CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ)

神戸・岩国の最新情報を中心に紹介していきます。歴史や時事について調べた結果を紹介。

NHKBSプレミアム生中継  闇と炎の秘儀 お水取り  〜奈良・東大寺修二会〜を視聴して

2021年03月31日 03時46分04秒 | 奈良情報

2021年3月13日、NHKテレビBSプレミアムで下記の番組を視聴しました。

 生中継  闇と炎の秘儀 お水取り  〜奈良・東大寺修二会〜

第1部 3月13日(土)午後6時30分~午後7時30分
 
第2部 3月13日(土)午後10時30分~3月14日(日)午前1時15分
 
 
東大寺二月堂修二会は、開山良弁の弟子実忠が天平勝宝四年(752)二月に観音像を
安置して十一面悔過の行法を修したのを創始とするといわれ、以来、治承四年(1180)
平氏の南都焼打、寛文七年(1667)の二月堂焼亡や先の大戦敗戦などのいくたびかの                  災禍があったにもかかわらず、1270年間継承され現在におよんでいます。

コロナ禍、感染症対策のため2021年は参観が制限されたが、NHKが特別な許可を得て                 ライブで修二会の秘儀が生中継されました。史上初めての出来事であった。                      秘儀の中でもインドやペルシャの影響があるといわれる聖なる炎の儀式「達陀(だったん)」             は圧巻であった。 天下泰安・万民快楽(けらく)・五穀豊穣・疫病退散を祈り、繰り広げ               られた伝統行事の中継は貴重でお水取りの意義や易しい解説は非常に役立ちました。

悔過(けか)とは誤りを悔い改めることを意味しています。

本ブログでは修二会(しゅにえ)の全体像を上記番組および奈良国立博物館の特別陳列

「お水取り」2015年3月1日~3月14日(資料1)を参照して纏めてみました。

出演者



東大寺長老 森本公誠さん(過去28回 参籠を経験 東大寺218世別当)
ゲスト:夢枕獏さん、和田彩花さん
司会:阿部陽子アナ  ナレーションは諏訪部順一さん

懴悔童子として5人の方がTwitterで感想などを述べられました。

東大寺二月堂修二会概要説明

お水取りは正式には修二会(しゅにえ)と言います。
御本尊の十一面観音に罪過(ざいか)を懺悔(ざんげ)し、五穀豊穣、除災招福
を祈る悔過(けか)の法会です。

3月1日から14日にかけて心身を清めた11人の僧(練行衆)が参篭(さんろう)し、
体を投じて懺悔する「五体投地」などの儀式に臨みます。

もとは旧暦の2月1日から行われていました。
「二月に修する法会」という意味で修二会(しゅにえ)と呼ばれるようになりました。
法会は一般には正月に行われ修正会と呼ばれます。
修正会(しゅしょうえ)は平安時代中期以降は諸大寺で一般的に行なわれるようになった。
二月堂の名前もこのことに由来しています。

行中の3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、「お水取り」といって、若狭井(わかさい)
という井戸から観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。
また、この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、夜毎、大きな
松明(たいまつ)に火がともされる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも
呼ばれるようになった。

 

東大寺二月堂と周辺

上の写真はライトアップされた東大寺二月堂

 

上の写真はGoogle地図に修二会関連のお堂などを追記したものです。

 

上の写真は二月堂周辺の修二会関連施設 出典:資料1

上の写真は参籠宿所の平面図 出典:資料1

上の写真は二月堂内の配置図  赤はカメラのアングル

 

11名の練行衆

 修二会に参籠する練行衆は東大寺と末寺から11名が選ばれ、開山忌の12月16日に

 翌年の練行衆が発表されます。

 11名の練行衆は次の役目をするメンバーで構成されます。

  四職(ししき) 下記の4名

   和上(わじょう)  戒を司る

   大導師(だいどうし)法会執行の責任者

   咒師(しゅし)   密教作法を司る

   堂司(どうつかさ) 進行や事務的事柄を監督

  平衆(ひらしゅ) 四職以外の7名

          総(北)衆之一(衆之一) 北座衆の長であるとともに平衆の長
   南座衆之一(南衆)     南座(なんざ)衆の長
   北座衆之二(北二)     北座の次席
   南座衆之二(南二)     南座の次席
   中灯之一(中灯)      会中の記録役、かつては二人いた時代もある
   権処世界(権処)      処世界を補佐
   処世界(処世界)      堂内の掃除、準備等

