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非正規雇用の独身女性は「半数が貧困状態」 行政が見落とす、支援すべき存在

2015-12-04 21:54:25 | 労働 

 http://wotopi.jp/archives/30837より転載

  • 非正規雇用の独身女性は「半数が貧困状態」 行政が見落とす、支援すべき存在
非正規雇用の独身女性は「半数が貧困状態」 行政が見落とす、支援すべき存在
 
非正規シングル女性への調査担当者インタビュー

 

非正規雇用の独身女性は「半数が貧困状態」 行政が見落とす、支援すべき存在

2015/12/03

非正規雇用の女性は増加の一途を辿っている。総務省統計局「労働力調査」によると、2014年には働く女性全体の非正規雇用率が過去最高の56.7%を記録した。「非正規職女性=パート主婦」と連想されがちだが、実はこの10年で、結婚をしていない「シングル女性」の割合が2倍に増えているという。

そうしたなか、横浜市男女共同参画推進協会と大阪市男女共同参画のまち創生協会、福岡女子大学の野依智子教授らが、今年10月、非正規職で働くシングル女性の社会的支援に向けて、35歳から54歳の非正規シングル女性を対象にWEBのアンケート調査を実施、261名から有効回答を得たという。今後、グループインタビューなどを経て、来年1月以降に回答を発表し、2016年2月6日に報告会を予定している。非正規シングル女性に対象をしぼった調査を実施した背景について、調査を担当する植野ルナさんに話をうかがった。

非正規シングル女性の半数は貧困状態

――この度、非正規シングル女性の実態調査を行われた背景について教えてください。

植野ルナさん(以下、植野):横浜市男女共同参画推進協会では、これまでも女性の就労支援のために様々な講座などを実施してきました。当協会が設立された1988年頃は女性の再就職に力を入れており、その後、働き続ける女性、育休からの復帰、若い無業女性など、色々な層に向けて支援をしてきたのですが、そのなかで非正規シングル女性の存在を知っていながらも、支援がないままでした。同じシングルでも、母子家庭の女性には支援があるのですが、子どもの有無によって支援が受けられるか、受けられないかが変わってくるんです。

行政のなかでも、非正規シングル女性の存在自体が、あまり見えていないと感じていました。私自身が就職氷河期世代で最初は非正規で就職したこともあり、非正規のまま結婚をせずに年齢を重ねた女性が、どのような状況に置かれるかを考えることも多かったのですが、“働く女性”の支援といったときに非正規シングル女性が対象層として想定されていないのは、変だなと思う部分がありました。ただ、どういう支援をしたらいいのか分からないということもあって、調査にいたったという経緯です。

――非正規シングル女性への支援の必要性は、どのようなところからお感じになられますか?

植野:労働政策研究・研修機構の調査によると、壮年期にあたる35歳から44歳の非正規シングル女性の半数は貧困状態にあるといわれています。これは若年層よりも高い比率です。非正規のままだとスキルを積めないので、給料が上がっていかず、より貧困になっていくというのが示されていると思います。その一方で、全国にある男女共同参画センターで非正規シングル女性の支援事業を探してみても、ほぼ皆無でした。今後非正規シングルの女性が増えていくことが予想できるなかで、何かしらの社会的支援が必要なのではないかと感じています。

意識の根底に「女性は結婚すれば養ってもらえる」

――非正規労働全体の問題について指摘されることはあっても、非正規シングル女性の抱える課題を明らかにしようという動きはこれまでありませんでしたよね。

植野:そうですね。公的な調査は行われていて、働く女性の非正規雇用の割合は毎年増え続けています。ただ、「なぜ非正規で働いているのか」という問いに対し、男性は「正規で働ける職場がなかったから」が回答の上位ですが、女性は「働ける時間を自由に選べるから」が1位になってくる。そうしたことからも、「女性は自分から望んで非正規で働いている」という印象を持たれがちなんですよね。ネット上の意見を見てみても、「パート主婦が大半なんだから問題ない」と書かれることも多いようです。

