CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ハロウィーン飾り in JR明石駅ミスギヤ山陽明石店 on 2019-10-27

2019年10月31日 04時29分23秒 | 神戸市以外の兵庫県

日本でもハロウィーンが定着しこのシーズンになると各所でハロウィーンの飾りつけを
見かけます。

本日はそれらの中からJR明石駅コンコースのスーパー、ミスギヤ山陽明石店入り口の
ハロウィーン飾りつけを写真紹介します。(下の写真)撮影:2019年10月27日



ハロウィーンをWikipediaで調べて見ると
「ハロウィン、あるいはハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'enとは、
毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。
もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、
現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いは
ほとんどなくなっている。
カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、
子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする
風習などがある」

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第91回 明石公園菊花展覧会 on 2019-10-26

2019年10月30日 05時36分19秒 | 神戸市以外の兵庫県

2019年10月26日、明石公園で開催の第91回明石公園菊花展覧会を見てきましたので

写真紹介します。第91回菊花展覧会は11月11日まで開催されています。

当日入手したリーフレットによれば第1回の明石公園菊花展覧会は大正15年(1926)の

6月12日に住友会が誕生。初代の住友会会長「木下吉左衛門」が初めて菊花展覧会を開催。

会期40日間、観覧者20万人と記述されています。

木下吉左衛門は神戸市垂水区の舞子にある木下邸の所有者であった人物です。

昭和27年(1952)に木下吉左衛門の所有となった)

明石観光協会のサイトによればその前段として大正12年(1923)ごろ、兵庫県立農業試験場

で栽培されていた菊を一般公開したところ、鑑賞客が激増しました。そこで会場を明石公園

へ移し第1回の菊花展覧会につながったとのこと。

上の写真は私が今回の展示で最大のハイライト作品に選んだ明石城の初代藩主の小笠原忠真

(藩主期間1617-1633)の像と正室の五姫の像

上の2枚の写真は明石市市制施行100周年と明石城築城400年にちなんだ展示と説明板

上の写真は明石城の辰巳櫓を背景に入り口の作品展示を撮りました

上の写真は女の子が夢中となって観ている展示品

上の2枚の写真は本来の栽培者による作品


上の写真は学校園花壇人気コンテストのコーナーと今年の3月に建立された史跡

明石城の石碑

最後に当日入手したリーフレットの表紙を添付して筆を置きます。


 

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JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その2 潮光山正覚寺

2019年10月29日 06時12分36秒 | 旅行記

2019年10月4日(金)、岡山県の備前市に所用があった為、JR西日本赤穂線の西片上駅

から備前市役所まで歩いて行った。

途中で見つけた史跡を写真紹介していきます。

今回はその第2回で潮光山 正覚寺について写真紹介します。

シリーズ過去の記事:

第1回 JR西日本赤穂線 西片上駅から備前市役所までの史跡 on 2019-10-4 その1 宇佐八幡宮

 

光山 正覚寺の基本情報

住所:岡山県備前市西片上86  TEL:086-964-2358

宗派:浄土真宗 本願寺派 山号:潮光山 

上の写真は潮光山正覚寺の本堂と鐘楼

正覚寺の由緒や御本尊などの詳細情報は調査できず備前市役所で入手した「片上史跡めぐり」

のリーフレットに記載の以下の文のみを記載しておきます。

清十郎との悲恋の後、姫路からやってきたお夏を当時の住職法円師が変換還俗させた

上の写真は境内の親鸞聖人の銅像などの展示

上の写真は境内に設置の即如門主ご巡教記念に建てられた石碑

上の写真は山門

山門前の灯篭(常夜燈)には元文3年(1738)の銘が入っています。

 

