CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

べっぴんさん 第1週 10月3日(月)より始まる

2016年09月30日 06時09分41秒 | Weblog
10月3日より、NHKテレビ朝ドラは「べっぴんさん」が始まります。
アパレルメーカの「ファミリア」の創業者の坂野惇子(ばんの あつこ)が
主人公のモデルです。昭和23年(1948)12月4日 女学校時代のクラスメート
田村枝津子、その義姉田村光子、近所の友人村井ミヨ子を誘い、主婦4人で
神戸でささやかなベビーショップ「モトヤ」を開店したことに始まります。
昭和15年(1940)5月 に結婚した 坂野通夫(前ファミリア会長)や一人娘の
光子(てるこ)と夫の岡崎晴彦。さらに坂野惇子の父親佐々木八十八と母親の
佐々木(旧姓雲川)倆子などが登場すると思います。
またレナウンの尾上清も登場すると思います。


どのようなドラマになるのか楽しみです。

「べっぴん」という言葉は江戸時代に「別品」と書かれ「特別に良い品物」
を表す言葉でした。


ファミリア創業者 坂野惇子(ばんのあつこ)の略歴(ファミリア設立まで)
を下に記しておきます。

大正7年(1918)4月 佐々木八十八(貴族院議員でレナウンの創業者)と
         雲川倆子の三女として神戸市魚崎に生まれる。

大正14年(1926)4月 魚崎小学校に入学
昭和6年(1931)甲南高等女学校(現在の甲南女子)入学
        田村枝津子とクラスメート
        甲南女学校卒業後東京女学館高等科及び伊藤茂平研究所を卒業
昭和15年(1940)5月 坂野通夫(前ファミリア会長)と結婚
昭和17年(1942)長女 坂野光子を出産 
        外国人専門のベビーナース大ケ瀬久子から3か月間育児法を学ぶ
昭和20年(1945)神戸大空酒を受け姉の嫁ぎ先(岡山県)に疎開
昭和21年(1946)5月 出兵していた夫・坂野通夫が帰還し
坂野通夫の兄の借家(尼崎市塚口)に暮らし始める 
           家で子供の面倒を見ながら近所の子供の洋服を作り始める
         父佐々木八十八の軽井沢別荘の外国製毛糸を引き取る
昭和22年(1947) 自宅内で週一回の手芸教室(お稽古ごと)を開始
昭和23年(1948)12月4日 女学校時代のクラスメート田村枝津子、その義姉
          田村光子、近所の友人村井ミヨ子を誘い、
主婦4人で神戸でささやかなベビーショップ「モトヤ」を開店
昭和25年(1950)4月12日 株式会社ファミリアを創業




上の写真には上記4人のファミリア創業者の写真が写っています
左から坂野惇子、田村光子、田村枝津子、村井ミヨ子


上の写真は坂野通夫(前ファミリア会長)と4人のファミリア創業者

筆者は最近NHK出版の本(下の写真)を購入しました。



その中に第1週のストリーが記載されていましたので出演者の名前も添えて
引用紹介します。

終戦間もない昭和20年9月に坂東すみれ(芳根京子)が赤ちゃんをおんぶして空襲を受けた自宅後地で、呆然と立ち尽くしている。小澤良子(百田夏菜子)や村田君枝(土村芳)もすみれと同様に夫々の赤ん坊を背負い変わり果てた神戸の街を茫然と眺めている。
小野明美(谷村美月)もまた、一人じっとたたずんでいる。その4人とも決意を胸に抱いていた。

その20年後、総合子供用品店「キアリス」の20周年パーティーが開かれた。

社員が見上げる壇上には、坂東すみれ、小澤良子、村田君枝、小野明美が並んでいる。そこに来賓としてきていた野上潔(高良健吾)がマイクの前にたった。
野上潔は「人生は自ら生きるべきところはどこか」を探していく旅だと語りかける。
そのためには自分を知らなければならない。自分の大切なもの、譲れないものはどこにあるのか。彼女ら4人はただただ赤ちゃんとお母さんのことを思い、針を縫い続けてきた。そのことが、多くの家族を幸せに導いた。

潔がすみれたちをたたえると、会場では拍手に包まれた。その話を聞いている坂東すみれの手には、古めかしい布が握られている。母の坂東はな(菅野美穂)が縫ってくれた四葉のクローバーの刺繍を施したハンカチだ。

