CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

ボクサン 東須磨本店でケーキとお茶 on 2019-5-29

2019年05月31日 04時34分33秒 | 神戸情報
2019年5月29日(水)ボクサン 東須磨本店でケーキとお茶を頂きましたので
写真紹介します。

ボクサン 東須磨本店の基本情報
住所:神戸市須磨区堀池町2-1-25  TEL:078-731-3675
営業時間:9:00~20:00
公式HP:http://www.bocksun.com/
公式FB:https://www.facebook.com/bocksun/

Goo地図はこちら
 


上の写真は奥様が選んだブランシトロン 420円(税込)


上の写真は私が注文したプリンショート 450円(税込)


上の写真は飲み物を含めたものです。
奥様はホットコーヒー 378円(税込)、私はホットティー378円(税込)

カフェセット割引が1人50円で安くなります。


上の写真ははお店の外観


上の写真は駐車場&製造工場棟

訪問記:
「野菜とさかな」でのランチとボクサンでケーキセット on 2015-11-26
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LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)でのランチ on 2019-5-8

2019年05月31日 04時07分06秒 | 神戸情報
2019年5月8日(水)、三井アウトレットパーク マリンピア神戸の中にある
LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)でランチを
いただきましたので写真紹介します。

LOCHEはLOOK!(見て楽しく)、CHOICE!(選んで楽しく)、EAT!(食べて美味しい)
の文字を繋ぎ合わせた造語だそうです。

LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)の基本情報

住所:神戸市垂水区海岸通12-2-9031 三井アウトレットパーク  マリンピア神戸1F
TEL:078-754-8601  営業時間:11:00~22:00
定休日:不定休  料理ジャンル:ピザ、パスタ

公式サイト:http://www.potomak.co.jp/shoplist/loche-market-store/

インスタグラム:https://www.instagram.com/lochemarketstore/

ぐるなびの情報メニューの一覧が役に立ちます。
LOCHE MARKET STORE
LOCHE MARKET STORE
ジャンル:イタリア料理
アクセス:山陽電鉄本線山陽垂水駅 徒歩8分
住所:〒655-0036 兵庫県神戸市垂水区海岸通12-2-9031 三井アウトレットパーク マリンピア神戸1F(地図
ネット予約:LOCHE MARKET STOREのコース一覧
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 垂水×イタリアン(イタリア料理)
情報掲載日:2019年5月31日




上の写真は奥様が選択した淡路産わかめとアサリボンゴレビアンコのパスタ 1,580円(税別)


上の写真は私が注文した淡路真イカのピッツァ 1,650円(税別)


上の写真はLOCHEのピザをPRした看板

写真を撮るのを忘れてしまいましたが当日はデザートの日でシフォンケーキを
欲張って2つもとってしまいました






上の3枚の写真はサラダバイキング






上の3枚の写真はピザのメニュー表


上の写真はお店のシステムを説明した看板


上の写真はタイムサービスの案内
毎週、水曜と金曜日にデザートのサービスがあります。


上の写真はシーズナルメニュー


上の写真はお店の外観



上の写真は垂水なぎさ街道の看板がある付近から撮ったマリンピア神戸の遠景


上の写真はKOBEの文字が新たに加えられリニューアルされた海賊船


上の写真は三井アウトレットパーク マリンピア神戸の最寄り駅JR垂水駅に
掲示されているマリンピア神戸付近の地図

三井アウトレットパーク マリンピア神戸の歴史をWikipediaより引用

1991年 - 1月28日 埋立地造成開始
1997年 - 1月21日 埋立地造成終了
1998年 - 3月20日 神戸市立水産体験学習館(さかなの学校)開館
1999年 - 7月30日 シーポートレストランツ開業。
     10月1日 ファクトリーアウトレッツWEST開業
2000年 - 6月28日 ファクトリーアウトレッツEAST開業。
     7月28日 - シーフードマルシェ開業
2001年 - 10月1日 神戸フィッシャリーナ開業
2006年 - 4月7日 ファクトリーアウトレッツANNEX開業
2009年 - 3月18日 ファクトリーアウトレッツ セントラル開業




直近の訪問記:

LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)でのランチ on 2018-4-4

LOCHE MARKET STORE (ローチェ マーケット ストア)でのランチ on 2017-10-18
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JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その12(最終回) 旧伊庭家住宅(旧伊庭慎吉邸)

2019年05月30日 04時24分44秒 | 滋賀県情報

2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。

本日はその第12回として旧伊庭家住宅を写真紹介します。
今回でこのシリーズの最終回とします。

旧伊庭家住宅は関西学院大(兵庫県西宮市)の時計台などの設計で知られる米国出身の
建築家、ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけた建物です。


過去の散策記:

第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館

第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像

第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺

第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡

第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社

第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺

第7回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡

第8回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その8 石部神社

第9回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その9 旧安土巡査駐在所

第10回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その10  旧宮地家住宅

第11回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その11  沙沙貴神社

旧伊庭家住宅の基本情報

住所:近江八幡市安土町小中191 TEL:0748-46-6324
公開時間:10:00~16:00(受付は15:30分まで)
定休日など:月曜日(祝日の場合は開館)、祝日の翌日、年末年始
      (1月、2月は、土・日・祝日、予約のみ開館)
料金:無料

設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(ヴォーリズ合名会社)
竣工:大正2年(1913)、昭和59年(1979)修復
建築主:伊庭貞剛(住友二代目総理事歴任)
     別子銅山の公害問題を解決したことでも有名
居住者:伊庭慎吉(伊庭貞剛四男・安土村村長&沙沙貴神社宮司)
     安土村村長には昭和6~8年、16年~20年の二期務めた
構造: 木造、地上3階建
延床面積:352.36m2(1階214.02m2、2階109.55m2、3階28.79m2)