神戸事件と正覚寺

神戸事件(慶応4年(1868)1月11日)で備前藩の指揮を執っていた日置帯刀以下

兵士約500名が1月5日~1月7日 片上宿滞留の記録(「日置家記写」)があります。

このことから正覚寺にも多くの隊員が逗留したと推定されます。

以下神戸事件について記しておきます。

備前藩士の一行(約500名の隊列)は3門の大砲をもって神戸の三宮神社付近を
通行中に下記に詳述の神戸事件が起きた。
フランス兵2名が隊列を横切りにたいして槍でその兵に軽傷を負わせた。
死者が出ていない事件に対して1人の切腹は刑が重過ぎるという考えも
あったが、備前藩士瀧善三郎正信の切腹で問題は解決した。

伊東博文が解決のための折衝役として動いたが決裂に終わり。(以下Wikipediaより引用)

1月15日(2月8日)、急遽、開国和親を朝廷より宣言した上で明治新政府への政権移譲を表明、

東久世通禧を代表として交渉を開始した。 諸外国側の要求は日本在留外国人の身柄の安全保証と

当該事件の日本側責任者の厳重処罰、すなわち滝の処刑というものであった。
この事件における外国人側被害に対して処罰が重すぎるのではないかとの声もあり、また、

日本側としては滝善三郎の行為は、少なくとも「供割」への対処は武士として当然のものでも

あったが、列強の強い要求の前に抗うことが出来ず、伊藤や五代才助(後の五代友厚)を通じた

伊達宗城の期限ギリギリまでの助命嘆願もフランスのレオン・ロッシュをはじめとする公使投票

の前に否決される。 結局、2月2日(2月24日)、備前藩は諸外国側の要求を受け入れ、

2月9日(3月2日)、永福寺において列強外交官列席のもとで滝善三郎を切腹させるのと同時に

備前藩部隊を率いた日置について謹慎を課すということで、一応の決着を見たのである。

神戸の開港1ヶ月後に起きた神戸事件は明治新政府にとって初めての外交交渉となった。
この事件の穏便解決で活躍したのは明治元年(1868)5月23日兵庫県の初代知事と
なった伊藤博文(当時28歳の青年であった)である。
伊藤博文は偶然事件翌日の1月12日に神戸に立ち寄っていた。
伊藤博文まず大阪の外国事務取調掛の東久邇通禧(ひがしくにみちとみ)を勅使として神戸の
各国の公使を集めて「王政復古」を宣言した後、新政府の代表者として認めさせたうえで
事件解決の交渉に入っていった。

瀧善三郎正信は備前藩士で500名の備前の警備隊の第三砲隊長であった。
神戸事件の概要(三宮神社前の説明文より引用)は以下のとおりです。

神戸開港早々の慶応4年(1868)正月11日、尼崎へ出向を命じられた岡山
備前藩の隊士の行列が三宮神社前を通過するとき、神戸沖に停泊中の外国軍艦の
乗組員数名が行列を横切った。隊士の瀧善三郎正信は日本の風習から無礼を怒って
相手を傷つけた。それがもとで外国兵と備前藩士の一行との間に砲火を交える
騒ぎとなった。その結果、神戸の街は外国兵によって一時占拠されてしまった。
同月15日、東久世通禧は勅命で神戸へ来て明治維新で天皇新政となったことを
初めて外国側に知らせ同時にこの事件について交渉をした。
結局、瀧善三郎は責任を一身に負い外国人代表ら立会いの面前で切腹して
問題は解決した。

滝善三郎正信の顕彰碑は神戸市兵庫区の能福寺にあります

能福寺の顕彰碑に関して下記のブログで書いています。

 瀧善三郎正信の顕彰碑


日置家記写、自裁之記をもとに「神戸事件と岡山藩」という題で詳細に記述されている

サイトにリンクさせていただきます。

 http://www.yomimonoya.com/koube/mitisuzi/mitisuzi04.html

このサイトで片上宿に宿泊していた瀧善三郎は、命じられて一度岡山にもどり、大砲の

用意をしている。再度往復したのだろう。壮健な青年だったと思われる。との記述あり。


 

