CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

鶏三和 さんちか店でのランチ on 2016-4-22

2016年04月30日 04時21分35秒 | 神戸情報
2016年4月22日にいただいた鶏三和 さんちか店でのランチを写真紹介します。

鶏三和 さんちか店の基本情報

住所:神戸市中央区三宮町1丁目10-1 さんちか 味ののれん街
TEL:078-599-5655  創業:明治33年(1900) By 伊藤和四五郎
開店日:2016年3月3日
営業時間:11:00~21:00(L.O.20:30) 定休日:第3水曜日


公式サイト:http://www.sanwa-grp.co.jp/shop/%E7%A5%9E%E6%88%B8%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%A1%E3%81%8B%E5%BA%97%EF%BC%882016%E5%B9%B43%E6%9C%883%E6%97%A5open%EF%BC%89


上の写真は私が注文した香草美水親子丼と鶏そばのセット 980円(税抜き)


上の写真は奥様が注文した名古屋コーチン親子丼 980円(税抜き)

両方を食べて較べましたが値段の安い香草美水親子丼でもいいのかな?


鶏 三和はチェーン展開しており関東圏15店、中部圏7点、
関西・広島・九州圏8店となっています。

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丸五市場 on 2016-4-25

2016年04月29日 06時31分37秒 | 神戸情報
2016年4月25日、丸五市場の写真を撮ってきましたので紹介します。

丸五市場の基本情報

住所:神戸市長田区二葉町3丁目11-2 (丸五市場事業協同組合 )
TEL:078-611-4077   定休日:火曜日  創立:大正11年(1922)

公式サイト:http://ichiba-kobe.gr.jp/ichiba22/index.php

 上記サイトには丸五市場の歴史や現在営業されている店の紹介etc.が記載



上の写真はマルヨネ側の入り口






上の3枚の写真は手作り水餃子のめいりんの店の前に貼られていたもの。




上の2枚の写真は2009年12月6日に設置された劉備の石像の遠景と近景


上の写真は劉備の石像側から二葉34商店街側の入り口側を撮ったもです。


上の写真は丸五市場の入り口をテーマに描かれた絵の展示


何故か劉備の石像近くのフリースペースに大漁旗が・・・・


上の写真は丸五市場の歌の歌詞
 作曲:朴保(パク・ポー) 作詞:金山忠 編詞:パク・ポー

朴保さんの公式サイト:http://www.pakpoe.com/
2016年の1月17日(日)丸五市場で被災地アンテナショップマルゴマルシェ開設式
のイベントをされたようです。






上の3枚の写真は本町筋に近い場所の丸五市場です。


かっては上の写真のようにすべての物品が揃う活況の市場であったことを
偲ばせる案内板です。



上の2枚の写真は三国志なりきり隊の看板(No.44)
500円の「まるご丼」があまり目立ちませんが書かれています。
場所も記載されています。


上の写真はこの辺りで一番人が集まって活況な「うまいもんいちPOT」の前に
鎮座の諸葛孔明像です。



上の写真は本町筋商店街の遠景とお店を紹介した看板




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凡蔵でのランチ on 2016-4-26

2016年04月28日 17時36分26秒 | 神戸情報
本日は2016-4-26に訪問した凡蔵での食事を写真紹介します。

凡蔵の基本情報
住所:神戸市須磨区妙法寺字上の界1182-1
TEL:078-741-9124





上の写真は私が注文した「凡蔵ランチ」930円(税込)とメニューの中身紹介


上の写真は奥様が注文したえび天ぶっかけ 970円(税込)



上の写真はお店の入り口の暖簾



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37件の日本遺産リスト

2016年04月26日 15時03分55秒 | Weblog
文化庁が昨年度(2015年)から設けた「日本遺産」に2016年に新たに19件
が追加され昨年の18件と合わせて37件の日本遺産が認定されたとの報道が
各報道機関から報じられている。

 報道例:「今年度の「日本遺産」には、全国から申請があった67件のうち、
 和歌山県太地町などの「鯨とともに生きる」文化や神奈川県鎌倉市の
 モザイク画など19件が選ばれました。」


日本遺産認定認定37件をリストアップしておきます。(2016-4-26現在)

A.昨年(2015)に認定の18件

 赤字はシリアル型  青字は地域型

1 近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―
                 水戸市、足利市、備前市、日田市


2かかあ天下 ―ぐんまの絹物語―
          桐生市、甘楽町、中之条町、片品村(群馬県)


3加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡 ―人、技、心―
                           高岡市(富山県)


4灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~
         七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町(石川県)


5海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~
                       小浜市、若狭町(福井県)


6「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜
                       岐阜市(岐阜県)


