CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸市須磨区妙法寺のHaleiwa cafe (ハレイワ カフェ)でのランチ on 2018-6-27

2018年06月30日 04時46分27秒 | 神戸情報
2018年6月27日(水)、妙法寺のHaleiwa cafe (ハレイワ カフェ)でランチ
をいただきましたので写真紹介します。

Haleiwa cafe (ハレイワカフェ)

住所:神戸市須磨区多井畑東町2-1  TEL:078-791-0300
営業時間:【平日】11:00~22:00  【土日】10:00~22:00
定休日:なし(無休)
公式サイト:http://haleiwa-cafe.com/
オープン日:2017年10月19日


メニュー表(ホットペッパー):https://www.hotpepper.jp/strJ001179784/lunch/

地図は下記ブログで記載
 神戸市須磨区妙法寺のHaleiwa cafe (ハレイワ カフェ)でのランチ on 2017-11-14

当日、注文したのはパスタランチ 1,380円(税別)


上の写真は私が選択した豚しゃぶとほーれん草のおろしポン酢


上の写真は奥様が選択したパスタ、海老とアボカドのバジルソース


上の写真は最初に出てくるサラダ、スープ、ロングバケット(はちみつを選択)


上の写真は私が飲み物で選んだアップルジュース
こちらが非常に美味しかった。




上の2枚の写真はお店の外観と看板

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ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2018-6-26

2018年06月29日 04時59分25秒 | 神戸情報
2018年6月26日(火)、ゆず庵 神戸小束山店で頂いたランチを写真紹介します。
2017年5月30日に洋服の青山の隣に出来たお店です。
今回はメニューの入れ替えがあったので訪問しブログを書くことにしました。

ゆず庵 神戸小束山店の基本情報

住所:神戸市垂水区多聞町字小束山868-1358  TEL:078-784-7011
料理ジャンル:寿司、しゃぶしゃぶ、串焼き
営業時間:11:00~24:00(最終入店22:00) 定休日:?
経営:洋服の青山を展開する青山商事100%出資の株式会社glab(2011年7月6日 設立)が
   展開するチェーン店


公式サイト(株式会社glab):http://www.glob.co.jp/company_topmessage.php

メニュー表:http://www.shabu-yuzuan.jp/


上の写真が当日頂いた春の松花堂ランチです。1,280円(税別)
「土瓶蒸し」であったのがしゃぶ鍋になっています。


上の写真はメイン部のアップ




上の2枚の写真は当日選択したデザート




上の2枚の写真はランチのメニュー表です。
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三木、小野への訪問記 on 2018-6-13

2018年06月28日 05時11分58秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年6月13日、神戸電鉄を利用して三木市と小野市を訪問しました。
憶えの為に寄った場所を写真を添付して記しておきます。

三木市
ナメラ商店街

神戸電鉄三木上の丸駅で下車しナメラ商店街より稲荷神社、三木城跡を経て金物資料館
に寄りました。上の写真はナメラ商店街の入口です。「三木合戦の地」の看板が
目立ちます。商店街は完全にシャッター通りとなっています。

金物資料館





上の3枚の写真は室町時代の後半、中国大陸から伝わった大鋸(おが)の展示と説明板。
大鋸は丸太を縦に切る道具でこれにより角材を得ることが可能となりました。
展示の大鋸は石峯寺(しゃくぶじ)から発見されたものの複製品だそうです。
おが屑の語源になったとの説明に納得。
日本ではこの大鋸を改良して上の写真のような大鋸が開発使用されていきます。


上の写真は金物資料館で頂いた金物関連の漢字の読み

過去の訪問記:
三木市立 金物資料館訪問記 on 2010-11-4

三木金物古式鍛錬 鏝(こて)の鍛造工程実演 on 2015-2-1

みき歴史資料館
御坂神社の祭り屋台展を観る目的で入場しました。
2階の展示は撮影禁止のためリーフレットのコピーを添付(下の2枚の写真)




