異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

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南京大虐殺の「勇士 木村守江」は福島原発導入の張本人だった!~レイバーネットTVで明らかに

2015-12-11 03:36:52 | 平和 戦争 自衛隊

LNJ Logohttp://www.labornetjp.org/news/2015/1209shasin より転載

南京大虐殺の「勇士 木村守江」は福島原発導入の張本人だった!~レイバーネットTVで明らかに

 

 12月9日、レイバーネットTVで小野賢二さんが明らかにしたことは衝撃的だった。元福島県知事木村守江氏は、南京大虐殺を行った「歩兵65連隊(福島会津若松)」の軍医で「聖戦の勇士」と呼ばれていた。小野さんは1938年1月の「磐城時報」を証拠として示した(写真上)。この新聞に木村氏は南京現地レポートを「軍事郵便」で寄せている。内容はこうだ。「捕虜二万余の始末に困った」「捕虜をどうしたかと言うことは軍司令官の令に由った丈で此処には書くことが出来ぬから御想像にまかせることにする」。*木村守江記事(pdf)


 *南京での木村守江(軍刀を持っている)

 木村氏は戦後、自民党国会議員を経て、保守王国福島のトップになり「福島天皇」と呼ばれ権勢をふるった。選挙区は双葉町である。そして福島原発導入を推進した張本人だった。県の担当官の調査で、地盤などの理由で原発立地は不適当との結論が出ていたのに強引に推進したという。

 木村氏は1976年に「土地開発の収賄罪」で逮捕され有罪が確定している。かれは3.11を知ることなく亡くなったが、中国人捕虜虐殺に関わり、福島に危険な原発を誘致した。最後は逮捕されたが、きたない権力者が撒いた「惨禍」は大変なものだった。


 *写真=「陣中日記」には生々しい記述が

 番組では、小野さんの調査について話を聞いた。民間の労働者でもあった小野さんは20年以上かけて、約200人の65連隊兵士に会い、聞き取りを行った。証言ビデオもたくさん残っている。番組では4分ほどのビデオが紹介されたが、揚子江沿岸に山のような死体が積まれた話は強烈だった。そして「命令でやったまで」と兵士はたんたんと語っていた。小野さんは、「この65連隊だけで17000人~18000人の捕虜が虐殺された」と明確に数字を述べた。しかし「全体の数は?」の質問には、「私は調べていないことはいえない」と慎重な答えだった。実証にこだわる小野さんらしい姿勢だった。

 また番組では、11月に放送されたフジBS「南京事件討論番組」の映像も紹介された。ここでは小野さんが調べた「兵士の日記」の一節「五千名を揚子江の沿岸に連れ出し機関銃を以て射殺す、其の后銃剣にて思ふ存分に突刺す」が引用された。これについてコメントを求められた「虐殺否定論者」の藤岡信勝氏は、「日記は事実だろうが、一部分だけ取りあげて虐殺というのは早計、軽々しく即断できない」と答えていたが、うろたえている様子が伝わってきた。加害兵士の書いた日記は重い。丹念に調べ上げた事実の前に、「南京大虐殺はなかった」などという嘘はすぐにバレてしまう。

 小野さんによれば、捕虜虐殺を行ったのは、鹿児島宮古島、熊本、四国4県、岐阜の連隊があった。兵士はなくなっていても「陣中日記」などの掘り起こしは可能である。今後こうしたことを調べていく責任が私たちにはあるのだろう。またNHKが「南京大虐殺」を取りあげない問題も指摘された。この問題でのジャーナリズムの責任は重い。

 番組後の二次会は20人近くが参加し、盛り上がった。次世代に残していくためにも、小野賢二さんが掘りおこした史料の保存・展示などの必要性が語られた。(M)

放送アーカイブ(95分 特集は9分から)

↓きょうのワンポイント英語は「南京大虐殺」

↓ニュースダイジェストは「NO WAR 日比谷集会」などとりあげた

↓ツイッターのコメントも多かった

↓ジョニーHの歌は「百人斬日本刀切味の歌」 動画5分

↓乱鬼龍の一句

↓さよならのポエムは堀田千栄子さんの「時計のベルト」

↓次は12/19のレイバーフェスタに集まろう!詳細

↓出演者記念撮影

*写真撮影=小林未来

ーー放送後寄せられた感想ーーーーーーーーーーーーーーー
●今日のレイバーネットTV、小野さんのような方が、いることに驚きました。すごい調査です。長いこと、実際に確かめたことに基づいていて、決して飛躍しない。飾らない人柄、話し方、本当によかったです。(S)

●今日のTV、見ごたえありましたねえ。南京大虐殺に関わっていた軍医が戦後、福島への原発導入をした知事になったなど、想像を絶する展開です。こんな話は今まで、どこにも出てこなかったのではありませんか? レイバーネットはすごいなあと改めて思いました。(H)