7祈る皇女斎王のみやこ 斎宮 明
                     和町(三重県)


8琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産
    大津市、彦根市、近江八幡市、高島市、東近江市、米原市(滋賀県)


9日本茶800年の歴史散歩
      宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、宇治田原町、
      和束町、南山城村(京都府)


10丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶
                           篠山市(兵庫県)


11「日本国創成のとき ―飛鳥を翔た女性たち―」
                  明日香村、橿原市、高取町(奈良県)


12六根清浄と六感治癒の地 ~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉~
                            三朝町(鳥取県)


13津和野今昔 ~百景図を歩く~
            津和野町(島根県)


14尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市
                尾道市(広島県)




  尾道水道(昭和32年) copy right 坂井敬樹氏


15「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~
              愛媛県・高知県・徳島県・香川県の57市町村


16古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~
                  太宰府市(福岡県)


17国境の島 壱岐・対馬 ~古代からの架け橋~
            対馬市、壱岐市、五島市、新上五島町(長崎県)


18相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨~
     人吉市、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村、相良村、
      五木村、山江村、球磨村(熊本県)


 詳細は下記サイト:
 http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/pdf/nihon_isan_pamphlet.pdf


B.今年(2016)に認定の19件
  通し番号で表記 シリアル型or地域型が不明のため区別なしに列記

19.政宗が育んだ“伊達”な文化  
           仙台市、塩釜市、多賀城市、松島町(宮城県)

  関連サイト:https://www.youtube.com/watch?v=btpxCnyGS7A

20.自然と信仰が息づく「生まれかわりの旅」~樹齢300年を超える杉並木
        につつまれた2446段の石段から始まる出羽三山~
                  鶴岡市、西川町、庄内町(山形県)

21.会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観(み)た往時の会津の文化~
         会津若松市、喜多方市他18市町(福島県)

22.未来を拓いた「一本の水路」―大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 
                           郡山・猪苗代―
          郡山市、猪苗代町

23.「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」―佐倉・成田・佐原・
     銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群―
        佐倉市、成田市、楫取市、銚子市(千葉県)

24.江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣(まい)り」~
         伊勢原市

25.「いざ、鎌倉」~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~
         鎌倉市

26.「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔(かえん)型土器と雪国の文化
       三条市、新潟市、長岡市、十日町市 (新潟県) 


27.「珠玉と歩む物語」小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~
              小松市(石川県)

28.木曽路はすべて山の中~山を守り 山に生きる~
   南木曽町、大桑村、上松村、木曽町、木祖村、玉滝村、塩尻市(長野県)

  関連サイト:
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20160426/KT160425FTI090009000.php

29.飛驒匠の技・こころ―木とともに、今に引き継ぐ1300年―
              高山氏(岐阜県)

30.『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
                 ~古代国家を支えた海人の営み~
       淡路市、洲本市、南あわじ市(兵庫県)

31.森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ
                 ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~
      吉野町、下市町、黒滝村、天川村、下北山村、上北山村、
      川上村、東吉野村(奈良県)

上の写真は吉野町の南朝の跡(撮影:2014-4-3)


上の写真は金峯山寺の本堂(撮影:2014-4-3)


上の写真は吉野の山々の遠景   撮影:2014-4-3

32.鯨とともに生きる
      新宮市、那智勝浦町、太地町、串本町(和歌山県)

33.地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市
      大山町、伯耆町、江府町、米子市(鳥取県)

34.出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~
      雲南市、安来市、奥出雲町(島根県)

35.鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴
                ~日本近代化の躍動を体感できるまち~
      呉市(広島県)、横須賀市(神奈川県)、佐世保市(長崎県)、
      舞鶴市(京都府)

36.“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島
   ―よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶―
      今治市(愛媛県)、尾道市(広島市)

37.日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱(りょうらん)のやきもの散歩~
        唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町(佐賀県)
        佐世保市、平戸市、波佐見町

詳細は文化庁のHP下記サイト
 http://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/2016042501.html   
    






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神戸港港島トンネル(通称:港島トンネル)

2016年04月23日 17時27分33秒 | 神戸情報
神戸港港島トンネル(通称:港島トンネル)について神戸築港資料館ピアしっくす
の説明資料を中心に紹介します。


神戸港港島トンネル(通称:港島トンネル)は神戸港新港東ふ頭とポートアイランド
とを結ぶ道路トンネルで沈埋(ちんまい)工法で作られた。

別名:沈埋(ちんまい)トンネルと呼ばれています。

港島トンネルは神戸大橋の混雑緩和と神戸空港へのアクセス改善を目的に
1992年に着工、1999年7月30日に開通した。全長約1,600mで、海底部分は延長580m
水深12m。料金所が新港側に設置されていたが、2014年9月現在通行料金は無料
となっている。将来的には地域高規格道路神戸中央線の一部として、阪神高速
32号新神戸トンネルとの接続に向け工事が進められている(Wikipediaより)