――なかには、非正規雇用を不本意だという女性も存在するはずですよね。

植野:ヒアリング調査やWEB調査では、「正社員として働ける会社がなかったから」という理由が最も多く、しかたなく非正規として働いているという声が多かったですね。なかには、正社員で働いていても過重労働で体を壊してしまったという人もいました。正社員として過重労働で体を壊すのか、非正規として給料が低いまま働くのか、究極の選択を迫られているように思います。

――女性は結婚して男性に養ってもらうから、非正規で給料が低くても問題ないという考え方が根底にあるのでしょうか。

植野:社会の中に、そのような考え方があると思います。でも、実際は結婚するかどうか分からないですよね。女性の10人に1人は結婚しないといわれていて、今後も未婚率は上がることが予想されています。「女性は結婚するだろう」「子どもを産むだろう」という想定で、世の中の仕組みができてしまっていて、「女性は正規雇用でなくてもよい」「給料が低くても問題ない」とされがちです。それで上手く回っていた時代はあったのかもしれません。しかし、その結果として、非正規職シングル女性がセーフティネットからこぼれ落ちているように思います。

 

【後編はこちら】非正規の独身女性「親が死んだら暮らしていけない」 調査で判明した彼女たちの不安

 

■関連リンク
非正規職シングル女子のしごとと暮らしの研究

末吉陽子

 

 

 


シリア空爆地図 /焦点:シリア内戦の見えない出口、「代理戦争」激化も

2015-12-04 21:37:13 | IS  中東

トムソン・ロイター

http://jp.reuters.com/article/analysis-syria-proxy-war-idJPKBN0TJ0DO20151130より転載

International 2015年 12月 1日 08:03 JST

焦点:シリア内戦の見えない出口、「代理戦争」激化も

 

[ベイルート 26日 ロイター] - 外交的な動きが活発化するのに伴い、シリアの内戦も激化している。だが、外国による軍事介入強化も、復活した政治的協議も、4年半に及ぶ内戦を終結させる力はなさそうだ。

ロシアイランなどアサド政権の主な同盟国と、反体制派を支援するサウジアラビア、トルコ、そして米国との代理戦争がますます激化するリスクが生じている。

トルコによるロシア軍機撃墜は緊張を高め、シリア問題の解決を目指してウィーンで会合が重ねられている国連支援の政治プロセスを複雑にしている。同プロセスはすでに大きな難題に直面していた。

──関連コラム:緊迫するロシアとトルコ、「第3次大戦」防ぐ処方箋

軍事的に見ると、約2カ月にわたるロシアの空爆と、イラン部隊やレバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」の支援を受けた地上戦で、アサド政権側はシリア西部の支配を強化。ロシアの支援を受ける政権側の部隊は、トルコ国境付近のシリア北西部ラタキアとアレッポで勢力を拡大。だが、勝利はアサド大統領側に決定的に傾いたわけではない。

反体制派は一方で、外国から新たに軍事支援を受けている。特にサウジアラビアから米国製の対戦車ミサイルTOWを増強しており、一部の地域で攻撃を食い止めるのに役立っている。

シリアで何が起こっているか

シリアで何が起こっているか


このようなミサイルが、パイロット救出に向かったロシアのヘリコプターを撃墜するのを彼らは目の当たりにした。シリア内戦の国際的な側面を捉えた瞬間だった。シリア政府軍の関係筋はロイターに対し、こうした武器は広く使用されており、戦闘に影響を与えていると語った。

一方、過激派組織「イスラム国」によるパリ同時多発攻撃とロシア旅客機墜落事件は、シリアでの内戦に新たな次元の戦いをもたらした。同国東部で支配を広げるイスラム国との戦いだ。

フランスとロシアから報復空爆を受け、イスラム国は劣勢に立たされている。最近では、米国が支援するクルド人やアラブ人武装勢力、シリア政府軍、そして政府とイスラム国の両方と戦う反政府勢力にも押されていた。

そうとはいえ、シリアでイスラム国掃討に関わるアサド大統領の敵も味方も、その見通しは不透明なように見える。オバマ米大統領は24日、ロシアが掃討作戦に加わることを歓迎するとしたうえで、空爆の対象を反体制派からイスラム国に変える必要があると語った。一方、ロシアはイスラム国を標的にしていると明言している。