1階の布団太鼓(八雲神社)の展示を添付しておきます。(下の4枚の写真)









関連ブログ:
三木の屋台資料展と若宮神社屋台 in みき歴史資料館 on 2016-10-30

三木市大宮八幡宮 新町の屋台について


堀光美術館
堀光美術館では企画展 小川忠彦の不思議なアートが行われていました。
トースト作品がユニークで感動しました。
展示の作品目録を添付しておきます。


神戸電鉄三木駅
ビストロ・ド・ノブでランチをいただいた後、美嚢川にかかる福有橋を渡り先般
火事で被害のあった神戸電鉄三木駅に向かった。
火災は2018年3月4日に発生。

上の写真は福有橋から三木駅方面を撮ったものです。




上の2枚の写真は神戸電鉄三木駅の2018-6-13現在の現況


小野市 

神戸電鉄小野駅



上の2枚の写真は神戸電鉄小野駅






上の3枚の写真は小野駅で掲示の看板やポスター

小野市立好古館 





上の3枚の写真は小野市(樫山)出身の歌人・上田三四二 生涯と業績と題した企画展の
展示とリーフレット




上の2枚の写真は早逝の洋画か田中英之助の展示と案内リーフレット


上の写真は正面の展示





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関戸由義の墓 in 追谷墓園 on 2018-6-24

2018年06月27日 05時28分51秒 | 神戸情報
2018年6月24日、追谷墓園に墓参りの為出かけていました。
予てより確認したかった関戸由義の墓の写真を撮ること出来ましたので紹介します。
設置場所は19区の奥にあります。区画図は後に添付


上の写真は関戸由義(よしつぐ)の墓
墓碑には「関戸由義之墓」と記載されています。


上の写真は関戸由義の墓の遠景です。
左手に上屋を伴った追想の碑があります。
風雨にさらされていないので碑文ははっきりと確認できると思います。


上の写真は追谷墓地の区画図


上の写真は関戸由義(よしつぐ)の肖像 「ゆうぎ、よしのり」とも読む幼名は良平
出典:禾舟(川嶋右次)「関戸由義氏事蹟一班」兵庫史談 第2巻第6号(1933年6月)

関戸由義(よしつぐ)の基本情報

生年月日:文政12年(1829)10月25日 出生地:越前国足羽郡下呉服町
死去年月日:明治21年(1888)8月17日 神戸市北長狭通4丁目自邸で死去
墓:死亡時は城ケ口共同墓地に埋葬 のちに追谷墓地に改葬(19区奥)
父親:薬種商第4代輪違屋(わちがいや)平兵衛
母親:越前国足羽郡亀屋町の藩医 第4代山本正伯宅に乳母奉公した女性
妻:山口フサ(天保10年(1839)4月11日生まれ)
義理の弟:山口左一郎(後に関戸左一郎)天保14年(1843)2月7日生まれ
長男:関戸慶治 慶応元年(1865)7月26日生まれ
次男:春雄 明治4年(1871)3月21日生まれ 村瀬家に養子 村瀬春雄
   大正13年(1924)4月9日没 
   高等商業(現一橋大)を中退、明治23年ベルギーに留学。明治26年帰国して
   高等商業の教授となり、損害保険論を講義した。明治28年帝国海上保険
   (現安田火災海上保険)に学識を買われ副支配人として招かれた。
   大正元年副社長となる。海上保険学の父といわれた。
   一橋大学内に銅像あり
三男:五三郎 明治8年(1875)5月7日生まれ 一時、清水家に養子(明治16-17年)
四男:陽一 明治9年(1876)12月22日生まれ


関戸由義について過去に書いたブログ:

神戸の都市デザインを描いた先駆者 関戸由義について

開業時の元町駅
開業時の名称は三宮停車場


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初代神戸区長 武井正平の墓 in 追谷墓園 on 2018-6-24

2018年06月26日 06時02分42秒 | 神戸情報
2018年6月24日、追谷墓地に墓参りの為出かけていました。
その時、関戸由義(よしつぐ)の墓を確認するため19区の奥に行った時に初代神戸区長
武井正平(神戸区長在位 1878~1881)の墓を偶然見つけましたので写真紹介します。