沈埋トンネルの工法は下記のとおり(Wikipediaより)

1.ケーソン製作 ケーソンを地上で構築する。
2.基礎工事 ケーソンを設置する部分に平らな穴を掘っておく(海中)。
3.曳航 両端をバルクヘッドという蓋で閉塞して浮上後、船で目的の位置まで牽引
4.埋設・埋め戻し アンカーワイヤーで位置を調整をしながら、所定の位置に設置
5.内部構築 内部の仕切り壁などを構築する。
6.完成 側部と上部を埋戻して完成。


沈埋工法によるトンネル施行例(Wikipediaより)

道路トンネル
安治川トンネル - 1944年
衣浦海底トンネル - 1973年
首都高速羽田線 羽田トンネル - 1964年

首都高速湾岸線 東京港トンネル - 1976年
多摩川トンネル・川崎航路トンネル - 1994年

第二航路トンネル - 1986年頃 限定供用開始・2002年 一般供用開始
川崎港海底トンネル - 1979年 限定供用開始・1992年 一般供用開始
大阪港咲洲トンネル - 1997年 道路と鉄道(市営地下鉄中央線)が一体構造になっている。
神戸港港島トンネル - 1999年
東京港臨海道路臨海トンネル - 2002年
夢咲トンネル - 2009年
新潟みなとトンネル - 2002年 暫定供用開始・2005年 全面供用開始
那覇うみそらトンネル - 2011年 一般供用開始
新若戸道路海底トンネル- 2012年 一般供用開始


鉄道トンネル
バート (鉄道)の、サンフランシスコ湾内の海底トンネル - 1969年。
大阪市営地下鉄堺筋線の堂島川・土佐堀川・道頓堀川の沈埋トンネル - 1969年。
総武快速線隅田川トンネル - 1972年
東海道貨物線羽田トンネル - 1973年
都営地下鉄新宿線隅田川沈埋トンネル - 1978年
京葉線東京港トンネル - 1990年
ボスポラス海峡トンネル(マルマライ) - 2013年



沈埋(ちんまい)工法の説明

海底部分のうち520mは、6基の沈埋函を連結する沈埋工法により建設された。
沈埋函は1基あたり幅35m・高さ9m・長さ90m・重量42,000トンで、
2層の鋼板の間にコンクリートを充填したフルサンドイッチ構造が世界で
初めて採用された[3]。(Wikipediaより)


沈める工程


埋める工程


上の写真は完成後の沈埋トンネル


上の写真は港島トンネル六突側 鋼殻ケーソンの100分の1の模型
(神戸築港資料館ピアしっくすでの展示)


上の写真は神戸築港資料館ピアしっくすの建物外観。


上の写真はポートアイランドにある港島トンネル管理センターの建物外観。


関連情報リンク:

  港島トンネル鋼サンドイッチ構造沈埋函の高流動コンクリートの施工
  (コンクリート工学)


  沈埋トンネル(Immersed tube)

  沈埋トンネルってなに? ?神戸港港島トンネル海底部の建設?-(ビデオ紹介)

  地下空間ごみ散乱 、ポイ捨て常習? 神戸・港島トンネル(神戸新聞)

  神戸港港島トンネル延伸事業について








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神戸市埋蔵文化財センター 平成28年度春季企画展 見学録 on 2016-4-17

2016年04月22日 04時56分00秒 | 神戸情報

2016年4月17日、神戸市埋蔵文化財センターの平成28年度春季企画展を見学した。
今回のテーマは「でっかいお墓の誕生」 ―弥生の墓から古墳へーである。

バックヤードツアーにも参加しました。

憶えのためブログを作成します。

古代の埋葬の歴史

Wikipediaより日本の埋葬の歴史が簡単に記載されていましたので引用紹介します

「日本では旧石器時代に北海道美利河1遺跡や湯の里遺跡の土抗など墓の
可能性ある遺構が数例発見されている。

つづく縄文時代から埋葬行為が確認されている。集落内や貝塚などに墓域が
設けられ、死者は土坑墓や土器棺墓[1]、石棺墓など土葬により埋葬されるのが
一般的で、火葬や再葬が行われている例も確認されている。
遺体の手足を折り曲げる屈葬と手足を伸ばした伸展葬の二形態があり、
この時代では屈葬が主流であった。また、住居の内外に見られる深鉢形土器を
埋納した特殊な施設である埋甕は乳幼児の墓(または胞衣壺)である可能性も
考えられている。縄文後期・晩期の東日本では、伸展葬や配石墓[2]、再葬[3]
など多くの変化見られるようになる。
また、環状列石などの配石遺構に造られた墓や周堤墓[4]などがある[5]。

