CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

明石市 大蔵谷 散策記 on 2018-4-29 その1 大蔵院

2018年04月30日 06時28分20秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月29日、明石市大蔵谷を散策しました。このシリーズの第1回として
大蔵院をテーマに書いていきます。

大蔵院の基本情報

住所:明石市大蔵本町18−40  TEL:078-911-2131
宗派:臨済宗 南禅寺派  御本尊:定朝作の観世音菩薩 山号:見江山
創建:応安3年(1370) 禅宗の僧 中巌円月と赤松祐尚(すけなお)が創建

見どころ:赤松祐尚夫妻の墓


大蔵院の所在地のGoo地図を添付しておきます。
 








上の4枚の写真は本殿、方丈など大蔵院の主要な建物
前庭は良く整備されています。


上の写真は鐘楼


上の写真は境内の無縁仏


境内の石造群(由緒は未調査) 観音霊場的なものか?




上の2枚の写真は山陽道からの入口の山門の遠景と近景


上の写真は現地説明板

読みずらいので再掲します。
一、嘉吉元年(一四四一)赤松円心の孫、祐尚は大蔵谷に陣を構えた。居城を三木城に
  移すにあたり、陣屋の跡を寺院にしたと言われる。

一、伝定朝作の観音菩薩を本尊とし、境内の祠には青面金剛の石仏が祀られている。

一、墓地に赤松祐尚夫妻の墓があり夫妻の法号の「見江院」「大蔵院」が
  山号と寺名についている。

平成一二年九月
明石市教育委員会


赤松氏の系図をみると赤松祐尚は赤松則村(円心)の曾孫か?


上の写真は現地説明板の青面金剛の石仏が祀られている祠だと思います




上の2枚の写真は赤松祐尚(?-1441)夫妻の墓の全体と法号が書かれた石碑の拡大
赤松祐尚は英賀城主 足利義教近習

嘉吉元年(1441)6月24日播磨、備前、美作3国の守護赤松満祐(あかまつ みつすけ)
は京都の私邸(京都西洞院二条)で室町幕府6代将軍足利義教公を殺害します。
さらに将軍の首級を奉じて播州河合(小野市)の堀殿城に帰ります。そこから
足利ゆかりの安国寺(加東市東条町)で盛大な法要を営んで葬ったと伝えられています。
この事件を嘉吉の乱と呼び「嘉吉物語」や「嘉吉太平記」に詳しく書かれています。
足利義教の首級は7月1日、季瓊真蘂が赤松満祐に会い、義教の首の返還を求めた。
赤松満祐は快く首を返還した。真蘂が京都へ首を持ち帰り、7月6日に等持院で
義教の葬儀が行われた。
室町幕府側の管領細川持之の要請で嘉吉の乱から2か月後に朝廷から赤松追討の綸言を得て
幕府軍として赤松勢と明石、塩屋で合戦し、小勢の赤松軍は敗れました。明石での合戦では
赤松満祐の弟の赤松祐尚が大蔵谷に陣を構え幕府軍と戦いました。赤松祐尚は中巌和尚を
敬慕していましたので、居城を三木に移すにあたり、陣屋の跡を寺院にしたと言います。
墓地には赤松祐尚夫妻の墓があり、夫婦の法号の「見江院」「大蔵院」が山号と寺名に
なっています。これが大蔵院のはじまりです。

赤松満祐は本拠地赤松村に帰り、城山城で戦ったが敗れて満祐は自害、子の教康も
逃げる途中で自害した。赤松満祐が将軍として擁立した足利義尊も殺されました。
この乱(嘉吉の乱)で播磨、備前、美作3国は没収され赤松氏の嫡流家は滅亡した。


上の写真は赤松氏の系図
出典:兵庫県立考古博物館 特別展 動乱 播磨 中世
    -赤松円心から黒田官兵衛まで-の図録(2013)に加筆


上の写真は境内の鬼瓦


上の写真は境内の祠

江戸時代に入り大蔵院は慶長7年(1602)に姫路城主の池田輝政から寺屋敷と周囲の竹林
を寄進され、それ以降、代々の領主から厚い待遇を受けています。幕末の文久3年(1963)
には明石藩主松平慶憲(よしのり)に攘夷勅書を伝達するために、監察使の四條隆謌
(たかうた)が明石に来て、大蔵院に宿泊しています。