上の写真は初代神戸区長 武井正平の墓
墓碑には「武井正平君之墓」と刻まれています。


上の写真は初代神戸区長 武井正平氏の顕彰碑



武井正平の略歴
天保年間(天保13年(1842)より以前)姫路藩士の武井領八の長男として生まれる
没年は明治14年(1881)8月18日 40歳くらいか
父の武井領八が早死にした為、弟の武井守正(天保13年~大正15年12月4日(1842-1926))
などの面倒をみる。


神戸大学経済経営研究所 新聞記事文庫 都市(12-118)
神戸又新日報 1934.5.1-1934.8.3 (昭和9)
コウベ新風土記  太田陸郎著
上記の史料から武井正平氏と神戸市の誕生に関する部分をピックアップしました。

明治11年(1878)4月第二回地方長官会議終了後従来の大小区制が廃止されて
郡区町村編制法府県会規則及地方税則が発布されて12月1日神戸、兵庫、坂本村が
神戸区となり北長狭通四丁目に神戸区役所が開設されて武井正平氏が区長兼八部郡長
となりここに大神戸市が出現する第二期的な形態をなすに至った、

明治21年(1888)1月には相生町に神戸区役所の新築庁舎式があげられ後、
明治22年(1889)4月1日始めて市政を布き6月21日神戸市役所と改称された、
今も六月二十一日は開庁記念日としてお役所の休日である。
現在(昭和9年当時)の庁舎は明治四十二年十二月十八日竣工、建坪五百三十五坪
コンクリート石、煉瓦等と混用された建物であって当時スバラシイものだったと云うが
現代の大神戸市としてはさしてほこる程のものでなくなった、其西隣が神戸地方裁判所で
市役所との間にイカメシイ煉瓦の高塀にかこまれたのが裁判所の未決の居所世俗に橘座と
呼ぶがこの座にだけはあまり入場の希望者もあるまい


新修神戸市史 第1章Ⅰ第1節2には明治12年(1879)1月
区制廃止、1区(神戸区)33郡設置。初代区長に武井正平就任(~1881)


明治22年(1889)4月1日に神戸区に葺合村、荒田村を併合して神戸市が
誕生しました当時の人口は約13万5千人だったようです。
初代市長は鳴滝幸恭(なるたきこうきょう)、 初代庁舎は相生町1丁目の
元神戸区役所庁舎(6月21日開設)

最後に追谷墓地の説明板を添付して終了します。



上の2枚の写真は追谷墓園の現地説明板
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Motherでのランチ on 2018-6-22

2018年06月25日 06時13分42秒 | 神戸情報
2018年6月22日、三宮の国際会館の南にある新しいお店「マザー」で
ランチを頂きましたので写真紹介します。初訪問です。
deli & beer cafe motherが正式名称か?

マザー Mother の基本情報
住所:神戸市中央区磯上通8-1-16 越智ビル1F TEL:078-242-0085
営業時間:11:30~23:00 定休日:月曜日


公式サイト:https://motherkobe.com/
FB:https://www.facebook.com/motherkobe/

当日、注文したのはマザーランチ1,000円(税込)です。
メイン料理を三品の中から一つ、サイドメニューを5つの中から2つ、スープを2種類の
中から一つ、主食はご飯、五穀米、パンから選びます。
平日ランチはドリンクバー付でドリンク無料・飲み放題です。


上の写真は私が選択したものです。
五穀米を注文したいところですが売り切れで残念
スープも味噌汁しか残っておらずこれを選択
でもどれも美味しく満足です。


上の写真は奥様が選択したプレートです。
奥様はパンを選択。ご相伴したが、ちょっと硬すぎて噛み切るのが大変でした。







上の3枚の写真はメニュー表


上の写真はお店の外観です。


上の写真は選択表です。
また訪問したいと思いました。

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甘味処 さくら茶屋でのランチ on 2018-6-23

2018年06月25日 05時24分55秒 | 神戸情報
2018年6月23日、有閑 さくら茶屋 須磨店でランチをいただきましたので写真紹介します。
大丸須磨店の4階にある甘味処のお店です。

