CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

お好み焼き 「ひろちゃん」でのランチ on 2017-7-29

2017年08月30日 06時45分31秒 | 神戸情報
2017年7月29日、お好み焼き 「ひろちゃん」でランチを頂きましたので写真紹介します。


ひろちゃんの基本情報

住所:神戸市長田区腕塚町3丁目5−2  TEL:078-621-4282
料理ジャンル:お好み焼き、焼きそば
営業時間:11:30~14:30  17:00~22:00
定休日:月曜日


地図は前回の訪問記(下に添付)に記載
  お好み焼き 「ひろちゃん」でのランチ on 2017-5-30


上の写真は当日いただいた玉子入りエビのお好み焼き(720円)

奥様も私も同じものを注文しました。


上の写真はお店の外観

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創作 京ダイニング 季づ菜 でのランチ on 2017-8-28

2017年08月30日 05時58分02秒 | 神戸情報
2017年8月28日(月)にいただきました創作 京ダイニング 季づ菜での
ランチを写真紹介します。

季づ菜(KIZUNA)の基本情報
住所:神戸市垂水区名谷町3428−1  TEL:078-792-5544‎
コーナン名谷店の近くにあります。 ジャンルは日本料理
定休日:水曜日及び第3火曜日  料理長は田中克明 氏

公式HP:http://washoku-kiduna.com/

地図は下記のブログに添付
   遊楽料理 季づ菜でのランチ on 2014-11-11


上の写真は私のお気に入り餡かけ石焼き海鮮丼(1,050円)




上の写真は奥様が注文した茶そばの定食1,050円(税別)とデザート

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神戸旧居留地 15番と16番の境界を示す標柱 on 2016-3-6

2017年08月29日 05時41分05秒 | 神戸情報
2016年3月6日、表題の標柱(石柱)の写真を撮ってきましたので紹介します。
神戸旧居留地案内の定番ともいうべき場所です。


上の写真は神戸旧居留地 15番と16番の境界を示す標柱


上の写真は現地の説明板

外国人居留地時代の標柱」この辺りは安政5年(1858年)締結されたアメリカ合衆国を
はじめとする5箇国との修好通商条約により設けられた外国人居留地の跡です。
居留地は西洋の土地計画手法により126区画に整然と分けられた敷地に、外国商館など
洋風建築物が数多く建てられ日本の中の西洋ともいうべき特異な景観を呈していました。
この標柱はその15番と16番区画の境界を表す石柱で当地区の歴史を語る貴重なものです。
  1983年10月






上の2枚の写真は明治30年(1897)頃の外国人居留地の模型で当時の15番と16番
の周辺が理解できるものです。 (神戸市立博物館の展示より)


上の写真は神戸市立博物館の模型展示に関する基本情報です。

神戸旧居留地十五番館

競売時(明治元年(1868)9月10日)フランスのカンダンヘル(Candaubert & Co.)
が落札、明治10年(1877) Astor HouseとSkipworth、Hammond&Co.の所有
明治14年(1880年)から10年間、アメリカ領事館として使われた。
その後いくつかの企業の所有を経て、昭和41年(1966)より現在まで、株式会社ノザワが所有。
平成7年(1995年)の阪神淡路大震災で全壊するが、その後修復工事がなされ、文化財補修
としては初めて免震工法を採用、平成10年(1998年)に再建された。
平成10年にレストラン、およびカフェとして開業。平成24年(2012)2月に一時閉鎖、
2012年9月15日よりレストラン「Tooth Tooth maison 15」として開業し現在も営業中


レストランの訪問記へのリンク
  トゥーストゥース メゾン ジュウゴ でのランチ on 2012-9-25


上の写真は2007-7-25撮影の神戸旧居留地十五番館


上の写真は2016-3-6撮影の神戸旧居留地十五番館

神戸旧居留地十六番

競売時(明治元年(1868)9月10日)英国のチョルヂ クレイ Geo Gray
その後ピー エス カベルデュ (P.S.Cabeldu &CO.)他の商社の所有となる

明治38年(1905)の頃スウェーデン・ノルウェーの領事館として使用されています。


神戸旧居留地関連ブログ:

   神戸外国人居留地跡の碑と旧居留地47番

   神戸旧居留地15番館

   イギリス領事館の設置場所の推移

   神戸旧居留地108番地の碑 on 2014-4-11

   神戸税関発祥の地

   大正期の日本郵船神戸支店と旧居留地1番~6番

   明治4年(1871)と明治24年(1891)神戸居留地を襲った台風による被害

   神戸の外国人クラブの誕生と変遷 クラブ・コンコルディアを中心として

   神戸市中央区花隈周辺と旧居留地周辺の散策記 on 2016-6-6

   オリエンタルホテルでのランチ on 2014-4-11

   神戸旧居留地103番館の表示石

   神戸旧居留地124番館の標柱

   神戸旧居留地68番館の門柱

ジャーデン・マセソン商会の門柱 とジャーデン・マセソン商会
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平成29年度 神戸市埋蔵文化財センター連続講座「こうべ考古学」第2回「弥生土器入門講座」 on 2017-8-26