四條隆謌:文政11年9月9日(1828年10月17日)-明治31年(1898年)11月24日
Wikipediaよりそのまま引用

幕末期は攘夷派公卿として幕府に建言していたが、八月十八日の政変によって失脚し
一時官位を剥奪された(七卿落ち)。1867年(慶応3年)12月の王政復古で討幕派が
朝廷の実権を握ると京に戻って官位を復され、戊辰戦争では中国四国追討総督・
大総督宮参謀・仙台追討総督・奥羽追討平潟口総督などを務め、1869年(明治2年)6月、
維新の功績により永世禄300石を与えられ、同年7月に陸軍少将に任ぜられる。
1872年(明治5年)1月には大阪鎮台司令長官に就任、1874年(明治7年)4月に
名古屋鎮台司令長官に移るが、1877年(明治10年)5月には大阪鎮台司令長官を兼ねた
(同年10月に兼職を免ぜられる)。1880年(明治13年)の仙台鎮台司令長官を経た後、
1881年(明治14年)2月に陸軍中将に昇り元老院議官に就任する。
1884年(明治17年)7月に伯爵、1891年(明治24年)4月に侯爵に昇爵し貴族院議員となる。
1893年(明治26年)12月、予備役。1898年(明治31年)11月薨去。



コメント (2)
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累計訪問者数 75万iPを突破 on 2018-4-28

2018年04月29日 04時53分05秒 | Weblog
2018年4月28日に累計の訪問者数が75万iPを突破しました。憶えの為、
記載しておきます。

本ブログも2004年に開設していますので14年近く続けています。
あと何年生きれるか判りませんが死ぬまで継続出来たらと考えています。

直近の週間アクセス数(2018.4.8 〜 2018.4.14)2,719p、36,597PV 1,741位
 
          (2018.4.15 〜 2018.4.21)3,234p、31,708PV 1,397位

          (2018.4.22 〜 2018.4.28)3,067p、19,059PV 1,447位

アクセスしていただいた方々に感謝致します。
これを励みに無理をしない程度に継続していきたいと思います。



過去のアクセス数に関するメモ

週間アクセス数 9918位に on 2011-7-10~7-16

累計訪問者数 40万iPを突破 on 2014-10-13
 
累計訪問者数 45万iPを突破 on 2015-9-24

累計訪問者数 50万iPを突破見込み on 2016-5-1

累計訪問者数 55万iPを突破 on 2016-10-31

累計閲覧数 200万PVを突破 on 2017-3-13

累計訪問者数 60万iPを突破  on 2017-4-1

累計訪問者数 65万iPを突破  on 2017-8-24

訪問者数、閲覧数に異変

累計訪問者数 70万iPを突破  on 2017-12-26

写真が無いと味気ないので最近撮影した写真を添付しておきます。


上の写真は神戸市営地下鉄、学園都市駅前のヒラドツツジの植え込みと駅舎方面
2018ねん 4月28日撮影


上の写真は2018年4月27日(金)18:00頃、板門店(パン ムン ジョム)で行われた
南北朝鮮の両首脳による共同宣言の署名式の様子(NHKテレビのライブ中継)


上の写真は神戸市灘区の兵庫県立美術館付近から撮った摩耶山の遠景
新緑がまばゆい。 撮影:2018-4-27
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福崎町 辻川山公園付近の河童、天狗と妖怪たち on 2018-4-22

2018年04月28日 05時35分35秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

本日は「辻川山公園付近の河童、天狗と妖怪たち」をテーマとして書いていきます。

福崎町は同町出身で「妖怪談義」や自叙伝「故郷七十年」などを著した民俗学者柳田国男
(1875-1962)で紹介された地元の河童伝説や妖怪を参考に、様々な像を用意し、町おこし
に利用しています。辻川山公園付近にはその像が多数あります。

河童の河太郎(ガタロウ)


上の写真は河太郎(ガタロウ)


