CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

神戸花時計 on 2016-5-27 アジサイ

2016年05月28日 06時57分17秒 | 神戸情報
2016年5月27日、神戸市役所2号館の北側にある神戸花時計の絵柄が
アジサイになっていました。

2016年のこれまでの神戸花時計の展示は以下のとおりです。

干支の「さる」   2015年12月8日~2016年1月13日

神戸空港開港10周年 2016年1月14日~2016年3月2日

さくら       2016年3月3日~2016年4月21日

神戸まつり     2016年4月22日~2016年5月下旬







上の3枚の写真が神戸花時計「アジサイ」の近景と遠景です


上の写真は「アジサイ」の神戸花時計デザインの説明です

こうべ花時計の機械は平成21年(2009)2月に 更新されました。
製造、施工はセイコータイムシステム(株)です。
詳細は花時計の機械更新

初代のこうべ花時計は昭和32年(1957)の神戸市市役所新庁舎の竣工を
記念して設置された。



上の写真は初代「神戸 花時計」のデザイン。(1957-4-26)

第13代神戸市長の宮崎辰雄氏(1911-2000)の欧米視察経験に基づき発案され
スイス・ジュネーヴのイギリス公園に設置されていた花時計をモデルにした日本初
の花時計が製作されることになった。神戸市民や神戸市内の企業はこの計画に
好意的な反応を示し、多額の寄付金が寄せられた。この寄付金を元に花時計の製作
が進められ、市民有志から神戸市への寄贈という形で設置されることになった。
花時計の製作は神戸市役所の新庁舎(現在の2号館)建設に合わせて進められ、
新庁舎完成と同時期にその北側に設置された。1957年4月6日午前、
新庁舎開庁記念式典に続く形で始動式が行われ、花時計は稼働を開始した。





上の2枚の写真は兵庫県立美術館と王子動物園を結ぶミュージアムロードの沿道
に咲いていたアジサイ (撮影:2016-5-27)





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兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 銅版画作品 on 2016-5-20

2016年05月27日 04時55分37秒 | Weblog
2016年度の兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室が4月22日
から始まっており、5月20日で4回目となります。

2016年5月20日(金)、印刷した銅版画の作品を紹介します。
兵庫県立美術館のエッチングの教室に通い始めて6年近く経過していますが、
相変わらず芸術センスなし県美一番の落ちこぼれ生徒さんと自認しています。
(2010年10月に銅版画の教室に通いはじめた)

下手でも楽しくやろう
をモットーに継続しています。

今期の1作目の作品を写真紹介します。

2013年度後期に「Modern and KANNON-SAMA」と題して作品を作って
いますがこの作品の観音様の部分をいろいろな観音さまに替えて作品を作る
考えでいます。

2013年度後期の作品は下記のブログ
  銅版画作品 on 2013-12-6



上の写真の作品が2016年5月20日に刷ったものです。
漢音さまを黒のインクを使いましたが違和感があるので次回(20016-5-27)は
背景と同じ色で刷ろうと思っています。


上の写真は観音様を単独で刷ったもの。白板紙に彫っています。

今後、プラスチックの板に彫ったものを使用予定。


銅版画関連のリンク

銅版画の道具の入手先(リンク)

https://sites.google.com/site/tallertam/rinku-ji/hua-cai

銅版画の道具解説

https://sites.google.com/site/tallertam/grabado/tool

基本の技法

https://sites.google.com/site/tallertam/grabado


2015年度の作品

兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2015年度後期の作品

兵庫県立美術館でのエッチング(銅版画)教室 2015年度前期の作品




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太山寺 練供養 on 2016-5-12

2016年05月26日 04時36分32秒 | 神戸情報
2016年5月12日、金色の面と衣装を身にまとい、菩薩の姿にふんした参拝者が
回廊を歩く「練供養」が神戸市西区伊川谷町前開の太山寺(天台宗)であった。

21人の菩薩役は太山寺阿弥陀堂の回廊を右回りで3回練歩き阿弥陀堂に戻った。
練供養は聖衆来迎練供養会式(しょうじゅう らいごう ねりくようえしき)とか
「阿弥陀如来二十五菩薩聖生来迎引摂会(あみだにょらいにじゅうごぼさつ
しょうじゅうらいごういんじょうえ)」と呼ばれ、臨終を迎えた人を浄土世界
より二十五菩薩を従えた阿弥陀如来が迎えに来る場面を再現しています。
かって阿弥陀堂と本堂の間に渡り廊があった時代には阿弥陀堂から本堂に渡り
阿弥陀堂に帰る形式であったが現在は上述のように阿弥陀堂の周囲の回廊を
練る形式になっています。



