シリア問題を解決するにあたり、アサド政権を退陣させるかどうかについて、米国・サウジ側と、イランロシア側との間には基本的な相違がある。このことが恐らく、ウィーンでの政治プロセスを台無しにするリスクがある。

──関連記事:対ISで「不可欠な国」に、プーチン流政治の落とし穴

<ラタキアの戦い>

「これまでのところ、ロシアの介入強化は実際の軍事的インパクトよりも、政治的な影響の方が大きい」と、国際危機グループのシニアアナリスト、ノア・ボンジー氏はウィーンでの協議についてこのように指摘。

「内戦の解決に向けて、大きな進展が実際に見られると楽観できる理由はあまりない。だが少なくとも、皆が再び話し合いの場に戻ってきた。最も重要なのは、長い間放置されていた反体制派内部の問題を解決する理由を、反体制派とその支援国に与えているということだ」とボンジー氏は述べた。

シリアの内戦はまもなく6年目に突入する。これまでに約25万人が犠牲となり、国民の半数以上が家を追われた。内戦を逃れた多くのシリア人が難民として欧州に押し寄せ、危機を引き起こしている。

軍事的には、ロシアが支援する部隊は主に、アサド政権の生き残りに不可欠なシリア西部に集中している。同地域ではイスラム国はほとんど存在していない。

反体制派の反撃に遭ったものの、アサド政権側にとって最も顕著な前進は、北西部ラタキアとアレッポ南部においてだろう。政権側は、首都ダマスカスとアレッポを結ぶ主要幹線道路を反体制派から奪還しようとしている。

政権側はまた、アレッポ東部でもイスラム国から空軍基地を奪還するなど著しい挽回を見せている。さらに中西部ホムスでも村々を取り返している。

しかしホムスのやや北方にあるハマでは、対戦車ミサイルTOWを十分に装備する反体制派が進撃を続けている。南北を貫く幹線道路上の町を占拠し、戦略的要衝のガーブ平原で攻撃を食い止めている。

「この2、3週間で、ロシアによる空爆は結果を見せ始めている。特にアレッポ南部とラタキアで明らかだ」と、非政府組織「シリア人権監視団」を率いるラミ・アブドゥルラーマン氏は語った。

ロシア軍機が墜落したラタキアの奥地では、政権側が最近いくつかの丘を制圧し、反体制派による周辺地域の支配を脅かしていると、ロイターが接触した反体制派グループ「アーラー・アル・シャム」のメンバーは話した。

プーチン氏の夢>

シリア政府軍の関係筋によれば、現在までの成果には反体制派の司令部や指揮系統、後方支援拠点の破壊が含まれる。進撃のペースは奪還した地域を守るほどには重要ではないという。

だが攻撃を受け、より連携するようになった反体制派は、ハマでの成功にも勇気づけられて自信に満ちた挑戦的な態度を強めている。彼らの目には、アサド大統領が同盟国を頼る姿は弱さの証しと映る。

「夢を見る権利は誰にでもある。プーチン氏の場合はシリアで革命が起きないようにすることだ。だが、それは夢にすぎない」と、反体制派「自由シリア軍(FSA)」を率いるジャミル・サレハ氏は話した。

また、別の反体制派グループ幹部も、ロシアの介入によって士気が高まり、反体制派同士の結束も強くなったと述べた。

前出の国際危機グループのボンジー氏は「政権の最重要事項から言えば、ISとも戦う反体制派グループとの戦いは、しょせん寄せ集めにすぎない。パワーバランスが根本的に変化したと言えるようなことは何もない」と指摘した。

 

(原文:Tom Perry記者 Suleiman Al-Khalidi記者、翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)

 

 

 

 


映画「杉原千畝」12/5公開~ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(8) 次なる舞台

2015-12-04 20:40:09 | ご案内

 
映画『杉原千畝 スギハラチウネ』公式サイト

あなたは、本当の杉原千畝を知っていますか? 戦後70年の時を経て、“真実の物語”が感動超大作としてスクリーンに蘇る!12.5ROADSHOW
sugihara-chiune.jp|作成: 東宝
 
 
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 署名サイト ACTIONなう!http://action-now.jp/archives/2855より転載

ユダヤ人を救った「日本のシンドラー」杉原千畝物語(8)杉原の次なる舞台

「日本のシンドラー」次なる舞台は?