練行衆に加えて童子(法会の雑事を担当)など28名を加え総勢39名により法会は進行
 
 
修二会行事次第
3月1日から3月15日までの行事が一覧表で纏められています。(下の表)
出典:資料1
 
六時の行法
 1)日中(にっちゅう)
 2)日没(にちもつ)
 3)初夜(しょや)
 4)半夜(はんや)
 5)後夜(ごや)
 6)晨朝(じんじょう)
 
五体投地(ごたいとうち)
「南無観(なむかん)」を唱え続ける「宝号」が終わりに近づくと、練行衆の一人が
 内陣から礼堂に進み出て「五体板」に右膝を激しく打ち付けます。
 上述の六時の行法の全てで五体投地が行われるので6回×14日で計84回実施。
 
 

2021年お水取りの日程

お松明
3月1日(月)~11日(木)   19時(10本)
3月12日(金)         19時30分(11本)
3月13日(土)         19時(10本)
3月14日(日)         18時30分(10本)
 
上の写真はお松明の場面
12日と14日以外は19時に大鐘が撞かれ、それを合図に「お松明」が始まります。
 

通常10本の「お松明」があがる。 ただ、12日だけは、全ての練行衆が上堂するので

11本の「お松明」があげられることになります。



走りの作法
3月5日(金)         24時30分(0時30分)
3月6日(土)         23時30分
3月7日(日)         23時30分
3月12日(金)        24時30分(0時30分)
3月13日(土)        23時
3月14日(日)        22時
 
走りは半夜の中で行われます。
 まず、7人の平衆が互為鈴で平衆の上役である四職を招き寄せるところから始まる。
 以下、四職入堂、発願、互為加持、四方加持、和上最上、次第最上、上座五体
 如来唄と続きクライマックスの走り五体へと進行していきます。
 次第最上のところで帳が上げられ内陣内の須弥壇を観ることが出来るようになり
 帳降ろせのの合図で走りの作法は終了します。
上の写真は走り五体の場面 2021年3月13日の23時40分頃
上の写真は下七日の須弥壇(2021-3-13 半夜 走り 走り五体)
須弥壇の中央には小観音の厨子が配置されています。
小観音(十一面観音)は秘仏で誰も見たことが無いはずであるが「類秘抄」【勧修寺
法務寛信(1084-1153)が保安4年(1123)に編纂した図集】に東大寺の小観音の絵が
収納されています。下の写真。
 
走りを始めたのは東大寺第一世別当、開山良弁の弟子実忠です。
 
上の写真は東大寺開山堂に祀られている実忠像(修二会の創始者)
番組では修二会の走りが開始された経緯について解説があった。
実忠が笠置寺に籠り修行している時に龍穴(こけつ)から異世界に飛び込んだ
上の写真は笠置寺の龍穴
 下記サイトに詳しい説明があります。
  院笠置0729 笠置寺 千手窟  東大寺・お水取り - アートプラス京めぐり (goo.ne.jp)
上の写真は異世界で天女が十一面観音の前で懴悔を行っている場面。
異世界は弥勒菩薩のおられる浄土、兜率天(とそつてん)であった。
実忠は人間の世界でも行いたいと天女に頼んだところ「異世界では一夜でも人間世界
では400年に相当し無理である」と天女が答えた。それに対し実忠は「ならば走って
行を行えば良い」と答えた。これが走りの作法が始まった由来である。
上の写真は十一面観音菩薩の最上の像を図示
 
  走りのキーワード
    大悲者  大いなる慈悲の者という意味で十一面観音のこと
    南無最上 十一面観音の一番上にある像に謹んで礼拝しますという意味

お水取り
3月12日(金)        25時30分(1時30分)
 
お水取りは若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする
「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。
実施場所は閼伽井屋。

達陀(だったん)
3月12日(金)        27時30分(3時30分)
3月13日(土)        25時(1時)
3月14日(日)        23時30分
 
