CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

茨木市 郡遺跡、倍賀(へか)遺跡の現地説明会 on 2017-1-29

2017年01月30日 15時55分15秒 | 大阪情報
2017年1月29日(日)、茨木市 郡遺跡、倍賀(へか)遺跡の現地説明会
があり参加してきました。現地の様子を写真紹介します。

茨木市松下町の「郡遺跡、倍賀遺跡」は大阪府文化財センターが2016年6月より
発掘調査が進められ2017年2月末で終了する予定になっています。


発掘調査の範囲は上記図面のとおり全部で16,500㎡で北より1区から6区に
区分して調査されています。今回の現地説明会は5区と6区が対象で東西100m
南北60m弱の6,000㎡が対象でした。






上の3枚の写真は今回の現説現場と付近の地図。
パナソニックの工場跡でヤマトグループ関西圏最大の総合物流ターミナル
「関西ゲートウェイ」の着工に伴い実施された発掘調査です。

パナソニックの「テレビ事業発祥の地」跡地でプラズマ方式のテレビの生産が
行われていました。




上の3枚の写真は現地説明会の会場を外側(南西側)から撮ったもの
当日、現地に11時50分頃到着 12時30分からということで近隣の
春日神社と中央図書館内の富士正晴の記念館を見学後現説会場に入場。

私が入場した時には上の写真のように大勢の方が並んでおられました。
主催者の発表では1,000人超えの盛況でした。


上の写真は現地説明会の案内リーフレット


上の写真は現地の遠景


上の写真は現地説明会資料ですでに埋め戻されている1区から4区の調査結果
も含まれています。
黄色い部分が今回の現地説明会の範囲。


同じく現説の配布資料からですが今回のハイライト事項が説明記載されています。

1.人形土製品



上の2枚の写真は現地説明会の資料の説明と当日撮った現物写真

2.方形周溝墓98の墓壙内の組み合わせ木棺の底板



上の2枚の写真は1区方形周溝墓98の墓壙内の組み合わせ木棺の底板と人の歯と骨
人の歯とあごの骨の周りには朱が塗られていた

3.方形周溝墓99の墓壙の碧玉製の管玉


上の写真は方形周溝墓99の墓壙の碧玉製の管玉(3点) 弥生時代中期
長さ0.8cm、大阪府域で2例目で周辺地域を含めても3例目


次にラジコンのヘリコプターを使用した空撮写真を添付しておきます。
1区


2区


3区


4区


5区


6区


次に現地の写真を添付します。

上の写真は見学中の人々






上の3枚の写真は弥生中期の土器



上の2枚の写真は弥生後期の土器



上の写真は5区での最大規模の方形周溝墓101 18m×10m


上の写真は集落域と墓域を区切る溝
この溝と方形周溝墓の周溝からは80箱にも及ぶ多量の土器が発掘されている。


上の写真は人形土製品が出土の方形周溝墓30




上の写真は平安時代の井戸


上の写真は方形周溝墓内の墓壙

次に3大ハイライト以外の展示品やトピックスを述べます

上の写真は方形周溝墓内から見つかった石器






上の3枚の写真は石包丁 人形土製品と同じ溝からは長さ29.4cmの石包丁が





上の写真は集落と墓域を区切る大溝(幅2.5m 深さ1m)及び周溝から出土の
大量の土器




上の写真は平安時代中期から後期(約1,000~800年前)の遺構面と出土品



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新港貿易会館(新港相互館) on 2017-1-28

2017年01月29日 06時53分53秒 | 神戸情報
KIITOで「神戸みなと時空」   1)TOY&DOLL
                2)神戸ものがたり 陳舜臣と神戸
                3)日本一の総合商社へ 鈴木商店
のイベントが1月25日より開催されており1月28日にKIITOを訪問した。