公開HP:https://www.omi8.com/

旧伊庭家住宅の所在地のGoo地図を添付しておきます。




上の写真は駐車場から観た旧伊庭家住宅の外観です。


上の写真は庭側(裏側)から観た旧伊庭家住宅。





上の2枚の写真は他のアングルから観た旧伊庭家住宅




上の写真は現地説明板

大正2年(1912)、建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計によるチューダ様式
も洋風木造住宅で、東側を棟違いとして重厚感を持たせている。
外部は屋根が傾斜のきつい切妻造天然スレート葺で、ハーフティンバー様式の梁及び柱等
の木部にベンガラを、また壁及び煙突部分に漆喰をそれぞれ施している。内部は1階が
和風を基調としており書院など細部に斬新な意匠を施す座敷や仏間他、洋風の暖炉付リビング
や階段ホール等がある。2階は洋風を基調としており、暖炉付アトリエや寝室の他和室
等がある。また屋根裏部屋を設け、隣接してベランダが付く。この住宅は建築当初、
全体が洋風基調であったが、昭和初期に1階の多くを和風に変更した上、位置を変更
した入母屋造瓦葺の玄関を新たに取付け、他に銅板葺の座敷広縁、天然スレート葺の
サンルーム風のものを取り付けている。この建物は内部は昭和初期の改造が著しいものの
外観はヴォーリズ初期の建築としてよく残る上、和風改造後の意匠も洋風部分との調和が
優れ、斬新な意匠も数々みられる大変貴重な建物である。

郷土館として利用されているようです。


上の写真は表玄関の石碑で元伊庭慎吉邸と書かれています。


上の写真は旧伊庭邸に隣接して設置のヴォーリズ学園 安土保育園です。


建物内部は到着した時刻が遅かったため見学できなかった。
そこで内部を紹介したサイトにリンクさせていただきました。
 https://diiig.net/lw/124556/708_article.html


その他関連サイト:

 旧伊庭家住宅(Wikipedia)


 旧伊庭家住宅 (滋賀県観光情報)


 Miko-Tv 近江八幡市カフェらんまる&旧伊庭家住宅編


 滋賀県蒲生郡の安土町郷土館

  ウィリアム・メレル・ヴォーリズ William Merrell Vories

 ヴォーリズライブラリー

 公益財団法人 ヴォーリズ記念館

 一粒社ヴォーリズ建築事務所

 建物の品格 建築家ヴォーリズの“愛される洋館”


 ヴォーリズ夫妻と広岡浅子 (大同生命特設WEBサイト)

 ヴォーリズを訪ねて


JR安土駅周辺散策記シリーズを終えて

安土城跡を中心とした散策記を書き終えました。
JR線の車窓から安土城の看板は何回か見ておりいつかは訪問したいと思っていました。
さすがに天下人「織田信長」が建立させた城だけに壮大な姿を想像できる場所でした。
本日書いたヴォーリズ建築についてはJR八幡駅方面に多数残っており、別のシリーズで
ブログを作成したいと思っています。

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JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その11  沙沙貴神社

2019年05月29日 04時29分19秒 | 滋賀県情報
2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。

本日はその第11回として沙沙貴神社を写真紹介します。

沙沙貴(ささき)神社は六角家と京極家の先祖で佐々木庄を支配していた佐々木氏の
氏神です。神話の時代から存在し平安時代の「延喜式」に記載の古社です。


過去の散策記:

第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館

第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像

第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺

第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡

第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社

第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺

第7回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡

第8回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その8 石部神社

第9回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その9 旧安土巡査駐在所

第10回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その10 旧宮地家住宅


沙沙貴神社の基本情報
住所:近江八幡市安土町常楽寺1番地 TEL:0748-46-3564
御祭神:佐佐木大明神
     一座:少彦名命(すくなひこなのかみ) - 祖神・産土神
     二座:大毘古神(おおひこのかみ) - 古代沙沙貴山君の祖神・四道将軍
     三座:仁徳天皇(おおささきのすめらみこと) - 沙沙貴にゆかりある祭神
     四座:宇多天皇(うだのすめらみこと)、敦実親王(あつみみこ)
            - 宇多源氏・佐々木源氏・近江源氏の祖神

     上記の四座五柱

公式サイト:http://sasakijinja.or.jp/


幣殿と本殿

上の写真は幣殿と本殿
昨年(2018年)の台風21号の被害があり訪問時は修理工事が進められていました。

拝殿

上の写真は拝殿 奥に幣殿と本殿


上の写真は違う角度から撮った拝殿

楼門(随身門)





上の3枚の写真は楼門と随身
随身門の右手は左大臣、左手は弓矢をもっている右大臣が配置


権殿、呑月の庭、宝殿

上の写真は権殿の近景


上の写真は正面の奥が権殿 手前が呑月の庭 左手に宝殿が写っています。


上の写真は呑月の庭の現地説明板

絵馬殿

上の写真は絵馬殿


上の写真は楼門付近から西回廊と絵馬殿を撮ったものです。

清心の庭


中仙道 武佐の宿 道標

上の写真は昭和30年代に移設された中仙道 武佐の宿 道標
道標は安永8年(1779)三井高業によって建立
佐々木大社道 是より19丁と書かれています。

中山道 武佐の宿に関して詳しく解説されたサイトにリンクさせていただきました。
 http://home.b05.itscom.net/kaidou/nakasendo/6shigakyoto/66musa.html


乃木大将お手植えの松

上の写真は乃木大将お手植えの松

乃木氏は佐々木氏から派生した姓です。
佐々木氏からは佐佐木 佐々木 六角 京極 黒田 三井 大原 高嶋 篠笥 笹木
 佐々城 沙沙貴 尼子 伊庭 椙山 岳 朽木 和泉 山脇 田中 種村 鯰江 
乃木 松下 和邇 など220余の姓が継承されています。


上の写真は安土城考古博物館の展示パネルで佐々木氏の略系図があります。


上の写真は乃木さんのお言葉

磐座(いわくら)

少彦名命(すくなひこなのかみ)、古事記 天之羅摩船(あめのかがみのふね)の看板
と磐座
伝承では少彦名命=名毘古那(大国主命の大叔父)は小豆に似たササゲ このマメの
鞘で作られた船に乗り海を渡りてササキの郷に来た。
これが沙沙貴神社のはじまりである。

少彦名命は子宝・安産・育児・蚕を飼育して絹の整糸・健康の良薬・酒類 味噌醤油の醸造
・農工業の諸道具の作成などに御利益があるようです。

後述の境内図には⑨磐境

境内社


干支の庭

正面奥に干支の庭の一部を臨めました左手は幣殿と本殿 右手にさざれ石の庭
が臨めます。

境内図


上の写真は沙沙貴神社の境内図です。
出典:神社案内のリーフレット



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JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その10  旧宮地家住宅

2019年05月28日 04時27分04秒 | 滋賀県情報
2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。