有閑 さくら茶屋 須磨店 の基本情報

住所:神戸市須磨区中落合2-2-4 大丸須磨店 4F  TEL:078-795-3046
料理ジャンル:甘味処、そば
営業時間:11:00~20:00  休み:不定休


公式サイト:http://www.dears-inc.com/sakura-chaya/



上の写真は私が選択した1,030円(税込)
にゅーめんが美味しかった


上の写真は奥様がチョイスしたさくら膳 1,080円(税込)


上の写真はさくら茶屋のシンボル「桜」を模った記章


上の写真は当日座った席の置物




上の2枚の写真はメニュー表の一部です。



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元離宮 二条城の東大手門と唐門

2018年06月24日 14時53分57秒 | 京都情報
本日(2018-6-24)、2017年9月19日BS朝日の下記放送を録画で観た。
 京都ぶらり歴史探訪 「二条城と坂本龍馬~大政奉還の真実~ 」


この番組の中から東大手門と唐門について写真紹介していきます。

元離宮 二条城の公式サイト:
 https://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/index.html


東大手門


2017年3月22日に二条城東大手門は建設当時の姿に蘇りテープカットの儀式が
行われました。
東大手門は二条城が築城された慶長8年(1603)につくられたが、寛文2年(1662)頃に
再建され、今の姿になったとされる。工事は平成26年(2014)10月から行われ、
老朽化した屋根瓦の葺き替えや漆喰を塗り替え、金箔貼りの当時の姿をよみがえらせた。




上の2枚の写真は改修後(上)と改修前(下)の二条城東大手門


上の写真は上空より二条城東大手門付近を俯瞰したものです。


上の写真は寛永3年(1626年)9月6日に行われた後水尾天皇の二条城行幸が描かれた
二条城行幸図 (洛中洛外図) 屏風の左隻 広島海の見える杜美術館 蔵
2代目将軍の徳川秀忠が大御所として、さらに3代目将軍徳川家光が天皇をお迎え
しています。

2017年6月1日のうみもりブログで上記屏風に関する詳しい解説があります。

本ブログではこの時に現在2層である東大手門が1層に建て替えられたことが
番組で指摘されていましたのでその部分を強調しました。(下の2枚の写真)




唐門











上の6枚の写真は表側と真下から撮られた二条城唐門です。

明治17年(1884)に二条城は宮内省の所管となり「二条離宮」と改称された為
菊の御紋の紋章となっています。




上の2枚の写真は二条城唐門の内側の飾りで仙人と瑞鳥が描かれています。

最後に二条城を上空より観た遠景を添付しておきます。
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神戸市長田区 駒ヶ林の左義長祭り

2018年06月24日 04時21分29秒 | 昔こんなものがあった 昭和編
以前、下記のブログの中で駒ヶ林の左義長祭りについて写真を添えて記事を書いた。
2018年6月の神戸市広報誌「KOBE」の長田区版「ながたを歩こう」の特集で
「思い出、さんぽ ”左義長祭り”」-駒ヶ林界隈-で昭和34年(1959)に行われた
「左義長祭り」の写真を中心に紹介されたこともあり、この記事を書くに至った。

神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その1 駒林神社の復興された大鳥居といかなごくぎ煮発祥の地の碑

神戸市長田区駒ヶ林町の散策記 on 2017-2-19 その2 駒林神社


駒ヶ林の左義長は永延2年(988)年1月15日に始められ、1,000年以上もの
長い歴史を持つお祭りで、漁場を巡って毎年1月15日に左義長を行って地引網の
網入れ優先権を争ったそうです。この漁場争いは弘化2年(1845)以降、東と西の
夫々の派閥が左義長祭りで作ったお山を駒ヶ林港の砂浜の上でぶつけて倒しあうようになった