 

 

 


【辺野古】海上保安庁本省職員らとの話し合い後、院内集会。夜は海保本省前で抗議行動

2015-12-11 03:26:24 | 沖縄

チョイさんの沖縄日記

http://blog.goo.ne.jp/chuy/e/daa21b5b97d150f4f8638fc998eb5632より転載

海上保安庁本省職員らとの話し合い後、院内集会。夜は海保本省前で抗議行動

2015年12月09日 | 沖縄日記・辺野古

 12月8日(火)、東京滞在2日目。参議院議員会館で海上保安庁(本省)との抗議の交渉が予定されていたが、直前になって海保がドタキャンしてしまった。それでも、福島瑞穂議員が頑張っていただいて、福島議員と海保との話し合いに私と辺野古実の代表の方が同席するということでやっと話しがついた。

 午後1時から福島議員の部屋で話し合いが始まった。海上保安庁からは警備救難部警備課の新田課長補佐、同藤田専門官ら4名が出席した。(写真撮影は頑なに拒否された。)

 特に11月に入ってからの海保の暴力的な規制について抗議したのだが、課長補佐らは「海上の安全確保、法令遵守の立場から適切に対応している。」という回答に終始した。また、11月18日の「勝丸」でのIさんへの暴行で、Iさんが意識不明で嘔吐し救急車で搬送された件についても、「船を操船されていた方が落ち着きを取り戻した後、気分が悪いということで救急車を要請した。」、「保安官がケガをさせた事実は確認していない。」、「意識不明にはなっておられない。ぐったりとされて気分が悪いと言われた。」と答えた。あまりにひどい回答に、「私はその船に乗っていたのだ。今の説明はまったく事実と異なる。意識不明になっているので救急車を呼んでくれと保安官に何度言っても対応しないので、私が救急車を読んだのだ。」と追求したが、「現場からは今の説明のような報告を受けている。」、「適切に対応した。」と繰り返すだけだ。福島議員が、「現場の保安官だけに聞いても都合の悪いことは言わない。何故、もっと客観的な調査をしないのか!」と強く迫っても、のらりくらりとはぐらかし続けた。

 話し合いは1時間以上にわたったが、課長補佐らは「安全確保と法令遵守の立場から適切に対応している。」という態度を変えない。私は最後に、「また冬を迎え、大浦湾は厳しい。こんなことを繰り返していると、そのうち取り返しのつかない事態が起こる恐れもある。過剰警備にならないよう現場を注意してほしい。」と訴えたが、彼らはそのまま立ち去っていった。

               (盛り上がった院内集会(参議院議員会館)

 午後2時過ぎから辺野古実(辺野古への基地建設を許さない実行委員会)主催の院内集会が始まった。主催者や福島議員が海保との話し合いの報告をした後、私が、最近の辺野古の状況とその問題点について少し時間をもらって説明した。質問も相次ぎ、熱のこもった集会となった。

 午後6時半からは、霞ヶ関の海上保安庁本部前で抗議集会が開かれた。ここでも最近の海保の暴力行為についてマイクで訴えた。「海上行動が始まってもう1年半近い。この間、海保の暴力によって何人のカヌーメンバーや船長たちがケガをさせられたか! 何人が救急車で搬送されたか!」 寒い夜だったが、喋っているとこの1年半の海上行動のいろんな場面が目に浮かび、思わず怒りがこみ上げて、熱がこもった。

 

 

 


【東北大震災】 <もう一度会いたい> 何で先に逝ったんだ

2015-12-11 03:25:04 | 震災、津波

河北新報ONLINE NEWShttp://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201512/20151210_13005.html?fb_action_ids=409933705869547&fb_action_types=og.likes より転載

<もう一度会いたい>何で先に逝ったんだ

遺品を収める棚を見上げる。ビールに手が伸びる
 

◎(8)不意にこみ上げ 涙

 涙で目が曇らなかった日を思い出せない。
 宮城県石巻市の今野浩行さん(53)は震災で長女麻里さん=当時(18)=、次女理加さん=同(16)=、長男大輔君=同(12)=を亡くした。
 人生これからという時に世を去った不遇を哀れむ。
 子を守れなかった無力を恥じる。
 頬がぬれる。
 子のいなくなった人生を送る意味を見いだせない。
 「死にたい」
 夫がそう口走っていたのを妻のひとみさん(45)は何度か耳にしている。
 針岡橋に足が向く。
 欄干からのぞき込む。
 津波の遡上(そじょう)で川が氾濫し、命を奪った。
 引き込まれそうだ。身を投げる衝動に駆られる。