達陀は後夜の最後、晨朝の前に行われます
達陀では堂司と平衆が八天(火天、水天、芥子(けし)、楊枝、太刀、鈴、錫杖、法螺)
となり、手に持つ呪物で道場を加持し、内陣正面から礼堂に向けて交互に走り出ながら
躍動的な所作を行う。中でも火天は達陀松明を抱えて内陣を廻り、法螺貝、錫杖、鈴の
音が響き渡る中、水天と向かい合いながら跳躍、最後は礼堂に向かい松明が投げ倒される。
上の写真は後夜 達陀 松明加持の場面
密教系寺院の修正会での鬼踊りとの共通性を感じた。
(火天と水天が鬼に相当)
 
 八天加持の後、松明点火松明加持へと進む
 インドの言葉で「ハッタ」の合図で火天は松明の炎を消し、直立させます
 
 
お松明の動画紹介
 
お松明 on 2021-3-1
東大寺二月堂「お水取り」
 
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イオンモール神戸南 インド・ネパール レストラン サフランでのランチ on 2021-3-29

2021年03月30日 14時05分00秒 | 神戸情報

2021年3月29日(月)、イオンモール神戸南にあるインド・ネパール レストラン 

サフランでランチを頂きましたので写真紹介します。初訪問です。

2020年9月14日にオープンしました。

インド・ネパール レストラン サフランの基本情報

住所:神戸市兵庫区中之島2丁目1−1 イオンモール神戸南 1F TEL:078-671-0390

料理ジャンル:インドネパール料理

営業時間:昼 11:00~15:00 夜17:00~21:00  

定休日:イオンモール神戸南に準ずる

英文表記:Indian & Nepali Restaurant Saffron

公式サイト:イオンモール神戸南公式ホームページ :: サフラン (kobeminami-aeonmall.com)

当日注文したのは奥様も私もAセット 750円(税込)です

カレー1種類、プレーンナン、サラダ、ソフトドリンク付き。

まず、サラダが出てきます。

上の写真は奥様が選択したベジタブルカレー 辛さは普通

上の写真は私が選択したチキンカレー 辛さ普通

カレーは、ベジタブルカレー、チキンカレー、キーマカレー、アルパラックから選択

辛さは、甘口、普通、中辛、辛口、激辛が選べます。

 

上の写真は2人ともソフトドリンクはホットコーヒーを選択

 

 

セットメニューは、

Aセット(750円)、カレーライス(750円)Bセット(850円)、Cセット(950円)

チーズナンセット(1,000円)、ダブルカレーライスセット(1,150円)下の写真

お子様セット(580円)、チトワンセット(1,250円)

タリセット(1,500円)、バターチキンセット(1,050円)

カップルセット(4,550円)、サフランセット(1,650円)下の写真

上の写真はSaffronバイキングセット 1,250円

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ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2021-3-18

2021年03月29日 05時00分21秒 | 神戸情報

2021年3月18日(木)、ゆず庵 神戸小束山店で頂いたランチを写真紹介します。
2017年5月30日に洋服の青山の隣に出来たお店です。


ゆず庵 神戸小束山店の基本情報

住所:神戸市垂水区多聞町字小束山868-1358  TEL:078-784-7011
料理ジャンル:寿司、しゃぶしゃぶ、串焼き
営業時間:11:00~24:00(最終入店22:00) 定休日:不定休
経営:洋服の青山を展開する青山商事100%出資の株式会社glab(2011年7月6日 設立)が
   展開するチェーン店

公式サイト(メニュー表も記載):http://www.shabu-yuzuan.jp/

地図は下記のブログに添付しています。(過去の訪問記も添付記載)
 ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on  2019-6-25

 

 

上の3枚の写真は奥様が注文した冬の松花堂ランチ 1,408円(税込)のメインとデザート

デザートは「いちごドラ焼き」と「いちごプリン」を選択

松花堂のメニューは春、夏、秋、冬の年4回メニュー替えがあります。

 

上の2枚の写真は私が注文した昼の膳 うどんすき膳1,078円(税込)

 

上の写真はランチのメニュー表

上の写真は「しゃぶしゃぶ」の食べ放題

上の写真はお店の外観

 

過去の訪問記

 ゆず庵 神戸子束山店でのランチ on 2020-12-1 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 ゆず庵 神戸子束山店でのランチ on 2020-7-16 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on 2020-1-15 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

 ゆず庵 神戸小束山店でのランチ on  2019-6-25 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

  上のブログには2019年6月25日以前の訪問記も記載

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土佐わら焼き 龍神丸 西神プレンティ店でのランチ on 2021-3-20