弥生時代に入ると、北九州を中心に甕棺と呼ばれる大きな甕に埋葬する例が確認
できるほか、再葬墓と呼ばれる、いったん死者を地下に埋葬した後、
白骨化した後に骨壺に収める例が確認されている。古墳時代にはいると、
権力者は古墳と呼ばれる大型の墳墓に埋葬されるようになるが、庶民の埋葬
については不明である。」


展示内容


上の写真は神戸市埋蔵文化財センター入り口の看板です。


上の写真は平成28年度神戸市埋蔵文化財センター企画展の開催予定です。 2016年5月21日に上の写真の第1回歴史講演会があり企画展の主担当の阿部敬生氏 から説明があったので4月22日に書いた内容に若干補足していきます。 平成28年度神戸市埋蔵文化財センター第1回歴史講演会の要項 『神戸における弥生の墓から古墳へ』  神戸市教育委員会文化財課 学芸員 阿部敬生  日時 平成28年5月21日(土曜) 14:00~15:30  場所 神戸市埋蔵文化財センター 研修室  (当日受付:先着順120名)

Ⅰ. はじめに -縄文時代の墓(土器棺墓)





上の写真は篠原遺跡の土器棺の出土状態を示した写真と説明板です。

縄文時代には土壙墓(土坑墓)どこうぼ=大地に穴を掘るのみで,ほかに
なんらの設備も施さない墓が一般的で広く分布し出土例もあるようだが
神戸市内からの出土例は無いと書かれています。

説明板の拡大版は下の写真。


単甕棺と合口甕棺という二つの形態
上記の篠原遺跡は単甕棺 土器の底を討ち抜いて使用できないようにして棺
(ひつぎ)として使用

下記サイトに縄文時代の墓について詳しい解説あり
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~boso/ohakanorekishi_01.html

Ⅱ.弥生時代の墓


弥生時代の埋葬施設の形態説明板。(上の写真)

   土器棺墓  西神第65地点遺跡



上2枚の写真は西神第65地点の遺跡から出土した土器棺関連の展示と説明板です。


上の写真は土器棺墓に関する説明板です。 上の写真は長田神社境内遺跡の土器棺墓(弥生後期) 上の写真は戎町遺跡と郡家遺跡の土器棺墓 上の写真は池上北遺跡の土器棺墓 上の写真は神戸市内の弥生時代の土器棺墓の一覧 赤字は企画展で展示


   土坑墓      新方遺跡出土人骨切り取り



上の2枚の写真は新方遺跡1号人骨切り取りと出土状況


   木棺墓      新方遺跡出土人骨切り取り

上の写真は新方遺跡の12号人骨切り取り 指輪をはめていることが特徴。
鏃が多数ささった状態で見つかっており抗争で死亡した兵士か?


上の写真は新方遺跡12号人骨の説明板。


上の写真は郡家遺跡の木棺墓の展示と新方遺跡の人骨指輪
指輪は右手に5個、左手に1個 計6個  六道との関連か?


上の写真は郡家遺跡の木棺墓の出土の状況(写真パネル)

   土器棺墓     長田神社境内遺跡、土器

上の写真は長田神社境内遺跡の土器棺墓の展示


上の写真は熊内遺跡の土器棺墓の展示


上の写真は郡家遺跡の土器棺墓の展示


   方形周溝墓
 

 

    楠・荒田町遺跡の方形周溝墓からの出土品と出土状況(上の写真)


上の写真は楠・荒田町遺跡の方形周溝墓からの出土品(左手)と戎遺跡からの
出土品(右手の弥生中期の壺3体)



上の写真は青木遺跡第7次調査 方形周溝墓写真パネル


上の写真は北青木遺跡の方形周溝墓からの出土の壺5体(左手)と生田遺跡から
出土の水さしと壺


上の写真は玉津田中遺跡の方形周溝墓からの出土品展示


上の写真は郡家遺跡から出土の壺




上の2枚写真は雲井遺跡方形周溝墓写真パネルと壺(4体 弥生時代中期後葉)の展示


上の写真は生田遺跡の方形周溝墓写真パネル

Ⅲ.古墳誕生へのステップ


上の写真は「古墳誕生へのステップ」の説明板



上の写真は堅田神社境内遺跡の出土土器と方形周溝墓の状況写真パネル



上の写真は天王山4号墳出土土器と方形周溝墓の状況写真パネル



上の写真は養田中の池遺跡から出土の壺と方形周溝墓の状況写真パネル


Ⅳ.古墳の誕生(古墳時代初頭~前期の墓)