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内山永久寺跡訪問記と石上神宮に残る永久寺の残影 on 2015-11-5 

2019年10月28日 05時47分28秒 | 奈良情報

2015年11月5日、山の辺の道を散策しており、その時に内山永久寺跡と石上神宮を訪問して

います。内山永久寺は、総院号を金剛乗院といい、鳥羽天皇の勅願により創立されました。

建立時期が永久年間(1113~1118)であることから永久寺と呼ばれるようになりました。

鳥羽天皇の勅願により興福寺の僧頼実が創建したと伝えられ、石上神宮の神宮寺として寺領

千石とかなり裕福な寺であった。興福寺大乗院の末寺としての権威も誇った。

江戸時代には真言宗の寺院として西の日光とも呼ばれ賑わった。

境内には、本堂をはじめ御影堂、灌頂堂、鎮守社など40有余の伽藍があった。

しかし、明治時代初期の廃仏毀釈により廃寺となった。


上の2枚の写真は現地説明板による内山永久寺の説明。

上の写真は上に添付の説明版を拡大したものです。

上の2枚の写真は内山永久寺跡の位置が判る地図です(山の辺の道に掲示)

上の写真は現地説明板 大和名所図会による内山永久寺の伽藍図

赤字で説明版のある位置が示されています。

上の写真は上記の大和名所図会と同じ図であるが着色されている。

上の写真は現在も残る内山永久寺の境内にあった池(浄土式庭園の跡)の遠景

上の写真は山の辺の道 内山永久寺跡と書かれた標識

上の写真は松尾芭蕉の句碑と現地説明板

内山永久寺に参拝して詠んだ俳句である。

上の写真は萱御所跡と書かれた石碑

萱御所は上述の大和名所図会での現在地(灌頂堂)の西側に描かれています。

さてこれからは石上神宮に残る永久寺の残影というテーマで記述していきます。


上の2枚の写真は石上神宮の代表的な写真で神門を中心として撮っています。


上の2枚の写真は石上神宮の境内案内図です。

石上神宮のサイトによく判る境内図が掲載されていますのでリンクさせてもらいました。

 http://www.isonokami.jp/map/22.html

上の写真は石上神宮の摂社拝殿(国宝)です。

この摂社拝殿は大和名所図会で描かれた丹生明神と高野明神が大正3年(1914)に

石上神宮に移築されたものです。

割拝殿に唐破風を供えた檜皮葺建物で、保延3年(1137年)建立といわれています。

上の写真は再度大和名所図会を示したもので本堂の左手の赤い丸で示したものが

丹生明神と高野明神

上の2枚の写真は出雲建雄神社(式内社)と説明板

上の写真は永久寺の文字が読み取れる消防用ポンプ

石上神宮の回廊に保管されていました。

上の2枚の写真は柿本人麻呂の歌碑と現地説明版です。

歌碑に使用された石(高さ2.3m幅1.4m)は旧内山永久寺の北門の石が使用

されていると記述されています。

永久寺の北門の位置は上述の大和名所図会で確認できます。

上の写真は石上神宮鏡池のワタカに関する説明板です。ワタカに関しては後醍醐天皇と

馬魚伝説があります。(以下このワタカと馬魚の伝説について石上神宮のサイトより引用紹介)

ワタカは我が国特産の鯉科の淡水産硬骨魚で、体は細長くてひらたく、頭は小さく眼は大きく、

体色は背部が緑青色である他は銀白色です。別名を「馬魚(ばぎょ)」といいますが、

その由来については次の様な伝説があります。 南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に御潜幸になる

