CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

橋寺 放生院(ほうじょういん)

2005年11月30日 06時03分01秒 | 宇治情報
橋寺放生院は京阪宇治駅から宇治川沿いに南へ行くとすぐ
のところにあり、雨宝山と号する真言律宗のお寺です。
代々宇治橋の橋守をしてきたお寺でもあります。
創建は諸説があり定まりませんが鎌倉時代に奈良西大寺の
叡尊が宇治橋の架替えの際に行った橋供養のため建立との
説が有望です。
本堂には国の重要文化財で本尊の地蔵菩薩像と不動明王像
が祭られています。
「宇治橋断碑」とよばれる宇治橋創建の経緯が記された石碑
が建っています今は保存の為にカバーの建物の中にある。
もともとは橋畔にあったものですが、いつのまにか流出して
行方がわからなくなっていたが寛政3年(1791)付近の土中
から断片が発見され「帝王編年記」という書物に収められて
いた碑文の全文により、欠如していた部分を補って再建されました。
宇治橋は大化2年(646年)に架橋されたと刻まれています。
西大寺の僧叡尊(えいそん)による再興時、宇治川中州の
浮島(塔の島)に十三重石塔を建立し、盛大な放生会
(ほうじょうえ)を営んだことから放生院と名付けられました。
写真は2004-2-29撮影本堂の外観
2004-2-29の訪問記はこちら(宇治橋断碑の写真あり)
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光源氏の邸宅「六条院」

2005年11月29日 18時18分41秒 | 宇治情報
すべて源氏物語での話であるというのが前提であるが
源氏物語の主人公である光源氏が35歳の年の8月
六条御息所から伝領した邸宅を含む敷地に
「六条院」を造営しました。
光源氏が造営した「六条院」は4つの町に分かれ
それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られて
いました。春の町には紫の上・夏の町には花散里
秋の町には秋好中宮・冬の町には明石の君が住みました。
春の部屋の1/100の模型が宇治の源氏物語ミュージアムに
展示されています。(写真:2004-2-29撮影)
2004-2-29の訪問記はこちら

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宇治橋三の間

2005年11月28日 06時04分25秒 | 宇治情報
宇治橋は僧道登により大化2年(646)に架橋された。
「橋姫」「橋合戦」など宇治橋に関する話題も多い。
三の間とは宇治橋西詰から三つ目の柱間に設けられた
出っ張りで古来よりここで汲んだ宇治川の水を茶の湯
に使用されている。
現在でも宇治茶祭りの際に汲み上げ式がある。
今年は10月2日午前9時から汲上式があった。
汲上用のつるべは太閤時代より数えて三代目。
平成8年の宇治橋竣工に合わせて新調された由。

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宇治茶の老舗上林(かんばやし)

2005年11月27日 08時12分22秒 | 宇治情報
将軍足利義満のころ茶頭取の上林掃部を始祖に
秀吉の時代には上林春松が現在の場所に居を構え
宇治茶の歴史とともに14代引き継がれてきている
入り口の長屋門は約250年前の建築物である。
東側は大正3年(1914)取り壊されたが修理を
重ねながら現存する。
昭和52年(1977)上林記念館としてお茶に関する
いろんな資料や貴重な品々が展示されるようになった。
その中でも呂宗(るそん)壷が有名である。
上林記念館に関する詳細はこちら
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平等院

2005年11月26日 06時52分30秒 | 宇治情報
私が小学校に通っていた昭和30年代の頃平等院の境内が
通学路となっていました。
その頃は拝観料はとられていなかった。
いろんな意味でなつかしい平等院に関する思い出があります。
その頃修復工事も施工されていたと思います。
平等院の創建は今から約960年前の永承7年(1052)関白
藤原頼通によるものです。
平等院は浄土宗のお寺ですが別名「光の寺」と呼ばれています。
自然光により阿弥陀如来や雲中供養菩薩像52躯などが様々な
表情に変わっていきます。
とにかく落ち着ける場所であります。
平等院の年中行事
1/1 修正会
3/2 関白頼通忌(鳳凰堂)
3月 春季彼岸会(浄土院)
5/26 頼政忌(墓前、扇の芝)
9月 秋季彼岸会(浄土院)
11/25 十夜会(浄土院)
12/31 除夜会(鳳凰堂、鐘楼)
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源氏モニュメント(紫式部像)

2005年11月25日 06時25分07秒 | 宇治情報
宇治川のたもとに写真の源氏モニュメントがあります。
源氏物語は紫式部が書いた54帖(巻)に及ぶ世界の3大
文学の1つである。
作者の紫式部(973?-1016?)は宮中に仕えた女官である
源氏物語は3部に分かれており第1帖「桐壺」から第33帖の
「藤浦葉」が光源氏の生誕から39歳まで第34帖「若菜上」
第41帖「幻」が39歳から52歳まで第42帖「匂宮」から
第54帖の「夢浮橋」光源氏の子薫と孫匂宮を取り巻く人々
の物語です。
45帖の「橋姫」から54帖の「夢浮橋」までの10帖は
宇治を主な舞台としている為宇治10帖と呼ばれています。
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最古の神社建築宇治上神社

2005年11月24日 06時11分57秒 | 宇治情報
2005-2-27の日経新聞の記事から要約報告。
宇治上神社の本殿に使われた木材を
年輪年代測定した結果1060年頃の建立と
判明した。
奈良文化財研究所と宇治教育委員会の調査。
これまでは建築様式から平安時代後期建立と
されており現存する神社建築で最古とされて
いたがこれで科学的に裏付けされた。
本殿には984年頃のものもあり前身となる
さらに古い建物が存在し転用された可能性も
ある。
拝殿は1215年頃に伐採した木材で建築された。
写真は2004-2-29撮影の宇治上神社本殿外観。
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姫路城(2)

2005年11月23日 05時54分22秒 | 旅行記
姫路城の最初の築城者は南北時代の1346年に
赤松円心の子貞範という説が有力である。
また16世紀の末姫路城の6km東に御着城という
小寺氏の城がありその家老であった黒田官兵衛らが
支城である姫路城の守りをしていたことから官兵衛
先祖の重隆が16世紀に築城との異説もある。
言うまでも無く現在のお城は徳川家康の娘婿である
池田輝政が1601年(慶長5年)より8年の歳月
をかけて築城されたものである。
2005-11-6訪問記です
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姫路城(1)

2005年11月22日 06時23分19秒 | 旅行記
11月6日(日)雨の中姫路城を訪問した。
かなりひどい雨の中ではあるが観光客は多く
感心しました。
かなり時間をかけて観たつもりであるが
みどころも多く奥が深い名所である。
また訪問したいと思っている。
写真は雨に霞む姫路城。
姫路城の前に訪問した歴史博物館の案内
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我が家の菊満開

2005年11月21日 05時43分53秒 | 岩国情報
写真は11月13日(日)撮影の我が家の菊です。
2年前に苗で買ってきたもので昨年はだめでしたが
今年は上手く成長して見事な咲き振りです。
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