上の2枚の写真は古墳の誕生(古墳時代初頭~前期の墓)の説明パネル。

   古墳

         

     上の写真は西求女塚古墳竪穴式石室写真パネル

   
   
    上の2枚の写真は西求女塚古墳出土遺物(土器・石製品・鉄製品・鏡)

上の写真は西求女塚古墳の説明パネル







上の6枚の写真は白水瓢塚古墳からの出土品の展示と出土状況写真パネル

   五色塚古墳関係の展示  写真は略

   塩田北山東古墳の展示





上の写真は塩田北山東古墳からの出土品(①刀子、ヤリガンナ、鉄斧などの鉄製品
②鏡③管玉、ガラス玉)


上の写真は塩田北山東古墳の出土状況写真パネル。


上の写真は田北山東古墳の説明パネル。
            

   埴輪棺 


    

上の写真は舞子浜遺跡から出土の埴輪棺と人骨が入った状況写真パネル
-------------------------------------------------------------------

上の写真は展示室の遠景




上の2枚の写真はPR用リーフレット


以上で企画展の写真紹介は終わります。

バックヤード見学

上の写真はバックヤードに保管されている九州地方で出土の甕棺墓(かめかんぼ)
福岡市有田遺跡の出土品
甕棺墓は北部九州の埋葬方法で近畿地方では木棺墓や土壙墓(土坑墓)が
一般的な埋葬方法です。

殯(もがり)について

「殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬する
までのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を
畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化
を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。
その棺を安置する場所をも指すことがある。殯の期間に遺体を安置した建物を
「殯宮」(「もがりのみや」、『万葉集』では「あらきのみや」)という。」

以上Wikipediaより


上の写真は神戸市住吉東1号墳 墳丘上の施設で殯屋の跡と考えられる遺構が
見つかっています。
この古墳は5世紀末頃の帆立貝形前方後円墳です。
墳丘中央の墓壙の上にあった南北5m×東西6.4mの柱穴が検出され切妻式の
建物があったことを示しています。
建物の北側には目隠しの塀、西側には祭壇と考えられる遺構が検出されて
います。

京都府の与謝野町下岡古墳でも柱穴ではなくくい打ち込み抗がみつかっており
神戸市の住吉東1号墳と同様の殯の施設があったと考えられます。

上記2例は殯と埋葬が同一場所で行われた例であるが殯と埋葬が別の場所で
行われるのが一般的であったようです。

日本書紀(6世紀後半)に殯に関する記載があります。
敏達、推古、舒明、孝徳、斉明、天智、天武天皇の葬儀に際し殯が執り行われた
ことが記録されています。

殯の期間で1番短いのは孝徳天皇の2か月、最も長いのは敏達天皇の5年8か月

魏志倭人伝には殯という文字はないが遺骸を葬るまでに「十余日」との記述があり
殯が行われていたと思われます。








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須磨寺の句碑・歌碑・文学碑

2016年04月20日 06時31分19秒 | 神戸情報

須磨寺の句碑・歌碑・文学碑について須磨寺が作製された散策地図(添付)を
持って巡ってきましたので写真紹介します。



拡大版はこちら

句碑・歌碑・文学碑などの石碑の撮影は主に2016-4-1&2016-4-16に撮影
過去にブログを作成しているものでは一部写真を省略


番号順に紹介していきます。

1.歌碑 礒江朝子
  「受けし掌にも とまるがありて 桜吹雪の なかなるひとりの 燦に充ちゐる」


   関連ブログ: 磯江朝子氏の歌碑 in 須磨寺 on 2012-5-5

2.句碑 「須磨紀行」碑 良寛
  「すまでらの むかしを問えば 山桜 よしやねむ すまのうらわの なみまくら」



3.漢詩碑 陳舜臣
 「須磨寺有感一 龍華橋畔弔平郎 青葉笛声餘韻長 底事海風吹倒暁 吹残蘭麝断人腸
 須磨寺有感二 源家鐵騎捲塵征 警報頻傅青葉營 記否興亡棊一局 笛聲清雅白沙平」



 陳舜臣氏の漢詩の石碑 in 須磨寺 龍華橋東側 on 2015-6-29

4.句碑 三好兵六
  「夫婦とは なんと佳いもの 向かい風」





 三好 兵六氏の句碑 in 須磨寺 on 2012-3-28

5.文学碑 山本周五郎
表面
 「須磨は秋であった---- ここが須磨寺だと康子が言った。池の水に白鳥が群を作っていた。雨がその上に静かにそそいでいた。------池を廻って、高い石段を登ると寺があった「あなた生きている目的が分かりますか」 「目的ですか」「生活の目的ではなく、生きている目的よ」