途中、内山永久寺の萱御所に入御せられました。その時、天皇のあとを追って赤松円心等の

軍勢も当神宮の辺に到着し、軍馬がしきりに嘶(いなな)きました。

天皇の御乗馬がこれに応じて嘶こうとしたため、天皇の従者は円心等にさとられるのを憂い、

御乗馬の首を斬って本堂前の池に投じました。その後、本堂池に草を食べる魚が住みつく

ようになり、人々はこれは御乗馬の首が魚になったのだと考え、「馬魚」と呼ぶように

なったと伝えられています。

石上神宮の鏡池のワタカは、大正3年(1914)に内山永久寺跡の本堂池から移したもので、

この時に東大寺中門前の鏡池にも移されています。


関連サイト:

 http://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main00402.html

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城見台公園から観た世界遺産「姫路城」 on 2019-10-8

2019年10月27日 04時39分32秒 | 神戸市以外の兵庫県

2019年10月8日、兵庫県立歴史博物館で開催の特別展「お城ができる前の姫路」を観覧

するために姫路に来ていました。

その時に撮った姫路城の写真(城見台公園から観た世界遺産「姫路城」)を紹介します。

 

上の2枚の写真が城見台公園から観た世界遺産「姫路城」です。

何か手前の鯱が主役のようでもありますが・・・・・

世界遺産姫路城十景の一つに選ばれています。

うえの写真は世界遺産姫路城十景の説明。

姫路城は平成5年(1993年)12月に世界遺産として登録されました。これを記念して

姫路城ビューポイントを公募し、その結果をもとにして、「世界遺産姫路城十景」を決定

しました。姫路城が最も美しく見える10ヶ所です。

10景のリストは下記のとおりです。

①大手前通り(JR姫路駅南)

②三の丸広場

③城見台公園(今回紹介)

④美術館(前庭)

⑤シロトピア記念公園(ふるさとの森)

⑥男山配水池公園(山頂)

⑦景腹寺公園

⑧名古山霊苑高台

⑨手柄山(緑の相談所広場)

⑩増井山(白国増井山線のポケットパーク)


世界遺産姫路城十景について全部を撮影し紹介されたサイトへリンクさせていただきました。

 https://castle-himeji.com/himejijo-10views/

 http://bansyu.com/0830hime/hime.htm

上の写真は鯱(しゃち)の説明石碑

姫路城天守閣の鯱瓦は瓦職人構井一巳氏により復元されました


上の2枚の写真は城見台公園の位置を示したものです。

昔は侍屋敷があった場所です。


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姫路城の恩人 北風家の第66代当主 北風荘右衛門正造貞忠(北風正造)と姫路城の危機

2019年10月26日 04時58分18秒 | 神戸情報

本日は表題のテーマとしました。


姫路城の危機-1(官軍の攻撃)

兵庫津(現在の神戸市兵庫区)で代々続く豪商の北風正造が明治新政府軍(官軍)により

姫路藩を攻めようとしたとき有栖川宮に陳情仲裁に入り、十五万両を軍資金として官軍に

寄付することで姫路を救ったという話はあまり知られていない。(特に姫路の人々)

そういう意味で北風正造は姫路城と姫路の恩人と言えます。

(姫路藩では高須隼人が北風正造に仲裁を依頼した)

また播州大塩村(現在の姫路市)出身の神田兵右衛門もまた姫路城が官軍の攻撃から

さらされる事を防いだ恩人であります。

和田神社(神戸市兵庫区)にある神田兵右衛門の顕彰碑に下記の記述があります。

明治元年二月会計宮御用掛となり東征の出納を掌る。時に姫路藩未だ順逆をつまびらかにせず

向背決せず。岡山兵来りせまる。上下紛擾し藩家老高須隼人、薩将岩下氏と謀り以って帰順す。


上の写真は北風正造の肖像と説明文(兵庫県立歴史博物館の展示)