上の9枚の写真が当日の練供養の様子です。






上の3枚の写真は二十五菩薩の面と持ち物です。




上の写真は会場の阿弥陀堂と阿弥陀如来座像(重文)



上の写真は練供養について詠んだ句碑(表面と裏面)。
「ためらひて 菩薩に扮す 練供養」むつみ 平成十八年(2006)に建立

太山寺の練供養について動画にて紹介します。







以上で練供養に関する紹介を終え太山寺の概要紹介をします。

太山寺の基本情報
住所:神戸市北区伊川谷町前開224 TEL:078-976-6658
山号:三身山 宗派:天台宗
本尊:薬師如来と十一面観音

公式HP:http://www.do-main.co.jp/taisanji/



太山寺の由緒

太山寺パンフレットより要約引用
天延元年(973)12月8日の年紀をもつ「播州太山寺縁起」には藤原鎌足の子、
定恵(じょうえ)和尚の開山、霊亀2年(716)公の孫である宇合(不比等の子)
 の建立と伝える。
藤原宇合が明石浦摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が出現した。
薬師如来は、ここより東北の地に定恵和尚結縁の地があり定恵和尚は願望を
果 たせず寂したと示現したところ、宇合はその教示に従い七堂伽藍を整備し
薬師如来の尊像を安置したという。
元正天皇(715~723在位)の勅願寺として、歴代天皇をはじめ一般民衆に
いたるまで広く信仰を集めた。





上の2枚の写真は説明板です。

This enormous tenple of the Tendai sect of Buddhism,Taisan-ji,is located
in the northwest of Kobe-city along the Ikawa river,tributary of the Akashi river.It is the only building designated as a national treasure in Kobe,and
it is said that the temple was built in 716 by a priest 7Jyoe7(Fujiwa Kamatari's son)and Umakai(Kamatari's grandson/Fujiwara Fuhito's son).
Taisan-ji is called Sanshin-zan,which was a center of religious devotion
among the general public invluding all the past Emperors,and in the
golden age of the Nanbokucho era(1336-1392),Taisan-ji enjoyed its
power as one of the biggest temple in Harima region that owned 41 branches and kept armed monks.
The vestiges remain in the main hall of this temple,which was rebuilt in
Einin period(1293-99),and in the 7Nio-mon7,a Three-stiried pagoda,etc.
Moreover,it has many important cultural properties beside these buildings.



上の写真は太山寺の境内図です(太山寺のHPより)


上の写真は文化元年(1804)に発行された播州名所巡覧絵図で描かれた太山寺の
主要境内図です。太山寺のHPによると南北朝時代には支院四十一ヶ坊・末寺八ヶ寺
末社六ヶ社を持ち僧兵も養っていたとの予。
境内の配置や旅館があったこと南西に温泉があったこと等が絵図から判ります


江戸時代、歴代の明石藩主は有事に備え要衝の地にある寺院八寺を定め
 禄米(お布施の意)を与え保護しました。
明石八寺(明石八山寺)のリストは以下のとおりです。
 天台宗(太山寺、如意寺、多聞寺、日輪寺)
 真言宗(転法輪寺、明王寺、近江寺、性海寺)


2016年5月12日撮影の太山寺境内です。


上の写真は国宝に指定されている本堂。

神戸市内の文化財で国宝に指定されているものは下記のとおりです
1.太山寺 本堂 1棟  昭和30年(1955)6月22日 国宝に指定

2.賢愚経残巻(けんぐきょうざんかん)(大聖武)(2巻) 白鶴美術館所蔵
  昭和39年(1964)5月26日 国宝に指定

3.大般涅槃経集解(だいはつねはんきょうしゅうげ)(71巻) 附大般涅槃経後分
  (2巻)  白鶴美術館所蔵
  昭和40年(1965)5月29日 国宝に指定

4.桜ヶ丘 銅鐸 14口、銅戈(どうか) 7口


詳細は小生のブログ 神戸市の国宝


上の写真は三重塔


上の写真は羅漢堂


上の写真は釈迦堂


上の写真は護摩堂


上の写真は奥の院の稲荷神社


上の写真は奥の院の堂宇




上の2枚の写真は奥の院の石像仏

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Chinese 南園 でのランチ on 2016-5-24