2021年03月29日 04時21分27秒 | 神戸情報
2021年3月20日、土佐わら焼き 龍神丸 西神プレンティ店でいただいたランチを

写真紹介します。

当日は神戸市埋蔵文化財センターで講演があり出かけていました。

龍神丸 西神中央店の基本情報

住所:神戸市西区糀谷5-2-3 プレンティ西神中央2番館2階 TEL:078-940-8288

営業時間:11:00~24:00  定休日:なし(無休)

オープン日:2016年12月5日

公式サイト:http://bec-fin.jp/ryujinmaru/news/526/

 

上の写真は奥様が注文した鯛釜めし 1,380円(税別)

上の写真は私が注文したAランチ 1,000円(税別)

感想:釜焚きのご飯は美味しかった。店が混雑していて時間がかかったので

   発掘速報の講演会の時間に間に合うかと心配であったがギリギリ間に合った。

上の写真は鯛釜飯が掲載されたメニュー表

上の写真はA定食(鰹と鰤+ブリ大根)が掲載されたメニュー表

 

過去の訪問記:

 土佐わら焼き 龍神丸 西神プレンティ店でのランチ on 2020-5-27 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 土佐わら焼き 龍神丸 西神プレンティ店でのランチ on 2019-8-24 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 三宮のオーパ2の9階にある姉妹店への訪問記

 土佐わら焼き 龍神丸 神戸三宮店でのランチ on 2019-11-22 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

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東京五輪 聖火リレースタート on 2021-3-25

2021年03月28日 15時07分23秒 | 神奈川県情報

憶えメモとしてブログとしました。

新型コロナウイルスの感染拡大による影響で、1年延長された東京オリンピックの

聖火リレーが、2021年3月25日、福島県のJヴィレッジからスタートしました。

挨拶に立った橋本会長は 「日本と世界の皆さんの希望が詰まった大きな光となって

国立競技場に到着することを祈念する」と述べた。

小池東京都知事は 「安全に全国を回りコロナ禍からの持続的な回復の一歩に

つながると確信している」と述べた。

上の写真は最初の式典の出席者

上の写真、昨年(2020年)3月20日、宮城県東松島の自衛隊基地に到着した聖火

上の写真は点火式

上の写真はサンドウィッチマンの挨拶

上の写真は石原さとみさんの挨拶

 

 

 第一走者は、2011年のサッカー女子ワールドカップで優勝した、「なでしこジャパン」

の当時のメンバーらが務めました。(下の2枚の写真)

聖火は7月23日まで121日かけ1万人がつなぎます。

 

Youtube動画にGooで共有させていただきました。

東京五輪 聖火リレー スタート(2021年3月25日)

東京2020オリンピック聖火リレーが福島県でグランドスタート!

 

兵庫県には5月23日、24日に日程が組まれています。ルートは下の2枚の写真

神戸市は5月24日のスタートとなります。

 

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兵庫津 浜本陣

2021年03月28日 06時40分04秒 | 神戸情報

兵庫津の浜本陣について調べてみました。Wikipediaによれば

浜本陣(はまほんじん)とは、江戸時代の摂津兵庫津(現在の神戸市兵庫区)
において西国諸藩の宿泊施設として用いられた大商人の邸宅をいう。

以下もWikipediaより(一部加筆)
兵庫においても他国同様、西国街道沿いに宿駅制に基づく兵庫宿本陣が整備されていたが、
浜本陣とはそれとは別に西国大名と個々に結びつき、諸藩の米をはじめとする
産物の販売や藩の用達を引き受けていた問屋業者であり、領国と大阪の間を海路移動する
関係大名の参勤交代にあたっては、その邸宅を宿泊や休息に提供した。
兵庫津は自身が古くからの商業港(大輪田泊)であるとともに、大阪入港に際して
風待ち・潮待ちをする港でもあったためである。兵庫城の南一帯を南浜といい、
それらの商人宅の多くがあったため宿駅本陣(宿本陣)に対し浜本陣と呼ばれた。
これらの浜本陣は、朝鮮通信使来朝の際にも宿所として用いられた。[1]