<酒に逃げる>
 家を流失し、仮住まいに居を求めた。
 初日の晩、ひとみさんに鍋をリクエストした。
 家族そろって鍋好きで何かというとみんなでつついていた。
 寄せ鍋が用意された。
 子の取り鉢も配膳されたのを見たら、たまらず涙があふれた。
 部屋には、子の写真をありったけ飾った。どこを向いても目に入るように。
 子と目が合う。
 鼻の付け根がツンとくる。
 酒に逃げた。意識が混濁し、悲嘆から解放される。
 こたつで寝入り、朝を迎える。
 酔いが覚めたら現実に引き戻される。それが嫌でまた酒に手を伸ばした。
 酒浸りで血圧が跳ね上がった。上で200を超す。血糖値もHbA1cが10%をオーバーした。6%台後半で糖尿病と言われる。
 ドクターストップが掛かった。
 「先生、糖質ゼロのやつでは駄目ですか」
 医師は返事をしなかった。

<男のくせに>
 震災遺族として中国地方に講演に行く機会があった。
 広島の原爆ドームに寄る。
 長男の大輔君が小5の学習発表会で「はだしのゲン」のゲンの弟を演じた記憶がよみがえり、目頭が熱くなった。
 涙は枯れることを知らない。泣きはらし、泣き疲れ、泣き明かしても尽きずにこみ上げる。
 不意に涙ぐむことがある。スーパーで買い物をしている時とか。髪を切っている時とか。子とは無関係の何の脈絡のない状況でウッとくる。
 ひとみさんには「男のくせに」と言われる。
 多分、お前より心(しん)が弱い。
 泣いてばかりいる。
 遺品を手にしても。
 子と遊んだ公園を通り掛かっても。
 いわさきちひろの絵を眺めても。
 テレビの「はじめてのおつかい」を見ても。
 何で親より先に逝ったんだ?
 死ぬ順番を変えては駄目だ。

 

2015年12月10日木曜日

 


Facebookはイスラム教徒のために闘う ザッカーバーグ氏が宣言 【コメント全文】

2015-12-11 03:23:35 | IS  中東

http://www.huffingtonpost.jp/2015/12/10/facebook-will-fight-for-rights-of-muslims_n_8767358.htmlより転載

Facebookはイスラム教徒のために闘う ザッカーバーグ氏が宣言【コメント全文】

 |  執筆者:
投稿日: 2015年12月10日 18時45分 JST 更新: 2015年12月10日 18時45分 JST
CEO MARK ZUCKERBERG GESTURES
 

アメリカには、イスラム教徒の入国を禁止すべきだと主張する大統領候補もいるが、反対にイスラム教徒を歓迎すると表明したSNSのリーダーもいる。

「世界中のイスラム教徒をサポートしよう」と呼びかけるメッセージを、Facebookのマーク・ザッカーバーグCEOが12月9日に投稿した。イスラム教徒に対して前向きな態度をとるよう訴え、Facebookは彼らの権利を守るためにできる限りのことをすると誓っている。

コメントは下記の通りだ。

−−−−

「私はアメリカだけでなく、世界中のイスラム教徒を支える輪に加わります。パリの同時多発テロやその後の事件で、イスラム教徒に対する憎しみが広がっています。全くの他人が起こした行動が原因で、今イスラム教徒の人たちは、迫害される恐怖を感じていることでしょう。

ユダヤ人である私は、両親から全てのコミュニティーに対する攻撃に立ち向かわなければいけないと教えられました。それが自分に向けられたものではなくても、誰かの自由に対する攻撃はいつか全ての人を苦しめることになる。
  
Facebookを使っている全てのイスラム教徒の皆さんに、私はリーダーとして伝えたい。ここでは皆さんはいつでも歓迎されている。皆さんの権利を守るために闘い、平和で安全な場所を作ります。

子供を授かって、私たち夫婦には多くの希望が生まれました。誰かを憎めば、簡単に人は悪だと信じるようになってしまいます。希望を失ってはいけません。共に立ち上がり、お互いの良いところに目を向けましょう。そうすることで全ての人にとってより良い世界を築けます」

イスラム教徒のアメリカ入国を完全に禁止するというドナルド・トランプ氏の発言には、世界中のリーダーから批判が集まっているが、今回のメッセージでザッカーバーグ氏もその一人に加わったことになる。これまでに、イスラエルのネタニヤフ首相や、イギリスのキャメロン首相もトランプ氏の声明を強く非難している。

 

この記事はハフポストUS版に掲載されたものを翻訳しました。

 

 


原発も集団的自衛権行使も、被害を被るのはぼくらの子や孫…(故・野坂昭如氏)

2015-12-11 03:17:22 | 平和 戦争 自衛隊

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https://www.cataloghouse.co.jp/yomimono/141216/

「原発も集団的自衛権の行使も、被害を被るのはぼくらの子や孫、またその子供たちである。」野坂昭如さん(作家・歌手)

