない。だから戦ってください。恋と革命に殉じてください。

 一同 はい。

 寂聴 私が死んだらね、彼岸で迎えてくれる男たちがずらっと並んでるでしょうね。誰に最初に声をかけようかしら。今は、それが悩みね。あなたたちは今を精いっぱい、楽しみなさい。戦争で殺されないように。

 溝井 精いっぱい楽しみます。

 中川 楽しくやりたい。

 谷 デモも楽しみのひとつ!

 寂聴 そうよ。元気に楽しみなさい。(構成=編集委員・秋山訓子、岡田匠)

     ◇

 瀬戸内寂聴さん(93) 作家。天台宗の尼僧。06年、文化勲章受章。SEALDsメンバーとは、京都・嵯峨野に開く寺院「寂庵(じゃくあん)」での再会を楽しみにしている。

     ◇

 谷こころさん(20) 高校卒業後、スペインや米国などに遊学。春から劇団で演出の勉強をする予定。デモの企画を担当。趣味は映画鑑賞、ダンス。

     ◇

 溝井萌子さん(20) 津田塾大学国際関係学科2年。デモの企画から仕切りまでを担当。甘いものが好きでケーキ屋さんでアルバイトをしている。

     ◇

 中川えりなさん(19) 上智大学神学部1年。SEALDsではSNSを担当。雑誌のモデルとしても活動。映画や音楽などの表現活動に興味がある。
http://www.asahi.com/

貧困の現場から】(1) 母と子3人、所持金200円

2016-02-02 18:37:27 | 日記
西日本新聞より転載

貧困の現場から】(1) 母と子3人、所持金200円

2015年12月15日12時30分 (更新 12月15日 13時00分)

連載「子どもに明日を」


子ども食堂で無料のカレーライスを受け取る中学生。食材は運営者のポケットマネーや寄付でまかなう。

 街がイルミネーションで彩られ始めた11月中旬の夜。九州のある街で、母の梓(42)と小学6年の美雪(12)、小3の直樹(9)、小2の沙織(8)=いずれも仮名=の3きょうだいが「子ども食堂」ののれんをくぐった。
 入るとき梓は少しうつむいていた。子どもたちを「ただで食べられるレストランがあるんだ。ママも料理作らなくて楽だから行こう」と連れ出した。「家が貧乏だと思われたくない」から、ごまかした。子どもたちは、食堂の和室に座ると「レストランじゃないじゃん」と口をそろえた。
 でも、ミンチカツの載ったカレーライスとナシが運ばれると、子どもたちは「すごーい、ナシだよ。カレーだよ」と声を上ずらせた。無言でカレーをかき込み、カチカチとスプーンが皿に当たる音が響いた。
 元気な声で「おかわり!」。美雪は3杯、直樹も2杯をたいらげた。「おなか、ぺこぺこで来たんです」と梓は涙声になった。
 来たときは緊張した様子だった子どもたち。カレーを食べ終わると、沙織が「しちろく しじゅうに」と学校で習ったばかりの九九を唱え始め、みんなの笑い声が上がった。久しぶりのだんらん。「おなかも心も満たしてもらった」と梓は感謝した。
   □    □  
 夫とは数年前に離婚。パート従業員としてスーパーで働き、賞味期限が切れた食品をもらっていたため、食べるものには困らなかった。
 ところが夏にスーパーが突然閉店し、働き口を失った。貯金もなく、月に16万円あった収入は10万円程度の失業保険だけになった。
 就学援助を受けて小学校の給食費は免除されているが、アパートの家賃に光熱費、持病を抱える子どもの通院代などの支払いは待ってくれない。豆腐ばかりの鍋やキャベツの千切りで我慢し、食費を節約してぎりぎりの生活を続ける。
 子どもたちは、給食以外に食べ物を口にできない日もあり、「おなか減ったよ」と繰り返した。
 そんな時、インターネットで子ども食堂の取り組みを紹介する本紙の記事を読み、「自宅近くにもないか」と探して見つかった。すがる思いで運営者にメールを送った。「財布に小銭しかなく、悩んでいます。子どもたちだけでもご飯を食べさせてください」
 初めて子ども食堂に来た日、梓の財布には200円ほどしか入っていなかった。
   □    □   
 「またレストランに行こうね」「今度はどんなごちそうが出るのかな」。子どもたちも食堂を気に入った。あれから何度か通い、古米をリュックサックいっぱいに詰めてもらったこともあった。美雪が熱を出して寝込んだ時は、家で雑炊を食べさせることができた。
 だが、失業保険はあと数カ月で切れる。来年、美雪は中学生になり学費もかさむ。せめて高校までは行かせたい。美雪と直樹が夢中になっているサッカーも月に4千円ほどかかるが、続けさせてあげたい。
 ハローワークで再就職先を探す日々。子育ての制約があり条件がなかなか合わない。ほかの公的支援が受けられないか福祉関係者に相談しながら、なるべく早く生活を立て直したいと思っている。
 「子ども食堂に偶然出合えて、ありがたい。生活が安定したら私が子ども食堂に寄付して支えたい」
 この子ども食堂が開かれるのは週に1度。梓のような親子のほか、住む家がない少女、子どもたちだけで暮らす少年たちが訪れ、寄る辺ない生活の中でひととき、空腹を満たす。
 関連記事「貧困連鎖、奪われる未来」
=2015/12/15付 西日本新聞朝刊=