上の写真は現地説明板による河太郎(ガタロウ)の紹介

河童の河次郎(ガジロウ)と子河童たち

福崎町 辻川山公園 ため池の河童 on 2018-4-22

上の動画は河童の河次郎(ガジロウ)と子河童たち


上の写真は現地説明板による河次郎(ガジロウ)の紹介

2014年、福崎町は観光の目玉として機械仕掛けの河童を設置しましたが劣化が
進んでいたため2017年5月にデザインを変えさらに子河童を追加しリニューアル
が行われています。手には人から抜くと言われる想像上の玉「尻子玉」を持っています。
池から毎時 00分、15分、30分、45分に作動します。


上の写真は作動時間が記された掲示

巌橋(いわおばし)

河童、天狗、妖怪とはちょっとジャンルが違いますが柳田国男の関連ということで
取り上げました。

上の写真は巌橋(いわおばし)の遠景です。


上の写真は現地説明板。

読みづらいので書いておきます。
「辻川の南を岩尾川(雲津川)という綺麗な細い川が流れている。北条の方から
来る所に橋があり、その橋は私の見ている間に石橋にかけ代えられたのでよく
知っている。それは姫路から来る国道がついた時のことであった。」
(『故郷七十年』より)

柳田國男さんの辻川の思い出の中に巌橋があります。明治6年(1873)以降、この道は
馬車道(飾磨「姫路」~生野)として整備されました。その頃に石橋にかけ代えられた
事を記しています。その後、道や雲津川の歴史の中で石橋の幅が広がりアスファルトが
ひかれたりと幾度となく変遷をとげてきました。
平成11年度の雲津川の改修時には川幅が広がり、元の場所に残す事が出来なくなりました。
部材は保存しておき、このたびの整備に合わせて石橋を移設復元しました。
安住の場として國男さんゆかりの辻川の地に・・・」
平成13年3月
福崎町教育委員会



上の写真は現地説明板の地図よりで以前の巌橋(いわおばし)の位置を確認できます。

逆さ吊りの天狗

福崎町 辻川山公園 逆さ吊りの天狗 on 2018-4-22

上の写真は逆さ吊りの天狗の動画です。

妖怪小屋から毎時 05分、20分、35分、50分に作動します。もちむぎのやかたで
売っている「もちむぎどら焼き」を食べています。




上の2枚の写真は現地説明板。


上の写真は作動時間が記された掲示


上の写真は逆さ吊りの天狗の全景と福崎町の町並みを臨む

招き鵺(ぬえ)

上の写真は招き鵺(ぬえ)。
2016年に実施の第3回全国妖怪造形コンテスト一般の部最優秀作品です。
作者は枚方市の上野 哲男さん

鵺は頭は猿、手足は虎、体はタヌキ、尾はヘビ

鵺に関連の人物を記しておきます。
鵺退治で有名な源三位頼政

徳富蘇峰から黒い眼と茶色の眼という著書の中で鵺と批判された新島八重

天狗の森の妖翁

上の写真は天狗の森の妖翁

2014年に実施の第1回全国妖怪造形コンテスト一般の部最優秀作品です。
作者は稲村 彰彦さん。

妖怪に関しては妖怪ベンチが9つ設置されています。小生のブログにリンク
 福崎町 妖怪ベンチ ウォーキング on 2018-4-22
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ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングでのランチ on 2018-4-24

2018年04月27日 05時04分40秒 | 神戸情報
2018年4月24日、ブランチ神戸学園都市内 森のダイニングで頂いたランチを
写真紹介します。

森のダイニングでは9つある店舗から好みの料理を選べるシステムで当日は私は
カリーダイニング サヒ(SHAHI)のナン付きカレー、奥様はBISTRO ICIイチから
ハンバーグ&ホットコーヒーを選択しました。

カリーダイニング サヒ(SHAHI)の基本情報

住所:神戸市 垂水区小束山手2-2−1 ブランチ神戸学園都市 森のダイニング 1F
TEL:078-742-7590 営業時間:11:00~21:00
定休日:なし 年中無休
2013年12月6日より営業


BISTRO ICIイチの基本情報

住所:神戸市 垂水区小束山手2-2−1 ブランチ神戸学園都市 森のダイニング 1F
TEL:078-771-5889 営業時間:11:00~21:00
定休日:なし 年中無休
2013年12月6日より営業