母が亡くなってからも、すみれがずっと大切にしているハンカチだ。すみれは、母・はなの言葉を思い出している。四つの葉には、「希望」、「信頼」、「愛情」、「勇気」という意味がありそれがそろったときに幸せになれるという言葉を・・・・
昭和9年、神戸の高台にハイカラな洋館が建っている。それは、坂東五十八(生瀬勝久)が新しく立てたものだ。だが、その五十八の妻でありすみれの母のはなは病気で入院してまだこの邸宅の様子を知らない。

すみれの父・五十八は大阪で繊維会社を経営している。名前は「坂東営業部」。五十八の娘二人、すみれと坂東ゆり(蓮佛美沙子)は対照的な性格だと感じている。

12歳の長女・ゆりは、明るくきっぱりとものを言い切る爽快さがある。次女・すみれは、ほんわかしてぼーっとしていて、どこか天然のところがあり捕らえどころがない。

すみれは、その頃に四葉のクロバーのハンカチのお返しに入院している母になにか手芸で物をあげれないか考えてるいる。すみれは、そのために手芸を初めて没頭し始めた。
一度夢中になると並外れた集中力を発揮する性格なのだ。

翌日、坂東家の面々(五十八、ゆり、すみれ、坂東家の執事の井口忠一郎(曽我廼家文童)、
女中頭の佐藤喜代(宮田圭子)ではなの見舞いに行った。見舞いにいくと、ゆりは生花をもっていって、はなは嬉しそうに匂いを嗅いでんいた。
その後に、すみれが手芸で刺しゅうしたものを見せると、五十八や井口忠一郎がなんだこれ?という反応を示した。すると、恥ずかしくなったゆりは手芸した布を奪い走って病室から逃げろように飛び出した。
その晩、すみれは刺しゅうをふたたびやり直しにとりかかった。

そんな中、五十八の建築中の家がたち新築披露パーティーが開かれた。招待客の中には、貴族院議員の田中五郎(堀内正美)とその息子の紀夫(永山絢斗)の姿もあった。
また、坂東営業部の取締役を務める野上正蔵(名倉潤)とその息子・潔(高良健吾)も顔を出した。
すみれは、そのパーティーをすぐに放り出し急いで、再度の刺しゅうにとりかかった。
その刺しゅうを縫っているところに野上潔がやってきて、その刺しゅうの柄を言い当てた。そして、その刺しゅうに励むすみれを応援した。すみれは、そのこともうれしくなおのこと頑張って手芸に励んだ。

それからしばらくして、野上潔が近所の子供たちを連れて坂東家にやって来た。皆、そのハイカラな家に目を輝かせていた。潔から坂東家を見たいとあらかじめ伝えており、五十八も喜んで家を案内した。以下略


1週では神戸市垂水区のジェームス邸や塩屋の高台からの眺望もロケで
使用されているようなのでその場面もコメントを添えて記します。


上の写真は坂東五十八(生瀬勝久)が新築したジェームス邸にすみれとゆりの
母親坂東はな(菅野美穂)を出迎える場面。

実際には魚崎に坂野家は別荘を建てています。


上の写真は戦争で焼けた家の前で茫然とするすみれの場面。
セットはジェームス邸の建物のある部分を模して作成されたようです。


上の写真は塩屋の高台で撮影されたシーン。

べっぴんさん関連で過去に書いた記事

平成28年度後期 連続テレビ小説「べっぴんさん」出演者発表 on 2016-5-16

書籍 「上品な上質」ファミリアの考えるものづくり

ファミリアホール 見学会 on 2016-7-1

ファミリアの軌跡展 in KIITO on 2016-9-9





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鳥光 須磨本店でのランチ on 2016-9-22

2016年09月29日 06時42分12秒 | 神戸情報
2016年9月22日に鳥光須磨本店でランチをいただきましたので写真紹介します。

鳥光須磨本店の基本情報
住所:神戸市須磨区行幸町1丁目1−39  TEL:078-731-5855
 公式HP
 営業時間:11:30~22:00 (ラストオーダー21:30)
休業日:年末年始を除き無休


現地の地図は下記ブログ記事に掲載しています。
 鳥光 須磨本店でのランチ on 2014-11-6



上の写真は奥様が注文した手羽定食 950円(税込)です。


上の写真は私が注文したそぼろセット 890円(税込)です


上の写真はお店の外観
経営者は真田さんということで六文銭の家紋が入った暖簾がありました。




上の2枚の写真はお店の看板 真田家の末裔で、六文銭の家紋がまぶしい



お店のマスコット? 布袋尊


上の写真はメニュー表


上の写真は所在地など基本情報が書かれたリーフレットです。


上の写真は鳥光の歴史が書かれたリーフレット

鳥光の歩み(簡略版)