北風正造が姫路を救った恩人である事は下記のブログで書いています。

  北風家当主第66代当主 北風荘右衛門正造貞忠の功績と事蹟


幕末の姫路藩の城主は酒井氏であり幕府の大老や老中を務める徳川将軍の側近であった。

当時の状況についてWikipediaの解説を引用紹介します。

幕末には藩主酒井忠績が1865年に大老となり、勤王派の制圧に力を振るったが1867年に蟄居した。

弟で次の藩主になった酒井忠惇は老中となるが、鳥羽・伏見の戦いで徳川将軍家の徳川慶喜に

随行して大坂退去にも同道したので、戊辰戦争では姫路藩は朝敵の名を受け、官軍の討伐対象とされた。

在国の家臣は1868年1月17日に無血開城して姫路城は岡山藩に占領されるが、3月7日になって

藩主忠惇の官位剥奪と入京禁止が命じられ、会津藩などと同様に慶喜の共犯者とみなされた。

慶喜が江戸城を無血開城して恭順の意を表明すると、江戸藩邸にいた忠績・忠惇もそれに従って

新政府軍に降伏した。ところが5月5日になって、忠績は江戸の大総督府に対して、酒井家は

徳川家の臣であり天皇家の臣として主家と相並ぶことを拒絶して所領没収を望むとの嘆願書を提出した。

姫路藩は、5月20日に忠惇が蟄居して分家上野伊勢崎藩酒井家から迎えた酒井忠邦に藩主の地位を譲り、

軍資金として15万両を新政府に献上することで藩存続を許されるものの、佐幕派として立場が

明確となった忠績への対応が迫られることになった。

しかし、忠邦や重臣たちの説得に忠績は応じず、蟄居中の忠惇も忠績に同調する動きを示した。

7月23日、新政府は家老の高須隼人・重臣河合屏山らに対して、忠績・忠惇の言動の背景には

彼らの側近である佐幕派の影響があるとして、彼らの処断を迫った。このため、高須らは

佐幕派の粛清に乗り出し、自害4名・永牢7名など多数の家臣が処分された。

そして9月14日に忠績が実弟忠恕(静岡藩家臣、忠惇には兄にあたる)に預けられ、忠惇も

静岡藩に身柄を移された後、明治2年(1869)9月28日に赦免されて同じく忠恕に預けられた。

こうした事情からか、明治元年11月に河合屏山の進言で諸藩に先駆けて版籍奉還の建言書を提出する.

1871年、廃藩置県が実施されると姫路藩は姫路県となり、飾磨地方の諸県と合併して飾磨県と

なるが、1876年に飾磨県は廃止されて兵庫県に合併された。

華族に列した藩主家は1887年に伯爵を受爵し、隠居の忠績と忠惇にも1889年に男爵が授けられる


姫路城の危機2 (廃城令)

明治6年(1873)1月14日に明治政府において太政官から陸軍省に発せられた太政官達

「全国ノ城廓陣屋等存廃ヲ定メ存置ノ地所建物木石等陸軍省ニ管轄セシム」所謂

明治維新後の廃城令」に伴い江戸時代に300藩の城または陣屋のうち陸軍により利用される

ことが決まった43の在城処分以外の城は荒廃の運命を辿った。

陸軍の「中村重遠」大佐は陸軍卿「山県有朋」にたいして、建築学的にも芸術としても価値のある

お城をどうにか保存できないかを訴えました。中村大佐の訴えを聞き入れた山県有朋は

お城の保存を決定し、1879年には陸軍の費用で姫路城と名古屋城の修理がされました。

姫路城の恩人として中村重遠が挙げられます。

 

姫路城の危機3(戦災)

昭和20年(1945)姫路市でも陸軍の施設があることから空襲を受けます。

姫路城は奇跡的に火災から免れ貴重な文化財が残ります。

 

上の写真は兵庫県立歴史博物館の常設展示の説明パネルで上述の危機2と危機3について

簡略に記述されています。

 