上の写真は奥様のハンバーグ780円(税別)とコーヒー100円(税別)
BISTRO ICIイチではローストビーフ丼が名物でグルメ雑誌に紹介されています。


上の写真は私が選択したチキンカレー+日替わりのセット850円(税別)


上の写真は森のダイニングに入っている9つの店の看板です。

これだけの内容では味気ないのでブランチ神戸学園都市の最新の話題を取り上げます。

上の写真は井川谷北高校吹奏楽部の演奏会が4月30日(祝日)に森の広場で
13:00~と15:00~の2回、演奏を披露するPR看板です。


上の写真はパティスリー リッチフィールド ブランチ神戸学園都市店のオーナー
福原 光男氏(須磨区のボクサンの次男)が亡き母の為に作った新商品を紹介した
神戸新聞記事の切り抜き2017年11月1日掲載 関西テレビのよーいドンでも放送されたようです。


上の写真はパティスリー リッチフィールド ブランチ神戸学園都市店の外観
当日は定休日だった。


上の写真はRICH FIELDのショーケースの人形

パティスリー リッチフィールドに関する小生のブログ
 パティスリー リッチフィールド西神中央店のケーキセット on 2012-6-5

 西神中央の320 CONCEPTIONでのヘルシーなランチ on 2013-7-28

 
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福崎町 柳田国男生家、神崎郡歴史民俗資料館、柳田國男・松岡家顕彰会記念館 on 2018-4-22

2018年04月26日 05時16分48秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

本日は観光の最大の見どころである「柳田国男生家」、「福崎町立神崎郡歴史民俗資料館」
「福崎町立柳田國男・松岡家顕彰会記念館」をテーマに書いていきます。

柳田国男生家の基本情報

住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原1038-12(記念館西隣) TEL:0790-22-1000(記念館)
開館時間:9:00~16:30  休館日:月曜・祝日の翌日・12/28~1/4 料金:無料


公式サイト(記念館):http://www.town.fukusaki.hyogo.jp/html/kinenkan/






上の2枚の写真は柳田国男生家の外観、正面側斜めより(上&中)、裏手(下)


上の写真は現地説明版


上の写真も別の現地説明版




上の2枚の写真は現地説明版の拡大版




上の2枚の写真は柳田国男生家の内部


上の写真は柳田国男生家の内部に掲示の説明パネル
読みづらいので要約転載します。

兵庫県指定文化財「柳田国男」の生家 
明治8年(1875)の夏、柳田國男(旧姓松岡)は、医師であり国学者である松岡操の
六男としてこの家で生まれた。この家はもとここから8Kmほど北の福本と言う所に
あって老医師の住んでいたものを、国男らの父が明治6年(1873)に買い取って、
辻川へもって来て建てたものである。(ここから100mほど南で「柳田国男生誕の地」
の石碑の建っている場所の裏手)間口5間半(約10m)この辺の農家の標準的な間取り
である田の字型の建て方で四畳半2つ、三畳2つの小さいがきっちりとした形の家である。
この家について国男は「故郷七十年」の中で「私の家は日本一小さい家だ」といい、
しかも「この家の小ささという運命から、私の民俗学への志の源を発したといってよい
のである」と書いている。
当時ここには國男等の両親と長兄鼎(かなえ)夫婦、國男、弟の静雄と輝夫(映丘)の
7人が住んでいた。この家で二夫婦と子供等が共に暮らすには何かと無理があった。
そしてその為に鼎の若い妻は離別して実家に帰ってしまった。それが遂には松岡家が
この家を売りはらい、先祖代々の故郷をすてて家族は國男の母の実家がある加西市北条町へ
移り、次に千葉県布佐へ移住することになる。
柳田國男の民俗学への研究の底には常にこの家・この土地(辻川)があった。何かの風習に
ついて考える時、國男はいつもこの家・この土地のことを思い浮かべ比べてみた。
彼の思索はそこから発展していった。「この家・この土地」が柳田民俗学の出発点とも
原点とも云われる理由である。
この家は明治18年大門(ここから東へ約1km)の笹倉氏に売られ、大門のかけ上がりと
云う所に移され、昭和47年迄そこにあったが、顕彰会がこれを譲りうけ、この地へもって
帰って国男等が暮らしていた当時の姿に復元したものである。
この家の西側にある社は「鈴の森神社」で国男らの氏神さま。国男らには深い思い出の
場所である。高麗狗も大きな「山もも」の木も、当時の姿をそのまま残している。