浜本陣は時代により増減はあるが、幕末には福岡・松江・秋月・山口・宇和島・津
などの藩が利用した繪屋右近右衛門、薩摩藩の小豆屋助右衛門、
佐賀藩の肥前屋粘右衛門、松山藩の網屋佐左衛門、久留米・府内藩の壺屋七左衛門、
岡山・高松藩の網屋新九郎、杵築・延岡藩の網屋左右衛門、
臼杵藩の網屋三太夫、熊本藩の網屋惣兵衛の九軒があった。[2]

浜本陣の遺構は全く現存しない。近年までは唯一の遺構として内陸部の同区会下山町に
移築された旧薩摩藩浜本陣・小豆屋の門があり、発行年の古い書籍などに
この記述がある場合があるが、これも老朽化により平成4年に解体された。


 [1] 兵庫津岡方惣会所史料『朝鮮信使来朝帰帆官録』
 [2]『新版 兵庫県の歴史散歩 上』山川出版社 136頁

上に書かかれているように兵庫津には幕末期に9つの浜本陣がありました。

上の写真は宝暦14年(1764)の寄港時の兵庫津のおける朝鮮通信使宿舎の
割り当て図です。

その中に網屋惣兵衛の浜本陣を除く8つの浜本陣(橙色でマーク)を示しています。

朝鮮通信使の一回の使節の人数は、400~500人で平均人数は450人、そのうちの
100人(水夫)は大阪に留まり、350人が江戸に行きました。

朝鮮の釜山を出発してから、江戸に着くまでに、4ヶ月~半年かかっています。

朝鮮通信使の宿泊などの話題については下記ブログで詳述しています。

 朝鮮通信使と兵庫津 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

450人の使節を兵庫津では浜本陣を中心に宿本陣(神明町にあった井筒屋又兵衛)、

旅籠屋、一般民家などに応援を求め分宿した。

18世紀終わり頃の網屋惣兵衛家の記録によれば、細川氏が参勤交代での人数は

毎回650人を超えたそうです。

上の写真は元禄絵図の部分図で赤字で囲った部分が最初に示した部分です。

 

上記した9つの浜本陣のうち、古くから藩との特別な関係があったと言われるのは

 繪屋右近右衛門(福岡 黒田氏52万石)

 網屋惣兵衛(肥後 細川氏54万石)

 網屋新九郎

以上の三家で、島原の乱(1637-1638)の頃から藩主宿泊や藩米取り扱いに当たった。

少し遅れて

 肥前屋粘右衛門(佐賀藩専属)

 小豆屋助右衛門(薩摩藩専属)があり

合わせてこれら五家は由緒本陣とも呼ばれています。

 

浜本陣に関していくつかのエピソードを紹介します。

エピソード1

 寛永14年(1637)6月23日夜、岡山藩主池田光政を乗せた参勤交代の帰り船が、

 兵庫沖で暴風雨に遭いました。この時、兵庫津の船宿だった網屋新九郎という者が

 和田岬から浜手一帯で松明を次々に焚いて目印を作ったので、乗組員たちはそれを

 頼りに港に漕ぎ着き、九死に一生を得ました。藩主は、直ちに網屋の店に着かれ

 宿泊されました。それ以来、この網屋は代々、岡山藩の浜本陣となりました。

エピソード2

 幕末、風雲急を告げる世相に、倒幕運動ののリーダー西郷隆盛がイギリス公使館員

 アーネスト・サトーと兵庫開港問題について膝を付き合わせて会談したのは、浜本陣

 も終末近い慶応2年(1866)12月、小豆屋(小豆屋助右衛門)でのことでした。

エピソード3(トピックス)

 兵庫津ミュージアム(仮称)の建設に伴い、兵庫県まちづくり技術センター

 埋蔵文化財調査部は昨年9月14日~12月18日に発掘調査を行いました。

 担当者は野田優人氏。

 網屋吉右衛門の浜本陣跡が発掘調査されました。

上の写真は発掘現場 イオンモール神戸南の駐車場の南側 撮影:2021-3-26

発掘調査の概要について下記ブログで書いています。

 兵庫津遺跡発掘調査現地説明会 on 2020-11-13&2020-11-14 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

