CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

車川跡---岩国市中津

2005年02月28日 18時57分02秒 | 岩国情報
車川跡

 このあたりから川下中央フードの方に大きな車川が流れこんで
 いました。
 中津から車へ行くのに渡し舟で渡ったとの著述があります。
 その車川も約300年ちょっと前(1693)に堰き止められました。
 こうして川下が現在のように三角形になるもとができました。
 川の跡には新しく田んぼが作られました。

 岩国市川下地区社会協議会
 岩国市川下地区連合自治会 のパネルより要約
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宮島にて

2005年02月27日 18時49分49秒 | Weblog
2/27の日曜姪が神戸より来ており宮島の有本旅館に宿泊携帯からのメッセージになります。テレビを見て過ごしていましたのと風呂にゆっくりと入ってのんびりした休日を過ごしました写真は旅館の夕食です
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東京出張

2005年02月26日 08時07分42秒 | Weblog
2/25の金曜より東京に出張に来ており携帯からのメッセージになります昨日はホテルへの到着は21時30分頃でテレビを見て過ごしていましたのとマッサージを頼みました写真は本日ホテルの近くのジョナソンで食べた朝食です
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麻里布の浦---岩国市

2005年02月25日 05時53分45秒 | 岩国情報
麻里布の浦

 今から約260年前岩国藩の役所が各村々の様子を調べて
 作った本がありますその中津村のところに「古くからの言い伝え
 によると中津村は古い名前を麻里布の浦といった」と書かれて
 います。このあたりは昔は海辺で白い砂浜が続き緑の松がはえて
 景色の美しかったところだったようです。

 岩国市川下地区社会協議会
 岩国市川下地区連合自治会 のパネルより要約
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河野善次郎碑---岩国市通津

2005年02月24日 18時54分38秒 | 岩国情報
河野善次郎碑
   (岩国市通津中町)
通津と大島久賀浦が漁業権争いをした7人岬の伝説がある。
この漁業権争いは河野善次郎が県の役人になり争いが止んだ
と迫中融氏の著作「通津の伝承と伝説」にあります。
河野氏の本籍は通津450番地で安政元年(1854)に生まれ
大正6年64歳で死亡の記録があります。
通津の漁業会の創始者でもあります。
善次郎の息子は善伴(よしとも)といい通津小学校の校長を務めた。
その子 蓮太郎氏横山に在住されています。


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由宇代官所跡---由宇町

2005年02月22日 19時58分45秒 | 岩国情報
由宇代官所跡

 岩国藩の出先機関として正保年間(1645-)柏原(現在の横町)に設置。
 藩より派遣された代官1人と手子役2人その他を置き近郷11か村と1島
 を支配しました。
 11か村は海土路(みどろ)、藤生(ふじゅう)、黒磯、青木、保津(ほづ)
 通津、長野、由宇、日積、神代(こうじろ)、大畠、柱島

 役目は年貢の徴税、勧農、宗門の事務、藩からの通達、些細な訴訟
 地方からの願い届出の取次ぎ、治安の維持、山林の管理
 江戸時代の中頃はこのあたりは百戸以上の家が続く街で岩国、柳井に
 次ぐ賑やかな町でした。
 明治になって舛屋(山中家)の所有となりました。
 門は現在槙尾の芦村さん宅の門として残っています。
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東京出張

2005年02月21日 06時58分01秒 | Weblog
2/20の日曜より本日東京に出張に来ており携帯からのメッセージになります昨日は風邪気味のため西新宿をうろつく事もなくホテルでテレビを見て過ごしていました写真は昨日ホテルの近くで食べた味噌ラーメンです
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養専寺にある宝暦殉難三士の墓---和木町

2005年02月20日 08時58分13秒 | 岩国情報
宝暦殉難三士の墓
 宝暦2年(1752)10月小瀬川口の中洲(与三野地)において
 吉川、浅野両藩の間に国境をめぐる騒動がおこり、その際犠牲
 となった野脇新六(釈教信)坂戸源右衛門(釈清祐)
 児玉治良兵衛(釈浄願)ら三人の墓です。
 吉川藩主は翌3年それぞれの子供を武士に取り立てそれぞれに
 石高10石を与えて今津御舟手組に召抱えました。

 和木町教育委員会の立て札より引用

写真は養専寺の全景
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長谷川好道元帥---岩国の偉人

2005年02月19日 08時27分10秒 | 岩国情報
長谷川好道元帥

嘉永3年(1850)、錦見(にしみ)に旧岩国藩士長谷川藤次郎の長男として
生まれ(場所は現在練武場のあるところ)西南の役、日清・日露戦争に従軍し、
朝鮮総督として活躍。
明治3年(1870)大阪兵学寮に入り明治4年(1871)陸軍大尉
その後大佐となりフランスに留学した。明治29年(1896)には
近衛師団長となった。
大正13年(1924)1月27日75歳の生涯を閉じた。

写真は元帥の生誕の地(現練武場)に建てられた碑である。
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菅原神社---由宇町

2005年02月18日 06時04分06秒 | 岩国情報
菅原神社
 祭神 菅原道真(みちざね)公、菅原是善(これよし)卿、吉祥女
 農耕に大切な天候を司る天神信仰と道真公の御霊信仰が
 結びつきさらに学問、文学の神様として広く信仰されるように
 なりました。
 創建について明らかではありませんが源平の戦渦の頃、難波貞光
 がこの地に鎮祭とある(由宇町史)。
 宝永6年(1709)再建(由宇町史)も見られます。
 明治12年(1879)から明治28年(1895)まで由宇小学校の前身
 由宇小学西教場がこの神社の境内に開設されていた。
 西教場の碑文もあります。
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