本日はその第10回として旧宮地家住宅を写真紹介します。

旧宮地家住宅は安土城考古博物館を中心とする風土記の丘(古代遺跡・
史跡資料館の併設された区域)の敷地内にあります。

過去の散策記:

第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館

第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像

第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺

第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡

第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社

第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺

第7回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡

第8回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その8 石部神社

第9回  JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その9 旧安土巡査駐在所






上の3枚の写真は旧宮地家住宅(旧所在 滋賀県長浜市国友町)です。
手前の枝垂れ梅のピンクの色が綺麗でした。
旧宮地家住宅は長浜市国友町にあった建物を昭和44年(1969)移築したものです。
余呉型(伊香式)と呼ばれる農家で宝暦4年(1754)に建てられた建造物です。
余呉型民家とは滋賀県長浜市余呉町菅並(ウッディパル余呉から車で12分)で見られる
入母屋式の民家住宅で、現在は屋根がトタンでおおわれているものが多い。
現在でも50戸余りの茅葺の民家が現存し生活されています。


建物の内部は時間の関係で見学せず写真がありません。

しだれ梅単独でも写真を撮りました(下の写真)


下の2枚の写真は旧宮地家住宅(旧所在 滋賀県長浜市国友町)の現地説明板

昭和58年(1968)1月7日に国指定重要文化財に認定されました。

構造及び形式等:
桁行11.3m、梁間7.6m、入母屋造、妻入、茅葺、南面及び北面庇付、とち葺






旧宮地家住宅の場所


所在地住所:近江八幡市安土町大字下豊浦字山田6839番地
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神戸市の経塚 滝ノ奥経塚を中心として

2019年05月27日 05時33分48秒 | 神戸情報

本日は神戸市内の経塚をテーマに取り上げます。

経塚(きょうづか)とは、経典を土中に埋納した仏教遺跡で、平安時代後期に最も
盛んに造営されました。
現在、最古の経塚は奈良県吉野山の金峰山経塚から出土した寛弘4年(1007)の
藤原道長の経筒である。
経塚造営の背景には永承7年(1052年)に末法の世が訪れるという予言思想がある
末法思想の影響で仏の教えが滅びることを心配した人々が盛んに造営しました。
起源は中国や朝鮮半島にあるとも言われる。
永承7年(1052年)以降は次第に追善供養を目的とするようになっています。

それでは本題に移り神戸市内の経塚をリストアップしたいと思います。

1.滝ノ奥経塚  神戸市灘区高羽字滝ノ奥

2.二本松古墳経塚 神戸市兵庫区会下山町 (房王寺)

3.池田経塚   神戸市長田区池田経町 (妙楽禅寺)

4.清水経塚   神戸市兵庫区千鳥町1丁目(旧石井村)

5.狐塚経塚   神戸市垂水区名谷字湯屋ケ谷狐塚 (転法輪寺)

6.吉尾経塚   神戸市北区八多町吉尾字安場

7.石峯寺経塚  神戸市北区淡河町神景
 (しゃくぶじ)

8.有馬温泉経塚  神戸市北区有馬町 (温泉寺)

9.北坊経塚   神戸市北区淡河町神景字北坊

10.萩原経塚   神戸市北区淡河町萩原字経塚

11.北別僧経塚  神戸市北区淡河町萩原字北別僧
 (きたべっそう)

12.溝ノ上経塚   神戸市北区淡河町行原

13.投町経塚

14.北神第9地点  神戸市北区鹿の子台北町2丁目3
      一石一字経塚

この中で滝ノ奥経塚については神戸埋蔵文化財センターの常設展示で
紹介されていますので写真を交えて話を進めていきます。

1.滝ノ奥経塚


上の写真は滝ノ奥経塚の発掘時の様子と概要説明パネルです。

滝ノ奥遺跡は昭和56年(1981)4月から9月までマンション建設地を発掘調査
したもので経塚の他に掘立建物跡(2棟)、鎌倉時代のものと考えられる火葬墓14基
礎石建物跡1棟、土壙2基(一石五輪塔10基)など多くの遺構が検出されました。
遺物から判断して10世紀代に建立された寺院の跡地と推定されています。

説明文をそのまま引用紹介します。
経塚は仏教のお経を書き写したものを容器に入れ、供養して土中に納めたものです。
滝ノ奥経塚では、経典を入れた容器(経筒)を石室の中に納め、まわりには11面の鏡を
はじめ、中国製の焼き物(合子)や鉄製の小刀、銅銭などがいっしょに納められていました。
この経塚は平安時代終わりごろにつくられたようです。


経筒及び副納品は平成11年(1999)神戸市指定文化財に指定されました。




上の2枚の写真は神戸市埋蔵文化財センターの展示(全体と中景)

真ん中に経筒(須恵器製口径17cm、高さ28.0cm)蓋は28.0cm須恵器鉢を転用
背後に鏡、左側に小刀、手前に合子(5点)、手前右手に飾り金具・独鈷杵・銅銭
経筒は神出古窯跡群の製品と考えられています。
経塚の築造時期:平安時代終わり(12世紀中葉)

滝ノ奥遺跡は六甲山系から南方に派生する尾根の頂部(標高151m)に立地。
同じ尾根の北方には国宝の銅鐸が出土したことで著名な桜ケ丘遺跡があります。


上の写真は刀子 展示の3点は完全な形(長さ30~38cm)で出土
他に欠損品で5点が出土したようです。


上の写真は鏡の針書きで女清原氏と書かれています。
和鏡は草花双鳥文鏡、山吹蝶鳥文鏡、松双鶴文鏡など13点が出土
直径は7.7cm~11.8cm


上の写真は独鈷杵の展示


上の写真は銅銭の展示


上の写真は飾り金具の展示

経塚遺物の分類
現在、兵庫県立図書館で「兵庫県立歴史博物館編 兵庫の経塚(博物館普及資料第10集)」
を借りて読んでいます。
この中に「経塚遺物の分類」という内容の記載がありましたので引用紹介します。