2016年05月25日 06時06分14秒 | 神戸情報
2016年5月24日(火)に舞子にある中華料理の店「Chinese 南園」でランチを
いただきましたので写真紹介します。

Chinese 南園は過去に何回か「中国菜館南園」として紹介しています。
今回は新しく生まれ変わったAセットとBセットを注文しました。

南園の基本情報

住所:神戸市垂水区西舞子2丁目12-28 TEL:078-781-3467
ジャンル:中華料理
営業時間:11:30~15:00(LO 14:00)17:30~22:00(LO 20:30)
定休日:月曜日


所在地の地図は下記ブログで記載しています。
 中国菜館南園でのランチ on 2014-12-7


私が注文したのはAセット(800円)にエビのマヨネーズソース付(+200円)
と食後のコーヒー(+100円)です。

奥様はBセット(900円)にエビのマヨネーズソース付(+200円)
と食後のコーヒー(+100円)です。

それでは私がいただいたメニューを写真紹介します。


上の写真は若鶏の油淋ソースとライスです。

 若鶏の油淋ソースは油淋鶏(ユーリンチー、簡体字: 油淋鸡)で有名


次に水餃子 スープ仕立(スイスエメンタールチーズ入)


上の写真は別注のエビのマヨネーズソース付




上の2枚の写真は食後のデザートとコーヒー

次に奥様のBセットを写真紹介します。


メインの野菜あんかけ焼きそば


水餃子ソース仕立(スイスエメンタールチーズ入)

エビのマヨネーズソース付、食後のデザートとコーヒーは上述。


上の写真はAセットランチとBセットランチのメニュー表です


上の写真はパッションランチ等のメニュー表です。

パッションランチの内容は下記ブログで記載しています。
 中国菜館南園でのランチ on 2015-11-4






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五節句

2016年05月24日 05時49分16秒 | Weblog
五節句の制度は明治6年(1873)に廃止されましたが、今でも季節の変わり目の
諸行事が行われ我々の生活の中の風習として根付いています。

五節句は次の通りです。

1月7日 人日(じんじつ)七草粥
3月3日 上巳(じょうみ)ひな祭り
5月5日 端午(たんご)子供の日、菖蒲の節句
7月7日 七夕(たなばた)星祭り
9月9日 重陽(ちょうよう)菊の節句


本日は各節句について別名や主な行事、由来について記していきます。
節句の元は「節供」と書き、江戸時代はこの5日が公式に法制化された式日
(現在の祝日)でした。また「節会(せちえ)」とも呼ばれていました。

(1)人日(じんじつ)

別名:七草の節句

主な行事と由来:お正月最後のこの日は、七草粥を食べて1年の豊作と無病息災
        を願います。中国の古い習俗に由来。
        神戸市では灘区の泉隆寺の「若菜摘み」が有名で毎年「七草粥」
        が振舞う行事が毎年行われています。



上の写真は摂津名所図会からコピーしたもので平安期(寛平期(889-897))から
七草を朝廷に献上していたとの説明書きがある。

同じく摂津名所図会巻之八の若菜調貢には下記のような説明書きがある。
「若菜調貢(わかなのみつぎ)菟原郡中尾村の人、生田の浦より若菜を採って
禁裏に献る。七種のその一種なり。これを生田の若菜と呼ぶ。字多天皇の
御時より始まるとかや。中頃、源平兵乱よりこの式例中絶しけり。
文明年中、本願寺蓮如上人この辺経回の時、この旧例を申し上げ、再興ありて、
今も臘月(しはす)二十五日には、例年生田川の東の浜より一町程沖の方、
海底に生ふる若菜を、中尾の村民これを取って、同村の道場泉隆寺より、
京師西六条東中筋花屋町仏照寺へ貽(おく)らる。またこの寺より
鏡餅を添へて、本殿寺御門跡へ進上す。またここより天子へ献らるる事にや。
 『堀川百首』 旅人の道さまたげlこ摘むものは生田の小野の若菜なりけり    
                             師輔
 『夫木』 問はねどもたがためとてか津の国の生田の小野にわかな摘むらん 
                             経季
 『公事根源』云ふ、
 内蔵寮ならかに内膳司より、正月上の子日、若菜を奉るなり。寛平年中より始まれる事にや。延喜十一年正月七日、後院より七種の若菜を供す。また(村上天皇)天暦四年二月二十九日、女御安子(安子、藤原氏師輔公の女なり)の朝臣、若菜を奉るよし李部王(りほうおう)の記に見えたり。若菜を十二種供する事あり。そのくさぐさは、若な・はこペら・苣(ちさ)・せり・蕨(わらび)・なづな・あふひ・芝(しば)・蓬(よもぎ)・水蓼(たで)・水雲(イに薊)・松とみえたり。この松の字の事、白川院の御時、師遠に御尋ね有りしかば、若松と書きてこほねと読むなり、もしこの事にて侍るかと申しき。松をそへて奉る、さてはひが事なりと上皇仰せられ侍りき。尋常は、若菜は七種の物なり。薺・はこべら・芹・菁(あをな)・御形(ごぎょう)・すずしろ・仏の座などなり。正月七日に七種の菜羮(さいこう)を食すれば、その人万病なし、また邪気をのぞく術侍ると見えたり云々。