 明治25年(1892)初代真田二三吉が京都(円山公園・伏見稲荷大社付近)で開業

 昭和9年(1934)2代目真田太郎が家業を継ぎ神戸市長田区六間道に焼鳥屋「鳥光」

 昭和32年(1957)長田区六間道から現在地に移転

 昭和43年(1968)3代目真田弘が社長を継ぎ 真田修が専務となり多店舗展開

 昭和62年(1988) 鳥光須磨本店新装開店

 平成3年(1991) 4代目真田修が社長就任

 平成14年(2002) 5代目真田益充が社長就任


拡大版は下のとおり
 http://seiyo39.blog.eonet.jp/default/files/history_of_torimitsu.pdf
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於美阿志(おみあし)神社/檜隈寺跡 訪問記 on 2011-5-16 と発掘調査概要  

2016年09月28日 13時32分47秒 | 奈良情報
於美阿志神社(檜隈寺)は 渡来人の東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先と
される阿知使主(あちのおみ)を祀っている神社です。
2011年5月26日に訪問した時の写真と奈良文化財研究所が発掘
調査している成果の概要をまとめてみました。

於美阿志神社(檜隈寺)の基本情報
住所:奈良県高市郡明日香村檜前594  
祭神:阿智使主神夫妻二柱

檜隈寺の建設時期:686年より前


飛鳥村飛鳥保存財団作成の説明板より概要説明を引用させていただきます
「檜隈は百済から渡来した阿智使主(あちのおみ)が移住したと伝えられ、
於美阿志神社(おみあしじんじゃ)はその阿智使主を祭神とする。
檜隈寺跡は、その神社の境内にあり塔、講堂跡と推定される建物跡を
のこす。日本書紀天武天皇朱鳥元年の条に檜隈寺の寺名がみえ*1、
寺跡からは7世紀末の瓦が出土する。現在塔跡にある十三重石塔は上層の
一部を欠いているが重要文化財に指定されている。」

*1 日本書紀朱鳥元年(686)8月  檜隈寺・軽寺・大窪寺に、各百戸を封す。三十年を限る。


上の写真は拝殿。


上の写真は鳥居をくぐって右手の第28代宣化天皇(467-539)の檜隈廬入野宮
(ひのくまいおいりのみや)跡の碑が建っています。
第28代宣化天皇在位は宣化天皇元年12月18日(536年1月26日) -
宣化天皇4年2月10日(539年3月15日)の約3年余で539年3月15日に
72歳で檜隈廬入野宮で崩御されています。


境内の末社。


上の写真は鳥居の外側より拝殿を臨むところで撮ったものです。


上の写真は境内の末社。





上の2枚の写真は拝殿の南西道路の脇に建つ地蔵堂と中の石像です。


境内の摂社。


上の写真は於美阿志神社の本殿である。






上の3枚の写真は十三重石塔(重文)。檜隈寺では塔の建っていた位置に
平安時代建造されたものである。


上の写真のように十三重石塔は石搭婆と表現されています。


上の写真は現地の説明板。


上の写真は現地説明板にあった説明板から撮りトレースしたものです。

檜隈寺は5世紀後半に来日した新来漢人(いまひのあやひと)をはじめとする
渡来人達をまとめていた倭漢氏(やまとのあやうじ)が7世紀後半に創建した寺である。
倭漢氏の渡来について、日本書紀は、応神天皇20年秋、阿知使主が17県の党類を
率いて来帰したとしるされています。

渡来人の倭漢氏=東漢氏についてWikipediaより解説を引用させていただきます。
「東漢(やまとのあや)氏は、『記・紀』の応神天皇の条に渡来したと記されている
阿智使主(あちのおみ)を氏祖とする帰化系氏族集団である。
『古事記』には、4世紀末の応神天皇の時代に、倭からの要請もあり、
新羅や百済から技術者・文人が多く渡来し、その中に「秦造の祖、漢直の祖、
が渡来した」と。『日本書紀』応神天皇20年9月の条に、
「倭漢直の祖の阿智使主、其の子の都加使主は、己の党類十七県の人々を
率いて来帰した。」と伝える。」