その他の神戸市内経塚遺跡に関して上記の兵庫の経塚で写真や文章で紹介されて
いるものに絞って記載していきます。

5.狐塚経塚


6.吉尾経塚

大松山経塚としている文献もあり。

7.石峯寺経塚


石峯寺経塚については永久5年(1117)の奥書のある朱書経などの存在で知られ、
これまでに数多くの文献で紹介されてきた。しかし、平成3年(1991)に開催された
「神戸市立博物館 館蔵銘品展」では、石峯寺経塚出土品のうち銅鋳製経筒1口、永久5年
銘朱書経6巻および瑞花鷲鶯鏡1面が石峯寺経塚からの出土ではなく伝福岡県出土と訂正
され、また、瓜蝶鳥鏡1面と松喰鶴鏡は出土地が明らかではなく、陶製五輪塔は経筒出土
の小山の出土、瓜蝶鳥文壺は骨蔵器と解説されている。
従って、確実に石峯寺経塚出土と考えられるのは銅板製鍍金経筒(上の写真)1口と
墨書経1巻である。

8.有馬温泉経塚




蓋に「依閻魔法皇勧進奉納温山如法経」と書かれています。
身に文永8年(1271)の銘あり

2019年8月29日追記

 


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日本遺産新たに16件認定されたニュースと83件の日本遺産リスト

2019年05月26日 03時35分42秒 | Weblog

文化庁は2019年5月20日、地域の歴史遺産や文化財の魅力を伝えるストーリーを認定する
「日本遺産」に21道府県の16件を選んだと発表した。

情報源:文化庁のホームより 
  ホーム > 広報・報道・お知らせ > 報道発表 > 平成30年度「日本遺産(Japan Heritage)」の認定結果の発表及び認定証の交付について


この結果2019年5月20日現在83件の日本遺産となりました。

日本遺産は地域の有形、無形の文化財などを生かした観光振興と地域活性化を目的に
2015年に創設されました。市町村が単独、あるいは連名で、地域の文化や歴史に
まつわるストーリーとその構成に欠かせない文化財をまとめて申請し、文化庁の
有識者委員会が審査し決定されます。今回は72件の申請があったとのこと。


以下が今回選ばれた16件の日本遺産リストです。

1.本邦国策を北海道に観よ!~北の産業革命「炭鉄港」~  北海道赤平市他12市町

2.みちのくGOLD浪漫 -黄金の国ジパング、産金はじまりの地をたどる- 
   宮城県涌谷町、岩手県平泉町ほか 5市町

3.里沼(SATO-NUMA) -「祈り」「実り」「守り」の沼が磨き上げた館林の沼辺文化-
   群馬県館林市

4.400年の歴史の扉を開ける旅 〜石から読み解く中世・近世のまちづくり 越前・福井〜
   福井県福井市、勝山市

5.江戸時代の情緒に触れる絞りの産地 〜藍染が風にゆれる町 有松〜   名古屋市

6.海女(Ama)に出逢えるまち 鳥羽・志摩 〜素潜り漁に生きる女性たち  鳥羽市、志摩市

7.1300年つづく日本の終活の旅 〜西国三十三所観音巡礼〜
  滋賀県大津市ほか岐阜県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県の24市町村

8.旅引付と二枚の絵図が伝えるまち ー中世日根荘の風景ー  大阪府泉佐野市

9.中世に出逢えるまち 〜千年にわたり護られてきた中世文化遺産の宝庫〜  大阪府河内長野市

10.「日本第一」の塩を産したまち 播州赤穂   兵庫県赤穂市

11.日本海の風が生んだ絶景と秘境 ー幸せを呼ぶ霊獣・麒麟が舞う大地「因幡・但馬」
    鳥取県鳥取市ほか鳥取県、兵庫県の7市町

12.神々や鬼たちが躍動する神話の世界〜石見地域で伝承される神楽〜
    島根県浜田市ほか9市町

13.知ってる!? 悠久の時が流れる石の島 〜海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島〜
    岡山県笠岡市及び香川県の3市町

14.藍のふるさと 阿波 〜日本中を染め上げた至高の青を訪ねて〜  徳島県藍住町ほか9市町

15.薩摩の武士が生きた町 〜武家屋敷群「麓」を歩く〜  鹿児島県鹿児島市ほか9市

16.琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な「琉球料理」と「泡盛」、そして「芸能」
   沖縄県那覇市ほか2市




現在の住居地兵庫県からは上記の7、10、11の3つと2017年度の日本遺産「荒波を
越えた男たちの夢が紡いだ異空間 〜北前船寄港地・船主集落〜」で2市(姫路、たつの市
が追加認定されました。


文化庁は2015年度から「日本遺産」を設けています。
過去に認定された67件の日本遺産をリストアップしておきます。

2018年に選ばれた13件の日本遺産は以下の通りです
1.カムイと共に生きる上川アイヌ~大雪山のふところに伝承される神々の世界~
           北海道上川町他12市町