駒ヶ林の東西に分かれ、10mにも及ぶ高さの「お山」を100人ほどの漁師
たちが担いで浜辺で倒し合いを行うこのお祭りは、その年の漁獲が懸かっている
だけに壮絶を極め、流血の事態が起こることもしばしばであったために
「駒ヶ林のけんか祭り」とも言われていたそうです。

埋め立ての影響で天然の砂浜がなくなり昭和34年(1959)を最後にこのお祭り
は途絶えてしまいました。その後、平成5年(1993)に行われたアーバン・
リゾートフェアの中で久々に復活されたりしていますが、本格的な祭りの
復活までには至っていません。

左義長祭りとは

Wikipediaより左義長祭りについてピックアップし纏めてみました。

左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事。
地方により「とんど(歳徳)焼き」、「どんと焼き」、「塞(さい)の神まつり」
などとも呼ばれる。
小正月(1月15日)に宮中、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)3本を結び、
その上に扇子や短冊などを添え、陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事は
三毬杖(さぎちょう)と呼ばれこの行事が民間に広がったのが起源と言われる。


駒ヶ林公園には左義長祭りに関する説明版が掲示されておりそれを中心に写真紹介
していきます。駒ヶ林公園は神戸市長田区南駒栄町1番の住所で神戸市の西部下水処理場の
施設に離接する大きな公園です。公民館の「駒ヶ林会館」にも隣接しています。
夏の人気イベント「駒ヶ林ふれあいまつり」の会場でステージが利用されています。

昭和34年の左義長祭り


上の写真は昭和34年の左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)






上の3枚の写真は昭和34年の左義長祭り(2018年6月神戸市広報誌KOBE 長田区版


平成5年(1993)復活の左義長祭り

上の写真は平成5年(1993)に行われたアーバン・リゾートフェアの中で
久々に復活された左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)

明治43年以前の左義長

上の写真は明治43年以前の野田村左義長(駒ヶ林公園の説明板)
お山は幸吉兆と呼ばれるもので幸を呼ぶ神を表現しています。

左義長の制作絵図

上の写真は左義長の制作絵図で高さは13間半(約25m)(駒ヶ林公園の説明板)

駒ヶ林神社の左義長掛け軸

上の写真は駒ヶ林神社の左義長掛け軸(駒ヶ林公園の説明板)

駒ヶ林神社の「木版左義長神札」

上の写真は駒ヶ林神社の「木版左義長神札」(駒ヶ林公園の説明板)

学校での左義長祭り



上の2枚の写真は学校での左義長祭り(駒ヶ林公園の説明板)

左義長祭の絵画

上の写真は左義長祭の絵画(駒ヶ林公園の説明板)

駒ヶ林公園と西部下水処理場

上の写真は駒ヶ林公園の遠景


上の写真は神戸市の西部下水処理場を中心とした航空写真
工事中の北系水処理施設は完成後の姿。下の方に駒ヶ林公園も写っています。



上の写真は駒ヶ林公園に掲示の駒ヶ林の左義長の歴史と題した説明板の全体


最後に他の地域のとんど焼きの例として明日香村稲渕地区の幸吉兆のお山の
写真を添付しておきます。 撮影:2017-1-9

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城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その2 天神公園の石碑と眺望

2018年06月23日 06時33分32秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年6月17日、神戸電鉄を利用して三田へ出かけていました。
城下町 三田の街めぐりと題して第1回は三田天満神社を取り上げました。


過去の記事へリンク
第1回 城下町 三田の街めぐり on 2018-6-17 その1 三田天満神社

シリーズ2回目として「天神公園の石碑」をテーマに記事を書いていきます。

三田天満神社は懸社の社格をもつ九鬼藩の代々藩主の祈願所だった由緒ある神社である。
そのすぐ裏に天神公園がある。九鬼男爵の記念碑をはじめ多くの石碑が立ち並ぶ
史跡公園ともいうべき風情である。市の中心部の西側の高台にある公園は、三田盆地を
囲む有馬冨士をはじめとした山並みと市街地を望む絶好のビューポイントでもある。