次に檜隈寺周辺の発掘調査の成果の概要について記します

1979年~1988年に行われた6回の調査で上記の現地説明図の金堂、講堂
西門、回廊など珍しい伽藍配置が確認されました

2009年の飛鳥藤原第155次調査で、主要伽藍の北東、丘陵東斜面の裾部分
で南北棟の掘立柱建物と東西塀が確認されました。これらの建物と塀は、柱筋が
檜隈寺の伽藍主軸と同じ方向を向いていることから寺の主軸伽藍と同じ時期
(7世紀後半)に造営された可能性が高い。

2010年飛鳥藤原第159次調査で掘立柱建物6棟、総柱建物1棟が確認
焼成遺構や鞴羽口など工房の存在を示す遺構が確認された

2015年の調査で新たに瓦窯跡が確認されています。



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ファミリアの軌跡展 in KIITO on 2016-9-9

2016年09月14日 06時39分51秒 | 神戸情報
2016年9月7日~9月9日の会期でファミリア軌跡展が旧生糸検査所
現在のKIITOであり9月9日に観てきました。

展示内容の写真に若干のコメントを添えて紹介します。


上の写真はファミリア軌跡展の入り口です。


上の写真は入り口看板のアップで4人のファミリア創業者の写真が写っています
左から坂野惇子、田村光子、田村枝津子、村井ミヨ子


上の写真は創業当初(1950)の飾りつけ


上の写真もファミリア創業当初の写真。Famiarと英字の看板
お店は15坪だったそうです。





上の3枚の写真は創業当初の説明パネル


上の写真は誇り高き発展の説明パネル


上の写真は光栄に浴したファミリアの説明パネル
皇室でファミリアの製品が使用された。


その時代の坂野通夫(前ファミリア会長)と4人のファミリア創業者


上の写真は1970年頃のファミリアの飾りつけ


上の写真は1980年頃のファミリアの飾りつけ


上の写真は現状から未来の説明パネル

ファミリア創業者 坂野惇子(ばんのあつこ)の略歴

大正7年(1918)4月 佐々木八十八(貴族院議員でレナウンの創業者)と
        雲川倆子の三女として神戸市魚崎に生まれる。
甲南女学校を経て東京女学館高等科及び伊藤茂平研究所を卒業
昭和15年(1940)5月 坂野通夫(前ファミリア会長)と結婚 
昭和21年(1946)5月 坂野通夫の兄の借家に暮らし始める 
         家で子供の面倒を見ながら近所の子供の洋服を作り始める
昭和22年(1947) 自宅内で週一回の手芸教室(お稽古ごと)を開始
昭和23年(1948)12月4日 女学校時代のクラスメート田村枝津子、その義姉田村光子、近所の友人村井ミヨ子を誘い、
主婦4人で神戸でささやかなベビーショップ「モトヤ」を開店
         モトヤは現在の三宮センター街
      
昭和25年(1950)4月12日 株式会社ファミリアを創業
昭和26年(1951)4月 大阪梅田 阪急百貨店に直営店開設
昭和31年(1956)5月 東京銀座数寄屋橋阪急に直営店開設
昭和31年(1956)6月 新聞広告で女子社員を求人募集 相場、金子、柴田の3人採用(50名が募集)
昭和32年(1957)7月ファミちゃんお話Tシャツ販売開始
         8月 男子社員を新聞広告で求人募集 2名採用(30名募集)なべ底不況
昭和35年(1960)4月 舞子ビラで創立10周年記念園遊会
昭和45年(1970)4月 スヌーピーのキャラクター商品の製造販売開始
昭和45-46年(1970-71) ザ・ファッショングループ(本部ニューヨーク) 東京支部長に就任
昭和51年(1976)9月 子ども百貨店 銀座ファミリアを創業
昭和53年(1978)4月7日 紀宮様(小学校3年)が銀座ファミリアで買い物
1981年4月 社団法人ザ・ファッショングループの会長に就任。その後、理事。
1986年2月 経済同友会の女性会員となる
1992年6月 夫・通夫氏の死去に伴い株式会社ファミリアの会長に就任
1998年4月 株式会社ファミリア名誉会長に就任
平成17年(2005)9月24日 死去 (87歳)

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甲種輸送 西武40000系 in 鷹取駅 on 2016-9-9