2.山寺が支えた紅花文化 山形県 山形市他7市町

3.地下迷宮の秘密を探る旅~大谷石文化が息づくまち宇都宮~ 栃木県宇都宮市

4.明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~ 栃木県那須塩原他4市町

5.宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波 富山県南砺市

6.葡萄畑が織りなす風景-山梨県峡東地域- 山梨県山梨市ほか3市

7.星降る中部高地の縄文世界-数千年を遡る黒曜石鉱山と縄文人に出会う旅-
  長野県茅野市他8市町村 山梨県甲府市他6市

8.旅人たちの足跡残る悠久の石畳道-箱根八里で辿る遥かな江戸の旅路
  静岡県三島市、函南町 神奈川県小田原市、箱根町

9.「百世の安堵」~津波と復興の記憶が生きる広川の防災遺産~ 和歌山県広川町

10.「桃太郎伝説」の生まれたまち おかやま ~古代吉備の遺産が誘う鬼退治の物語~
    岡山県岡山市他4市

11.瀬戸の夕凪が包む 国内随一の近世港町~セピア色の港町に日常が溶け込む鞆の浦~
    広島県福山市

関連サイト:毎日新聞https://mainichi.jp/articles/20180525/ddl/k34/040/458000c

12.鬼が仏になった里「くにさき」  大分県豊後高田市、国東市

13.古代人のモニュメント-台地に絵を描く 南国宮崎の古墳景観-
    宮崎県西都市、宮崎市、新富町


2017年に選ばれた17件の日本遺産は以下の通りです

1.江差の五月は江戸にもない -ニシンの繁栄が息づく町-  北海道江差町

2.荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間~北前船寄港地・船主集落~ 山形県酒田市ほか

3.サムライゆかりのシルク 日本近代化の原風景に出会うまち鶴岡へ 山形県 鶴岡市

4.和装文化の足元を支え続ける足袋蔵のまち行田 埼玉県 行田市

5.忍びの里 伊賀・甲賀 -リアル忍者を求めて- 滋賀県 甲賀市ほか

6.300年を紡ぐ絹が織りなす丹後ちりめん回廊 京都府 宮津市ほか

7.1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」~竹内街道・横大路(大道)~ 大阪府 堺市ほか

8.播但貫く、銀の馬車道鉱石の道~資源大国日本の記憶をたどる73Kmの轍(わだち)~ 兵庫県 朝来市ほか

9.絶景の宝庫 和歌の浦    和歌山市ほか

10.「最初の一滴」醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅 和歌山県 湯浅町

11.日が沈む整地出雲 ~神が創り出した地の夕日を巡る~  島根県 出雲市

12.一輪の綿花から始まる倉敷物語 ~和と洋が織りなす繊維のまち~ 岡山県 倉敷市

 
 上の写真は倉敷アイビースクエア内の児島虎次郎記念館 撮影:2015-9-8

13.きっと恋する六古窯 -日本生まれ日本育ちのやきものの産地- 岡山県 備前市ほか

14.森林鉄道から日本一のゆずロードへ -ゆずが香り彩る南国土佐・中芸地域の景観と食文化- 高知県 安田町ほか

15.関門”ノスタルジック”海峡 ~時の停車場、近代化の記憶~ 福岡県 北九州市ほか

16.米作り、二千年にわたる大地の記憶 ~菊池川流域「今昔「水稲」物語」 熊本県 山鹿市ほか

17.やばけい遊覧 ~大地に描いた山水絵巻の道をゆく~ 大分県 中津市ほか


以下の記述は2015年と2016年に選ばれた37件のリスト

 2016年の報道例:「今年度の「日本遺産」には、全国から申請があった67件のうち、
 和歌山県太地町などの「鯨とともに生きる」文化や神奈川県鎌倉市の
 モザイク画など19件が選ばれました。」


日本遺産認定認定37件をリストアップしておきます。(2016-4-26現在)

A.2015年度に認定の18件

 赤字はシリアル型  青字は地域型

1 近世日本の教育遺産群 ―学ぶ心・礼節の本源―
                 水戸市、足利市、備前市、日田市


2かかあ天下 ―ぐんまの絹物語―
          桐生市、甘楽町、中之条町、片品村(群馬県)


3加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡 ―人、技、心―
                           高岡市(富山県)


4灯り舞う半島 能登 ~熱狂のキリコ祭り~
         七尾市、輪島市、珠洲市、志賀町、穴水町、能登町(石川県)


5海と都をつなぐ若狭の往来文化遺産群 ~御食国若狭と鯖街道~
                       小浜市、若狭町(福井県)


6「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜
                       岐阜市(岐阜県)


7祈る皇女斎王のみやこ 斎宮 明
                     和町(三重県)


8琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産
    大津市、彦根市、近江八幡市、高島市、東近江市、米原市(滋賀県)



上の写真は日吉大社の山王鳥居(2017-4-13&2017-10-10訪問)

9日本茶800年の歴史散歩
      宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、木津川市、宇治田原町、
      和束町、南山城村(京都府)


10丹波篠山 デカンショ節―民謡に乗せて歌い継ぐふるさとの記憶
                           篠山市(兵庫県)


11「日本国創成のとき ―飛鳥を翔た女性たち―」
                  明日香村、橿原市、高取町(奈良県)


12六根清浄と六感治癒の地 ~日本一危ない国宝鑑賞と世界屈指のラドン泉~
                            三朝町(鳥取県)


13津和野今昔 ~百景図を歩く~
            津和野町(島根県)


14尾道水道が紡いだ中世からの箱庭的都市
                尾道市(広島県)




  尾道水道(昭和32年) copy right 坂井敬樹氏


15「四国遍路」~回遊型巡礼路と独自の巡礼文化~
              愛媛県・高知県・徳島県・香川県の57市町村


16古代日本の「西の都」~東アジアとの交流拠点~
                  太宰府市(福岡県)


17国境の島 壱岐・対馬 ~古代からの架け橋~
            対馬市、壱岐市、五島市、新上五島町(長崎県)


18相良700年が生んだ保守と進取の文化 ~日本でもっとも豊かな隠れ里―人吉球磨~
     人吉市、錦町、あさぎり町、多良木町、湯前町、水上村、相良村、
      五木村、山江村、球磨村(熊本県)


 詳細は下記サイト:
 http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/nihon_isan/pdf/nihon_isan_pamphlet.pdf


B.2016年度に認定の19件
  通し番号で表記 シリアル型or地域型が不明のため区別なしに列記

19.政宗が育んだ“伊達”な文化  
           仙台市、塩釜市、多賀城市、松島町(宮城県)

  関連サイト:https://www.youtube.com/watch?v=btpxCnyGS7A

20.自然と信仰が息づく「生まれかわりの旅」~樹齢300年を超える杉並木
        につつまれた2446段の石段から始まる出羽三山~
                  鶴岡市、西川町、庄内町(山形県)

21.会津の三十三観音めぐり~巡礼を通して観(み)た往時の会津の文化~
         会津若松市、喜多方市他18市町(福島県)

22.未来を拓いた「一本の水路」―大久保利通“最期の夢”と開拓者の軌跡 
                           郡山・猪苗代―
          郡山市、猪苗代町

23.「北総四都市江戸紀行・江戸を感じる北総の町並み」―佐倉・成田・佐原・
     銚子:百万都市江戸を支えた江戸近郊の四つの代表的町並み群―
        佐倉市、成田市、楫取市、銚子市(千葉県)

24.江戸庶民の信仰と行楽の地~巨大な木太刀を担いで「大山詣(まい)り」~
         伊勢原市

25.「いざ、鎌倉」~歴史と文化が描くモザイク画のまちへ~
         鎌倉市

26.「なんだ、コレは!」信濃川流域の火焔(かえん)型土器と雪国の文化
       三条市、新潟市、長岡市、十日町市 (新潟県) 


27.「珠玉と歩む物語」小松~時の流れの中で磨き上げた石の文化~
              小松市(石川県)

28.木曽路はすべて山の中~山を守り 山に生きる~
   南木曽町、大桑村、上松村、木曽町、木祖村、玉滝村、塩尻市(長野県)