ベルリンへ向かう列車の出発を待つホームで、助けを求めて追いすがるユダヤ人たちに断腸の思いで伝えた別れ。

「もっと多くの人を救えたのではないか…」

やり場のない感情を抱え、リトアニアを後にした杉原千畝を待っていた運命とは?

 

「命のビザ」発給の舞台、リトアニアを退去後の杉原

後ろ髪を引かれる思いでリトアニアを退去した杉原は、外務省からの辞令に従いドイツの首都ベルリンを訪れた後、1940年(昭和15年)にチェコスロバキアの在プラハ日本総領事館に領事代理として赴任。

そして1941年(昭和16年)3月にはドイツ東プロイセン州の在ケーニヒスベルク総領事館に領事代理として赴任した。

しかし、亡命ポーランド政府の情報将校たちによる全ヨーロッパ規模の諜報ネットワークの構築に関係したとして、東プロイセンの大管区の長官だったエーリヒ・コッホによりケーニヒスベルクからの即刻退去を命じられる。

後にウクライナのユダヤ人虐殺者、美術品略奪者として悪名を馳せるコッホは、大量のビザ発給でユダヤ人の逃亡を助けた杉原に赴任当初から強い反感を持っていたのだ。

 

ポーランドと日本の関係

亡命ポーランド政府の諜報活動に協力したとして短期間でケーニヒスベルクを追われた杉原だが、そもそも日本とポーランドとの間にはどのような関係があったのか?

ポーランドはロシア、ドイツ(プロイセン)、オーストリアというヨーロッパの三大列強に囲まれた地理的要因もあり、歴史上何度も他国の侵略を受けている。
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18世紀には1772年、1793年、1795年の三度にわたってこれら3カ国による領土分割を受けており、ついに三度目の分割でポーランドの領土は完全に併合し尽くされ、国家が消滅するという悲劇に見舞われているのだ。

このように長い間屈従の歴史に虐げられてきたポーランド人は、自らを支配するロシアに対して積年の恨みを募らせていた。

 

そんな折、日露戦争が勃発。

日本は当時世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を海戦史上最も完全に近い勝利ともいうべき日本海海戦において全滅させ、ポーランド独立の足がかりを作った歓迎すべき国であり、また、ロシアの圧政に苦しむポーランドに武器や資金を援助してくれた救世主でもあったのだ。

また、1918年にポーランドがロシア帝国からの独立を宣言した際、ポーランドを国家として最初に承認したのも日本だった。

そしてもう一つ、ポーランド人の心に深く刻まれている出来事がある。

ロシア革命の内戦中にシベリアに抑留されていたポーランド人孤児765人を、1920年(大正9年)と、1922年(大正11年)の2回にわたって日本が救出したのだ。 

そもそもなぜシベリアの地にポーランド人がいたのか? 

実は、領土分割で国家が消滅して以来、ロシア領となった地域で独立のために立ち上がったポーランド人たちがシベリアに流刑にされており、第一次世界大戦までにその数はおよそ5万人余りとなっていた。 

さらに第一次世界大戦ではポーランドはドイツ軍とロシア軍が戦う主戦場となったことから、両軍に追い立てられる形で流民となった人々がシベリアに流れ込んでいったのだ。 

そのためシベリアにいるポーランド人の数は15万人から20万人にまで膨れあがっていたといわれている。

さらにそこに追い打ちをかけるように起きたのがロシア革命、さらにその後の内戦。

この度重なる戦火の中で、シベリアのポーランド人たちは食料も医薬品もない中で、餓死、病死、凍死に見舞われるなど、凄惨な生き地獄に追い込まれていった。

このあまりに悲劇的な状況を見かねたウラジオストク在住のポーランド人たちが1919年に「ポーランド救済委員会」を設立し、アメリカをはじめ欧米諸国に働きかけ、ポーランド孤児たちの窮状を救ってくれるよう懇願するも、その試みはことごとく失敗。