ここで柳田国男の年表を纏めておきます。福崎町立神崎郡歴史民俗資料館の資料より
明治8年(1歳)……7月31日 田原村辻川で松岡操・たけの六男として生まれる。
明治11年(4歳)……5月 弟 静雄誕生
明治12年(5歳)……12月昌文小学校「下等八級生」
明治14年(7歳)……7月 弟 輝夫(後の映丘)誕生
明治15年(8歳)……10月5日昌文小学校「初等小学第一級卒業」
明治17年(10歳)……11月24日昌文小学校「小学中等科卒業
         一家で加西郡北条町に移転。北条町の高等小学校に入学
明治18年(11歳)……北条町村立北条小学校「小学高等科第四級修業」
          高等小学校卒業、辻川の三木家へ約1年間預けられる。
明治20年(13歳)……父母2弟と共に長兄鼎(茨城県布川で医院を開業)宅で2年間過ごす
明治23年(16歳)……進学準備のため上京し、兄通泰(東京で眼科医を開業)宅に同居
明治24年(17歳)……開成中学校に入学
明治25年(18歳)……松浦萩坪に和歌を学ぶ、田山花袋を識る。
明治26年(19歳)……7月第一高等中学入学、一家千葉県布佐町(現在の我孫子市)へ移住
明治29年(22歳)……7月に母たけ死去、9月父操死去
明治30年(23歳)……抒情詩を刊行、第一高等学校卒業、9月東京帝大法科大学政治科入学
明治33年(26歳)……7月東京帝大法科大学政治科卒業、農商務省農務局勤務、
          早大で農政学を講義(明治38年まで)
明治34年(27歳)……5月柳田家の養子となり、柳田国男となる。藤村、花袋、独歩、眉山等の
          文学者との交際深し、全国各地への視察旅行をはじめる。
明治35年(28歳)……2月法制局参事官に任官
明治37年(30歳)……4月柳田孝と結婚
          子供は長男 柳田為正- 生物学者、お茶の水女子大学名誉教授
          と4女にめぐまれる
明治38年(31歳)……この頃、文学者などが集まる会合を持つ(龍士会)
明治41年(34歳)……4月島崎藤村・田山花袋らとともに「二十八人集」発行
         5月~8月 九州で行政視察
明治42年(35歳)……後狩詞記を出す。
明治43年(36歳)……6月兼任内閣書記官記録課長となる
          石神問答、遠野物語、時代と農政等を出す。
大正3年(40歳)……4月貴族院書記官長となる。山島民譚集を出す。
大正8年(45歳)……12月貴族院書記官長辞任
大正9年(46歳)……8月朝日新聞社客員となる。(大正11年論説班員に)
大正10年(47歳)……国際連盟委任統治委員会委員となり欧州旅行
大正11年(48歳)……再び欧州旅行
大正12年(49歳)……国際連盟委員を辞任
大正13年(50歳)……朝日新聞社編集局顧問論説担当、各大学で民俗学 農民史等を講す
大正14年(51歳)……11月雑誌「民族」創刊(昭和4年休刊)
昭和5年(56歳)……11月朝日新聞社論説委員辞任
昭和6年(57歳)……11月18日旧制姫路高等学校で講演
昭和8年(59歳)……9月毎週木曜日に自宅で「民間伝承論」の講義を行う
         →「木曜会」「日本民族学会談話会」に発展
昭和9年(60歳)……5月全国山村生活調査開始
昭和10年(61歳)……9月雑誌「民間伝承」創刊
昭和15年(66歳)……10月日本方言学会初代会長になる
昭和16年(67歳)……朝日文化賞受賞
昭和21年(72歳)……7月枢密顧問官任官
昭和22年(73歳)……3月書斎を「民俗学研究所」として開放。芸術院会員
昭和24年(75歳)……日本民族学会発足。国立国語研究所評議員、学士院会員、
          アメリカ人類学協会名誉会員
昭和25年(76歳)……7月國學院大學教授を受諾
昭和26年(77歳)……11月文化勲章受章
昭和27年(78歳)……10月田原小学校と福崎高等学校で講演を行う
昭和28年(79歳)……国立国語研究所評議員会会長
昭和32年(83歳)……国立国語研究所評議員辞任、NHK放送文化賞受賞
昭和34年(85歳)……「故郷七十年」を発刊
昭和37年(88歳)……3月 福崎町名誉町民となる。8月8日永眠 