  関連サイト:
http://www.shinmai.co.jp/news/nagano/20160426/KT160425FTI090009000.php

29.飛驒匠の技・こころ―木とともに、今に引き継ぐ1300年―
              高山氏(岐阜県)

30.『古事記』の冒頭を飾る「国生みの島・淡路」
                 ~古代国家を支えた海人の営み~
       淡路市、洲本市、南あわじ市(兵庫県)

31.森に育まれ、森を育んだ人々の暮らしとこころ
                 ~美林連なる造林発祥の地“吉野”~
      吉野町、下市町、黒滝村、天川村、下北山村、上北山村、
      川上村、東吉野村(奈良県)

上の写真は吉野町の南朝の跡(撮影:2014-4-3)


上の写真は金峯山寺の本堂(撮影:2014-4-3)


上の写真は吉野の山々の遠景   撮影:2014-4-3

32.鯨とともに生きる
      新宮市、那智勝浦町、太地町、串本町(和歌山県)

33.地蔵信仰が育んだ日本最大の大山牛馬市
      大山町、伯耆町、江府町、米子市(鳥取県)

34.出雲國たたら風土記~鉄づくり千年が生んだ物語~
      雲南市、安来市、奥出雲町(島根県)

35.鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴
                ~日本近代化の躍動を体感できるまち~
      呉市(広島県)、横須賀市(神奈川県)、佐世保市(長崎県)、
      舞鶴市(京都府)

36.“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島
   ―よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶―
      今治市(愛媛県)、尾道市(広島市)

37.日本磁器のふるさと 肥前~百花繚乱(りょうらん)のやきもの散歩~
        唐津市、伊万里市、武雄市、嬉野市、有田町(佐賀県)
        佐世保市、平戸市、波佐見町


    

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JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その9  旧安土巡査駐在所

2019年05月25日 05時28分20秒 | 滋賀県情報
2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。

本日はその第9回として旧安土巡査駐在所を写真紹介します。

旧安土巡査駐在所は安土城考古博物館を中心とする風土記の丘(古代遺跡・
史跡資料館の併設された区域)の敷地内にあります。

過去の散策記:

第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館

第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像

第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺

第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡

第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社

第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺

第7回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡

第8回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その8 石部神社


建物外観





上の写真は旧安土巡査駐在所の建物外観です。

旧安土巡査駐在所は明治18年(1885)10月に旧金田・島・安土の3か村を
受け持つ常楽寺交番所として、安土駅に近い十字路の角地に住民の寄付金によって
建てられました。木造2階建ての交番です。
昭和40年(1965)に廃止されたのち、昭和45年(1970)10月に開館した「近江風土記の丘
資料館」の屋外学習展示施設として移築されました。
設計・施工は水原正二郎、現在は国登録有形文化財となっています。

建物内部






展示場所

上の写真は安土城考古博物館(近江風土記の丘)の構内地図で展示場所を示しました。


上の写真は安土城考古博物館の遠景

現地説明板
1.概要説明




2.詳細説明








登録有形文化財証


明治期の洋風建築
関連資料展示として表題の内容が展示されていました。






上の3枚の写真が展示パネルです。

旧八幡警察署武佐分署庁舎(魚友楼洋館)の所在地は近江八幡市武佐町578
明治19年(1886)、滋賀県土木課「木子監督員」の設計。
木造2階建,下見板貼の本格的洋館で,軒の持送りや背面破風板飾りに
時代的な特徴がよく表れているそうです。
登録有形文化財 25 - 0118 平成11年(1999)10月14日登録
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JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その8 石部神社

2019年05月24日 05時25分35秒 | 滋賀県情報
2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。

本日はその第8回として石部(いそべ)神社を写真紹介します。

石部神社は摠見寺(そうけんじ)の下にあります。
安土城の西門にあたり、百々橋口(どどばしぐち)と呼ばれていました。

過去の散策記:

第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館

第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像

第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺

第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡

第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社

第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺

第7回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡

石部神社の基本情報
住所:近江八幡市安土町下豊浦6222  TEL:0748-46-2876
御祭神:少彦名神(すくなひこなのかみ)、 天照大神(あまてらすおおみかみ)、
    高皇産靈神(たかみむすびのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)、
    櫛日方命(くしみかたのみこと)
創建:第21代景行天皇21年(93)4月鎮座との伝承あり
国宝:厨子入木造薬師如来の座像


石部神社の所在地のGoo地図を添付しておきます。


名前の由来
その昔、琵琶湖は安土山近くまで来ており安土山の南麓を「磯辺の岡」と言っていた
ことから「石部(いそべ)神社」という名前になったそうです。

入口鳥居

上の写真は石部神社の入口の鳥居
安土城の百々橋口から登ってすぐの所にあります。

左手に現地説明板があり次のように記載されています。一部加筆
祭神 少彦名命・天照皇大神・高皇産霊神・大己貴命
社記には石部神社天神高宮と有りて人皇第12代景行天皇21年(93)4月15日吾地山に
社殿を造営し勅使の参向を得、盛大なる鎮座祭を斉行す。同2年更に勅使参向の栄に浴す。
安土山湖水に臨み其の南麓を磯辺の岡と号し社を石部神社と称す。
人皇第60代醍醐天皇延長3年(925)延喜式勅撰に依り神名帳に録載せらる式内社なり。
当社は人皇第46代孝謙天皇御宇左大臣橘諸兄右大臣藤原豊成及び大納言平時忠郷等の
崇敬最も篤く櫟杓・宝剣、宝玉、榊八枝等を奉納せられしなり。
降りて天正4年(1576)織田信長公安土山に築城するや守護神として奉祀し社殿の修復をなし
祭祀を厳修せり、その後兵乱に際し社宝・文献散逸したるも之を社伝書に記し今に伝う。
当社に国宝厨子入木造薬師如来の座像あり(厨子に明徳2年(1391)10月の銘あり、
平安時代の彫刻なり)明治44年(1911)8月国指定。
京都国立博物館に出陳す。


拝殿・本殿


絵馬殿

上の写真は絵馬殿
この中で奉納相撲が行われたと思われます。

手水舎


磐座

上の写真は磐座(いわくら)
磐座は古代より続く自然崇拝(精霊崇拝・アニミズム)の一つで架けられた
注連縄は神域との境界を示しています。
神殿と同一の役目を持っている。

摂社


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JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その7 安土城跡