その際、隣接する新港貿易会館(旧新港相互館)の写真を撮りましたので紹介します

新港貿易会館(旧新港相互館)の基本情報

住所:神戸市中央区新港町8−2 TEL:078-331-8901
設計 - 新港相互館 、施工 - 中島組
竣工 - 昭和5年(1930)
所有者名:株式会社 後藤回漕店


新港貿易会館は国の登録有形文化財に登録(平成23年(2011)10月28日登録)
されています。
もともとは、新港地区周辺に点在していた港湾関係業者の事務所を集約するために
建設され、新港相互館と呼ばれていました。




上の2枚の写真は新港貿易会館の建物(右の建物)遠景
建築面積519㎡、鉄筋コンクリート造四階地下一階建である。外壁は
スクラッチタイル貼で、十字路に面した西南隅に出入口を開く。
幾何学図形やアールデコ風の装飾など新しい意匠を巧みに取り入れた
独創的な事務所ビル。


上の写真ははKIITO側から撮った新港貿易会館の裏手




上の2枚の写真は新港貿易会館の近景






上の3枚の写真は銘板





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神戸南京町での春節祭 on 2017-1-28

2017年01月28日 17時16分57秒 | 神戸情報
2017年1月28日(土)の神戸南京町での春節祭の様子を写真紹介します。

今年も春節祭の季節がやってきました。
旧暦で節句を祝う中国では、旧暦のお正月を「春節」として盛大に祝います。



上の2枚の写真は関帝廟から関帝さまがここ南京町に出張安置されています。




上の2枚の写真は関帝さま解説文と供物の解説です。

関帝廟のこと  陳舜臣が解説されていますので引用紹介します。
 関帝廟に祀られている三国志の英雄関羽は蜀の皇帝劉備に仕えた人物で、
この世においては「皇帝」でもなんでもなかった。それなのに中国の人たちは、
彼を記念する廟を立て、彼を「関帝」とあがめた。
 関羽が武運拙く津水のほとりで敗死したのは、建安二十四年(二一九)の十二月
であった。関羽と戦った呉の総帥呂蒙は、その直後に公安という所で病死している。
呉の副将孫咬も関羽の死から一カ月たたぬうちに死んだ。
関羽の首級が呉の同盟軍の曹操のところに送られたのは翌年の正月であり、
曹操が六十五歳で洛陽で病死したのは、おなじ日であった。
『三国志演義』では、呂蒙も曹操も関羽の怨霊にとりつかれて死んだことになっている。
 こんなことから、関帝廟は鎮魂のための「杜」であるとする説が有力だが、
では怨霊を鎮めるのは、なぜ関羽かという問題が残る。史上、おびただしい人が
恨みをのんで死んでいる。たとえば屈原などはその代表的な人物であろう。
 しかし、この世に怨念をもった悲劇的な武将として、最もよく知られたのは
なんといっても関羽である。さらに関羽には、「誠実」という、まことに人間的な
面があった。ついには敵となった曹操にも、恩義をうけたことがあり、
立ち去るときに、義理堅く恩返しをしている。この信義に厚いことが、関帝さまが
商売人に崇拝される一因だという人がいるのだ。契約すれば、どんなことが
あってもそれを守る。関羽の義理堅さは、じつは商人だけに必須のものではない。
学問であれ、役人であれ、技術者であれ、信義は厳に守るべきなのだ。
ただ関羽の故郷の解県は、塩の産地で、全国から塩商が集まる。
そんなことで商人と縁が深かったのであろう。
 一般には関公と呼ばれたが、宋代に武安王に加封され、そのころから彼を
祀るところは、関王廟と呼ばれるようになった。
明の万暦は二十二年(1594)、協護国忠義大帝に追封された。
関帝廟という名はそれ以後である。