 『源氏』若菜巻、
  小松ばらすゑのよはひにひかれてや野べのわかなもとしをつむべき
 按ずるに、生田の若菜は磯菜なるペし。『八重垣』に日く、磯辺の若菜なり。十二種の中に水雲(もずく)あり。海藻の類も磯菜ならんか。
 『新古今』   けふとてや磯菜つむらんいせ島やいちしの浦の海士の乙女子  俊成


(2)上巳(じょうみ)
 じょうしという読み方でも正しい。

別名:桃の節句、重三、草餅の節句

主な行事と由来:起源は古来中国の上巳節。上巳とは、3月最初の「巳の日」
        川で身を清め、不浄を祓った後に宴を催す習慣がありました
        平安時代日本に伝わり、宮中の「人形遊び」と結びつき
        「流し雛」へと発展。江戸時代以降はひな祭りとして庶民にも
        定着し女子の節句となった。


上の写真は某所の雛飾り

Hinamatsuri(March3)

Dolls wearing traditional Kimono are displayed to pray for the happiness of girls.
These dolls are called Hinaningyo,and the custom is also known as momo no sekku.
In some areas,the old custom of loading one's troubles onto a paper doll and floating
them off down the river is still practised.
This is called Nagashi-bina.



(3)端午(たんご)

別名:菖蒲の節句、重五、端陽

主な行事と由来:
 広辞苑第4版で端午の節句を調べてみますと、以下のように書かれていました。
「端は初めの意。もと中国で月の初めの午の日、のち午は五と音通などにより
5月5日をいう、古来邪気を払うため菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)を軒に挿し
粽(ちまき)や柏餅(かしわもち)を食べる。
菖蒲と尚武の音通もあって近世以降は男子の節句とされ甲冑や武者人形などを
飾りさらに鯉幟(こいのぼり)を立てて男子の成長を祝う。

あやめの節句、重五(ちょうご)、端陽などの別名もある。」


上の写真は鯉のぼりのイラスト

(4)七夕(たなばた)

別名:笹の節句

主な行事と由来:
 七夕は中国の牽牛(けんぎゅう)星と織姫星を祀る年中行事に由来しています。
この2つの星が年に1度7月7日に天の川をはさんで会うとされています。
七夕では笹の葉ににいろいろな願いをを書いて下げるとその願いが叶えられると
信仰されています。


上の写真は某所での七夕飾りです。


(5)重陽(ちょうよう)

別名:菊の節句、重九

主な行事と由来:
 中国では奇数を陽の数とし、陽の極である9が重なる9月9日は大変目出度い日と
 され、菊の香りを移した菊酒を飲んだりして邪気を払い長命を願うという風習が
 ありました。日本には平安時代の初めに伝わり、宮中では観菊の宴が催されました
 菊の節句、菊の宴とも言われています。


上の写真は某所での重陽の説明


五節句の日付をみると人日(じんじつ)以外は月と日が同じ奇数の数値と
なっています。これは五節句の発祥の地、中国で奇数が「陽数」と言われ
これが月日で重なると縁起が良く目出度いとの考えに基づいています。















        
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インドカレーの店アールティー 新長田店 でのランチ on  2016-5-19

2016年05月22日 05時35分48秒 | 神戸情報
インドカレーの店アールティー(aarti)新長田店でランチをいただきましたので写真
紹介します。 撮影:2016-5-19

アールティー新長田店の基本情報
住所:神戸市長田区若松町5-2-1 アスタプラザファースト2F(213)
TEL:078-855-8168  定休日:なし(無休)


公式HP:http://www.aarti-japan.com/


上の写真は私が注文したチキンカレー 770円(税込)