最後の頼みの綱として彼らがすがったのが日本だった。

当時の日本政府は救出要請の訴えを聞き、わずか17日後には救いの手を差し伸べることを決断。大変な費用と手間が必要であったにもかかわらず、これは驚くべき即断といえる。

 

救済活動の中心を担ったのは日本赤十字社だった。

日本赤十字社

日本に到着直後の孤児たちはチフスを患い、頭にはシラミ、餓死寸前の子もいるという最悪の健康状態だったが、看護師たちの懸命な看護により元気を取り戻し、2年後、1人も欠けることなくポーランドに戻り、終生その体験を語り継いだという。

 

このようにして日本とポーランドは極めて良好な関係となり、第1次世界大戦後、独立を回復したポーランドは、日本に対して情報戦に不可欠の暗号化技術の基礎とソ連情報を提供してくれたのである。

ポーランドのおかげで日本の暗号化技術は国際水準に達したともいわれている

 

杉原千畝がリトアニアに派遣された真の理由とは?

こういった経緯を経て日本とポーランドは共通の敵であるロシアに対抗するため、以後も友好関係をあたためてきた。

しかし、両国の良好な関係を一変させる出来事が起こる。

第二次世界大戦の開戦である。

1939年9月ドイツ軍のポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発すると、ソ連軍の侵入を受けたポーランドは独立から20年余りで再び分割支配されることとなり、国を追われた政府首脳は国外に逃れ、ロンドンに亡命政府を樹立し、国内の抵抗運動を指揮した。

日本との関係においては、日本が日独伊三国同盟に加入し米英に宣戦布告したことで、ロンドンにあったポーランド亡命政府とは自動的に敵対関係となってしまった。

しかし形式的には交戦国となった両国だが、諜報活動の協力関係は水面下で密かに続けられていた。

日本は防共協定を結んだばかりのドイツが日本の仮想敵国であるソ連と不可侵条約を結び、協定を事実上白紙化したことに強い不信感を抱いており、ドイツとソ連に関する情報収集力の強化は目下最大の急務であった。

第二次世界大戦勃発の直後に日本人居住者のいないバルト海沿岸の小国リトアニアの首都カウナスに日本領事館が設けられ、その領事代理に外務省随一のロシア通である杉原千畝が任ぜられた背景には、既にドイツ国内に綿密な諜報網を持っていたポーランド軍と接触し、参謀本部の情報将校たちや、リトアニアにおけるポーランド諜報組織、さらにはロンドンの亡命政府の下にある軍事組織と諜報活動の協力関係を築くという重大な任務があったのだ。

一方、情報の見返りには、日本の外交特権で守られた外交行囊(外交使節団の連絡手段として利用される、使者が運ぶ封書のこと)を使い、在ヨーロッパ日本大使館やバチカン(ローマ教皇庁)の支援も受け、スウェーデン経由でロンドンのポーランド亡命政府へ情報を運ぶという情報ネットワークが構築された。

また杉原はカウナスの日本領事館閉鎖が明らかになると、協力関係にあったポーランド軍人二名に対して日本の公用旅券を発行し、それにより一人は駐ベルリン日本陸軍武官室の通訳官として架空雇用され、ポーランド軍諜報部の現地指揮官として活躍。もう一人は杉原がケーニヒスベルクの領事館に赴任する際に同行して情報収集に協力した。

杉原らの動向に以前から不審を抱いていたドイツ防諜部は、密かに周辺の探索を続けていたが、ついに1941年7月上旬に日本陸軍武官室に雇われていたポーランド将校がドイツ側に逮捕されると、ベルリンのポーランド諜報機関は壊滅。

しかしながら、日本とポーランドの協力関係はストックホルムに駐在する小野寺信陸軍武官とその協力者であるポーランド将校に引き継がれ、ポーランドからの情報提供は日本の敗戦まで続けられた。