裏面
 「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために幸ひと安息の恵まれるように」




 須磨寺の山本周五郎の文学碑
 
6.歌碑 大井広
 「 明滅の ひかりをおくる灯台は いづこにあらむ寂しき海原」



7.句碑 正岡子規
 「暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外」


昭和9年(1934)9月、正岡子規33年忌に弟子の一人、青木月斗により建立。
正岡子規が明治28年(1895)7月22日より約1か月、現在のみどりの塔付近にあった
須磨保養院に療養中の作である。

 須磨寺 正岡子規の句碑 on 2010-8-12

8.句碑 与謝蕪村 「笛の音に 波もよりくる 須磨の秋」



9.植桜記碑 神田松雲(神田兵右衛門)
 「花千母登 昔稚木乃 さくら哉」



 神田松雪の句碑 in 須磨寺 on 2012-5-8

10.句碑 伊丹三樹彦
 「くらやみになおも花散る平家琵琶
甘酒にいま在命の一本箸
長き夜の楽器かたまりいて鳴らず
てのひらに予言の重さ寒卵
僕捨身日暮の沖でさびさび浮く」




伊丹三樹彦氏の句碑 in 須磨寺 on 2012-3-28

11.歌碑 柳汀
 「○幾世(まるきよ)を漕行海士の小舟さへ 静けき須磨の秋の夜の月」






柳汀 歌碑 in 須磨寺 on 2012-3-28

12.句碑 尾崎放哉
 「 こんなよい月をひとりで見て寝る」



尾崎放哉 の句碑 in 須磨寺(福祥寺)

13.句碑 槇屋西月
 「ふる雨も 清水になるや 花の奥」



14.歌碑 白崎弘晧
 「公達の 血のりを秘めて七百年 水静かなり 須磨寺の池」



15.句碑 
  木の葉句会 27句



16.句碑 小河六平
  「海の色 幾代わりして 梅雨の須磨」



 小河六平の句碑 in 須磨寺

17.句碑 竹本旭子
 「種蒔くや 畑暗らくして  旭影」





18.音楽碑 (楽譜とキーボード付き) 大和田健樹作詞/田村虎蔵作曲
 「一の谷の 軍破れ 討たれし平家の 公達あわれ 暁寒き 須磨の嵐に 聞えしはこれか 青葉の笛」





19.句碑 瀬川露城
 「稲妻の 悲と夜冷えして 須磨の海  露城」


瀬川露城の句碑 in 須磨寺 on 2012-3-28

20.句碑 五十嵐播水
 「 香煙に ふりこむ雪や 初大師」





五十嵐播水先生の句碑

21.歌碑 真鍋豊平
 「ひとすじに こころこめたる ことなれば ちよのしらべも たえじとぞおもふ」



22.句碑  旭叟史
 「月すみて 松風すみて 須磨の浦」




旭叟史の句碑 in 須磨寺 on 2012-3-28

23.句碑 松尾芭蕉
 「 須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇」



須磨寺 松尾芭蕉の句碑  on 2010-8-19

24.墨跡碑 小池真禅
  無心(山側) 淡如雲(海側)


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河内国魂神社(五毛天神)と海蔵寺 on 2015-12-7

2016年04月17日 05時06分45秒 | 神戸情報
2015年12月7日に訪問した河内国魂神社(五毛天神)とかっての神宮寺
である海蔵寺について写真紹介します。

三宮から2系統の市バスで五毛天神で降車したらすぐのところにあります。


河内国魂神社(五毛天神)
 住所:神戸市灘区国玉通3丁目6−5 TEL: 078-861-0587
 御祭神:大己貴命(おおなむちのみこと)
    少彦名命(すぐなひこのみこと)
    菅原道真公 

    
「河内国魂神社の創祀は伊勢神宮開社の頃(約2,000年前の皇紀657年、BC3年)
であると伝えられていますが正確な年号は不詳。
旧摂津国菟原郡にあっては、西宮神社(大国主西神社の誤記か)・保久良神社と
河内国魂神社の三社が、生田神社・長田神社等と同様、927年(延長5年)完成
延喜式神祇部(神名帳)に載っている式内社。1,100年近い歴史がある名社。」