リーフレットからの引用ですが神戸の関帝廟の生い立ちについて下記をご参照下さい。
1888(明治21)年、「慈眼山長楽寺」として誕生
 関帝廟は、俗に「南京寺」とも呼ばれますが、その正式寺名は「慈眼山長楽寺」。
 1888年(明治21年)4月、大阪府布施市にあった長楽寺が廃寺になるのを、
現在の神戸市中央区中山手通7丁目53-1に移し、関帝、十一面観音、天后聖母を
まつりました。これが関帝廟の始まりとされています。
 それまでも、神戸に住む華僑の人々の間では関帝が信仰の対象として
まつられてはいましたが、ここに中国の伝統寺院としてひとつに統合され、
以後華僑たちの心の拠り所となったのです。
 長楽寺は、中国福建省の高僧である隠元禅師が、時の徳川幕府より許しを得て
宇治に建立した黄栗宗の大本山・萬福寺につながる寺で、初代住職には
長崎聖福寺より松井宗峰師が迎えられました。
 現在はどの宗派にも属さず、関帝廟として独立した寺院となっています。


2014年8月23日(土)に関帝廟で開催の普度勝会の行事を観ていますので
リンク紹介(小生のブログ)しておきます。
 神戸 関帝廟での普度勝会 on 2014-8-23


関連ブログ:関帝廟 on 2007-10-20








上の4枚の写真は横浜中華街の関帝廟と現地説明板 撮影:2014-3-14




上の写真は本日(2017-1-28)の南京町 9時20分頃
10時からイベントが始まるので人出は少ない




上の写真は獅子舞 採青(祝儀とり)
 15時ころ元町6丁目にて 

獅子舞の演技を動画でも紹介します。演技は中華総会の皆様






 
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郡遺跡・倍賀(へか)遺跡で大規模な方形周溝墓が発掘

2017年01月27日 08時49分47秒 | 大阪情報
弥生の墓140基発見=国内有数、人形も出土―大阪


上の写真は郡(こおり)遺跡・倍賀(へか)遺跡の位置を示しました。

大阪府茨木市の郡(こおり)遺跡と、隣接する倍賀(へか)遺跡で人を
かたどった弥生時代中期の人形(ひとがた)土製品(高さ6cm)や、
140基の方形周溝墓が見つかり、大阪府文化財センターが2017年1月26日に
発表した。昨年6月から工場跡地の約1万6500平方メートルを調査。
方形周溝墓群のすぐ東では22棟分の竪穴建物跡が見つかり、集落に墓域が
隣接していたことも分かった。近畿地方では滋賀県守山市の服部遺跡で
方形周溝墓360基以上が見つかっているが、今回はそれに次ぐ多さという。
最大の墓は長辺18メートル、短辺12メートル。別の墓からは碧玉製の
管玉(くだたま)3点が出土した。また、組み合わせ式木棺の底板が残って
いた墓もあり、人の歯も見つかった。
 現地説明会は1月29日午後0時半~午後3時。

年代は弥生中期

最近は佐倉市の国立歴史民俗博物館が2003年頃から提唱されている説で
500年くらい古い年代から弥生時代が始るということも言われています。
ここでは下記のように前期、中期、後期の年代を規定します。
また縄文晩期を弥生時代に入れるという説もあります。
  前期 2400年前~2200年前

  中期 2200年前~2000年前

  後期 2000年前~1700年前


郡遺跡は昭和29年(1954)郡神社内から弥生式土器が見つかったことから
スタートし10年後の名神高速道の建設時には同志社大学が発掘調査を実施。
さらに昭和48年(1973)20,000㎡の調査、その後も新しい施設ができる
たびに発掘調査され弥生時代、古墳時代、飛鳥、奈良、平安、近世の複合遺跡
である。