上の写真は発掘現場の概要 下の方に本陣と書かれている場所が網屋吉右衛門の浜本陣跡

出典:兵庫県立考古博物館 令和2年度発掘調査速報会(2021-3-7開催)配布資料

上の2枚の写真は浜本陣(網屋吉右衛門家)で発掘された石組み遺構

出典:兵庫県立考古博物館編「ひょうごの遺跡」103号(2021年3月)Page6

浜本陣跡からは石組遺構が10基以上見つかっています。石組遺構とは貯蔵施設と

推定されているものです。通常の町屋では石組遺構が無いもの多く、あっても

1~2基程度で浜本陣と町屋の経済格差を示す象徴的なものです。

天保3年(1832)の間取図をもとに神戸市が編集したものです。

上の写真は和田崎町にあった浜本陣の安田家(網屋惣兵衛)の間取り平面図です。

安田家は肥前の細川家と特別な関係を持ち、家臣と同様、扶持を与えられていました。

下記のサイトの第十六図版 兵庫津宿本陣平面図 、兵庫津浜本陣絵屋平面図があります。

 神戸市史. 附図 - 国立国会図書館デジタルコレクション (ndl.go.jp)

 

参考:成田謙吉 「兵庫津から神戸へ」歴史と神戸 112号 21巻3号(1982)

 

 

 

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イオンモール神戸南 かかしでのランチ on 2021-3-26

2021年03月27日 04時21分03秒 | 神戸情報

2021年3月26日、イオンモール神戸南の中にある「かかし」でランチを頂きました

ので写真紹介します。初めて入りました。

かかし 神戸南店の基本情報

住所:神戸市兵庫区中之島2丁目1−1イオンモール神戸南1階 TEL:078-599-6200

営業時間:平日 11:00~15:00 (ランチL.O. 14:30) 17:00~21:00(ディナーL.O. 20:00)

     土日祝 11:00~22:00(L.O. 21:00)

定休日:イオンモール神戸南に準ずる  オープン日:2018年2月26日

公式サイト:かかし (kakashi-pierthirty.net)

 

上の写真は奥様が選択した春日懐石 1,280円(税別)

釜飯は穴子

上の写真は私が選んだ鶏釜ごはんセット 980円(税別)

 

上の写真は春日懐石のメニュー表

麺は「うどん」か「そば」を選択できます。

上の写真は鶏釜ご飯セットが掲載のメニュー表

 

かご懐石 春日(1,280円)以外の籠懐石のメニューは下記のとおり

かご懐石 小町(1,080円)下の写真

かご懐石 式部(1,480円)




その他のメニュー表

本日の贅沢ランチ 1,080円(税別) 内容は下の写真のとおり

刺身・天ぷら膳 1,280円(税別) 内容は下の写真

釜飯関係

天ぷら鮭鮭いくら釜ご飯セット 1,230円(税別)、天ぷら穴子釜ご飯セット1,180円(税別)

鮭いくら釜ご飯セット 1,080円(税別)、穴子釜ご飯セット 1,030円(税別)など

上の写真は鯛漬け 1,280円(税別)

上の写真は選べる天ぷらセット980円(税別)など

上の2枚の写真はミニヒレかつ丼麺セット780円(税別)など丼のセットメニュー

上の写真は大海老天ざるセット 1,280円(税別) 寿司盛りセット 1,080円(税別)