上の写真は拝殿。
現在は五毛、畑原、上野の三地区が氏子で春祭りではだんじりが登場します。
昔は稗田、鍛治屋、山田、篠原も氏子となっていました。






上の3枚の写真は河内国魂神社の入り口。河内国魂神社と書かれた鳥居と石碑
参道の階段。鳥居は阪神淡路大震災で倒壊再建されたものです。

この神社は五毛天神として地元では名前が定着していたが、
享保18年(1733)、日本輿地通志畿内篇(五畿内志)にて並河五一郎(誠所)
が五毛天神を凡河内(おおしこうち)氏の奉祀する河内国魂神社に比定し、
もとの社号「河内国魂神社」の標石を建てたと言われる。
凡河内氏の祖神である天津彦根命や、児とされる天御影命は祀られていない。
元文元年(1736年)9月、地元の庄屋が大坂町奉行所に呼び出され、無理やり
名前を押し付けられた経緯がある。 東方約2.5km、東灘区御影にある
綱敷天満神社の背後に広がる丘陵地帯を御影山といい、こちらが本当の
河内国魂神社ではないかとの説もある。







上の3枚の写真は手水舎と説明板。
青銅器製の唐獅子水口は昭和43年(1968)10月に奉納されたことが
判ります。


上の写真は伊勢神宮への遥拝所。


上の写真は境内摂社の荒川大明神(稲荷神社)拝殿に向かって右手
荒川稲荷は、もと箕岡神社の末社という。


上の写真は境内摂社の厳島神社・箕岡神社合祀殿 拝殿の左手。
 厳島神社(市杵島姫命)-旧上野字絵馬堂より
 箕岡神社(伊耶那岐尊)-北方の六甲山麓より


境内・手水舎の右手には並河誠所の同志・菅広房が立てたという
「河内国魂社」と書かれた社号石が残っています。(上の写真)



上の写真は河内国魂神社の境内


境内には五毛天神ということで牛の石像が祀られています。
河内国魂神社(天津神)は元々は五毛天神、五毛天神社という。
延喜元年(901)、菅原道真が筑紫の太宰府へ謫遷の途次、御影の浜に
船を留め、密かに別れを惜しんでこの地まで見送りに来た叔父の法性坊尊意
(ほうせいぼうそんい)僧正(延暦寺13代法王)と、当社頭に於いて餞別
せられた時の応対が極めて慇懃丁寧で、その様子を垣間見た村人たちは、
その徳を慕って菅公の没後(903以降)、その霊を勧請合祀して、爾後、
俗に五毛天神と称し現在に至っているそうです。
五毛は胡麻生(ごまう:燈明用の胡麻を栽培していた)という当地の旧地名
から来ていると言われている。
また、五毛はかって摩耶山天上寺領でもありました。

次にかって五毛天神の神宮寺で明治期の神仏分離令で独立した禅宗海蔵寺
に話題を移します。


上の写真は海蔵寺の本堂です。

明和3年(1766)から肥後細川藩代々藩主の祈願所となっていました。
本堂の脇に加藤清正像が安置されていたのもその関係らしいい。

幕末には警護の長州藩の陣屋の1つとして使用

明治12年頃には五毛梅林として梅の名所となっていたが今では名だけとなった

海蔵寺の基本情報

 住所:神戸市灘区国玉通3丁目6−3  TEL:078-861-3727
 山号:旭耀山  御本尊:地蔵菩薩 宗派:曹洞宗通幻派
開基:延喜元年(901)法性坊尊意



上の写真は海蔵寺の山門


上の写真は参道入り口に「禅宗 海蔵寺」と書かれた石碑


上の写真は霊符堂 
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神戸ハーバーランド 和食 六甲でのランチ on 2016-4-15

2016年04月16日 11時49分15秒 | 神戸情報
2016年4月15日、神戸ハーバーランド 和食 六甲でランチをいただき
ましたので写真紹介します。

2015年12月1日(火)、神戸情報文化ビル(カルメニ)の最上階18Fに
グランドオープンした店です。 20年間営業の「風」が店名を「六甲」として
新たに再スタートします。

和食 六甲の基本情報

住所:神戸市中央区東川崎町1-5-7 カルメニ18F TEL:078-335-8265
                   予約は078-360-5321
料理ジャンル:和食
営業時間:【ランチタイム】 11:00~15:00(L.O.14:00)
     【ディナータイム】
       日~金曜日 17:00~22:00(L.O.21:00 ドリンクL.O.21:45)
       土・祝前日 17:00~24:00(L.O.23:00 ドリンクL.O.23:45)


公式HP:http://www.rokko-kobe.com/
Facebook:https://www.facebook.com/671049906307253/photos/pcb.951073494971558/951073468304894/?type=3&theater


