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魔法の杖




週末訪れたハリーポッター・スタジオツアーのショップで、娘が熟考の末買った魔法使いの杖。ヒロイン、ハーマイオニー所有の「ぶどうとドラゴンの心臓の琴線」(ウィキペディアより)でできた杖だそうだ。


日本には脈々たる魔法少女の系統があり、彼女たちが所有している魔法の道具(のレプリカ@おもちゃ屋)は少女らの(あるいは大きいお友だちも?)心を捕らえて離さない。
なぜに魔法「少女」なのか、という話は「サンタクロースの秘密」と世界を救う少女の秘密で愚考しているのでよろしければご覧下さい。

わたし自身子どもの時分にアッコちゃんの魔法のコンパクトを強烈に欲しがったが、ああいうおもちゃは決して買ってはもらえなかった。そこで母の資生堂のコンパクトを盗み出して来て装飾を施し、「テクマクマヤコン」と唱えたものだ。唱えても唱えても何も変わらなかったが、この世を思い通りにしているようで気持ちがよかった。

今よりもっと子どもに制限の多かった昭和40年代、魔法の道具は自分の空想やわがままを何でも可能にするパワーの象徴だった。だから魔法のコンパクト(実は色紙を貼った資生堂のコンパクト)だけを気に入りのバニティー型バックに入れて意気揚々と祖父母の家に泊まりに行けたのだ。そうだ、わたしはあのバッグの中に魔法の鏡という自分の未来を入れていたのだ。

大人になって魔法のコンパクトを必要としなくなったのは、たいがいのことは「お金」とか「コネ」とか「大人という身分」などの一種の魔法で叶うようになったからである...ああ大人っていやだなあ(笑)。「お姫様になあれ~」だけでなく、「戦争のない世界」や「世界中の子どもの幸せ」を願う気持ちはどこにいったのかなあ。まさかあのコンパクトと一緒にどこかへ??


閑話休題。

頬を上気させて杖に見入っている娘を見て、夫はわたしに「くだらないから止めさせたら?」と内緒で耳打ちしてきた。普通、こういう発言をするのはわたしの方なので驚いた。しかしわたしが12歳だったならこの魔法の道具を絶対に欲しがっただろうと思い、珍しくお小遣いで買うことを許可したのだ。

そりゃ「庭の木の枝を切ってきて最もハンブルな杖を作りなさい」と言うこともできるだろうが、魔法の杖というものは、ティアラとか、水晶玉とか、メリーゴーランドの馬とか、トウシューズとか、そういう種類のもので、魔法がかっているのですよ。うん。
これを「単なるプラスティックの棒」と言うならば、わが家にあるモノのほとんどすべては「単なる石」「単なる布」「単なるメタル」である。わたしが最近手に入れたのも「単なる生体鉱物」にすぎない。ヴェブレンは『有閑階級の理論』(岩波文庫)の中で、有閑階級が「これ見よがしにする消費」の例としてステッキ(紳士の持つ「杖」)を取り上げた。「これ見よがし」「見せびらかし」は、実用品であってはちっとも効果がないのである。

ああ、だから母の資生堂のコンパクトは呪文を唱えても反応がなかったのか...
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