上の写真は牛ヒレステーキ膳 1,380円(税別)などのメニュー表

上の写真はヒレかつ膳 1,180円(税別)ほかのメニュー表

上の写真は松花堂セット 1,380円(税別)ほかのメニュー表

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漆山の日向さんの供養墓 on 2021-3-25

2021年03月26日 04時06分16秒 | 神戸情報

明石市の県自動車試験場を過ぎ、右手に進路をとり第二神明の大蔵谷ICに向かう

途中の道路東側にひっそりとした小さな祠があります。

「漆山の日向さん」と呼ばれているこの祠は明石城6代藩主の日向守松平信之を

祀る祠(供養墓)です。

2021年3月25日に「漆山の日向さん」の祠の写真を撮ってきましたので紹介します。

「漆山の日向さん」の祠

上の2枚の写真は「漆山の日向さん」の松平信之供養碑の全景 撮影:2021-3-25

設置場所:神戸市西区伊川谷町有瀬762付近

上の写真は正面の拡大 松平日向守の戒名「長昌院殿従四位江月圓覺大居士」と

刻まれています。

供養墓は平成6年(1994)に同じ字体で再建され、翌年の阪神淡路大震災で被害を

受けたため復旧されたもので、300余年を経た古い塔は地下に埋蔵されています。

上の写真は裏面で「建立者 徳左エ門」と刻まれています。

上の写真は右側面で「貞享三丙寅天」と刻まれています。

上の写真は左側面で「仲秋中有二日」と刻まれています。

正しくは「仲秋中廿二日」と思います。

 【解説】
 貞享三年=1686年  丙寅(ひのえとら)の7月22日に松平信之は卒しています。
 仲秋中廿二日にしているのは7月22日に死去していますが江戸で火葬して下総古河の
 板間村に葬ったのが8月22日であるので古河藩の正式発表がこの日(8月22日)で
 あったためそのような表現となったと推定されます。

 

松平日向守信之の功績

17世紀中頃1659年より約20年間明石藩主であった松平日向守信之は、
積極的に新田開発を行った。大蔵谷、鳥羽新田、東野新田(現大久保森田)、
浜西村(魚住町浜西)、伊川谷の脇新田(吹上)、明石林崎村小久保、玉津村
水谷、永井(旧長井)、漆山、生田(旧田代)、垂水新田などを開発した。
また街道に松並木を植え防風林としたことや西区岩岡町で煙草栽培
(赤坂煙草)も奨励しました。

漆山の語源となる漆の木植えることを奨励したのも松平信之の功績です。

その威徳から村人から「日向さん」と慕われ、隣接する神出町同様「日向さん」
に関する伝承が多く残っています。

伊川谷掘割

寛文11年(1671)、生田村庄屋源左衛門と年寄三良兵衛が主となって伊川谷掘割を

開いた。旧明石郡伊川谷村前開の石堂神社の堰から同村の小寺、長坂、別府、生田

を経て太寺に到る3,092間(約5.6Km)の掘割である。この用水路の完成により伊川谷

の潤和、有瀬、太寺等の約45町歩の農地を潤した。

漆山付近もこの掘割によって灌漑された。

 

 

松平日向守信之の年譜
松平日向守信之は寛永8年(1631)父:松平山城守忠国と母:戸田氏鉄の娘との
間に次男として生まれました。長男の松平信久が早死したため嫡子となった。
父の松平山城守忠国は慶安2年(1649)に播磨明石城7万石転封され藤井松平家
初代の明石城主となりました。


以下6代藩主松平日向守信之について年譜を記載します。
慶安2年(1649) 信之(19歳):将軍家初見
承応2(1653)   従五位下日向守に任ぜられる。信之(23歳)
万治2年(1659) 父松平忠国が死去し信之が明石城主(6代目)を継承する。信之(29歳)
延宝7(1679)  大和郡山城8万石に転封。1685年まで
貞享2年(1685) 6月老中職となる 下総古河城9万石に転封。
貞享3年(1686) 旧暦7月22日(現在の暦で9月9日)老中在職中(9万石)に
         古河城(下総)で死去・・・享年56歳。 

         戒名:長昌院殿従四位江月圓覚大居士

現地説明板

上の写真は2016年8月に漆山日向さん保存会により設置された現地説明板

読み難いので左、中、右を拡大したものを添付しておきます。

上の写真は現地説明板、左面の拡大版です。

上の写真は現地説明板、中面の拡大版です。

上の写真は現地説明板、右面の拡大版です。

歴代明石城城主

明石城の築城は元和4年(1618)で初代城主は小笠原忠真。
この頃船上城から現在の明石城の位置に築城されました。
2代目城主は松平庸直(1633-1634)
3代目城主は松平光重(1634-1639)
4代目城主は大久保 忠職(1639-1649)
5代目城主は松平山城守忠国(1649-1659)

6代目城主は松平日向守忠之(1659-1679)

7代目城主は本多政利(1679-1682) 6万石
8代目城主は松平直明(1682-1701)
 明石藩主8代目松平直明公から15代松平斎宣公までの歴代の
 城主とその夫人、子供など約60基の御廟所となっている松厳山長寿院を
 紹介した小生のBlog(明石長寿院)へのリンク

9代目城主は松平直常(1701-1743)
10代目城主は松平直純(1743-1764)
11代目城主は松平直秦(1764-1784)
12代目城主は松平直之(1784-1786)
13代目城主は松平直周(1786-1816)
14代目城主は松平斉昭(1816-1840)
15代目城主は松平斉宣(1840-1844)8万石
 松平斉宣(なりこと)は徳川将軍家斉の25男で養子に来て明石城主となった
 養子に迎える見返りに2万石加増された。