2019年05月23日 03時46分22秒 | 滋賀県情報
2019年3月20日、安土城をメイン訪問先ととしてJR安土駅周辺を散策してきました。

本日はその第7回として安土城跡を写真紹介します。



過去の散策記:

第1回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その1 一須賀古墳群と渡来人の展示 in 安土城考古博物館

第2回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その2 相撲取りの石像

第3回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その3 佛立山 東南寺

第4回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その4 セミナリヨ跡

第5回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その5 新宮大社

第6回 JR安土駅周辺散策記 on 2019-3-20 その6 法性山 平等寺

安土城の歴史概要
Wikipediaをベースとして一部加筆して纏めてみました。

安土城は、織田信長によって、現在の安土山に天正4年(1576)から始まり約3年後の
天正7年(1579)には天守が完成し信長が移り住みました。大型の天守(現地では
「天主」と表記)を初めて持つなど威容を誇った。
建造当時は郭が琵琶湖に接していた(大中湖)。
地下1階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な
意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。
建設に当たっての総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、
縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、
瓦奉行には小川祐忠、堀部佐内、青山助一があたった。
この城を築城した目的は、岐阜城よりも当時の日本の中央拠点であった京に近く、
琵琶湖の水運も利用できるため利便性があり、加えて北陸街道から京への要衝に
位置していたことから、「越前・加賀の一向一揆に備えるため」あるいは
「上杉謙信への警戒のため」などと推察されている。
城郭の規模、容姿は、太田牛一や宣教師の記述にあるように天下布武(信長の天下統一事業)
を象徴し、一目にして人々に知らしめるものであり、山頂の天主に信長が起居、
その家族も本丸付近で生活し、家臣は山腹あるいは城下の屋敷に居住していたとされる。
1582年(天正10年)、家臣明智光秀による信長への謀反(本能寺の変)の後まもなく
して何らかの原因(後述)によって焼失し、その後廃城となり、現在は石垣などの一部の
遺構を残すのみだが、当時実際に城を観覧した宣教師ルイス・フロイスなどが残した
記録によって、焼失前の様子をうかがい知ることができる。



上の写真はJR安土駅前の観光案内所に展示の襖絵で
安土城の威容が想像できます。


上の写真は安土城の築城に関連する年表です。(入口事務所付近に掲示の現地説明板)


上の写真は安土城考古博物館の展示で安土城の歴史と年表が記載されています。

安土城跡平面図&航空写真

上の写真は安土城跡平面図で調査成果に基づく復元も含まれています。
出典:滋賀県教育委員会作成の資料


上の写真は安土城跡の航空写真
出典:滋賀県教育委員会作成の資料(表紙)

以下上記の平面図に図示の22箇所について番号順に写真紹介していきます。
(当日写真が撮れなかった場所は説明文のみ)


1:天守跡



上の2枚の写真は天守跡 礎石が残されています。
Wikipediaによれば
高層の木造建築を建てる場合、中央に心柱を立てるのが多くの日本建築の特徴だが、
安土城天主の礎石は中央部の1つだけが欠けている(他の礎石は全て現存している)。
発掘調査では、中央に礎石が抜けた跡はないことが確認され、またそこに空いていた
穴からは、焼け落ちた天主の一部と思われる炭とともに、壺のかけらのような破片が
いくつも出土した。発掘時の推測では、この穴の上にはかつて仏教の宝塔があり
(天守指図からの推測)、穴には舎利容器である壺が入っていたものと推測されている。



上の写真は天守跡からの眺望(琵琶湖方面)


上の写真は天守跡より織田信長廟を見下ろしたもの。


上の写真は天守跡の石垣
信長廟より撮ったものです。


上の写真は安土城考古博物館の展示で「天守跡などの石垣」を拡大写真で説明
石垣は比叡山山麓坂本の穴太衆が担当して建造されたと伝わっています。


上の写真は天守跡を中心とした主郭部平面図
黒鉄門跡付近の現地説明書よりの抜粋です。


上の写真は安土城天守の復元
出典:詳説 日本史図録 山川出版社(2008)Page137


上の写真は安土城の天守閣の復元(信長の舘にて絵葉書購入)
雛型西東面断面(安土城郭資料館展示) 復元設計:内藤昌




上の2枚の写真は安土城天守の5・6階部の7分の1の復元模型(安土城跡ガイダンスの展示)
部屋の中の豪華さは目を見張ります。


上の写真は150分の1の天守閣模型 安土城考古博物館の展示

2:伝本丸取付台

上の写真は本丸取付台から天守跡の登る階段です。
(本丸取付台の写真が無いので上の写真で代用)

3:伝本丸跡





上の3枚の写真は本丸跡




上の2枚の写真は本丸跡の現地説明板
本丸御殿が内裏清涼殿と類似した建物になっています。
ここで天皇に宿泊して頂くことを意図して建造されたが行幸は実現しなかった。


4:伝三ノ丸跡
本丸跡の御殿と東側の三の丸は渡り廊下でつながっていたことが明らかになっています

5:伝二ノ丸跡

上の写真は二の丸址と書かれた石碑

6:織田信長廟





上の3枚の写真は二の丸の敷地内の織田信長廟

天正11年(1583)2月に羽柴秀吉によって建立され、信長の太刀や烏帽子、直垂(ひたたれ)
などの遺品を埋葬して本廟としました。
同年の6月2日の1周忌には織田一族や家臣を集め盛大に法要を行った。


上の写真は織田信長の絵馬

7:伝長谷川邸跡
伝長谷川竹(秀一)邸跡には織田信雄とその子孫の供養塔があります。
織田信長の次男の織田信雄(大和宇陀松山藩藩主)から4代の供養塔の写真を添付。
長谷川秀一についてWikipediaより引用紹介します。
長谷川秀一(?~文禄3年(1594))は尾張国出身で、織田氏家臣・長谷川与次の子。
織田信長に小姓として仕え、矢部家定と共に若年より諸事に用いられた。
信長の男色相手として深く寵愛され[文献資料がない]織田家臣時代は「長谷川竹」
という呼び名で呼ばれていた。文章における初見は天正3年(1575年)1月30日付けの
信長書状で、この時秀一は伊勢で長島城復旧工事に従事する石運びの宿の手配を
行っている。
天正6年(1578年)6月、播磨神吉城攻めの際には検使の大津長昌と共に派遣され、
菅屋長頼・矢部家定・万見重元・祝重正と番替で検分を行った。同年12月の有岡城の
戦いで万見重元が戦死すると、翌天正7年(1579年)1月に安土(現・近江八幡市安土町)
で邸宅の入れ替えがあって、旧万見邸が秀一の邸宅となり、旧長谷川邸には高橋虎松が
入った。長谷川より上席であった万見の死亡により、席次の繰り上がりがあったと
思われ、以後秀一は奉行衆としてより重要な役目を与えられていく。