上の2枚の写真は姫路城を中心とした年譜

出典:兵庫県立歴史博物館の説明パネル

姫路城周辺の地図

上の写真は江戸時代の姫路城と周辺の地図

出典:兵庫県立歴史博物館の説明パネル

上の写真は大正時代の姫路城周辺の地図

出典:兵庫県立歴史博物館の説明パネル


姫路城の古写真

上の写真は明治初年の姫路城の写真展示

出典:兵庫県立歴史博物館の説明パネル

上の写真は明治の修理に関する写真展示

上述の年譜にあるように明治43年(1910)から修理が始められ翌年に竣工しています。

出典:兵庫県立歴史博物館の説明パネル


上の写真は昭和の修理に関する写真展示

出典:兵庫県立歴史博物館の説明パネル

上の写真は昭和29年(1954)頃に進められた大手前通りの拡幅工事の様子です

出典:兵庫県立歴史博物館の説明パネル


 

 

 


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楢崎猪太郎の銅像 in 戦没した船と海員の資料館 on 2018-10-3

2019年10月25日 05時41分34秒 | 神戸情報

2018年10月3日、後藤回漕店の本社ビルの写真を撮るために国道2号線沿いを歩いており

その時に戦没した船と海員の資料館に寄りました。

エントランス付近に今回紹介する日本海員組合の初代組合長の楢崎猪太郎の銅像があります。

関連も含めて写真紹介します。

上の写真が楢崎猪太郎の銅像です。

下に略歴が書いてありますので要約紹介します。

日本海員組合の初代組合長として不滅の基礎をつくった。

最後に「外観より内容  声より力」という言葉が添えられています。

 

コトバンクによる楢崎猪太郎の情報:

生年:元治2年2月20日(1865年)
没年:昭和7(1932)年9月22日
出生地:福岡県糸島郡北崎村
学歴〔年〕:大阪商船〔明治14年〕卒
経歴:三井物産会社船舶部に勤務し、18年間海上生活をする。明治38年陸上監督となり

三井船員規程を作成。42〜大正7年まで満鉄大連埠頭事務所長を務め、9年には高級船員

団体である海員協会の専務理事に就任。多くの船員団体をまとめて10年日本海員組合を創設し、

初代組合長。以後、海員組合の労資協調路線を推進。昭和2年に辞職

この間禁酒運動も積極的におこなった。

上の写真は楢崎猪太郎の銅像の遠景。壁には全日本海員組合と書かれたモニュメント在り

上の写真は日本海員会館記念碑の説明板。

上の写真は2階の展示室に登る階段の様子

全日本海員組合のサイトに戦前の海員組合の歴史に記載されていますのでリンク

 http://www.jsu.or.jp/general/jsu/ryakusi.html

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海外メディアが報じた即位礼正殿の儀

2019年10月23日 06時33分16秒 | 有用な情報

昨日(2019-10-22)に行われた即位礼正殿の儀について海外のメディアがどの様な

報道をしたかについて調べてみました。リンク集としてご案内します。

本題に入る前に昨日の即位礼正殿の儀と即位礼当日賢所大前の儀(賢所に奉告)
さらに即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀の様子についてTVの報道より写真で

ハイライト場面の写真を添付しておきます。

即位礼当日賢所大前の儀&即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀

上の写真は賢所大前の儀に臨まれる天皇陛下。10月22日9時過ぎ。

白い装束は大切な神様を奉るような儀式の時に使用されます。白色は古くから最も貴い

とされ「清らかさ」を表現しています。

上の写真は即位礼当日大前の儀で賢所に向かわれる皇后陛下

十二単の白装束で髪は「おすべらかし」と言われる結い方

上の写真は皇居宮中三殿で中央が賢所、右が皇霊殿、左が神殿


即位礼正殿の儀

上の写真は高御座より即位を広く内外に宣明される天皇陛下

衣装は天皇しか着ることができない「黄櫨染御袍(こうろせんのごほう)」

10月22日の13時過ぎから約30分

上の写真は高御座の天皇陛下と御帳台の皇后陛下

皇后陛下の衣装ははまなすをあしらった十二単

上の写真は天皇陛下のお言葉(全文)。

 