2017年08月28日 05時49分40秒 | 神戸情報
2017年8月26日、神戸市埋蔵文化財センター主催の表題の講座があり参加しました
講座の内容を中心に神戸における弥生時代の概要を纏めてみました。

講座の講師は神戸市教育委員会の前田佳久氏です。

1.弥生時代とは

Wikipediaでは次のように定義しています。
「弥生時代は、日本列島における時代区分の一つであり、紀元前10世紀頃から、
紀元後3世紀中頃までにあたる時代の名称。採集経済の縄文時代の後、水稲農耕を主とした
生産経済の時代である。」


弥生時代の特色は以下のとおりです。
 -水稲耕作の開始
 -金属器の使用  鉄器:主に武器、加工具  青銅器:主に祭祀に使用
 -朝鮮半島系(大陸系)磨製石器(石斧、石包丁)の使用
 -機織り技術の導入
 -弥生土器の製作


弥生の名称についてWikipediaによれば
「「弥生」という名称は、1884年(明治17年)に東京府本郷区向ヶ岡弥生町(現在の東京都文京区弥生)
の貝塚で発見された土器が発見地に因み弥生式土器と呼ばれたことに由来」

発見者は有坂しょう蔵、坪井正五郎、白井光太郎

出土した土器は東京大学総合研究所博物館に保管されています。(弥生時代終末期の土器)
東京大学の農学部と工学部の境に「弥生式土器発掘ゆかりの地」の碑がある

2.弥生時代の年代

上の写真は山川出版社 「詳説 日本史図録」(2008)Page17からの引用


上の写真は講演で前田佳久氏が示されたものである。
中学校の教科書ではBC4世紀~AD3世紀後半であるが最近の教科書ではAMS年代測定法
により紀元前10世紀~紀元後3世紀後半の1200年であると注記している。

従前は前期、中期、後期の3区分であったが前期の前に早期が設定された。

土器では前期を第Ⅰ様式、中期を第Ⅱ・Ⅲ・Ⅳ様式、後期をⅤ様式、終末期を庄内式と呼ぶ

3.神戸市の弥生遺跡

上の写真は六甲山系南麓の弥生遺跡 62の遺跡があります。
出典:神戸の弥生遺跡(神戸市教育委員会文化財課)Page4-5


上の写真は六甲山系北麓の弥生遺跡 13か所あり
出典:神戸の弥生遺跡(神戸市教育委員会文化財課)Page20-21


上の写真は明石川流域の弥生遺跡 63箇所あり
出典:神戸の弥生遺跡(神戸市教育委員会文化財課)Page28

4.弥生土器の基本形


上の写真は弥生土器の基本形を示したもの
出典:山川出版社 「詳説 日本史図録」(2008)Page17

甕(かめ):小・中型は煮炊き用、大型は水甕

壺(つぼ):貯蔵用

高坏(たかつき):盛り付け

  盛り付け用として鉢(はち)もあります。

5.弥生土器の製作法


上の写真は弥生土器の成形の仕方を示したもの
製作の際、上部は崩れてしまう場合があるので下部が乾いてから成形する。


上の写真は内傾接合と外傾接合との違いを示したもの

http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/literature/nenpou/sanmaru-nenpou15.pdf
上記サイトのP34~P56/90に詳しく書かれています。


上の写真は弥生土器の焼成工程を示したもの

6.弥生土器の各部位の名称


上の写真は弥生土器の各部位の名称を示したものです。
左側は外面、右側は内面を表現しています。

実測図には⓵どのような調整が加えられているか
     ➁どのような文様が描かれているか
が表現されています。


上の写真は各種調整法を示したもの

7.弥生土器編年に関する文献



8.縄文時代晩期(弥生時代早期)の土器


上の写真は長原式土器


上の写真は長原式土器の解説と神戸市内における弥生時代早期(縄文時代晩期後半)の土器

9.弥生時代前期の土器




上の2枚の写真は弥生時代前期の土器の解説


上の写真は弥生時代前期の土器に見られる文様と調整痕


上の写真は神戸市西区吉田南遺跡の弥生時代前期の壺


上の写真各地の弥生時代前期の土器

10.弥生時代中期の土器


上の写真は弥生時代中期の土器の解説






上の3枚の写真は弥生時代中期の土器に見られる文様

11.弥生時代後期の土器


上の写真は弥生時代後期の土器の解説

12.弥生時代末期(庄内式)の土器


上の写真は弥生時代末期(庄内式)の土器の解説

甕の底部が丸底化、文様で飾ることが少なくなりタタキ技法による凹凸文様

13.その他(総括)