上の写真は奥様が注文したシーフードカレー 770円(税込)

100円追加でアイスコーヒーも注文



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白十字 垂水店でのスイーツ on 2016-5-18

2016年05月21日 17時33分40秒 | 神戸情報
2016年5月18日、神戸白十字垂水店でケーキと飲み物のセットをいただきました
ので写真紹介します。

神戸白十字の基本情報
住所:神戸市垂水区福田2-2-49   TEL:078-704-2252
営業時間:10:00~20:00
ジャンル:ケーキ


公式HP:http://www.hakujuji-g.co.jp/shop_kobe/



上の写真は私が注文したマンゴーショート 300円
飲み物はカフェ・カプチーノ 410円


上の写真は奥様が注文したアリスのショートケーキ 330円
飲み物はダージリン 490円



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しあわせ運べるように

2016年05月20日 18時10分54秒 | 神戸情報

上の写真は臼井真先生が作詞・作曲された「しあわせ運べるように」の
歌詞で「ふたば学舎」に掲示されているものです。
撮影:2016-5-19 ふたば学舎(旧神戸市立地域人材支援センター)にて

2番を含めた歌詞は下記のとおり

1.地震にも負けない 強い心をもって
  亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
  支え合う心と明日への 希望を胸に

  響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
  届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように

2.地震にも負けない 強い絆をつくり
  亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう

  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
  やさしい春の光のような 未来を夢み

  響きわたれぼくたちの歌 生まれ変わる神戸のまちに
  届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように
  届けたいわたしたちの歌 しあわせ運べるように


当日(2016-5-19)、阪神淡路大震災関連のパネル展示もありました(下の写真)




上の動画は真野小学校児童による「しあわせ運べるように」斉唱、
伴奏は神戸市消防楽団。

阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区の産業用ベルトメーカー
「三ツ星ベルト」で2014年1月14日の17時30分より点灯式があり、
3階建て工場の屋上にある広告塔(高さ約40メートル)が10年ぶりに
ライトアップされました。その時に披露されました。

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柳原惣門と湊口惣門

2016年05月19日 05時26分01秒 | 神戸情報
兵庫津の西の玄関口柳原惣門と東の玄関口湊口惣門について調べてみました。

まず、元禄9年(1696)の「摂州八部郡福原庄兵庫津絵図」の中に書かれている
柳原惣門と湊口惣門の位置を紹介します(下の写真)
出典:柳原惣門調査会「兵庫津柳原惣門」(2002)



また柳原惣門付近の拡大図は下の写真のとおりです。
出典:柳原惣門調査会「兵庫津柳原惣門」(2002)
この拡大図には都賀堤や兵庫城の外堀がはっきりと描かれています。



上の写真は延宝8年(1690)の福原鬢鏡の兵庫津・佐比江で描かれている
柳原惣門(一番左手の下の方)と湊口惣門(右手の外堀の橋を渡ったところ)が
描かれています。今までに調べた範囲でこの資料が一番古く1690年には確実に
東西両惣門が存在していたことが判ります。
惣門の創建時期は天正8年(1580) 池田恒興が兵庫城を築城した時に都賀堤や
外堀と共に造られたというのが有力。兵庫城は荒木村重の花熊城を解体し、
その用材を用いたとの記録がある(『花熊落城記』1732年)

柳原惣門調査会「兵庫津柳原惣門」(2002)で柳原惣門の開口間口の長さを
「兵庫津外輪堤之絵図」(寛政9年(1797))より推定されています。それに
よれば開口は2.9m~3.4mの規模と思われます。


上の写真(2011-5-15撮影)は柳原惣門(西惣門)跡の石碑。


石碑の横に神戸市と岡方協議会が平成15年(2003)に作成した説明板
があり、下記のように記載されています。
「西国街道は、近世になってからは、西から来れば、須磨・長田方面から現在の
JR兵庫駅の北を通り、西柳原町の柳原蛭子神社と福海寺にはさまれる位置
あたりで兵庫の町にはいる。
西国街道を通って兵庫の町に出入りする場所、即ち西の柳原口と
東の湊口には惣門が設けられていた。
柳原惣門が最初に設置された時期は、兵庫城の築城に伴う外郭の
土塁(外輪堤・都賀堤)の構築時である天正八年(一五八〇)頃に、
その関門の一つとして設置された可能性が高い。
城は、現在の中ノ島あたりに主郭を置き、周囲にこの外郭の土塁と堀を設け、
内側は郭内として兵庫津のまち全体を城下町とする縄張りとなっていた。
即ち、兵庫津の外郭は総曲線(総構)と考えられ、その曲輪の門として
惣門と称されたのではないかと推測される。
この門は、明治八年外輪堤(都賀堤)とあわせて撤去された可能性が高い。
 なお、平成十三年度に実施した柳原惣門調査会による調査と、
平成十四年度に実施した埋蔵文化財調査(兵庫津遺跡 第二十九次調査)の
発掘結果を参考として推定復元図を作成した。」
          平成十五年十二月吉日
                  神戸市
                  岡方協議会