上の写真は安倍晋三首相の発声による「万歳三唱」

Japan's new emperor formally takes the throne

 

饗宴の儀

上の写真は饗宴の儀における天皇皇后両陛下。

21時過ぎから23時近くまで行われたそうです。

上の2枚の写真は饗宴の儀で出された料理とその内容リスト

約400名の招待者に振舞われたそうです。

CNNのニュース

 見出し「Emperor Naruhito completes enthronement in ceremony rich with history and ritual

 https://www.japantimes.co.jp/news/2019/10/22/national/japanese-emperor-begins-ceremonies-proclaim-enthronement-world/#.Xa92YXduKdI

 

 見出し「Naruhito: Japan's emperor formally proclaims enthronement in centuries-old ceremony

 https://edition.cnn.com/2019/10/21/asia/japan-enthronement-emperor-intl-hnk/index.html?utm_source=feedburner&utm_medium=feed&utm_campaign=Feed%3A+rss%2Fedition_world+%28RSS%3A+CNNi+-+World%29

 

BBCのニュース

 見出し「Naruhito: Japan's emperor proclaims enthronement in ancient ceremony

 https://www.bbc.com/news/world-asia-50120563

 

CNRのニュース

 見出し「Naruhito: Japan’s emperor proclaims enthronement in ancient ceremony

 https://citinewsroom.com/2019/10/naruhito-japans-emperor-proclaims-enthronement-in-ancient-ceremony/

 

Yahoo News

 見出し「'Banzai!': the ceremony proclaiming Japan's new emperor

  https://news.yahoo.com/banzai-ceremony-proclaiming-japans-emperor-044830590.html

 

IBT

 見出し「Japan's Emperor Completes Enthronement In Ancient Ceremony

 https://www.ibtimes.com/japans-emperor-completes-enthronement-ancient-ceremony-2850756


Japan Forward

 見出し「Emperor Naruhito’s Enthronement Ceremony: What to Expect」

 https://japan-forward.com/emperor-naruhitos-enthronement-ceremony-what-to-expect/


KPBS

 見出し「In Ancient Ceremony, Japan’s Emperor Naruhito Proclaims His Enthronement To The World

 https://www.kpbs.org/news/2019/oct/22/in-ancient-ceremony-japans-emperor-naruhito/


Youtube動画

 Japanese Emperor Naruhito's coronation ceremony at the Imperial Palace | FULL


国内メディアではあるが朝日新聞が当日(2019-10-22)の出来事をコンパクトに

纏めておられるのでリンクさせていただきます。

 見出し「【詳報】即位の礼を振り返る 天皇、皇后両陛下の1日

 https://www.asahi.com/articles/ASMBP4GFTMBPUEHF006.html


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神戸市立図書館の返却ポスト in 市営地下鉄「名谷駅」

2019年10月22日 05時15分28秒 | 神戸情報

神戸市立図書館では、図書館へのアクセスが不便な方や通勤、通学で忙しい方々のために

駅周辺に図書の返却ポストを2019年1月25日に設置運用されています。

2019年10月14日に神戸市営地下鉄の名谷駅に設置の返却ポストの写真を撮りましたので

紹介します。

上の写真が市営地下鉄名谷駅に設置の図書の返却ポスト

BOOK DROPの文字が目立ちます。設置場所は改札口北側券売機横です。


名谷駅以外の返却ポストの設置は下記のとおりです。

(1)JR灘駅 (南北連絡通路北側)

(2)JR・山陽電鉄垂水駅前 (西口バス案内所北面)

上記の場所についても写真が揃い次第アップしたいと思っています。

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令和元年10月22日、即位礼正殿の儀の解説 By NHK「シブ5時」の解説