この地域に弥生時代に大規模な集落跡があったことが確認されています。

倍賀(へか)遺跡は平成4年(1992)に大規模な発掘調査が実施され弥生時代
中期の方形周溝墓や古墳時代の形象埴輪などが確認されています。


上の写真は神戸市東灘区北青木遺跡の方形周溝墓出土状況
 調査期間:2011年4月1日-2012年3月31日
弥生時代中期及び後期の方形周溝墓と円形周溝墓が出土

方形周溝墓に関する関連ブログ:
  神戸市埋蔵文化財センター夏季企画展「こうべ発掘ニュース 最新号」 on 2016-7-23

  神戸市埋蔵文化財センター 平成28年度春季企画展 見学録 on 2016-4-17

  神戸市埋蔵文化財センター2015年春の企画展「弥生時代のムラ・古墳時代のムラ」
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平城京左京三条二坊十四坪(奈良警察署跡)の発掘調査 現場説明会 on 2015-12-20

2017年01月26日 06時17分09秒 | 奈良情報
2015年12月20日、平城京左京三条二坊十四坪(奈良警察署跡)の発掘調査
現場説明会に行ってきました。その時撮った写真を中心に紹介します。








上の4枚の写真は平城京左京三条二坊十四坪発掘現場の全体図


上の写真は平城京左京三条二坊の全体図と十四坪の位置











上の写真は発掘調査で出土した品々(当日の展示品)


上の写真は井戸6


上の写真は地層断面と説明パネル


上の写真は発掘現場を見学する当日の参加者


上の写真は当日実施の現地説明会の案内
平城京左京三条二坊十四坪以外に平城京跡右京三条一坊一・二・七・八坪
(セキスイ跡地)と興福寺経蔵・鐘楼・中室跡の現地説明会がありましたが
私は不参加で法隆寺へと向かいました。


上の写真は現地(平城京左京三条二坊十四坪)及び周辺図

まとめとして今回の現場には奈良時代後半、貴族の邸宅跡として利用されて
いたことが解った。

2015-12-20 平城京左京三条二坊十四坪 現地説明会資料へのリンク

2016年12月20日以降、現地(平城京左京三条二坊十四坪)ではさらに
掘り進められ水田跡の遺構や弥生時代前期(2400年前から2200年前)の土器の
破片が出土、さらに石包丁も出土しました。
この下層の現地説明会は2016年6月25日に実施されました。

平城京左京三条二坊十四坪(下層遺構) 現地説明会資料へのリンク







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神戸開港150年 記念商品

2017年01月25日 17時50分24秒 | 神戸情報
2017年1月1日より神戸開港150年を記念して種々のイベントが企画され
神戸は熱気に満ちています。

神戸市役所付近の地下道の展示スペースに神戸開港を記念して商品のラベルに
「神戸開港150年」を謳った商品が展示されていますので写真紹介します。

写真撮影日:2017-1-20


上の写真は神戸ワイン


上の写真はアサヒビールのスペシャルラベル


上の写真は神戸風月堂のゴーフル スペシャルパッケージ


上の写真は神戸プリン 西村珈琲とコラボしてつくった珈琲プリン By トーラク


上の写真は神戸開港記念キーホルダー By スタジオキイチ




上の2枚の写真は神戸開港150年のパッケージの商品




上の2枚の写真は神戸開港150年のポスター




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神戸花時計 on 2017-1-20

2017年01月25日 06時54分13秒 | 神戸情報
2017年1月20日、神戸市役所2号館の北側にある神戸花時計の絵柄が
神戸開港150年になっていました。 写真にて紹介します。






上の3枚の写真が神戸開港150年の写真です。


上の写真は神戸開港150年の花時計、現地説明板
2017年1月12日からの展示で3月上旬まで展示の予定。

2017年のこれまでの神戸花時計の展示は以下のとおりです。

干支の「酉」   2016年12月8日~2017年1月11日




上の2枚の写真は2017年の干支「酉」と現地説明板(2017-1-2撮影)