 

最後の任地ブカレストへ

ポーランドによる全ヨーロッパ規模の情報網構築に協力していたことが問題視され、ケーニヒスベルクからの退去を命じられた杉原は最後の任地であるルーマニアのブカレストに向かうことになる。

1941年(昭和16年)12月ルーマニアの日本公使館に一等通訳官として赴任した杉原は、この地で終戦を迎える。

日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した1945年8月15日から2日後、8月17日に在ブカレスト公使館で家族と共にソ連軍に身柄を拘束された杉原は、この後1年間の収容所生活を送ることになる。

ブカレストの捕虜収容所へ連行された後、1946年12月にはオデッサの収容所、1947年3月にはナホトカの収容所と、次々と収容所を移動させられながらシベリアを横断するという過酷な日々を送るが、1947年(昭和22年)4月、ウラジオストクから興安丸に乗船し博多湾に到着。無事に帰国を果たすのであった。

収容所を移動するたびに荷物を奪われ、当初30個以上あったトランクも最後には身の回りの物を詰めたボストンバッグしか残らなかったという。

また収容所での検閲により、持っていた本はすべて没収され、カメラや写真も全て押収されてしまったが、唯一手元に隠して残せたのが有名なこの一枚、カウナスの日本領事館前に集まったユダヤ人たちの写真である。

カナウス領事館前-2

 

杉原を「命のビザ」発給へと突き動かしたのは?

同盟国であるはずのドイツ国内で諜報活動を行い、名目上は敵国である亡命ポーランド政府の情報将校と協力するという、非情な情報戦の世界に杉原は生きていたのである。

杉原が日本通過ビザを発給した最初の契機は、諜報活動で協力関係にあったポーランドの情報将校を安全な第三国に逃すためのものであり、それは彼らの家族など関係者を含めても多くて600名分のビザで済む予定で、ここまでは日本の外務省も参謀本部も承知のことであった。

しかし、想定外の出来事が発生した。

ナチスの迫害から逃れるためポーランドからリトアニアに流入してきた大量のユダヤ人難民が日本領事館へ殺到してきたことである。

恐怖に怯え、杉原を最後の頼みの綱として助けを求める彼らの目の前にし、ビザ発給の目的は大きく変わってしまった。

一刻を争う状況の中で「自分を頼りにすがってくる人たちを見捨てることなど出来ない」との思いが、杉原を「命のビザ」の大量発給へと突き動かしたのである。

 

 

 

 


【写真】フランスCOP21会議にあわせて、世界各地で地球温暖化対策の大規模なデモが開催されている。

2015-12-04 00:09:40 | 報道

池田 恵子  FB憲法九条の会 11月30日 3:08

·フランスCOP21会議にあわせて、
世界各地で地球温暖化対策の大規模なデモが開催されている。
写真はパリ。
緊急事態宣言からデモができないので、街に自分たちの靴を置いて賛成を表しているパリ市民。
ローマ法王も自分の靴を置いている。.

@bonitoflake: ‪#‎COP21‬
「デモ禁止のパリで、地球温暖化対策を訴える市民たちが「行進できない街でのデモ」を実行。参加者のなかにはローマ法王、ヴィヴィアン・ウエストウッドやマリオン・コティヤール等著名人も 」‪#‎ClimateMarch‬ https://t.co/Xt9852RunF


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Climate Action Now! キャンペーンさんがAvaazさんのアルバムをシェアしました。

世界中でGlobal ‪#‎ClimateMarch‬ が行われています。世界の人々のアクションがリーダーたちに届き、COP21での合意につながりますように‪#‎アースパレード‬ ‪#‎気候をまもる‬ ‪#‎COP21

 

Melbourne, Australia

Tokyo, Japan

Cairo, Egypt

Quezon City, Philippines

Dhaka, Bangladesh

Kathmandu, Nepal

MANILA, PHILIPPINES

Port Moresby, Papua New Guinea

Mongolia

Guatemala

Dakar, Senegal

Christchurch, New Zealand

Natal, Brazil

Oslo, Norway

Innsbruck, Austria