2016年09月10日 06時06分16秒 | 神戸情報
2016年9月9日、鷹取駅で見かけた西武40000系を写真と動画で紹介します。



上の動画は甲種輸送で鷹取駅を2016年9月9日13時頃出発する様子を撮った
動画です。偶然この場面にでくわしたもので撮りました。
10両編成の最新車両でトイレもある車両もあるようです。

私自身、鉄ちゃんではないので鉄道のことは何も判りません。







上の3枚の写真は2016-9-9の10時頃に撮ったものでこの時点では後ろの5両
のみを観ました。

西武鉄道より西武40000系の情報を出されていますのでリンクさせていただきます

 http://rinkai70-100.blog.jp/archives/40951449.html

2017年の春デビューする車両のようです。


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2016年度前期 兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室が終了 on 2016-8-26

2016年09月08日 09時42分22秒 | Weblog
2016年度の兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室が4月22日
から始まっており、8月26日で17回目の最終日でした。

2016年8月26日(金)、前期作品の合評会と終了証書の授与がありました。
例年のごとく、前期の作品をまとめてご披露します

兵庫県立美術館のエッチングの教室に通い始めてまる6年経過していますが、
相変わらず芸術センスなし県美一番の落ちこぼれ生徒さんと自認しています。
(2010年10月に銅版画の教室に通いはじめた)

「下手でも楽しくやろう」
をモットーに今後も継続していく予定です。

上の写真は2016年エッチング作品の主な作品のオンパレードです。




2016年度前期のエッチング作品

 第1作 「Modern and KANNON-SAMA」シリーズ

上の写真は「Modern and KANNON-SAMA」シリーズの主な作品群です。

  兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 on 2016-5-20

  兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 on 2016-5-27

  兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 on 2016-6-3

  兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 on  2016-6-10

 第2作 「悲母観音像 原画:狩野芳崖」


上の写真は「悲母観音像 原画:狩野芳崖」シリーズの主な作品群です。

  兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 on 2016-6-17&6-24

  第3作 「150th Aniversary Kobe Port」

上の写真は「150th Aniversary Kobe Port」シリーズの主な作品群です

   兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 2016年度 第3作

   兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 第3作 on 2016-7-15&7-22

   兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 第3作 on 2016-8-19




上記の作品に神戸八景の作品を加えた上の写真のようなイメージのものも
今後製作していければ「いいな」と思っています。



上の写真は「150th Aniversary Kobe Port」シリーズの作品例です。

2015年度の作品

兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2015年度後期の作品

兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2015年度前期の作品

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鶏三和 さんちか店でのランチ on 2016-8-19

2016年09月07日 07時20分57秒 | 神戸情報
2016年8月19日にいただいた鶏三和 さんちか店でのランチを写真紹介します。

鶏三和 さんちか店の基本情報

住所:神戸市中央区三宮町1丁目10-1 さんちか 味ののれん街
TEL:078-599-5655  創業:明治33年(1900) By 伊藤和四五郎
開店日:2016年3月3日
営業時間:11:00~21:00(L.O.20:30) 定休日:第3水曜日


公式サイト:http://www.sanwa-grp.co.jp/shop/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8B%E5%BA%97%EF%BC%882016%E5%B9%B43%E6%9C%883%E6%97%A5open%EF%BC%89


上の写真は奥様が注文した名古屋コーチンの親子丼980円(税抜)と
手羽唐2本セット 260円(税抜)


上の写真は私が注文した香草美水親子丼と唐揚げのセット 1,060円(税抜)
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季づ菜でのランチ on 2016-9-6

2016年09月07日 07時07分06秒 | 神戸情報
2015年9月6日(火)にいただきました遊楽料理 季づ菜でのランチを
写真紹介します。

季づ菜(KIZUNA)の基本情報
住所:神戸市垂水区名谷町3428−1  TEL:078-792-5544‎
コーナン名谷店の近くにあります。 ジャンルは日本料理
定休日:水曜日及び第3火曜日  料理長は田中克明 氏


当日は、私と奥様2人ともお気に入りの餡かけ石焼き海鮮丼(1,050円)を注文。


上の写真がお気に入りの餡かけ石焼き海鮮丼です。
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LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)でのランチ on 2016-9-2

2016年09月07日 05時58分51秒 | 神戸情報
2016年9月2日、三井アウトレットパーク マリンピア神戸の中にある
LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)でランチを
いただきましたので写真紹介します。初訪問です。

LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)の基本情報

住所:神戸市垂水区海岸通12-2-9031 三井アウトレットパーク  マリンピア神戸1F
TEL:078-754-8601  営業時間:11:00~22:00
定休日:不定休  料理ジャンル:ピザ、パスタ
公式サイト:http://www.potomak.co.jp/shoplist/loche-market-store/




上の写真はランチセットを注文するとサラダがビュッフェスタイルでつきます


上の写真は私が注文した海老ジェノベーゼパスタ 美味しかった
ランチセットで1,600円(税抜)


上の写真は奥様が注文した明石ダコとジャガイモのトマトソースピッツァ
ランチセットで1,750円(税抜)




上の3枚の写真はランチメニュー 客層は若い人が多くキッズメニューも豊富




上の2枚の写真はお店の外観です。


上の写真はマリンピア神戸から明石海峡大橋方面を臨んだ風景


上の写真はお店のロゴ




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第23代横綱 大木戸森右衛門生誕の地碑 on 2016-9-4

2016年09月05日 04時25分06秒 | 神戸情報
2016年9月4日、第23代横綱 大木戸森右衛門生誕の地碑の写真を
撮ってきましたので紹介します。兵庫県下で只一人の横綱だそうです。
全く知りませんでした。

所在地は魚崎八幡宮の隣地の五百地公園です。
住所地番は神戸市東灘区魚崎南町3丁目19です。


上の写真は「大木戸森右衛門生誕の地碑」がある五百地公園の周辺の遠景です


上の写真は大木戸森右衛門の顕彰碑と説明版の遠景


上の写真は「第二十三代横綱 大木戸森右衛門 生誕之地」と書かれた碑


上の写真は現地の説明板。東灘歴史掘り起こし隊、東灘区役所が兵庫県
神戸県民局の助成を受け整備されました。

ここで改めて大木戸森右衛門について調べてみました。

「大木戸森右衛門(本名 内田 光蔵)は明治9年(1876)5月13日
莵原郡魚崎村521番地(現 魚崎南町3丁目)生まれました。
酒樽をつくる職人であったが明治29年(1896)大阪相撲にに入り
明治38年(1905)1月大関に昇進、明治41年(1908)六月場所から
明治42年(1909)五月場所にかけて三場所連続全勝記録を含む10回の
優勝記録を持つ。
大坂相撲は、明治42年(1909)に吉田司家へ東京相撲の横綱免許の授与を
申請したがなかなか認められず大坂相撲は吉田司家を無視して住吉神社と
共謀し大正元年(1912)12月25日ついに第二十三代横綱を免許された。
横綱の免許を受ける過程についてWikipediaには次のように記述している
明治43年(1910)大阪相撲は大木戸に対する横綱免許を授与、大木戸は
奉納横綱土俵入りを行った。これを知った吉田司家は無断で授与した
大坂相撲に激怒して破門を宣告したほか、東京相撲も大坂相撲に対して
絶縁宣言を叩きつける大事件へ発展した。このままでは大木戸は非公認横綱
とされるままだったが、1912年に大坂相撲は東京相撲・吉田司家両者へ
正式に謝罪し、大木戸への横綱免許の授与を改めて申請した。
吉田司家は「大木戸の横綱撤回(ただし、大阪・熊本以外での地方巡業では
横綱を黙認)」「今後、大坂相撲が横綱免許を申請する際は、東京相撲の
横綱は加判を止めて口添えを行うこと」を条件とした。大坂相撲はこれを
承認したことで東京相撲も絶縁宣言を撤回、大木戸の横綱免許が改めて
申請され、既に36歳で全盛期を過ぎたとはいえ、これでようやく公認横綱と
なった。公認横綱として最初の本場所である大正2年(1913)では5勝3敗
2休と振るわずさらに巡業中に脳溢血で倒れ半身不随となりその後の場所も
全休と正式な横綱在位期間は僅か半年で終わった。
昭和5年(1930)11月7日54歳でこの世を去った。
死の直前には大阪医科大学附属医院に自身の解剖を申し出、遺骸は同院に
献体された。大木戸には最期まで身寄りが存在せず、墓の場所は現在でも
判明していない。」


上の写真はWikipediaに掲載の写真です。

3場所連続全勝優勝は東京相撲・大坂相撲を通して大木戸森右衛門が史上初で、
連続全勝優勝記録は現在でも大木戸のほか双葉山定次(5場所連続で最多記録)
と白鵬翔(4場所連続)しか記録していない。

五百地公園には下の写真の道標と出雲大社地鎮祭守護地の碑もありました。


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