 
 世の中は移りゆくもの。ぼくの生きた80余年は猛スピードで変化を遂げた。うわべにしろ、飢えは遠ざかった。なるほど便利になった。で、めでたしめでたしか。ぼくには到底そうは思えない。末期の目で眺めれば、先行き暗くてよく見えない。

 敗戦直後から日本人は本当によくがんばったと思う。まずは人間らしい生活を営むことから始まり、豊かさを目指し、生活水準はたちまち戦前を越えて、高速道路、高層ビルの立ち並ぶ日本が出来上った。高度経済成長を支える柱として、原発の必要性がいわれ、うわべ民間会社、実は国の御旗のもと、原発政策は推し進められた。
当初懸念されていた原発のマイナス点は、文明の利器の恩恵のもと無視され続け、小さな島国はいつの間にか原発列島と化していた。この原発、当初から事故だらけ、さらにどの国もあまりに危険と早々に撤退した高速増殖炉に目をつけ、原子力の平和利用をたかだかとうたい、スレスレの事故を繰り返しながら、これについては隠蔽。商業用プルトニウムと軍事用のそれとは異なるという説もあるが、どちらにしても原爆の材料であることに違いはない。世界はそれを承知。日本だけ、事故だらけ、先行きの見込み立たぬまま、今なお莫大な金をかけながら維持し続けている。

 2011年3月11日の東日本大震災を受けて直後の日本人は、自然の脅威にさらされ、人間が自然の中のちっぽけな存在に過ぎないことを自覚させられた。福島第一原発の事故では、原発、放射能の恐さを思い知らされた。人間がコントロール出来ないものだとよく判った。仕事を奪われ、生活を変えざるをえない、未だ避難を強いられている人たちがいる。一生戻れない人がいる。
 事故当初しきりに伝えられた、安全は保たれている、放射性物質の放出によって、直ちに体に異変をきたすことはないという東京電力及びお上の言葉は、希望的観測に過ぎず、もはやこれを誰も鵜呑みにしてはいない。

 
 ぼくらは連日、数値に敏感になり、汚染水についてその現状を固唾を飲んで見つめていた。半年、一年、二年と震災から日が経つにつれ、再稼働ありきの動きが目立つ。電力の不足が経済活動の妨げになる、経済こそ大事、今後のために必要不可欠だという。あの原発事故は、日本のエネルギーをどうするか、お上任せだった原子力発電について、国民が自ら考えるきっかけになりえた。今はどうか。福島の事故は国がどうにかすると思い込んでいる。原発列島、便利さと引き換えに増え続ける放射性廃棄物の量は限界をこえなお、ぼくらはどうにかなる、誰かが何とかしてくれると、楽観主義で過ごそうとしている。だがそれは無責任主義と同義語である。

 原発について推し進めてきたお上、再稼働にしゃかりきになっているのもお上、はっきり言って原発についてほぼ素人の政治家が、今後の方針を決めるなど、土台無理なのだ。無責任もいいところ。それを見ている国民も同罪。
 安倍首相は国民の命と平和な暮らしを守る責任があるといい、集団的自衛権の行使容認を決めてしまった。抑止力を強化するのだという。曖昧な抑止力ほど危ないものはない。何にしろ、一旦、力というものを持てば、使ってみたくなるのが人間。国民の生命、財産、日本の将来に関わる大事な問題を20人足らずの閣議で決める、これは暴挙といっていい。これについても世間は何やら物騒だと眉をしかめる程度。

 原発も集団的自衛権の行使も、被害を被るのはぼくらの子や孫、またその子供たちである。ぼくらには駄目なものは駄目という責任がある。今が良ければという思考停止はもう通らない。日本は今、薄氷の上に佇んでいるようなもの。その足元を少しでも丈夫にして、次世代に引き渡すことが、生きている人間の本来の仕事である。

のさか・あきゆき●1930年、神奈川県生まれ。早稲田大学文学部仏文科に在学中、さまざまな職業を遍歴。67年「アメリカひじき」「火垂るの墓」で直木賞受賞。タレント、作詞家、政治家(参議院議員)など多岐にわたり活躍する。

 

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直木賞作家の野坂昭如さんが死去 85歳

日本テレビ系(NNN) 12月10日(木)10時5分配信

野坂昭如さんは、9日午後9時過ぎ、東京・杉並区にある自宅で、意識がないのを妻が発見したという。野坂さんはその後、病院に搬送されたが、午後10時半頃、死亡が確認された。

 野坂さんは1930年、鎌倉市に生まれ、1968年に「火垂るの墓」・「アメリカひじき」で1967年度(下半期)の直木賞を受賞した。また、「おもちゃのチャチャチャ」の作詞や参議院議員としての活動など幅広く活躍していたが、2003年に脳梗塞で倒れて以降は、妻が在宅介護をしていたという。