神戸花時計の歴史

第13代神戸市長の宮崎辰雄氏(1911-2000)の欧米視察経験に基づき発案され
スイス・ジュネーヴのイギリス公園に設置されていた花時計をモデルにした日本初
の花時計が製作されることになった。神戸市民や神戸市内の企業はこの計画に
好意的な反応を示し、多額の寄付金が寄せられた。この寄付金を元に花時計の製作
が進められ、市民有志から神戸市への寄贈という形で設置されることになった。
花時計の製作は神戸市役所の新庁舎(現在の2号館)建設に合わせて進められ、
新庁舎完成と同時期にその北側に設置された。1957年4月6日午前、
新庁舎開庁記念式典に続く形で始動式が行われ、花時計は稼働を開始した。
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長屋王邸宅跡訪問記 on 2015-12-20

2017年01月24日 04時47分04秒 | 奈良情報

2015年12月20日、平城京左京三条二坊十四坪(奈良警察署跡)の発掘調査
現地説明会があり出かけていました。

この近くに本日紹介する長屋王邸宅跡があり写真を撮ってきましたので紹介します
現在はイトーヨーカドー奈良店の敷地となっています。

まず、長屋王について簡単に記しておきます。
長屋王(ながやのおおきみ、天武天皇13年(684)? -~神亀6年2月12日
(729年3月16日))は、天武天皇の子供太政大臣・高市皇子の長男で天武天皇の
孫にあたる皇族で「親王」として待遇されていました。官位は正二位・左大臣で
現在の総理大臣にあたります。
長屋王の妻は元明天皇の娘で文武天皇および元正天皇の妹、吉備内親王
皇親勢力の巨頭として政界の重鎮となったが、対立する藤原四兄弟の陰謀と
いわれる長屋王の変(729)で妻の吉備内親王と子供とともに自殺した。
長屋王はこの時45歳であった



上の写真は現地の説明板遠景。


上の写真は現地の説明板の文章部

内容を要約記載します。
昭和61年(1986)から発掘調査(By 奈良文化財研究所)。長屋王の邸宅は
平城京の東南に隣接し、平城京三条二坊一・二・七・八坪の4坪分を占め約6万㎡
もの広さがありました。

昭和63年(1988)には 四万点の木簡と邸宅跡が見つかった。
「長屋親王宮鮑大贄十編」という木簡から 和銅3年(710)から神亀6年(729)
までの19年間ここにあった長屋王の邸宅跡であることが判明。
長屋王邸宅跡の内部は王の住居地区、王家の事務所地区、使用人住居地区など、
数ブロックに塀で区画されていました。
長屋王の住居は面積360㎡の掘立柱建物で、天皇の住居である平城京内裏正殿に
準ずる広さがありました。

約4万点の木簡は王家の事務書類で王に仕えた人々と役所のこと王家を支えた
経済的基盤のこと王家の豪華な食生活のこと犬、馬、鶴を飼っていたこと等が
記されていました。 


上の写真は長屋王邸宅跡の邸宅復元絵画(現地の説明板を拡大)


上の写真は現地の説明板に書かれた発掘現場の様子


上の写真は長屋王邸宅の位置を示したもの(現地説明板)


上の写真は発掘された木簡の一部

最初(一番右)に書かれた木簡で「親王宮」、大贄( おおにえ)と記されている
ことから天皇の皇子の待遇を受けていたことが判る。「おおにえ」は天皇に献納
する物という意味である。 また親王は天皇の皇子に使う名称である。


上の写真はイトーヨーカドー奈良店の正面玄関側
当初はそごう百貨店の建物であったが2000年12月に閉鎖された




上の写真は悲劇の最期を遂げた長屋王を悼み建立された祠と長屋王略記
の掲示板。

長屋王の官位の経過(Wikipediaより)

大宝4年(704年) 正月7日:正四位上(直叙)20歳
和銅2年(709年) 11月1日:従三位[25]。11月2日:宮内卿 25歳
和銅3年(710年) 4月23日:式部卿 26歳
和銅7年(714年) 7月3日:益封100戸 30歳
霊亀2年(716年) 正月5日:正三位 32歳
養老2年(718年) 3月10日:大納言(不歴中納言参議)34歳
養老5年(721年) 正月5日:従二位、右大臣。3月25日:帯刀資人10人。
         5月20日:稲10万束、籾400斛
         12月8日:御装束事 37歳
神亀元年(724年) 2月4日:正二位、左大臣  40歳



