ひろば 研究室別室

川崎から、徒然なるままに。 行政法、租税法、財政法、政治、経済、鉄道などを論じ、ジャズ、クラシック、街歩きを愛する。

伊豆箱根鉄道5000系 その1

2024年05月15日 00時00分00秒 | 写真

 神奈川県西部を代表するのが小田原市で、その中心駅である小田原駅にはJR東海の東海道新幹線、JR東日本の東海道本線、小田急電鉄の小田原線、箱根登山鉄道の鉄道線、そして伊豆箱根鉄道の大雄山線が集まっています。私は、このうちの大雄山線のみ利用したことがなかったので、ゴールデンウィーク中に小田原駅に向かいました。

 小田原駅東口から、JRや小田急の乗り場から少し離れた所にある大雄山線の乗り場に向かいます。私が常用するPASMOやSUICAも使えますし、自動改札機も備えられています。ホームに、大雄山行きの5000系が停車していました。小田原方の先頭車がクハ5505、大雄山方の先頭車がクモハ5009で、中間にモハ5010を連結しています。編成によって色が異なっており、この3両編成の色はパステルグリーンというべきものです。

 正面の行先表示が、左側が大雄山、右側が小田原となっています。これはバイナリー・ヘッドマークと言われるもので、行先を示す際に裏からの照明で明るくするものです。大雄山線の場合、下りは全て大雄山行き、上りは全て小田原行きであり、その他の行先がないので、このような装置が取り付けられています。上の写真では両方の行先が見えますが、左側の字が明るくなっています。これで大雄山行きとわかる訳です。

 5000系は1984年に製造が開始された系列で、全車両が東急車輌製造(当時)で製造されており、大雄山線に所属しています。この電車が登場するまでの大雄山線は、旧国鉄、西武鉄道、相模鉄道などから譲渡された、しかも大本をたどると戦前の鉄道省時代に製造された吊り掛け駆動の旧型車ばかりで(そうでない車両もあったかもしれませんが、吊り掛け駆動車ばかりであったことに変わりはありません)、伊豆箱根鉄道の本線級である駿豆線と比べても見劣りのするものでした(この状況には弘南鉄道大鰐線と共通する部分があります)。

 さすがに老朽化は隠せませんし、置き換えは必須でした。そこで、駿豆線用の3000系を基にした車両が製造されることとなりました。それが5000系です。現在、大雄山線の営業用車両は5000系に統一されています。

 3000系がベースになっているものの、5000系には3000系との違いもあります。

 大雄山線の緑町駅のそばにはかなりの急カーブがあります。そのため、駿豆線と同様の20m車は入線できません。これが、大雄山線で戦前に製造された車両が多かった理由にもなっています。鶴見線で走っていたクモハ12形、南武線浜川崎支線で走っていたクモハ11およびクハ16は17m車でした。このサイズか18m車でなければならなかったのです。そこで、5000系は18m車となりました。また、車体の幅も3000系より狭くなっています。

 終点の大雄山駅に到着しました。左側が、私が乗ったクモハ5009+モハ5010+クハ5505の編成で、右側が構内に留置されているクモハ5007+モハ5008+クハ5504の編成です。この駅の構内に車庫および大雄山線運転区があります。

 なお、大雄山線ではワンマン運転が行われていません。全列車に運転士および車掌が乗務します。これはかなり立派なことでしょう。最近では大手私鉄でもワンマン運転が増えています。最近では東急東横線でもワンマン運転が実施されているくらいです。乗務員の成り手不足が全国的に問題となっていますが、伊豆箱根鉄道には頑張ってほしいものです。


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