上の3枚の写真は柳田国男生家に隣接して建立された銅像と歌碑

松岡操・たけの8人の子供(すべて男)
 早世した3人を除いた松岡五兄弟は辻川山(民族の森)に銅像が建立されています。
 銅像写真と共に松岡五兄弟を紹介していきます。


上の写真は学問成就の道の案内板


上の写真は松岡五兄弟の説明版

 長男は松岡鼎(1860-1934)で医者になっています。

上の写真は松岡鼎の銅像
 次男(俊次)は早世している。
 三男は松岡泰蔵(1866-1941)で井上家に養子に入り、井上通泰と改名している。
    医者となり国文学者、歌人でもある。

上の写真は井上通泰の銅像

 四男(芳江)、五男(友治)は早世している。

 六男は柳田国男(1875-1962)で経歴は上述のとおり

上の写真は柳田国男の銅像

 七男は松岡静雄(1878-1936)で海軍大佐となり、言語学者・民族学者でもある。



上の2枚の写真は松岡静雄の銅像と略歴説明

 八男は松岡輝夫(松岡映丘)(1881-1938)で日本画家となった。



上の2枚の写真は松岡映丘の銅像と略歴説明


上の写真は鈴の森神社に奉納された松岡五兄弟を描いた絵画






上の3枚の写真は松岡鼎、松岡映丘以外の松岡4兄弟の歌碑
次男俊次の歌が含まれています。

福崎町立神崎郡歴史民俗資料館




上の2枚の写真は福崎町立神崎郡歴史民俗資料館の正面(上)と側面(下)

中の展示は撮影禁止と言われたので写真はありません。
当日は福崎町名誉町民 吉識雅夫(よしきまさお)生誕110年記念企画展が行われていました。


上の写真は吉識雅夫の企画展のポスター




上の2枚の写真は神崎郡歴史民俗資料館の建物の近くに展示の組み合わせ
家形石棺(伝山崎群集墳内出土 7世紀初頭ころ)と現地説明板




上の2枚の写真は同じく資料館近くの薬師堂(山口堂)と現地説明板

福崎町立柳田國男・松岡家顕彰会記念館


上の写真は福崎町立柳田國男・松岡家顕彰会記念館の外観
中の展示は撮影禁止と言われたので写真はありません。


上の写真は柳田国男の生家の中にあった記念館の案内板
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藤本煙津先生作の漢詩石碑 in 鈴の森神社 on 2018-4-22

2018年04月25日 04時49分38秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。

鈴の森神社の参道の鳥居のある付近に藤本煙津先生作の漢詩石碑があったので写真を
撮りました。漢詩の中身は良く判りませんが藤本煙筆ということもあり貴重な史跡
であると思いましたので紹介する次第です。


上の写真が藤本煙津先生作の漢詩石碑です。

藤本煙津(ふじもと えんしん 1838-1926)先生の紹介
(福崎町立神崎郡歴史民俗資料館のサイトより要約引用)

藤本煙津は天保9年(1838)に神東郡井ノ口村(現神崎郡福崎町西田原)で
繁内甚兵衛の次男として生まれました。本名は節二。
明治12年(1879)から神崎郡役所に勤務しながら、漢学者松岡操(柳田國男の父)や
郡長の倉本櫟山(本名雄三)らと詩歌を楽しむ。
明治27年(1894)郡役所を退官後、明治29年(1896)大阪に居を移して日本画と篆刻に
専念し逍遥遊社のメンバーとして漢詩にも独自の才能を示した。
藤本節二の日本画(南宗派)の師は島琴江(1821~1899)と村田香谷(~1912)。
山水画を得意とし代表作として「蓮花図」「梅林図」等があります。
雅号:南宗画では「古素」「煙津」「同龍生」「榛田野逸」等、篆刻では「石樵」
大正15年(1926)5月23日没 
福崎町の井ノ口墓地にある墓には黄坡撰の墓誌が刻まれている。( 弟子の藤沢章の作)