上の写真は弥生時代の様々な土器


上の写真は弥生土器の変遷(神戸市立博物館の展示解説)
出典:神戸市立博物館 総合案内(2003) Page19


関連ブログ:神戸市埋蔵文化財センター夏季企画展「こうべ発掘ニュース 最新号」 on 2016-7-23

       大開遺跡、北青木遺跡、祇園遺跡、住吉宮町遺跡の弥生土器が展示

     神戸市埋蔵文化財センター 平成28年度春季企画展 見学録 on 2016-4-17
     弥生時代の墓について記載 須磨区戎遺跡、郡家遺跡、玉津田中遺跡の弥生土器

     茨木市の郡遺跡・倍賀(へか)遺跡で大規模な方形周溝墓が発掘 

     神戸市埋蔵文化財センター2015年春の企画展「弥生時代のムラ・古墳時代のムラ」
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ときわそば学園都市店でのランチ on 2017-8-19

2017年08月27日 05時44分13秒 | 神戸情報
2017年8月19日、ときわそば パティオ店でランチをいただきました。
写真紹介します。 ときわそばの本店は星陵台にあります。

ときわそば 学園都市店の基本情報

住所:神戸市西区学園西町1丁目4  TEL:078-792-0201
料理ジャンル:蕎麦
営業時間:平日AM11:00~PM10:00 定休日:第3水曜日(正月元日休)
公式HP:http://www.tokiwasoba.com/shop.html

最寄り駅は神戸市営地下鉄 学園都市駅です。


上の写真は私が選択したごはんにとろろ汁がかかったものとざるそばのセット
880円(税込)


上の写真は奥様が注文したぶっかけ 天ぷら 880円(税込)
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累計訪問者数 65万iPを突破  on 2017-8-24

2017年08月27日 04時05分42秒 | Weblog
2017年8月24日に累計の訪問者数が65万iPを突破しました。憶えの為、
記載しておきます。

本ブログも2004年に開設していますので13年間以上続けています。
あと何年生きれるか判りませんが死ぬまで継続出来たらと考えています。

また2015年10月5日のランキングが過去最高の884 位(1,717pv 523ip)
であったことも付記しておきます。

直近の週間アクセス数(2017-8-20~8-26)2,623ip 11,122pv 1,365位

週間アクセス数の最上位は2017年7月9日~7月15日の1,247位
 2,660ip 11,633pv 

アクセスしていただいた方々に感謝致します。
これを励みに無理をしない程度に継続していきたいと思います。


過去のアクセス数に関するメモ

週間アクセス数 9918位に on 2011-7-10~7-16

累計訪問者数 40万iPを突破 on 2014-10-13
 
累計訪問者数 45万iPを突破 on 2015-9-24

累計訪問者数 50万iPを突破見込み on 2016-5-1

累計訪問者数 55万iPを突破 on 2016-10-31

累計閲覧数 200万PVを突破 on 2017-3-13

累計訪問者数 60万iPを突破  on 2017-4-1

写真が無いと味気ないので最近撮影した写真を添付しておきます。


上の写真は三宮で見つけたマンホール 撮影日:2017-8-22


上の写真は夏の木サルスベリの花 須磨PATIOにて 撮影日:2017-8-6


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広東小菜と点心 黄老 さんちか店 でのランチ on 2017-8-18

2017年08月26日 07時36分03秒 | 神戸情報
広東小菜と点心 黄老 さんちか店 でのランチを写真紹介します。
訪問日:2017年8月18日(金)

広東小菜と点心 黄老 さんちか店の基本情報
住所:神戸市中央区三宮町1-10-1 さんちかレストランモール
TEL:078-391-1930
料理のジャンル:中華料理 広東料理
営業時間:11:00~21:30


当日注文したのは小采セット 1,593円(税込)


まず汁そば、マヨ海老、鶏肉の揚げ物&春巻きが出てきます(上の写真)


次に炒飯


次に点心が出てきます

デザートとして杏仁豆腐が出てきますが写真はありません。


上の写真は店頭に展示の小采セット

なつの季節料理として冷やし中華が店頭に掲示されていました。(下の写真)

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神戸西神中央そごう内の東天閣でのランチ on 2017-7-30