16代目城主は松平慶憲(1844-1869)
 松平慶憲(よしのり)の時代、鳥羽伏見の戦い(1868)で山陽鎮撫使
(さんようちんぶし)が通過する際、それまで佐幕の方針を貫いてきた
 明石藩であったが藩の存続のため恭順した。
 江戸の明石藩邸にいた大目付の津田柳雪は脱藩し松石隊を結成彰義隊に加勢
 明治4年(1871)5月10日の上野戦争に加わった。
 上野戦争で松石隊は津田柳雪の子芳之助ら7人が戦死し壊滅。

17代目城主は松平直致(1869-1869)
   
松平 直致(まつだいら なおむね、嘉永2年8月4日(1849年9月20日) -
明治17年(1884年)6月28日)は明治2年(1869年)慶憲の隠居に伴い家督を
相続する。同年6月版籍奉還で知藩事となる。この年、鎮姫と婚姻する。

明治4年7月14日(1871年8月29日)、廃藩置県により明石県が置かれ、知藩事職を
免官となる。東京へ移住する。その後、11月2日(12月13日)に明石県は姫路県
に併合され、1週間後に姫路県は飾磨県と改称された。
明治6年(1873)廃城令により門や櫓
明治17年(1884年)に病没し、弟の直徳が家督を継いだ。

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神戸の桜 近畿で最も遅い開花宣言 on 2021-3-24

2021年03月25日 06時35分46秒 | 神戸情報

神戸地方気象台は昨日(2021年3月24日)、神戸市内で桜(ソメイヨシノ)が

開花したと開花宣言をしました。

近畿地方では最も遅い開花宣言となりました。

(京都より8日、大阪より5日遅れた開花宣言)

神戸市灘区の王子公園内の標本木で開花の基準以上の花が咲いているのを24日午前

気象台の職員が確認しました。

昨年の3月26日、開花宣言より2日早い開花宣言となりました。平年より4日早い開花宣言。

日本の七十二候 第十一候 「桜始めて開く」3月25日~29日

 今年の桜の開花時期は例年より早く、観測史上、最も早いとのニュースが伝えられて

 います。

 

写真が無いと寂しいので桜の写真を添付して筆を置きます。

上の写真は神戸市営地下鉄名谷駅前のメイン道路に咲く桜(ソメイヨシノ)

撮影:2021-3-22

 

 

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神戸市垂水区、和料理「と魚」でのランチ on 2021-3-15

2021年03月25日 03時52分19秒 | 神戸情報

2021年3月15日(月)、和料理 「 と魚 (とと)」でランチを頂きましたので

写真紹介します。今回で5回目の訪問です。英文名:TOTO

女性客が多い人気店です。

和料理 と魚(TO TO)の基本情報

住所:神戸市垂水区日向1-5-1 レバンテ垂水2番館 1F TEL:050-5595-1779

料理ジャンル:和食

営業時間:昼11:30~14:00 夜17:00~22:00 定休日:日曜日

  但しコロナの期間は20:00又は21:00までの営業

公式サイト:http://nagomi-toto.blog.jp/

当日注文したのは奥様も私も同じ「本日の日替わり膳」 1,200円(税別)です。

上の写真は奥様が選んだメイン「かきフライ」

上の写真は私が選択したメインの「おでん」

上の写真はお店の前の看板 日替わり御膳(お寿司の日)のメインの案内

まず、前菜が出てきます(上の写真)

上の写真は次に出てくる茶碗蒸し

上の2枚の写真は本日のお寿司と味噌汁

上の写真はお店の外観

上の2枚の写真は営業時間短縮の案内(コロナ対応)

上の写真はお昼の定食関係メニュー表

 

過去の訪問記:

 神戸市垂水区、和料理「と魚」でのランチ on 2021-1-21 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 和料理「 と魚 (とと)」でのランチ on 2020-5-28 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 和料理「 と魚 (とと)」でのランチ on 2019-4-12 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 和料理 と魚 (とと)でのランチ on 2018-11-21 - CHIKU-CHANの神戸・岩国情報(散策とグルメ) (goo.ne.jp)

 

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