上の写真が当日いただいた日替わり膳 1,000円(税込)平日限定


上の写真はお店の看板に掲載のメニュー表


上の写真はお店からの眺め。

当日は穏やかな天気で波に太陽の光が反射して「春の海 ひねもす のたりのたりかな」
の光景です。



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東京倉庫高浜埠頭礎石 in 神戸ハーバーランド

2016年04月15日 04時59分09秒 | 神戸情報
神戸ハーバーランドは平成4年(1992)9月にオープンしたが阪神淡路大震災
の影響やバブル崩壊後の景気低迷などで阪急百貨店、ホテルニューオータニ、
神戸西武百貨店などの撤退が相次ぎ閑散とした状態がしばらく続いたが平成25年
(2013)4月18日に神戸ハーバーランドumieがグランドオープンしてからは
30代ー40代の層やインバウンド客に支えられごったがえす状況になって
います。もうすぐUmie開業3周年ということで、本日は東京倉庫高浜埠頭礎石
(下の写真)に関漣する話題を紹介します。


神戸ハーバーランドの地はかって国鉄湊川貨物駅がありさらに高浜岸壁と
呼ばれる埠頭と東京倉庫(現三菱倉庫)の倉庫群があり貨物船が停泊し貨物の
入出庫が行われていた場所でした。


この礎石はモサイクに入る一番北側の入り口にあります。
(撮影:2016-4-1)

高浜埠頭(高浜岸壁)は明治43年(1910)11月25日に起工し竣工は大正2年
(1913)1月20日と礎石に書かれています。


神戸海洋博物館が作製した「満船飾の神戸」(1993)Page58では高浜岸壁の竣工は
明治45年(1912)5月20日と書かれています。


上の写真は昭和28年(1953)の航空写真
高浜岸壁には東京倉庫(現三菱倉庫)の倉庫がぎっしりと並んでいるのが判ります


上の写真は昭和59年(1984)の神戸駅周辺の航空写真。


上の写真は2016年4月1日撮影の高浜岸壁
ミュージック・レストラン船「コンチェルト」の発着場として使用されています

埠頭としては高浜Aと高浜Bとして4,000トン級(全長107m)の客船が2隻が停泊
できる仕様になっています 水深5.5m 延長280m(140m×2)


上の写真は昭和40年代の三菱倉庫群の遠景。



上の写真ははかってこの地に三菱倉庫株式会社の高浜倉庫があった事を示す石碑

市民のグラフ こうべ No.239号(平成4年9月)にも昭和57年当時のハーバーランド
モザイクの位置に三菱倉庫 高浜倉庫群が写っていますのでリンクさせていただきました。
  http://www.graphkobe.jp/detail/239.html




上の2枚の写真は神戸ハーバーランドのレンガ倉庫
この煉瓦倉庫は、1890年代後半(明治30年頃)建造され、1987年(昭和62年)まで
神戸港に次々と到着する貨物(靴や電気製品など)の上屋倉庫として使用されて
いました。当時、残っていた5棟のうち海側に位置した2棟が現在残っている
煉瓦倉庫です。
(現地説明板より)
撮影:2016-4-1


既存する稀少な煉瓦倉庫であり、イギリス製の煉瓦を使用し、イギリス積みで造られた外壁は、神戸港の発展を支えた建物として当時の姿を今に伝えています。



神戸ハーバーランドの開発に伴い、1990年(平成2年)に煉瓦倉庫の外壁などを現地保存し、屋根及び内部が改装され、レストランとして再生されました。


東京倉庫(現三菱倉庫)兵庫出張所 現石川株式会社本社ビルが現存しています
のでその写真(3枚)を添付しておきます(撮影:2011-5-15)
正面玄関の前の歩道には賀川豊彦生誕の地の石碑があります。
横浜、大阪、京都に較べレンガ造りの建物が少ない神戸ですが、このような
貴重な文化遺産は大事に残していく必要があると思います。







上の写真は明治41年(1907)5月に落成した東京倉庫和田事務所
出典:神戸海洋博物館が作製した「満船飾の神戸」(1993)Page58

旧東京倉庫兵庫出張所の基本情報
住所:神戸市兵庫区島上町1-2-10 建築年:明治38年(1905)
設計者:曾禰達蔵  
現在の所有者:石川株式会社の本店として昭和20(1945)年より使用


曾禰達蔵の手になる建物としては上記東京倉庫の兵庫出張所の他に
ファミリアホール(旧三菱銀行神戸支店)(明治33年(1900)築)
大正7年(1918)の旧日本郵船神戸支店、大正13年(1924)の神戸栄光教会が現存。




上の2枚の写真は旧日本郵船神戸支店 撮影:2010-1-15





コメント (4)
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