上記説明の兵庫津遺跡 第29次調査に関わる現地説明会資料(2002-10-6)は
下記サイト参照してください。
 http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/folk/estate/events/hyougotu2002.10.pdf





上の2枚の写真は湊口惣門の説明板の写真と湊八幡神社の拝殿(撮影日:2011-2-21)

昭和4年12月 岡久穀三郎氏と福原潜三郎氏による説明板には下記のように
書かれています。
「西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門である。
東より来る西国往還は相生橋より相生町を経て、市電気局前に来り、
進んで此の惣門を入り、兵庫津の湊・江川・木戸・木場・小物屋・北仲の諸町、
今の所謂兵庫本町を進み、南仲町今の神戸商業銀行の前を右折し、
小廣・神明・逆瀬川・東柳原・西柳原の町々を過ぎ、
柳原口にあった柳原惣門を出て、斜めに今の長田交又点に出て、
西代を経て須磨に向かった。

兵庫の惣門は天正年間、池田信輝が織田信長の命にによって、
花熊城を攻略し、その功によりて兵庫を治し、城を築く。

其時、湊口・江川口・永澤口・三川口・問屋口・皆関門番所を設け、
市中にも宮内・匠・松屋・魚棚・島上の諸町に、中濱門として番所を設けたが、
徳川時代に入り、青山氏が此の地を領した時、悉く之を破却し、
湊口・柳原口の西門を残した。
古図によれば、惣門内には何れも番所があった。
更に北番所の傍に高札があったが、幕末の地図によれば門外左側に
高札所が移転している。これは門の修築び当たり番所を廃し、
高札所を門外に移したものと思料する。」



上の写真は若林秀岳(天保10年(1839)生の画家)によって描かれた神戸覧古の
中から兵庫津の東の玄関口である湊口惣門所跡の絵画です。
この絵は神戸市立中央図書館に所蔵されています。
この絵から門の形式は開放時に扉を格納するための別棟子屋根を有した高麗門
であったと推定できます。


上の写真は享和3年(1803)播州名所巡覧絵図に描かれた兵庫(東)惣門。
瓦ぶきの惣門になっています。


上の写真は元禄絵図に書かれている西惣門(柳原惣門)と兵庫城の外堀の役目
もある逆瀬川や都賀堤を描きました。



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書籍 「上品な上質」ファミリアの考えるものづくり

2016年05月18日 06時20分51秒 | Weblog
NHKテレビ朝ドラ「べっぴんさん」絡みで表題の本を借りています。
下の写真が「上品な上質」ファミリアの考えるものづくりの表紙です。



2015年4月2日に株式会社ファミリアから創業65周年を記念して出版されました。

序章で「日本のこども服を変えた4人」の女性と題して坂野惇子氏が女学校時代の
クラスメート田村枝津子、その義姉田村光子、近所の友人村井ミヨ子を誘い、
主婦4人で神戸でささやかなベビーショップ「モトヤ」を開店した当時の逸話
が紹介されています。

創業当時、長く使用していただくため(洗濯しても縮まない)素材が木綿の
場合、水に長時間つけて干した後、アイロンがけしてから裁断。
アップリケや刺繍は手縫いで仕上げるなどほとんどの行程を岡本研究所で
手仕事で田村光子を中心に生産されていました。

手仕事は1964年頃量産体制が確立するまで続きました。
またお客様第一主義を貫いてきたことオリジナル製品へのこだわりなどに
ついても書かれています。

第1章 「素材選び」

 赤ちゃんの肌着には綿や絹の天然素材を使用

 生産のパートナー「丸茂繊維」、「山田メリヤス」、「泰久商店」を紹介

以下次の章が続きます。

第2章 「お洋服の機能性」

第3章 「デザインを考える」

第4章 「本物の縫製」

第5章 「品性を育む」

終章  「だからファミリアほこうしてつくる」

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