CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

錦果楼での演奏会

2006年02月28日 18時31分02秒 | 岩国情報

毎週日曜日に錦果楼において昼食時の他に3回/日演奏会が
ある。2月12日(日)は昼食を食べながら演奏を聞いた。
当日の出演者はECOアンサンブルで曲目では「冬のソナタ」
が印象に残っている。
錦果楼は錦川の河畔にあり錦帯橋の上流にある。
住所では関戸地域である。
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香川家長屋門の鬼瓦

2006年02月26日 05時42分37秒 | 岩国情報

写真は吉川家の家老職であった香川家の長屋門に使用
されている鬼瓦である。
一つ一つに家紋がみられる。
香川家の長屋門は江戸期の建築の姿を良くとどめている
ということで県の文化財に指定されている。
建築は大屋嘉左衛門である。
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日本語になった外来語その2

2006年02月24日 20時07分58秒 | Weblog
携帯でのメッセージになります。ポルトガル語系の外来語を列挙する。パン=pao カステラ=castella カッパ=capa タバコ=tabaco カルタ=carta ボタン=botao
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岩国のシロヘビ(白蛇)

2006年02月21日 06時18分12秒 | 岩国情報

岩国市の今津町にシロヘビの資料室、屋内及び屋外飼育場
がありそこで国指定の天然記念物である白蛇の写真を
撮りました。(2006-2-19撮影)
昭和30年頃(1955)までは自然界にシロヘビがいたが餌の
鼠がいなくなり人工繁殖保護されるようになった。
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両袖瓦

2006年02月20日 06時13分24秒 | 岩国情報

写真は吉香公園内に保存されている目加田家の正面から左手
の庭に入る門に使用されている両袖瓦である。
この瓦は岩国産の瓦独特のものでこの両袖瓦と袖のない平瓦が
交互に配置されているのが判る。
瓦の産地は岩国市多田地区で白井、平井の両家は出雲より吉川
広家公が移封されて来たとき一緒に来た人達でそれより以前の
瓦師は西村氏である。
窯印は「喜介」が使われていた。
文政時代(1820年頃)からは御庄の作左衛門(十時氏)が加わり
4家で岩国地方の瓦が焼かれていた。
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佐川醤油蔵---柳井市

2006年02月19日 07時16分43秒 | 岩国情報

柳井の名産品の1つに甘露醤油があります。
佐川醤油店では天明元年(1781)より製造販売している。
その蔵には約30ある杉の桶がありモロミが醸成されている。
また昔使用されていたモロミの絞り機も展示されている。
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山中柴吉中将---由宇町が生んだ偉人

2006年02月18日 05時48分35秒 | 岩国情報

写真は山中柴吉中将の写真である。
山中中将は由宇町出身で明治3年(1870)2月6日に生まれた。
海軍兵学校に進み(15期生)大正7年(1918)12月1日中将と
なった。明治38年(1905)の日露海戦に参戦した。
昭和16年(1941)6月21日死去。
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和釘

2006年02月17日 06時07分35秒 | 岩国情報

和釘は先端を曲げた皆折釘(かいおれくぎ)と呼ばれる形状で
昨日の記事同様に白鷹幸伯氏の作である。
錦帯橋の5橋に約20、000本使用されている。
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鎹(かすがい)

2006年02月16日 06時10分04秒 | 岩国情報


写真は錦帯橋で使用されている鎹である。
主な使用先は桁と桁との補強である。桁全体は
桁巻金で束ねられる。
鎹(かすがい)の製作者は薬師寺の再建で釘を打った
松山市の白鷹幸伯氏でその耐久性から1000年釘とも
呼ばれる。
形状から角かすがいと平かすがいがあり寸法も
1尺2寸から4寸まである。

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僧独立像---新岩国八景展より

2006年02月15日 06時35分37秒 | 岩国情報

上の写真は2月11日の「新岩国八景展」に展示の僧独立像である。
彫塑の作者は半田幸男先生である。
以下僧独立(どくりゅう)について紹介する。
独立は中国抗州仁和県に1596年2月19日に生まれました。
姓名は戴笠、字は曼公です。
独立(どくりゅう)はこの中国で57年間を過ごしました。
漢民族の王朝である明朝は1644年に滅び清王朝に替わりました。
明朝滅亡後異民族支配を嫌う多くの中国人( 漢民族 )が長崎へ
亡命いたしました。 独立もそのうちの一人でした。
能書家及び医者として知られ、承応2年(1653)3月来日。
黄檗僧・隠元隆(いんげんりゅうき。1592~1673)について
1654年12月に59歳で僧侶となり、長崎に滞在しました。
岩国藩主吉川広嘉(ひろよし)の医療を行うため岩国に計4回
招かれています。
ここで 広嘉 (ひろよし)と独立との交流が始まります。 
1回目の岩国訪問は1664年4月13日から8月9日独立69歳の
ときであります。広嘉と初対面で抗州西湖の話もしています。
また「西湖遊覧志」を長崎から6月に取り寄せ広嘉に供覧しました。
以降2回目は1665年8月から1666年2月の約5ヶ月この時「一勺」
の文字を龍門寺の山側崖に彫っています。
3回目は1667年2月から6月の約4ヶ月で広嘉と花見をしたり漢詩を
多く詠んでいます。
4回目は1668年10月から1669年1月でこのころは広嘉の体調が
すぐれず独立が慰問しています。
上記のような交流の中で吉川広嘉に対して中国での話を数多くし、
名勝「錦帯橋」建造のヒントを与えたとされています。
1672年11月6日長崎崇福寺で77年の生涯を閉じた。
隠元和尚のいる宇治の万福寺の萬松岡(ばんしょうこう)にその
遺骨は埋葬されました。
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