2017年08月26日 07時08分40秒 | 神戸情報
2017年7月30日に神戸西神中央そごう内の東天閣でランチをいただきましたので
写真紹介します。

当日は神戸市埋蔵文化財センターで開催されている2017年夏季企画展
「”もったいない”の文化」
を観覧することが訪問の主目的であった。

東天閣西神店の基本情報
住所:神戸市西区糀台5-9-4 そごう西神店5階 TEL:078-991-1122
料理ジャンル:中華料理


 公式HP




上の写真は当日いただいた定食 1,875円(税別)

奥様も私も同じメニューを選択

美味しく頂きました。

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江戸時代の古地図を見ながら往時の城下町や宿場町を散策するガイドウオーク

2017年08月25日 05時43分40秒 | 岩国情報
<ガイドウオーク>来月スタート 古地図片手にまちを歩こう 下関、萩、岩国など28コース /山口


興味のある企画内容なのでリンクさせていただきました。


関連サイト:山口県の旅行

古地図ということで萩市浜崎地区の江戸時代の地図と現在の地図を添付しておきます。
(下に添付の2枚の写真)









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日本燐寸工業会のPR展示 in 野村證券神戸支店 on 2017-8-22

2017年08月24日 06時31分26秒 | 神戸情報
三宮センター街東入口近くにある野村證券(株)神戸支店の1階のショーウィンドーに
日本燐寸工業会がPR展示をしていましたので写真紹介します。
撮影日:2017-8-22


上の写真はメインのポスター展示


上の写真は上記メインポスターの中の拡大図で
マッチの生産は兵庫県が全国シェア90%であることをPR


上の写真は上記メインポスターの中の拡大図で
明治26年(1893)から明治29年(1996)の4年間は神戸港からの輸出品目でマッチが
トップであったことをPRしています。


上の写真は上記メインポスターの中の拡大図で
マッチが初めて神戸港から輸出されたのは明治11年(1878)であったことをPR


上の写真は北野工房のまち2階にあるマッチの専門店「マッチ棒」をPR


上の写真はマッチ関連商品の展示

マッチは文政10年(1827)イギリスの薬剤師J.ウォーカーが摩擦マッチ、ウォーカーマッチ
(Friction Lights )を発明し、販売したのが始まりで、その後1855年スウェーデンの
イェンシェピング社のJ.E.ルンドストレームが安全性を改良した「安全マッチ」を発明
特許も取得し普及していった。

日本ではマッチは明治の初め早附木(はやつけぎ)とか摺附木(すりつけぎ)と呼ばれ
最大の輸入品であった。

国産のマッチ製造に貢献したのは燐寸(マッチ)開祖、清水 誠(しみず まこと)である。
彼は明治8年(1875)東京霞ヶ関の吉井友実卿私邸において黄りんマッチの試作に成功
その後改良を加え明治9年(1876)4月に東京三田四国町に「新燧社(しんすいしゃ)」を
設立、同年9月に東京本所柳原町に移転し、安全マッチの本格的製造を開始した。

神戸では明治10年(1877)神戸監獄使役場での生産が初めてと言われている。
その後荒田町、湊町、琴ノ緒町、大開町などで民間のマッチ生産が行われました。
明治12年(1879)本田義知が明治社、明治13年(1880)滝川辨三が清燧社を設立
操業を始めた。明治18年(1885)播磨幸七が鳴行社を、明治20年(1887)には
直木政之助が奨拡社。滝川辨三の養子の瀧川(梶岡)儀作は良燧社を設立した。

これらの人物の内、滝川辨三は「日本のマッチ王」と呼ばれている。彼は燐寸工場を合併して
大同マッチを設立、一時期1社でシェア70%を占めるまで成長させた。
最盛期の大正8年(1919)には神戸のマッチ生産額シェあは80%を占めていた。
また、同年の輸出においては神戸港が全国の79%を占めていた。
昭和に入ってからは生産地の中心地が姫路、淡路などに移るようになって神戸における
マッチ生産量シェアも減少しています。

関連リンク:燐寸博物館(田中燐寸)

      たるみ燐寸博物館

      神戸マッチ株式会社

      一般社団法人 日本燐寸工業会

      株式会社ナカムラ

      マッチ 昔の隆盛 今、新発想で 神戸の「ナカムラ」(毎日新聞)

      マッチ棒(北野工房のまち)

      明治創業、淡路のマッチ工場閉鎖へ 兼松日産農林(神戸新聞)

      アヘン禍の中国へ復興マッチ 明治期、神戸の華僑ら(神戸新聞)

      神戸のマッチ生産

      株式会社 日東社

      株式会社 ダイドー

      株式会社 中外燐寸社

神戸市広報誌 2017年8月号の長田区区民広報誌に「長田区とマッチ」というテーマで
現在もマッチの製造販売をされている株式会社ナカムラを取材し、
長田区まちづくり課がまとめられていますので添付紹介します。(下の2枚の写真)



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