桜の名所でもある


三田 天神公園の基本情報

住所:三田市天神3丁目34-5(三田天満神社) TEL:079-563-1111(三田市役所代表)
                     公園関係直通は079-563-0039



天神公園の石碑

上の写真は天神公園の石碑

小寺泰次郎翁頌徳碑


上の写真は小寺泰次郎翁頌徳碑

小寺泰次郎(1836-1904)は三田では三田学園の創始者として著名である。神戸では
宅地造成の先駆者として有名で現在の相楽園が本邸であった。

相楽園は第11代神戸市長小寺謙吉氏の先代小寺泰次郎氏の本邸に設営された庭園で
明治18年(1885)から築造が開始され明治末に完成しました。
昭和16年(1941)以降は神戸市の所有となり相楽園と名付けられ一般公開される
ようになりました。

廃藩置県後、第13代三田藩主の九鬼隆義は家老の白洲退藏(白洲次郎の祖父)、藩士の
小寺泰次郎らとともに神戸に出て実業家に転身、やがて輸入商社「志摩三商会」を設立。
志摩三商会の「志摩」は九鬼家(九鬼水軍)発祥の地、「三」は三田の三である。

小寺泰次郎は天保7年(1836)、三田藩の足軽小寺弥五太夫の次男として生まれました。

幕末の安政6年に藩主になった九鬼隆義は、進取の精神に富み、藩校「造士館」の教授から
取り立てた郡奉行・白洲退蔵(後の横浜正金銀行頭取、白洲次郎の祖父)の助言の下、
藩改革に取り組みました。福沢諭吉と知遇を得た九鬼隆義は、西洋文明を積極的に取り入れ、
藩士に学問を勧め、商業や農業など実業への転身を促しました。


九鬼成海の碑



九鬼隆一の号 九鬼成海の名で天神公園内に石碑が建てられていますのでその
説明板と共に写真を添付しておきます。(上の2枚の写真)

九鬼隆一男爵(1852-1931)についてWikipediaより略歴を記載しておきます。
九鬼 隆一(くき りゅういち、嘉永5年8月7日(1852年9月12日)- 昭和6年(1931年)
8月18日)は明治時代から昭和初期にかけての日本の官僚、政治家。旧綾部藩士。男爵。
号は成海。摂津国三田出身。慶應義塾に学んだのち文部省に出仕し、若くして文部少輔
(現在の事務次官)にまで栄進。1884年(明治17年)、駐米特命全権公使に転じ、
1888年(明治21年)に帰国すると図書頭、臨時全国宝物取調委員長、宮中顧問官、
帝国博物館総長を歴任。美術行政に尽力した。また貴族院議員、次いで枢密顧問官を兼任。
1900年(明治33年)に総長を退いてからは枢密顧問官を長く務めた。
1914年(大正4年)には郷里に三田博物館を設立し、自らの美術コレクションを展示・公開
している。息子は哲学者の九鬼周造。



九鬼隆一のお墓は心月院の中にあります。(下の写真)



貫誠社記念碑



上の2枚の写真は貫誠社記念碑と説明板

貫誠社は三田藩の下級武士階級の結社である。(上級武士階級の組織は懐旧会)

記念碑は昭和10年(1935)に旧藩士の子孫により建立されたものである。

上の写真は貫誠社記念碑の裏面で記念碑建立に寄付した人の名が記載されています。

句碑

上の写真は句碑。読みが間違えているかもしれませんが記載しておきます。
「有馬富士 まながいして 秋日踏む」


天神公園からの眺望

上の写真は天神公園からの眺望です。

木が邪魔をして眺望が開けていないので三田天満神社の一の鳥居付近からの
眺望を添付しておきます。


上の写真は撮影地点の三田天満神社の一の鳥居




上の写真は三田天満神社の一の鳥居付近からの眺望

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