説明書きの内容
織田信雄公四代供養塔
初代信雄公徳源院殿實巌眞公大居士
  寛永七年四月三十日 七十三才
四代信武公圓明院殿定岩宗恵大居士
  元禄七年十月三日 四十才
三代長頼公徳雲院殿回岩宗頂大居士
  元禄二年四月三日 七十才
二代高長公瑞泉院殿一岩宗徹大居士
  延宝二年八月十八日 八十五才


8:伝黒金門跡



上の2枚の写真は黒鉄門付近の石垣と現地説明板


上の写真は黒金門のあった位置を示した石碑


上の写真は黒金門に向かう途中の石垣


黒鉄門に向かう途中に森蘭丸邸跡と書かれた石碑を見つけました

近くに仏足石がありましたので写真を添付しておきます。


9:伝織田信忠邸跡


織田信忠は、織田信長の長男で、織田信長から生前に家督を譲られ織田家当主
となった信長の後継者。


10:伝武井夕庵邸跡
大手道をまっすぐ登りきったあたりに武井夕庵(たけいゆうあん、たけいせきあん)
の屋敷跡と伝わる場所があります。

武井夕庵は織田信長の秘書役を務めた武士です。
敷地内で井戸跡も確認されています。

11:伝徳川家康邸跡上段
徳川家康の邸は上段の地の他に摠見寺仮本堂の地にもあったと伝えられています。

12:摠見寺仮本堂
この地は伝徳川家康邸跡です。


上の写真は摠見寺仮本堂の遠景


上の写真は摠見寺仮本堂の鐘楼


上の写真は摠見寺仮本堂付近より大手道方面を臨む景色

13:伝羽柴秀吉邸跡











上の6枚の写真は伝羽柴秀吉邸跡の現況と現地説明板


上の写真は伝羽柴秀吉邸跡の復元模型(安土城考古博物館の展示)

14:伝前田利家邸跡











上の6枚の写真は伝前田利家邸跡の現況と現地説明板

15:大手石塁跡







上の4枚の写真は大手石塁跡と現地説明板






上の3枚の写真は大手門西側上段郭と現地説明板

16:摠見寺跡







上の4枚の写真は摠見寺跡の現地説明板

安土城跡のリーフレットより説明文を引用紹介します。
摠見寺は臨済宗妙心寺派の寺で山号は遠景山。天正4年(1576)安土城築城の際、
信長公が他所より移築し菩提寺としたものです。
天正10年(1582)本能寺の変後、天主とその周辺建物(主に本丸)は焼失したが、
総見寺は残ったが安政元年(1854)11月16日、火災で本堂などほとんどが焼失した。
昭和7年(1932)仮本堂が大手道沿いの伝徳川家康邸跡に建てられ現在に至っている。




上の2枚の写真は現地の現況

17:摠見寺三重塔





上の3枚の写真は摠見寺三重塔

安土城跡のリーフレットより説明文を引用紹介します。
「三重塔は三間三重の塔で屋根は本瓦葺き。室町時代の建物で棟柱に享徳3年(1454)
建立、天文24年(1555)修理の墨書きがある。天正3~4年に信長公が甲賀の長寿寺
(甲賀市石部町)から移築したものとされている。
慶長9年(1604)豊臣秀吉の次男、秀頼が一部修理している。大正3年(1914)9月、
突然三層目の屋根と一・二層の軒が崩落したがすぐに修復された。」


18:摠見寺仁王門
二王門とか楼門という別名で呼ばれる場合もあるようです。
入母屋造本瓦葺き。元亀2年(1571)建立。
摠見寺創建時(天正4年(1576))に近江国甲賀郡柏木神社より移築。










上の5枚の写真は二王門と仁王像及び現地説明板
金剛力士像(仁王像)は頭部の内側に応仁元年(1467)因幡院朝作の造像銘
二王門及び金剛力士像は国の重要文化財に指定されています。


19:百々橋口

上の写真は百々橋口の濠と百々橋


上の写真は百々橋口の西側すぐの所にある天台宗 豊徳山 會勝寺
天正10年(1582) 安土城が焼失した後に観音堂が建立され千手観音が安置。
明治時代になって会勝寺が観音堂の隣に移転し本堂、庫裡などが建立された。

20:安土山南面西側郭群













上の7枚の写真は安土山南面西側郭群と現地説明板

21:蓮池地区郭群
写真を撮れませんでした。



22:伝江藤加賀右衛門邸跡

上の写真は江藤加賀右衛門邸跡の石碑

安土城の全体復元
2019-2-27放送NHK 歴史秘話ヒストリア「新発見!歴史NEWS 2018」で
織田信長が30歳の時に建立した小牧山城の天守閣の近くに信長が住居としていたであろう
舘跡の発掘状況と小牧山城及び安土城の全体を復元した映像があったので
添付しておきます。

上の写真は小牧山城の全体復元




上の2枚の写真は安土城の全体復元 (監修は三浦正幸氏)

信長は天守近くに住居があり上下関係を明確に信長に近い位置に
身分が上位の家臣や側近の武将を配置した。


上の写真は現地説明板で安土山全体の配置図です。

安土城と城下町

上の写真は安土城跡ガイダンスの展示パネルです。

現在、安土城考古博物館で平成31年度春季特別展「安土 信長の城と城下町」が
開催されています。
そのリーフレットを添付しておきます。
5月26日(日)13:30より「ここまでわかった!安土城城下町」と題して
近江八幡市文化観光課の坂田孝彦さんが講演をされるようです。




織田信長の姿



上の2枚の写真は安土城考古博物館に展示の信長像です。

最後に
不十分な部分もありますがやっと書き終えることができました。
JR安土駅の地下連絡通路に安土中学校美術部の方が安土城の絵を描いて
おられますので作品を添付して筆を置きます。
ネギも特産品で有名なのですネ。
コメント
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