2019年10月21日 04時47分42秒 | 有用な情報

令和元年(2019)10月22日に新天皇(126代)の即位礼正殿の儀が行われます。

台風19号による被害を考慮して両陛下のパレードは11月10日の15時からに延期

との報道がなされました。15時に皇居・宮殿を出発、15時半に赤坂御所に御到着予定

2019年の10月22日だけは国民の祝日となりました。


即位の礼(そくいのれい)または即位礼(そくいれい)は、日本の天皇が践祚(せんそ)後、
皇位を継承したことを国の内外に示す(即位)一連の国事行為たる儀式で、最高の皇室儀礼。
中心儀式の即位礼正殿の儀は、諸外国における戴冠式、即位式にあたる。
即位の礼後に、五穀豊穣を感謝し、その継続を祈る一代一度の大嘗祭が行われ、
即位の礼・大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(ごたいれい)または御大典(ごたいてん)
とも称される。

本稿では2019年10月17日(木)のNHKTVの「シブ5時」で解説された「即位礼正殿の儀」

について記載すると共に過去に書いたブログ記事及び他の情報を混じえて記載します。

岩田明子解説委員が儀式について解説されました。

10月22日は延暦13年10月22日(新暦794年11月18日)、平安遷都の日でもあります。

これを記念して、京都市では毎年10月22日に時代祭が行われるが今年は10月26日に実施予定。

即位礼正殿の儀とは

 



上の写真は即位礼正殿の儀の解説、国内外の代表 約2,500人が参列する予定で

午後1時(13:00)に開始され平成の時の慣例が踏襲される予定です。

饗宴の儀は皇居「竹の間」で19:20に開始、22:50頃に終了の予定。

平成の大礼における「即位礼正殿の儀」の動画への共有を添付しました。
天皇陛下 即位の礼 正殿の儀 [高画質ノーカット] Enthronement of the Japanese Emperor, Akihito (with English commentary)


時代とともに変わる儀式

上の写真は時代とともに変わる儀式の形態における説明パネル

上の写真は現憲法との関連での問題点の指摘

今回はどうなる

上の写真は今回がどうなるかについての解説

高御座などの一般参観

 

(東京国立博物館)
令和元年12月22日(日)~25日(水)
令和2年1月2日(木)~19日(日)

※令和2年1月6日(月)及び14日(火)は休館

 

(京都御所)
令和2年3月1日(日)~22日(日)

※令和2年3月9日(月)及び16日(月)は休園



関連ブログや報道例

 

皇位継承に関わる51の儀礼・行事について

即位礼正殿の儀  NHK「京都御所~秘められた千年の美~」を視聴して

即位礼正殿の儀における松の間前庭の参列者と旛

新天皇陛下の即位の儀式 その1  2019年5月1日 剣璽(けんじ)等承継の儀ほか

新天皇陛下の即位の儀式 その2  2019年5月8日 賢所に期日奉告の儀ほか 

新天皇陛下の即位の儀式 その3  2019年5月10日 「奉幣の儀」=即位礼の期日報告

 

改元に関する話題 その1 光文事件

改元に関する話題 その2 平成改元 30年へて新証言

改元に関する話題 その3 年号に必要な6要件

改元に関する話題 その4 新元号は「令和」公表 on 2019-4-1
 
天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う国の儀式等(首相官邸)

「高御座」と「御帳台」を公開 即位礼正殿の儀へ準備進む(FNN PRIME)

盛大に天皇即位を宣言する「即位礼正殿の儀」その見どころ(NEWSポストセブン)

あす「即位礼正殿の儀」 皇居で儀式の最終確認作業へ(NHK)

https://blog.goo.ne.jp/arare_002/e/5d9166575361f389a62cd57b264c20cd 

 

https://blog.goo.ne.jp/syaraku0812/e/64cdd7bb5486bbc05b36a7c48a8d886e

最後に神社本庁のリーフレットの表紙の平成2年(1990)の即位礼の様子の写真を

添付して筆を置きます。

 

 

 

 

 

 


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