「煙津藤本先生墓
先生諱節二字古素号煙津別有榛田野逸同龍
生之号初姓繁内藤本林蔵養以配次女悦乃冐
其氏性好韻事善於詩書画篆刻大正十四年罹
疾於大阪明年五月念三日歿于郷享年七十八
諡釈浄煙有二男一女男皆夭女名廉迎姫路藩
士林晋四子達次為夫以承其家
昭和十三年五月 浪華 藤沢章誌」


藤本煙津先生の写真など詳細は福崎町立神崎郡歴史民俗資料館の平成13年度特別展で
取り上げられており、公開されています。

関西大学の泊園書院 東西学術研究所のサイトにも藤本煙津先生の写真が
掲載されています。


上の写真は鈴の森神社の鳥居。参道の右手に松岡鼎(国男の長兄)と左手に柳田国男と
書かれた石柱が建っています。


上の写真は上記の漢詩石碑の撮影地点付近にあった案内標識。 
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福崎町 妖怪ベンチ ウォーキング on 2018-4-22

2018年04月24日 03時53分46秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。初訪問です。
行きはタクシー(1,040円)で大庄屋三木家の前まで乗り帰りはJR福崎駅まで妖怪ベンチを
見ながら歩いた。妖怪ベンチMAPと経路は三木家のガイドの方に教えてもらった。

福崎町の妖怪ベンチは福崎町役場地域振興課課長補佐の小川知男さんらの発案で
総事業費1,000万円で設置されたもので2018年3月19日に町役場でお披露目
3月20日に7体が新たに設置された。既設のベンチは天狗寿司の天狗とJR福崎駅前の
将棋を指す河童(ガジロウ)の2体で既にインスタグラムなどの人気スポットに
なっているそうです。個性強い人形を獲得すべく妖怪ベンチの設置に手を挙げた
店主たちにより「ドラフト会議」でどの妖怪を選ぶかが決定された。


詳細は神戸新聞NEXT 2018/3/15 15:00

   神戸新聞 2018/3/19 17:50

   神戸新聞NEXT 2018/3/17 05:30

前置きが長くなりましたが早速、妖怪ベンチの写真紹介に移ります。

上の写真は妖怪ベンチウォーキングMAP
妖怪ベンチはJR福崎駅と柳田国男の生家などがある辻川山公園との間に設置
全長 約3.6kmを巡るコースで9箇所に設置されています。
9箇所ある妖怪ベンチの内、①、④、⑤、⑧、⑨5箇所の写真を撮った

①将棋を指す河童(ガジロウ)


上の写真はJR播但線福崎駅前の将棋を指す河童(ガジロウ)


上の写真はJR播但線福崎駅の駅舎の遠景
駅前はJR福崎駅前周辺整備(5億4,200万円)の工事中。交流広場や観光交流センター
などが整備されるようである。さらに1,200万円の予算で機械仕掛けの河童モニュメントも
設置されるそうです。

④猫また

上の写真は「グルメミートにしおか」の前に設置の妖怪ベンチ「猫また」


上の写真は「グルメミートにしおか」の遠景


上の写真は猫またの作者「首藤秀利氏(大分県)」の銘板

⑤鬼


上の写真は「ひのストア」の前に設置の妖怪ベンチ「鬼」


上の写真は「ひのストア」の遠景


上の写真は「鬼」の作者「沈暻翔氏(台湾)」の銘板

⑧鬼ぼうず


上の写真は「ミートショップ松井」に設置の妖怪ベンチ「鬼ぼうず」


上の写真は「ミートショップ松井」の遠景

⑨油すまし


上の写真は「辻川山公園」に設置の妖怪ベンチ「油すまし」

同じテーマで9つの妖怪ベンチを制覇された「ココの部屋」さんのブログ記事に
リンクさせていただきました。
 https://blog.goo.ne.jp/a119h116/d/20180414

コメント (2)
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福崎町「もちむぎのやかた」でのランチ on 2018-4-22