全農産品で関税撤廃の恐れ TPP協定案を弁護士ら分析

2016-02-02 11:09:09 | 政治
東京新聞より転載

【政治】
全農産品で関税撤廃の恐れ TPP協定案を弁護士ら分析

2016年2月2日 朝刊

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 交渉参加国による署名式を四日に控える環太平洋連携協定(TPP)をめぐり、国を相手に違憲訴訟中の弁護士らが協定案の英文を分析し、すべての農産品の関税が長期的に撤廃される恐れがあるとの結果をまとめた。他の経済協定にある関税撤廃の除外規定が、聖域と位置付けたコメなどの「重要五項目」も含め、ないことを指摘。聖域確保に関する条文上の担保がなく、将来的に「関税撤廃に進んでいく」と懸念している。
 分析したのは「TPP交渉差し止め・違憲訴訟の会」の幹事長を務める弁護士の山田正彦元農相、内田聖子・アジア太平洋資料センター事務局長、東山寛北海道大准教授ら十人余りのチーム。
 協定案の本文では農産品の関税に関し、参加国に別段の定めがある場合を除き「自国の表に従って、漸進的に関税を撤廃する」(第二・四条の二項)と明記している。日豪の経済連携協定(EPA)など他の経済協定では、同様の条文で「撤廃または引き下げ」と表現する。TPPは規定上は引き下げの選択肢を除いている。
 それでも関税が維持された日本のコメや牛肉などの重要五項目の扱いは、付属文書の記載が根拠になっている。
 だが付属文書でも、TPPと日豪EPAなどの経済協定には違いがある。日豪EPAなどには「除外規定」が設けられ、コメは関税撤廃の対象外。TPPには除外規定はなく、逆に発効七年後に米、豪などの求めがあれば、日本のすべての関税に関し再協議する規定がある。
 外務省も協定案に関税の除外規定がないことを認める。一方で「関税引き下げにとどまっている品目は事実上、除外を勝ち取ったと解釈している。再協議でも撤廃が義務付けられているわけではない」(経済連携課)と強調する。
 分析チームは、協定案の条文から重要五項目も再協議で撤廃を前提に協議され、「長期的に関税が撤廃されていく仕組みになっている」と指摘している。
◆関税維持 猶予7年間
 <解説> 違憲訴訟に取り組む弁護士らのチームが行った今回の分析で、ニュージーランドでの署名式を控えるTPP協定案は「聖域なき関税撤廃」の基本原則が、明確に貫かれていることが浮き彫りになった。
 安倍晋三首相は一月に国会で行った施政方針演説で、TPPに関し「重要品目は関税撤廃の例外を確保した」と明言した。確かにコメなどは今回の関税撤廃の対象から外れた。二国間交渉の結果、関税の撤廃でなく、引き下げなどが付属文書で認められたためだ。
 だが、これは重要品目が関税撤廃の例外として担保されたことを意味するのではないことが、今回の分析で示された。協定案には、本文にも付属文書にも関税撤廃の「除外規定」を認める文言はない。
 関税撤廃率は他の十一カ国が99%か100%なのに、日本は95%と突出して低い。それでも重要五項目の三割は既に関税撤廃に追い込まれ、残りも七年後に再協議が待つ。協定締結後も各国の圧力は強まるとみられる。関税を維持したのは「七年間の猶予」を得ただけ、との見方もできる。 (金杉貴雄)

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