上の写真は奈良文化財研究所が制作した長屋王邸宅の再現模型


上の写真は橿原考古学研究所作成の長屋王に関する説明文


長屋王の墓: 
 奈良県生駒郡平群町梨本、宮内庁管理
 直径15m、高さ1.5mの円墳で、周囲は方形の生垣で囲まれている。
 王墓の下には6世紀前半に築造された前方後円墳が埋まっている。
 3月20日に墓前で正辰祭が行われる。

 

以下の記述は2022年7月8日 BS6ch(TBS)関口宏の「一番新しい古代史」で紹介の

長屋王に関する資料です。2022年7月18日追記

長屋王の肖像:

長屋王関連の系図:

長屋王の変(729年2月10日):

 

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三木市 ビストロ・ド・ノブでのランチ on 2017-1-22

2017年01月23日 06時31分59秒 | 神戸市以外の兵庫県
2017年1月22日(日)、三木市立みき歴史資料館のワークショップ
「染形紙で染める」講師:三木の染形紙の保存と活用を考える会
が13:30よりありそれに参加するために三木に出かけていました。

その際、ビストロ・ド・ノブでランチをいただきましたので写真紹介します。

ビストロ・ド・ノブの基本情報
住所:三木市本町2丁目3−1  TEL:0794-82-4988
料理ジャンル:洋食
フランス語表記は Bistro de nov
営業時間:11:30~14:00 17:00~20:30
定休日:火曜日


2013年12月7日の訪問記に地図を入れています。


当日いただいたのはお薦めのランチ オムライス(1,080円)です


まずスープ


次にオムライス 食後にデミタスのコーヒーをいただきました。


上の写真はお薦めのランチメニューの看板


上の写真はノブが入っている建物外観 1階にお店があります。

過去の訪問記
 三木市 ビストロ・ド・ノブでのランチ on 2013-5-22

 三木市 ビストロ・ド・ノブでのランチ on 2013-4-21


上の写真は立石の道標と呼ばれて道標でノブの入口付近にあります。
道標には 右 ひめぢ道 左あかし道と書かれています。
また、宝暦11年(1761)三木町西国同行中建設/大破傾キタルヲ以テ昭和七年十一月
再建とも書かれています。






上の3枚の写真は上述の「みき歴史資料館 ワークショップ  染形紙で染める」
で製作した作品です。

上記「みき歴史資料館 ワークショップ  染形紙で染める」は参加希望者が
多かったため1月29日(日)にも行われます。

 詳細はKiss Pressのサイトに書かれています。
  http://kisspress.jp/events/11138/

三木染形紙は着物地などの文様を染める際に使用されるもので、手彫りで
切り抜いた形紙のことで昔から刃物とともに三木地方で盛んな地場産業でしたが
最近は着物の衰退で需要が少なく産業としては衰退しています。






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神戸の古本市

2017年01月22日 06時33分50秒 | 神戸情報
2017年1月20日(金)、エッチング(銅版画)の教室の帰りに
さんちか古書大即売会に行ってきました。

さんちか古書大即売会は毎年この時期に開催されておりほとんど毎年
見に行って古書を購入しています。

本ブログでは2017年に開かれる古本市のイベントを紹介します。


上の写真は1月29日~1月24日まで開催のさんちか古書大即売会のリーフレット


上の写真は3月3日~5日に開催の神戸古書即売会の案内 場所:兵庫古書会館


上の写真は4月7日~9日開催のひょうご大古本市の案内 場所:サンボーホール


上の写真はさんちか古書大即売会の様子


関連ブログ:さんちか古書大即売会 on 2016-7-29
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