2018年04月23日 06時53分21秒 | 神戸市以外の兵庫県
2018年4月22日、柳田国男の生家などを観るために姫路からJR播但線に乗り
神崎郡福崎町に来ていました。

当日、「もちむぎのやかた」で頂いたランチを写真紹介します。
付近にグルメ処があまりなく人気店のようで行列ができるお店です。

「もちむぎのやかた」の基本情報

住所:兵庫県神崎郡福崎町西田原1022番4 TEL:0790-22-0569
食事ジャンル:御膳、定食もの、冷たい麺、温かい麺、丼もの、パスタ
営業時間:11:00~17:00   定休日:月曜日



公式サイト:http://www.mochimugi.jp/




上の写真が当日頂いた季節御膳 1,296円(税込)です。ビール付きです。
デザートのゼリーやダンゴまでついて美味しかったです。


上の写真は季節の御膳の内容です。












上の6枚の写真はメニュー表です。


上の写真はお店の外観です。


上の写真はお店の入口に掲示の看板


上の写真はお店の入口に掲示の祝「日本遺産」で作成された作品の掲示

日本遺産には「播但貫く、銀の馬車道鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる
73Kmの轍(わだち)~兵庫県 朝来市ほか
」として2017年に選ばれました。


上の写真は日本遺産に関する説明パネル (三木家住宅の近くに掲示)
銀の馬車道として観光PRされています。




上の2枚の写真はお店の近くに栽培されている「もちむぎ」の麦畑と説明板




上の2枚の写真はもちむぎ麺の製造工程に関するパネル 
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Cafe Morozoff(カフェ モロゾフ)でのランチ on 2018-4-14

2018年04月22日 04時26分36秒 | 神戸情報
2018年4月14日、Cafe Morozoff(カフェ モロゾフ)神戸ハーバーランドUMIE店で
ランチを頂きましたので写真紹介します。
初めて入店しました。

Cafe Morozoff(カフェ モロゾフ)神戸ハーバーランドUMIE店の基本情報

住所:神戸市中央区東川崎町1丁目7−2 神戸ハーバーランドumieサウスモール1階
TEL:078-382-7136
営業時間:10:00~21:00  開店日:2013年4月18日


公式サイト:http://umie.jp/shop/detail/24
モロゾフ株式会社のサイト:http://www.morozoff.co.jp/



上の写真は私が注文したパスタランチA 850円(税込)


上の写真は奥様が注文したアーモンドワッフルセット 1,050円(税込)

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神戸市総合教育センター前のペンシルのモニュメント on 2013-9-13

2018年04月22日 03時54分13秒 | 神戸情報
神戸市総合教育センター前にユニークなペンシルのモニュメントがあります。
2013年9月13日、鉛筆(ペンシル)のモニュメントの写真を撮りましたので
紹介します。

神戸市総合教育センターの基本情報

住所:神戸市中央区東川崎町1丁目-3-2  TEL:078-360-2001(代表)
開館時間:9:00~21:00 開館:月曜日~金曜日


公式サイト: http://www2.kobe-c.ed.jp/kec/




上の2枚の写真はペンシルのモニュメントです。
一目で鉛筆を題材としたモニュメントと判ります。


上の写真はモニュメントの銘板で
題目が「初心」 平成3年(1991)3月 日本宝くじ協会の普及宣伝事業で建設された
ことが判ります。


上の写真は鉛筆モニュメントの遠景と神戸市総合教育センターの建物


上の写真は神戸市総合教育センターの建物の玄関天井部でデザイン都市の神戸らしい
設計であると感じました。

同じペンシルのモニュメントということで2018年4月22日に訪問した福崎町の
辻川山公園内の学問成就の道の石碑を写真紹介します。(下に添付)


上の写真は辻川山の展望台に登る道の入口付近の「学問成就の道の石碑」


上の写真は北野天満神社付近の「学問成就の道の石碑」

説明書きよりそのまま引用紹介します。
柳田国男とその英才兄弟の氏神であるここ「鈴の森神社」から学問の神・菅原道真
を祀る「北野天満神社」に至る「学問成就の道」を通ってこの二社に参拝すると
学問が成就するといわれています。


「学問成就の道」付近の地図も添付しておきます。


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